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亡国の王女は敵国の隻眼皇太子の独占愛に囚われる  作者: 宮永レン
第三章

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4.別れの時は突然に

 暖かい日が増え、息をひそめていた緑が急速に芽吹き始めていた。色とりどりの蕾がほころんで、ミスダールは鮮やかに塗り替えられていく。季節は確実に前に進んでいた。


 あの突然の雨の日以来、アルエットはセヴランと濃密な時間を過ごしていた。彼が言った通り、湖には誰一人やってこないので二人きりの甘い関係をもつにはもってこいの場所だった。


 図書館で一緒に本を読む日もあったが、そんな時もセヴランに求められれば拒めない。抱き締められ、熱情をぶつけられると身も心も幸福で満たされる。セヴランと過ごす時間がたまらなく愛しかった。


 ほぼ毎日のように、図書館のそばのベンチでセヴランと待ち合わせていた。

 今日もハーフアップに結んだ髪に母の形見の水色のリボンをつける。伸びた髪は胸元に垂らした。セヴランに下ろしていてもかわいいと言われたからだ。


 姿見でドレスや髪のほつれがないか確認した後、部屋を出たアルエットの耳に別荘の外から馬が車を引く音が届いて立ち止まった。それがサリアン家の別荘の前で音がしなくなったのだ。


 誰だろう。ひょっとしたらここへ来たわけではないのかもしれない。そう思いながら、アルエットは出かけるために玄関へ向かった。


 すると、外から扉が開いて一人の男が入ってきた。


「あなたは――」

 アルエットは息を呑んだ。


 数か月ぶりに見覚えのある人物の顔を見てぎくりとする。


「お久しぶりです、アルエット王女殿下。陛下からの手紙を預かってまいりました。内容を端的にお話しますと、すぐに王城へ戻るようにとのことです」

 父王の侍従の一人でもある壮年の男は慇懃に頭を下げると、懐から一通の手紙を出した。


「王城へ……すぐに?」


「はい。ただちにお連れするようにと。縁談が決まったようですよ、おめでとうございます」

 表情のない侍従に言われて、アルエットはとっさにその場で手紙を開封する。


「相手はグラウンケ侯爵……ですって?」

 達筆な文字を目で追うと、たしかにアルエットの縁談が決まった事、相手はグラウンケ侯爵という王国の陸軍将軍だと書かれていた。使者が迎えにいったらすぐに戻るようにとも書いてある。


「そんな……」

 目の前が一気に暗くなった。


 グラウンケ侯爵といえば、腕の立つ人物で戦の功績をいくつも挙げていると聞いている。ただし戦い方はひどく残虐で、必要以上に敵兵を斬りつけてあざ笑うような冷酷な人物だという噂もあった。しかもアルエットより二回りほど年齢も上の筈だ。


 ここでのことがばれたら、おそらくただでは済まないだろう。


 ぞくりと背筋が震える。だが、それはアルエットが決めた事だ。後悔はしていない。いつか終わりが来ることがわかっていたからこそ、セヴランとの時間を忘れないよう大切に胸に刻んできた。


「……わかりました。でも、お別れを言いたい人がいるの。その為の時間をちょうだい」

 できるなら別れたくなんてない。


 しかしお互いに口にしないだけで、いつか自分たちの生活に戻らなければならないのはセヴランもわかっているはずだ。


「どなたに会いに行かれるおつもりですか? 陛下からは別荘から一歩たりとも出ないようにと話があったはずですが」


「えっ?」

 侍従が怪訝そうな顔をし、戸惑ったアルエットのエメラルドの瞳が揺れる。


「アルエット王女殿下は、そのような嘘をついてここから逃げ出すおつもりかもしれません」

 そう言ったのは、アルエットの後ろからやってきた別荘の管理を任されている白髪の執事だった。顔を合わせるものの一度も言葉を交わしたことはなかった。


「私、そんなつもりじゃ――」


「王女殿下。そろそろお部屋にお戻りください」

 執事はそう言った後、背後に控えていたメイドに目配せした。その合図に小さく頷いたメイドが前に出てきて侍従に頭を下げる。


「この度はエグマリン国よりはるばるの道のり、さぞお疲れのことと存じます。お荷物の整理などもございますし、今すぐに出発となりますと、西の深い森を夜間に通ることになってしまいます。ご提案なのですが、明朝にご変更ということでいかがでしょうか?」


「ううむ、それもそうだな。一晩部下ともども世話になるか」


「ではすぐにお部屋をご用意いたします」


「王女殿下。さあ、参りましょう」


「で、でも、私……」

 今日会いに行かなかったらセヴランはどう思うだろうか。約束を破ったひどい女だと気を悪くしてしまうだろうか。それだけはいやだ。


 しかし別荘から一歩も出てはいけないという話になっていたのは知らなかった。初めのうちは雪のせいもあってどこにも行く気になれなかったが、医者に勧められて外出するのを使用人たちは何も咎めていない。


 いったいどういうことなのだろう。


 メイドに強引に促されて一階の奥の部屋に戻ったアルエットは力なくベッドに腰かけた。手にしていた手紙をもう一度開いて確認するが、内容に変わりはない。びりびりと破いて捨てたかった。


「どうしよう。セヴランはきっともうあそこで待っているわ。行かなくちゃ」

 胸がざわざわして、じっとしていられず立ち上がって窓の鍵を外す。ここから広い庭に出られるようになっていて、小道がポーチまで続いていた。入口に停まっている馬車のそばを通り抜けることになるが、一か八か試してみる価値はある。


 ――どうしてもセヴランに会わなければ。

 窓を開けた途端に部屋の扉がノックされ、メイドが入ってきた。レースのカーテンが部屋の内側に向かって大きく翻った。


「お茶をお持ちいたしました、アルエット王女殿下」


「あ、ありがとう」

 慌ててそちらの方を向き、礼を言う。早くティーセットをテーブルに置いて出ていってほしいと思うのに、メイドは扉を静かに閉めると、アルエットの方へやってきた。


「お庭から正面へ向かえば、王城のお迎えの方々に見つかります。厨房から出れば裏門がありますので、そちらなら、安全にお外へ出られます」

 メイドは声を潜めると白いキャップを外し、手早くエプロンを脱ぎだした。


「え? ど、どういうこと……?」

 アルエットは目を瞬かせて、うろたえた。


「お許しください、王女殿下。我々はミスダールでの別荘専属の使用人です。陛下からアルエット王女殿下を外へ出さないよう、独りにするようにと御命があり……それに従うつもりでした。ですが、日ごとに弱っていく王女殿下を黙って見ているのがつらくなっておりました」

 目に涙を浮かべ、メイドはエプロンをベッドに置くと、今度はお仕着せのボタンに手をかけた。


「医者の許可があればお体のために多少の外出はかまわないのではと我々は判断して、アルエット王女殿下がお外へ行かれても見て見ぬふりをすることにいたしました。そこで王女殿下は素敵な人とお会いすることができたんですよね?」


「どうしてそれを……?」


「見ていればわかります。王女殿下はお変わりになられました。とても綺麗に、お幸せな表情に。ですから、せめて最後のご挨拶をなさってきてください。こちらにお召替えを。私の物で申し訳ありませんが、これならパッと見てもわかりませんから」


 今まで声を上げても誰にも届かなかった。それが、セヴランに会ったことで変えられた。


「ありがとう……」

 アルエットは涙ぐんでドレスを脱ぎ始めた。


「厨房は廊下を出て左へ。その先を右に曲がられてください。遅くても夜までにはお戻りを。それまで私が身代わりになります。別荘の者はみな存じておりますのでご安心ください」


「わかったわ。夜には必ず……」

 お仕着せに着替えたアルエットの長い髪をメイドが綺麗に結い上げてくれた。


「アルエット王女殿下の御髪はとても美しいですね、遠くからでもすぐに王女殿下だとわかりますよ」

 そう言ってメイドキャップをかぶせてくれた彼女は目に涙をためて微笑んだ。


「美しいなんて……王城では言われたことがなかった……」


「そうなのですか? 私はてっきり眩いほど美しいアルエット王女殿下を大切にするあまり、お外へ出さないのだと思っておりました」


 ミスダールでは相手を綺麗に見せる何かがあるのだろうか。セヴランからも恥ずかしいくらい何度もかわいい、綺麗だと言葉をかけられ、それはアルエットを喜ばそうと彼が言ってくれているだけだと思っていた。


「さあ、時間がありませんわ。どうかお気をつけて」

 メイドに言われてハッとする。


「ありがとう、いってきます」

 お仕着せ姿のアルエットは俯きがちに廊下へ出た。玄関の方で侍従たちが案内されているのが見えたが、アルエットに気づく者はいないようだった。メイドに言われた通りに厨房へ向かうと、そこでも使用人たちから謝罪と励ましの言葉をもらい、彼女は裏門から外へ出た。


「急がなくちゃ……」

 遠回りに道を進むと、馬車の近くを通ることなく別荘の敷地を抜けられた。自然と足は地面を強く蹴っていた。セヴランに会いたい一心で、アルエットは石畳の道を駆けていた。

 


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