4.訪問者
「このような場所でのご挨拶になること、ご容赦いただきたく存じます。私はここで侍女長を務めておりますジョエルと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
さきほどフェザンと会話していた年配の女性が頭を下げた。
それに合わせて後ろに立つ他の侍女たちも深く腰を折る。
「ア、アルエット・リュシュ・サリアンです。こちらこそよろしくお願いいたします」
いきなり皇太子の寝室に転がり込んできた亡国の王女を、侍女たちはどう思っているのだろうか。
フェザンと一緒にいられることはとても嬉しいが、少しずつ頭の中が冷えてくると今後に対しての不安が心を覆う。しかしながら侍女たちはアルエットを邪険に扱うこともなく、むしろ祖国の何倍も丁寧な対応をとってくれた。
湯浴みの後、用意されていたドレスに袖を通し、一心地つくと、着席したテーブルにはすでに軽い朝食が並んでいた。
「御用がおありの時は何なりとお申しつけください」
ジョエルはそう言って数名の部下を伴って退室した。
部屋にいるのはアルエットと一人の侍女だけだ。明るい赤毛を一つにまとめ上げ、姿勢よく部屋の扉の近くに立っている。
「あの、ええと……あなたのお名前をまだ聞いていなかったわ」
アルエットが声をかけると侍女は目線を上げた。
「ジゼルです。どうぞよろしくお願いいたします」
「こちらこそ、よろしく。あなたは、戻らなくていいの?」
他に仕事はないのだろうかと思って尋ねてみる。
「下がれという意味でしたら、すぐに姿を消しますが」
きれいな顔つきは人形のように美しいが、表情に乏しく、今一つ感情が読み取りにくい。
「い、いいえ。そうではないの。今までずっと一人で過ごしてきたから、どうしたらいいかわからなくて」
「お一人がよろしいのでしたらそういたします」
「いいの! ここに、いて」
擦り切れた記憶が微かによみがえる。
母がまだ存命だった頃、たしかに部屋には侍女が常に控えていた。母が椅子に腰かけてレース編みをしている傍ら、アルエットは侍女や乳母と一緒に手遊びをしたり、人形を使ってままごとなどしたり、楽しく過ごしていた。
(お母さま……)
じわりと目頭が熱くなる。辛い記憶に流されてもう思い出せないところだった。
(フェザンに感謝しなくちゃ)
温かい気持ちで胸がいっぱいになり、深呼吸を一つしてから朝食に口をつける。
パンやマフィン、それにスープやハムにオムレツ、瑞々しいフルーツは甘酸っぱく、柑橘の香りに心地よい朝の始まりを感じさせるようだった。
「こんな立派な部屋を私が使ってもいいのかしら?」
朝食を終え、侍女が食器を乗せたワゴンを押して部屋を出ていくと、一人になったアルエットはほうっと温かい息をついた。
濃茶の木目調の床に、壁は白を基調とし、細かい部分には金細工が施され、シンプルながらも質のいい内装だ。調度品は少ないが、どれも一級品だということはアルエットにもわかる。
真っ白なカーテンは上品なタッセルで留められ、曇りのない窓からは燦燦と陽光が注いでいた。
「以前のことが嘘みたい」
穏やかな空気が流れている。それだけに残してきたエグマリンの国民のことを考えると胸が締めつけられた。フェザンは復興を約束してくれたし、アルエットを傷つける者はいないと話していたが、このまま安寧を受け入れていいものだろうか。
一人で頭を悩ませていると、部屋の扉がノックされた。
「はい!」
フェザンかと思って弾かれるようにソファから立ち上がったアルエットは、部屋に入ってきた人物を見て、どくんと心臓が怯えた音を立てたのを感じた。
「おはようございます、アルエット王女殿下」
ドレスを軽く摘まみ、膝を折って礼をした金髪の若い女性は、顔を上げて完璧な微笑みをアルエットに向けた。




