三日月の夜、対峙せしは才無き努力の剣~とある兵士が王都剣術大会決勝戦前日に異世界から召喚された戦士と戦う話~
「ふんっ……せいっ……!」
青き三日月の浮かぶとある夜、シャルナギア王国の兵士セイルバート・エスノールは、王城の敷地内に存在している実戦訓練専用の武舞台の上に一人立ち、剣を振るっていた。
セイルバートは努力家であった。平民の出でありながらひたすらに修練を積み重ね、王国の平和の礎となる兵士の末席にへと加わった。農民の家の長男としては、異例の出世であった。
そこで天狗になることなく、彼はひたすらに剣の腕、そして己の肉体を鍛え続けた。いつか戦場で戦う日、ほんの僅かでも誰かのためにありたいと願いながら。
そして、自分の夢のためにも。
彼の夢、それは、王国で毎年開催される剣術大会。そこで優勝することであった。
シャルナギアの剣術大会は、この国の一大イベント。毎年何万、何十万もの人間がこの大会を楽しみにしている。そしてそれは、ただの道楽ではない。
なぜなら、この大会に出場できるのは、王国の兵士、そして騎士……その他、この国のために日夜命を賭けて戦う者たちのみ。その人間の強さを肌で感じ、人々はこの国を守る人間から安心感を得ようとしているのだ。更に付け加えるならば、戦いを見せつけることで、他国への抑止力としている。
それでは逆効果なのではないか、強国がチャンスを狙って攻めてくるのではないかと思われるかもしれない。だがそれはあり得ない。
なんせ、このシャルナギア王国は、この世界で五本の指……その中でも上位に君臨するほどの超強国。どれだけ見られようと、対策のしようなどどこにもない。そのため、この大会は他国からの観戦者も大いに歓迎している。それだけの誇り、そして最強の自負が、この国にはあるのだ。
そしてそんな大会故、生半可な戦いは許されない。
この大会に出場する者は、各組織内で行われる剣術大会予選にて選別される。弱き者が運よく大会に出られる、なんてことはない。それ相応の強さが必要なのだ。
剣術大会に出られるだけでも相当名誉な事、相当な実力を持っているという証明などと言われるほど、この選抜は過酷を極める。なんせ、国中の王国直属戦士……およそ百万を超えるであろうその中から大会に出られるのは、たったの百二十八人だけなのだから。
セイルバートに才能なんてものは無かった。だがそれを遥かに上回るほどの努力と、戦術的分析を寝る間も惜しんでやって来た。兵士になる以前、そして十六で兵士となってから早十年。その他の事には目も暮れず鍛錬に費やした彼の戦闘力は凄まじいまでに仕上がっていた。
それこそ破竹の勢いで予選を勝ち進み、ついにはセイルバートもその百二十八名の中に選ばれることとなった。こうして彼は、これまでの鍛錬は無駄ではなかった。努力は実を結んだと実感―――――
するはずも無かった。
あくまで、彼の悲願は大会優勝。まだスタートラインに立っただけだった。
そこから一年後に開催される剣術大会本戦―――一週間かけて国内最強を決める戦いまで残された猶予を、彼は更なる自身の強化にへと費やした。
当然、彼以外もその間努力を惜しむことは無い。いかに相手を上回るか、いかに相手を出し抜くか……そして、いかに勝利を掴み取るか、それだけを考え、兵士としての業務をこなしつつ、変わらない鍛錬を確実に積み上げていったのだ―――
―――そして一年後、セイルバート二十七歳。彼の大会での戦いぶりには国民全員が目を見張るものを感じた。
一介の兵士が、戦う前はただの田舎者だと揶揄されていたセイルバートは、初戦から大暴れ。剣、槍、弓など、あらゆる得物を使う様々な強敵たちを次々と薙ぎ倒し、驚異の大番狂わせを人々に見せつけた。
そして今日、六日目。永久に伸びる鞭、それに地属性魔法を組み合わせて戦う相手と、三時間にも及ぶ激闘を繰り広げた。
始めは苦戦を強いられていたセイルバートであったが、魔法により再形成された武舞台の地形を逆に有効活用し、最後は見事勝利を収めてみせたのだ。
その夜――今現在。今日の戦いでの消耗、そして五日前から続く数々の激闘により溜まっている疲労、削れた体力。そんなものを気にすることも無く、ただ剣の素振りを――いつもと何ら変わらぬ鍛錬を行っていた。
周りには誰もいない。昼間の盛り上がりが嘘かと思うほどの静けさ。
涼しい夜風、美しい空に浮かぶ三日月、そして星々。今宵は誰しもが、いい夜であると口にするだろう。
空に向けて剣を振るい続けるセイルバートの心はとても落ち着いていた。程よく高まっていく集中力というものを自分自身で感じ、その高揚感に身を委ねていた。
「……絶対に負けられない……必ず勝つんだ……!」
決勝戦の相手は、国王直属騎士であるジーノス・ロザリエという男。この世界に七本あるとされる魔剣、そしてそれに対を成すように存在する聖剣。それら一本ずつを媒介として生み出された一振り、天宝剣ヴァドリア――その名の通り国宝としても名高い伝説級の剣を扱う剣士。
その秘めたる能力は今だ未知数……ジーノスが初めて出場した二年前の大会から、彼の本気を誰も知らない。当然、現在この大会で二連覇という偉業を成し遂げている。
そして三連覇のかかった明日の試合……間違いなく向こうも気合が入っているだろう……セイルバートはそう考えていた。
ならば、休んでいる場合ではない。来るべき時――およそ半日後までに、最高を超える最高にまで己を仕上げなければならぬと――その瞬間まで、セイルバートは考えていた。
「よ。相変わらずやってんな」
セイルバートがこの夜数千と剣を振っていた、そんな瞬間だった。突然にその男は、彼の前に現れたのだ。
「……誰だい、君は? 悪いが、今は相手をしている時間が惜しくてね」
「そんなボロボロの体に鞭なんか打っても、何の意味もないだろ」
「何……?」
その男……というより、少年は目の前の剣士に――この国最強を決める大会の決勝まで勝ち上がってきた男に、何の躊躇いも無くそう言った。
いつも温厚な性格であるセイルバートだが、彼はその言葉に対し、無性に苛立ちを覚えた。これまでの血の滲む努力を、真っ向から否定されたように感じたのだ。
そしていつの間にか、彼の素振りもそこで止まっていた。セイルバートは少年の方を向き、睨みつける。
整った顔立ちだった。少々鋭い目つきに、短髪の黒髪。その顔には、自信満々と書かれているかのように思えるほどの余裕の笑みが浮かんでいた。
革製の少し頑丈な、戦闘に適してはいるが防御面ではまったく頼りにならない装備。そして、闇を思わせるほど黒いボロボロのフーデットケープをマントのように羽織っていた。
「……お前、相変わらず……と言ったな? お前が俺の何を知っている」
「知っているよ。トリシャーラの駐屯地で、あんたを何度か見たことがある」
トリシャーラ駐屯地。それは、兵士になって今日に至るまで、セイルバートが周辺で活動する際の拠点となっている場所だ。
少年からその単語が出てくるとは思っていなかったセイルバートは少し驚いた。が、だからどうということも同時に無かった。
「そうか……だが、今だけは頼む。邪魔をしないでくれ。明日の試合には、絶対に勝ちたいんだ……!」
「王国直属騎士ジーノスか……一度やり合ったことはあるが……強かったぜ、あいつ」
「なんだって……!? 戦ったことがあるのか、お前が……奴と……!?」
それは、本来絶対口に出てこないであろう一言。しかも、あの最強とも名高いジーノスを、「強かった」というたった一言で表せるほどの実力が、目の前の少年にあるとは到底思えなかった。
「信じられない……って感じの顔だな」
「当然だ……一体何者なんだ、お前は」
「おっと、名乗ってなかったな……俺はムサシ・シノノメ。召喚者だ」
「召喚者………」
その言葉に、セイルバートは聞き覚えがあった。
この世界の中心に存在している一国など簡単に飲み込んでしまえるほどの巨大な穴、世界の深淵と呼ばれ、それを埋めるように何百という階層に分断された巨大な遺跡が出現したのは、今からおよそ千年前。
それを調査するべく様々な強者が攻略に挑んだが、その悉くが敗走……もしくは帰らぬ人となった。
そこでとある国が、その現れた謎の遺跡の真相を探るべく、一人の男を異世界から召喚したという噂が少し前に流れていたのだ。
「それがお前……ムサシ・シノノメというわけか……」
「まぁ、そんなとこだ。あと、ムサシで構わねぇぜ」
ムサシはセイルバートに対し、まるで友達であるかのように接する。だが当然、セイルバートの方はそこまで楽観的でも、友好的でもない。
「なら、子供扱いする必要も無いか……これ以上俺の邪魔をするなら……こちらもそれ相応の対応をさせてもらう」
「おぅおぅ、切羽詰まってるね……じゃあ、やってみるかい?」
「何だと……?」
それは、セイルバートにとって予想外の提案。付け加えれば、ムサシの余裕の笑みは、ここまで一切変わっていない。これは、相当の自信があるのだと、彼は考えた。
「この世界に来て、何度も戦って、そして負けて……俺は何度も折れて、それでも戦ってきた……だから分かる……そのまま明日を迎えても、あんたは負けるだけだ。セイルバート・エスノール!」
「……いいだろう。ならば見せてもらおうか……その言動に値する強さが、お前にあるのかどうか……!」
そうして突如始まった、三日月の夜――武舞台の上で繰り広げられる、両雄のたった一度の戦い。
「せぇぇぁぁあああっ!!」
先手を打ったのはセイルバートだった。投擲された槍を彷彿とさせるほどの圧倒的スピード。そこから繰り出される、大気すら貫くほどの突き。
ムサシはそれが顔面三十センチ手前まで迫っているというのに、その体を一切動かさない……引き付けているのだ。完全初見の技を。
「ッ……!」
「くっ……!」
その突きを、ムサシは体を左にずらして躱して見せる。ギリギリで回避したというのに、その顔には傷一つ付くことは無かった。
ただの少年。そんな先入観が抜けきらぬまま放ったその突きは、本来の完成度の六十パーセント程度の質だった。それでも、ここまでいとも容易く躱される……ましてやあの距離まで詰め、皮一枚すら穿てなかったことに驚きを感じた。
だが、その程度で終わるのであれば、この国で一位二位を争うような戦いに挑む機会など訪れるはずがない。
「たあっ……!!」
「っぅぉ……!!」
渾身の突きなど放った後には、当然ほんの一瞬ではあるものの、体は硬直する。次の攻撃、回避……どんな行動を取るにせよ、一瞬にも満たぬ隙が生まれることは確かである。
が、セイルバートは突きの勢いを逆に利用して見せた。右腕を突き出した突きの体制から一切の間隔を開けることなく手首を捻り、上にへと撥ね上げる。しかし当然、そこにムサシはいない。セイルバートから見て右にずれているのだから。
だが、構うことは無かった。セイルバートはそのまま体を自ら宙に浮かせ、高速で左回転。その回転の勢いを利用して加速をプラスした高速の斬撃を、右側にいた武蔵にへと力の限り振り下ろした。
次の瞬間聞こえる、ガギィィィィンという甲高い音。だがセイルバートの剣とぶつかったのは――ムサシの得物ではなく……
「腕……だと……!?」
「へぇ……やるねぇ……! あそこからノンストップで動き続けるなんて……!」
驚いたような、嬉しいような。そんな表情でムサシは己の右腕前腕を差し出すように前に出し、セイルバートの剣を受け止めていた。
……それだというのに、彼の腕は断たれるどころか、刃が一ミリも通って行かない。
感触的に、義肢ではない。なのにも関わらず、なぜだか通らない。まるで――腕そのものが金属であるような。
「っと!!」
「うぐっ……!?」
ムサシは振り下ろされた剣を弾き飛ばし、それと同時に超低空バックステップ。セイルバートとかなりの距離を取った。
「……どういうことだ……? なぜ、腕で剣を――」
「防げるのか……だろ? それじゃあ、早いが、少し種明かしといこうか」
「馬鹿なのか? 敵に塩を送るつもりか……!」
それを聞いたセイルバートの苛立ちが加速する。鍛錬を邪魔された上に、まるでこちら舐めているかのような発言。切羽詰まっている状況も相まって、彼自身の心もすでに限界であったのだ。
「いいや? というか、そもそも今後あんたと敵対するつもりもない。むしろ、いい関係を築いていきたいとも考えているくらいだ。だから教える」
「…………」
その言葉に、嘘は無い。ムサシの瞳をじっとみたセイルバートには、そんな確信があった。
夜故に少し暗い中ではあったものの、その眼はあまりにも真っすぐで、とても嘘をついているようには見えなかったのだ。
「俺は召喚されるにあたって、三つの好きな能力を与えられた。そのせいで俺を召喚した国にとっては相当な代償があったそうだが……ま、それはいっか。んで、その一つが――これ」
「む……?」
ムサシは先ほどセイルバートの剣を受けた右腕を見せるように彼にへと向けた。
セイルバートがよく見てみると、ムサシの腕――その己が斬ったであろう部分の皮が裂けていた。まるで、斬られたかのように。そしてその傷口のような箇所からうっすらと月の光に照らされて確認できる――金属光沢。
「それは……!?」
「『鋼鉄血体』。人間の血液には、ごく僅かだが鉄が入ってるだろ? その量を一時的に増幅させ、肉体を硬化させるっていうものだ」
「だからか……あの金属と接触したかのような感覚は……!」
「後は、思考の並列を可能にし、加えて思考の補助、魔法の行使をサポートしてくれる『万働思考』……それと、動体視力向上……あらゆる攻撃、魔法、生体を解析できる『全世眼』。これらが俺の能力。何も出来ない俺を、最強にしてくれた力たちだ」
「……”最強”……か…………」
それは、セイルバートが喉から手が出るほど欲している己の力の終着点。それを容易く口にできるほどの実力を、確かに彼は持っているのだろうと、セイルバートは初めの考えを改め直す。が、それで諦めたわけではない。
「だが、勝負はここからだ……ムサシ!」
「あぁ、安心しろ……あんたが明日に響かないギリギリで終わらせてやる……!」
「ほざけっ……!!」
そう言って、ムサシは再び笑い、構える。真っすぐセイルバートを見据え、臨戦態勢をこれでもかと言うほど瞬時に整えていた。
「硬度を上げよう……そして――昂ろう!」
直後、ムサシが爆発的なスタートを見せた。
先ほどまでの相手を見極めるかのような挙動は一切見せず、完全なる攻めの姿勢。そこから繰り出されるは、小細工なしの右ストレート。
「ぐっ……! ぐぅぉおっ……!!」
セイルバートはそれを剣で受け止める。刃によってムサシが傷つくことが無いと分かった以上、相手が少年だからといって手を緩める必要はない。向かってくる拳を切断するつもりで反撃していた。
そこから力比べ。その場に固まった……いや、相手に向かい押し込み続けている双方。五秒ほどその場で固まったようにとどまり、次第にその天秤は動き始めた。
「っしゃぁぁあああ!!」
「ッ……!?」
鍔迫り合いを制したのはムサシの方であった。セイルバートがほんの少し後ずさり、それに合わせすぐさま勢いを加速させる。
それにより、セイルバートの剣は大きく後方にへと弾かれた。が、手から剣が離れたわけではない。変わらず右手で柄を握り締められたセイルバートの刃は、その攻撃をまだ終了していない。
「ッ……ぁぁあああっ!!」
「ぬぉっ……っとお!!」
そしてその弾かれた勢いすら、セイルバートは利用して見せる。
その食らった衝撃を利用しての更なる加速――右回転。
先ほど突きから振り下ろしに繋げてみせたように、今度はムサシの右側方にへと向けた渾身の一太刀。
「厄介だねぇ……! 一本取ったかと思いきや、すぐさま次の攻撃が飛んでくる……!類を見ない――常識越えの対応力……!!」
だがそれすら、ムサシは受け止めて見せた。先ほどと同じ、右腕で。
訓練場に、甲高い金属音が再び鳴り響く……二度。
「んなっ⁉ いつの間に……!?」
「受け止められるだろうと、読んでいたからな……!! 一度で駄目なら二度三度……何度だって振るい続けるさ……!!」
必至の形相。覚悟を決め、戦う者の勇ましき表情を、セイルバートは見せていた。
右回転から横薙ぎに繋げたセイルバート。繰り出した一撃の軌道を読み、ムサシの胸辺りに到達すると予想。当然、先ほどのように右腕でガードされるのは目に見えていた。
そして当然、それは的中。セイルバートはそこから無理矢理力の方向を逆にし、そこから短い距離ではあるが、再び剣速を高め、ムサシの横腹に剣撃をクリーンヒットさせた。
二度の金属音が一回鳴り響いたように聞こえるほどの速度……それは、常人を遥かに凌駕するムサシの『全世眼』ですら一瞬認識できないほどのスピードであった。
しかしそれでも、ムサシの肉体にダメージが刻まれることは無い。『鋼鉄血体』は肉体全体に作用しており――無論、セイルバートの二撃目も問題なく受け止めてみせた。
「あんたやっぱすげぇよ……! 流石は最強を決める大会の決勝まで進んだだけある……というか、あっちじゃあオリンピックのトップ選手みたいなもんだしな……! そりゃそうか!!」
「おりん……なんだって……?」
「あぁいや、気にしないでくれ……こっちの話だっ……!!」
直後、ムサシの方も高速の右回転。その速度はつい先ほどのセイルバートを遥かに上回るものであり、訳の分からぬ話でほんの少し気が緩んでいたセイルバートの剣は思う間も無く弾かれる。
(しまった……油断した……!)
「そらよぉっ!!」
超速の一回転、そして完全なる急停止。『鋼鉄血体』や魔法により強化された体幹が、それを可能としていた。
その次の刹那、繰り出されるのは右の掌底。セイルバート同様ノンストップで回転、停止、攻撃を繋げたムサシのそれに対応が追い付かず、セイルバートはそれを己の胸部にクリーンヒットを貰う。
「ぐふぅぁっ……!!」
なんという重みであろうか。人間の腕の重さによる攻撃とは思えない。まるで鉄鉱石をぶつけられたのかと錯覚するほどの重撃。そうしてそこから始まる―――
ムサシ・シノノメのターン
「はぁぁあああ!!」
左のブローから始まる超連打。鉄の拳は唸り、セイルバートにへと襲い掛かる。およそ人間の身体能力など遥かに超えたその肉体から放たれる拳の速度は当然人並みなど優に超え、比例して大きくなる物量と共に力を増していく。
「うぐぅっ……っだあぁぁあああ!!」
だが、それをただ受けるしかないセイルバートではなかった。この国屈指の実力を持つと証明するかのようにムサシの拳を剣で受ける。それでもその全てを受けきれるわけではないが、持ち前の技量と精神力でそれをカバーし、ムサシの猛攻を迎え撃っていた。
そして一秒……五秒……十秒と続いていく両雄、攻撃の嵐のぶつかり合い。
どちらかが攻撃を止めぬ限り永遠に続くであろうその交わりは、その後も一分ほど続く。限界以上に加速する二人、だがそれでも彼らの剣と拳は止まることを知らず、緩まることも知らず、ただ速くなるのみ。
互いが互いによって引き上げられ、もはや人の限界すらも知らぬ間に突破する。体……脳の発する危険信号すら捻じ伏せ、酸素を取り込むことすら忘れ、ただひたすらにぶつかっていた。そしてそんな久遠の接触も、たった一撃によって破壊されることとなったのだ。
「っ……らあっ!!」
「ゴフッ……ッガハッ……!!」
セイルバートはこの時、文字通り血眼になってムサシの拳を凝視し、捉えていた。それ故に攻撃に対応し、終盤は完全にその猛攻を受けきることに成功していた。そこからほんの少しの隙……戦いの中の僅かな綻びを見つけ、反撃に出るその直前。意識外から腹のど真ん中向けて放たれた、ムサシによる蹴りがダイレクトにセイルバートを抉った。
それによってセイルバートは大きく後方へと吹き飛ばされる。何とか膝をつかずにはいるものの、今の攻撃、加えてここ数日の連戦による蓄積ダメージが重なり、すぐには動けぬ状態となっていた。
(動け……! すぐ反応しなければ、また同じものを食らうだけだ……!!)
当然、追撃はすでにやってきていた。低い前傾姿勢で突っ込んでくるムサシに対し、セイルバートは気合で迎え撃つ。
「ハアアアアア!!」
気迫に魔力を乗せ、敵に向かい放つ。セイルバートが扱える数少なく、そして魔法とも言えないそれにより、セイルバートへと向かっていたムサシの体が一瞬にも満たぬ時間硬直する。その隙に何の躊躇いも無く、セイルバートはムサシに向かい全てを乗せた剣を叩き込む。
「……ハッ! そっから動くかよ……!」
セイルバートの予想外の執念に、ムサシは思わず苦笑いを浮かべる。
「っぉぉおおおあああああ!!!!」
そうしてとうとう放たれた、セイルバートの剣。それは彼自身の剣……その秘儀とも呼べるもの―――武戦奥義 二重撃之瞬斬。
武戦奥義とは、この世界における文字通りの必殺技。戦う者の自尊心を具現化したものと形容する者もいるほどの、言わば切り札。
その系統、種類は千差万別。代々受け継がれしもの、新たに生み出されし我流のもの。大体はそのどちらかであり、セイルバートのそれは後者。才無き男が、努力によって編み出した、天才へ食らいつくための逆転の一手。
「武戦奥義……!? あんたも使えたのか……!! だって大会では――」
「あぁそうとも!! 使っていなかったさ!!」
セイルバートは自虐的な笑みを浮かべながら、ムサシに己の――文字通り全存在を賭けた最後の剣技を放つ。
「才能が無かったからな……! 要領も悪かった……トリシャーラでも始めは随分と後れを取った――」
努力に、輝かしい物など必要ない。どれだけ泥臭くても、惨めでも。
物語ならば、そんな努力だけでは到底覆せぬほどの力を持つ者ばかりで、努力だけしかない人間など……別にどうとも思われないかもしれない。
だが、その努力は、方向性の間違っていない正しい努力を極限にまで積み上げれば、それはいつの日か天才を……そして、その先にいる努力する天才の喉元にすら届きうる、絶対的な己の心に宿す強靭な剣となるのだ―――
努力の天才。そんな言葉がこの世界には存在するが、そんなものは才などではない。
努力とは、やろうと思えば誰だって出来る。それが強くなるための努力であれば尚更だ。
難しい道具も必要ない。武器だって、訓練であるならばそこらの物でいくらでも代用が可能だ。
走ればいい。持久力が強化できる。
重い物を持ち上げ続ければいい。筋力が強化できる。
木の枝。農具。なんだっていい。思うように、敵を眼前にイメージして振るい続ければいい。自然とそのイメージは確固たるものとなり、それは己の技量を底上げするための礎となるだろう。
この世界のどこにでも、強くなるために必要なものがある。それらを駆使すれば、誰であろうと。いかに凡人、才能無しと呼ばれるような者であろうと、強くなれる。
その先で、強くなれなかった者は? 何十年努力しても、頂へと届かない者は?
そんなことを言う者だって少なからずいるだろう。だがそれらの者は、少し勘違いしている。
あくまでも、「強くなれる」だ。「最強になれる」ではない。いくら強くなれなかった者とて、努力を始める以前よりは確実に強くなっているはずであろう。
そんなの当たり前だろ? そう。”当たり前”なのだ。
強くなれる。それは絶対だ。しかし、やはり世界は、努力だけではどうにもならないことだって多い。
加えて才能無き努力など、その先で報われるとは限らない。いや、報われることの方が少ないだろう。大体の人の努力なぞ、真の意味で満足のいく結果を手にするには足りぬものだ―――
―――だが、そのうえで問う。ならば努力は無駄であるのか? 才能のある人間の努力は、絶対に報われるのだろうか?
答えは当然、どちらも否だろう。高みを知った者が、それに強い思いを抱いたものが、立ち止まるなど言語道断。
進み続けるしかないのだ。いくら壁が高くとも。いくら頂が遠かろうと。
そして、この三日月の夜。セイルバート・エスノールの才無き努力の剣は、天賦の力を与えられた男――その喉元に大きく食らいつく。
「――だが俺は強くなった……! 己の努力で、どんな相手にも勝ってきた……! そしてこの力で……愛する国を、人々を守るために……俺はこの身を――命を剣に捧げると誓った……!! 未来に起こるかもしれない戦争でも、明日の試合にも……そしてお前にだって……!! 俺は誰にも負けたくない……!! そのための奥の手だ!!」
セイルバートの強さの根源となるものは、その人ならざるほどの努力と、それに耐え抜いた自分自身のプライド。そして、全てを捧げる覚悟だった。
「……あんた、本当にすげぇよ。戦っててすげぇ清々しい相手だ……だがっ―――!!」
「うおおおおおおお!!!!」
二重撃之瞬斬――一度の斬撃で二撃分を食らわせるという、数々の強者たちが用いる武戦奥義の中ではいたってシンプルなもの。
しかし、重なる二撃目の威力、速度は、セイルバートの全力の一太刀の二倍……いや、二乗分をも超える。防御など一切考えぬ、文字通りの全てを賭けた、まさにセイルバート自身を体現するかのような必殺技。
セイルバートはこれを、隠し玉として大会では決勝まで温存していた。セイルバートが武戦奥義を使えることを知るのは、つい先ほどまで本人のみであり、その情報はどんな諜報部隊の耳にも入ることは絶対になかった。
そんな技を、今こうして敵に明かしている。もしかすれば、今日中に目の前の男が明日の対戦相手である王国直属騎士――ジーノスへ伝えに行く可能性だってゼロではないというのに。
だがそれほどまでに、セイルバートは負けたくなかった。
ムサシが子供だからではない。修練を邪魔したからでもない。
一人の男として、戦う者として、剣にその身を捧げた者として、初対面であってもムサシには絶対に負けたくなかったのだ―――――
「―――俺の勝ちは…………揺るがない……!」
それでも…………現実というものは、やはり意地悪だ。
「なっ……あっ…………」
何が起こったんだ。セイルバートはそう考えた。
己の限界速度すら凌駕し、一撃目を追い抜くスピードで放たれた”二撃目”の斬撃が、本来真っ先にムサシに食らいついたはずなのだ。『鋼鉄血体』の効果で傷はつけられないものの、怯ませ、”一撃目”を食らわせてやることは出来たはずなのだ。
それだというのに、気付けばこれ以上ないほど握り締めていた拳の中に剣の柄は存在せず、ムサシへの攻撃は空振り。
それに代わるように、セイルバートの目の前には――こちらもまるで金剛石のように硬く握られているムサシの拳が存在しており、おそらく彼がその気になれば、一秒後には自分の首から上は潰されているだろうという確信的なイメージがあった。
「…………負けた……のか……」
セイルバートはその場で膝をつき、途端にその体からは力が抜けていく。もはや剣を握ることすらままならず、少し甲高くも重い剣を落とす音が小さくその場で響いた。
久しぶりの敗北であった。ここまで――剣術大会の予選から負けを知らず勝ち上がってきたセイルバートの積み上げてきたものが、今この瞬間を持って瓦解する。セイルバートは、その音が心の中ではっきりと聞こえた気がした。
そして当然、次に襲ってくるのは深い絶望感。凄まじい強さ、選ばれた者が与えられる驚異的な能力を持っているとはいえ、相手の見てくれはただの少年。それに、なすすべもなく敗北したことは、セイルバートの自尊心に大きな傷をつけた。
「……上には上がいる。もし明日の試合にあんたが勝ってシャナルギアで最強と謳われるようになったとしても、他の国でもそうであるはずはな―――」
「黙れ!! 俺は負けたんだ……!! 全力ですらなさそうなお前に!! ……よく分かったよ……明日は勝てない……お前が強いと思うほどの男と戦ったとしても、俺如きの力じゃ天才には勝てるはずなんてないんだ!! お前だってそれを分かった上で! 俺に現実を教えるためにこうして―――!!」
「っるっさい!!」
「ぐっ……!?」
それを静かに聞いていたムサシにも、とうとう限界が来た。苛立つような顔を見せながら、セイルバートの胸倉を両手で掴み上げる。
「いいかよく聞けよ……そして考え直せ……! 天才に勝てないだって? ……それはテメェが一番言っちゃいけない台詞だ!!」
「ッ……」
「才能が無くて、力も持ってなくて……それでも強い相手はいくらでもいて……そんな奴らに勝ちたいから、負けたくないからそこまで努力したんじゃねぇのかよ!? ……俺だってそうだ!! 何度も負けた! 殺されかけた! すげぇ力を貰っても何も出来ず、目の前で死んでいく仲間を見る事しか出来なかった…………そして戦う仕事である以上、多分お前にも同じような状況が必ず訪れるだろう……! 俺みたいになる前に頼む…………この戦いから、何かを得て……そして強くなってくれ!! まずは明日までに……! その後は、明日よりも……!!」
「……敗北から……強く…………」
それは、セイルバートが久しく忘れていたもの。ここまで努力でのし上がって来た男が、絶え間ない努力の果てに無敗を重ねてきた男の原点だった。
「……近い未来、俺にはあんたの剣が必要なんだ…………だから勝ってくれ! 明日!! ジーノスを越えて……あんたが国で一番の剣士に成れ!!!!」
以前、胸倉をつかんだまま、ムサシはセイルバートに自身の思いを叫ぶ。そしてそれを受けたセイルバートも――どこか、彼に応えたくなってしまったのだ。
一度戦い、交わった相手。完全なる敵として向かっていないその戦いの中で生まれた、絆とはまた違う思いが、セイルバートをそのように動かしたのだ。
「…………ムサシ……礼を言っておこう。そして……見ていてくれ。必ずや、君の期待に応えてみせる……!」
それが、セイルバートの本心。そして、勝つために必要なものを思い出させてくれたその男へ誓う言葉―――
―――それを聞いたムサシは、どこか安心したような。そしてどこか嬉しそうな表情を見せ、その場を後にした。ボロボロのフーデットケープを夜風になびかせ、空に溶けていくかのように。瞬く間に己の姿を消した―――――
―――――その場に一人残されたセイルバート。もう彼の目に――心に迷いなどない。その口角は自然と上がっていて、どこか自身に満ちているかのようであった。
セイルバートは空を見上げた。
雲一つない、満天の星空。そこに浮かぶは、青い三日月。息を吞むほど美しい夜空を、彼は本当の意味で初めて見た気がした。
涼しい夜風。それを浴びながら、彼は武舞台の上でただ一人、ぽつりと呟いた―――
「あぁ、今宵はいい夜だ」
ここまで読んでいただいた読者の皆様。本当にありがとうございます。
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