PART1 世界に轟く叫び声
『うぎゃあああああおおおおお―――う!!!!!』
スマホのスピーカー越しに発せられる絶叫、画面にはその発生源たる女の子が映っていた。
歯をむき出しにして、激しく頭を振りながらものすごい形相で叫ぶ……というか猛り狂うその少女。彼女はまだ、とても小さい。聞いたところによると、たったの7歳だそうだ。
名は、『逢崎空』。
見た目にしても、名前にしても、どこにでもいそうな普通の女の子なのだ。しかしある理由があって、今彼女はそれなりの有名人になっている。ネットで検索すれば彼女を取り上げた記事がいくつもヒットするし、テレビに出たことだってある。
絶叫し続ける彼女の後ろからは、大いに聞き慣れた曲が流れていた。
聞き慣れていて当然だった。なぜなら、この曲を作ったのは他の誰でもない、この俺なのだから。
「峻、また空ちゃんの動画見てるの?」
背中をポンと叩かれて、俺は振り返った。
問うてきたのは赤羽瞳。
長く伸ばした茶髪が印象的な彼女は、俺と同い年……つまり30歳で、バンド創立時から唯一在籍し続けているオリジナルメンバーだ。
そう、俺はミュージシャンであり、自分のバンドを率いるリーダーでもあった。
バンド名は、『BLACK ROSES』。直訳すれば、『黒薔薇達』。
永遠の愛という意味もある一方、『呪い』や『憎しみ』、『あなたはあくまで私のもの』という怖い花言葉も持ち合わせる『黒薔薇』の名を冠したこのバンド名は、結成時に瞳の発案によって決定された。
ツーバスを駆使したブラストビートのドラムに、ふたりのギタリストによる激しいギター、そこにシャウトやデスヴォイスを乗せて押しまくり、コーラスでは一転して、叙情的でクリーンなヴォーカルで聞き手を魅了する――そんな俺達の音楽性と合致していたこともあり、ピッタリなバンド名だと思っていた。
結成してから10数年、幾度かのメンバー入れ替えを経てはいるものの、俺達の曲はそれなりに受け、大きなアリーナに立ってライヴをやるくらいのバンドに成長していた。
映画の主題歌に曲を提供したこともあったし、音楽評論家からは、『各メンバーの演奏技術、それに音楽センスは非常に高い』と言われることもあったくらいだ。
「『RESISTANCE TO GOD』か、懐かしい曲だな」
「そうだね、まだまだ私達がデビューしたての頃の曲だもんね」
スマホの中で叫ぶその子――空が歌っていたのは、瞳が言うように最初期に俺が書いた曲だった。
結成からまもなく、一番最初に発売したアルバムに収められた曲で、オープニングナンバーでもない曲だったのだが、これが予想以上に人気を博したのだ。
先に述べた俺達のセールスポイントを凝縮したようなこの曲は、今現在でもライヴでは定番だ。まさしく『RESISTANCE TO GOD』は名実ともに俺達の代表曲だ。
「それにしても、信じられないよね……こんな元気な子なのに、余命数か月だなんて」
「ああ、そうだな……」
瞳の言葉に、俺は頷いた。
それこそが、この子を有名人たらしめている理由だった。
ややこしくて名前を忘れてしまったが、空は世界でも例の少ない難病に侵されているのだという。入院して治療を続けてきたが、現代の医学では彼女を救う術はなく、残された時間を自宅で過ごすことを選択したそうだ。
調子の良い日と悪い日があるらしく、良い日だとこんなふうに俺の真似をして叫ぶこともできるが、悪い日だとひとりで起き上がることも難しいそうだ。
テレビで取り上げられて、彼女のことを知ってから……どうにか病気が治ってほしいと思っていた。だが、どうやら神はこの子を見捨てたようだ。
動画のコメント欄には、かつては空の病気の快癒を願う声が多かった。
しかし、空の余命宣告が出てからは、違う意見が散見されるようになっている。
峻、この子に会いに行ってあげなよ。(20代 男性)
俺の魂をくれてやってもいい、だからどうか、空ちゃんの願いを叶えてあげてほしい。(30代 男性)
ライヴを延期にしても一向に構わない。だって、私達は今後まだ峻に会えるチャンスがあるから。でも、この子はもうすぐ峻には絶対に会えなくなってしまう。(40代 女性)
空に会いに行ってあげてほしい、そんな声が大半を占めるようになったのだ。
ニュースで『峻が大好きすぎる、余命わずかな女の子』と話題になり、それが大きな反響を呼んだようだ。動画内で、親御さんが『空の夢は?』と尋ねると、空は『峻に会うこと! それと峻と一緒にステージに立って、思い切り叫びたい!』と即答した。
7歳でメタル好き、それも俺達の曲の美学を理解できるなんて、すごい子だと思った。それに彼女のヘドバンもシャウトもイカしていて、根っからのメタル好きであることが見て取れる。
それ以上に、余命宣告を受けているのにこんな気丈に振舞うなんて、大人でもそうそうできることじゃない。少なくとも、俺には絶対に無理だと思った。
「峻、もうすぐ時間だよ。ステージに立つ準備をしなきゃ」
瞳が、俺の肩を叩いてきた。
空のことを考え込むと、時間を忘れてしまいそうだった。しかし今は、まもなく始まるライヴのことを優先しなければならない。
「会いに行ってあげたら? 空ちゃん、きっと喜ぶんじゃないかな」
「考えてみる……」
なおも画面の中で叫び続ける空を見つめ、俺は答えた。
◇ ◇ ◇
『よっしゃお前ら、祭りの時間だ! デカい声を聞かせろ!』
ライヴが始まった時、俺はもう外見的にも中身的にも、控室にいる時とは別人になっていた。
マイクを通して大声を張り上げ、無数に終結した観客たちを煽る。さっきのは俺の代名詞、いわば決め台詞で、最初の曲をプレイする前には必ず放っていた。
屋外ライヴ会場が、空にまで届くんじゃないかと感じられるほどの歓声で満たされる。それを発している観客が見ているのは、もはやここに立つ前の俺じゃない。
ステージに立つ時は、白と黒のメイクで顔を覆い、髪の毛は逆立て、黒一色の衣装に身を包む――それが、俺たちのポリシーだった。俺だけじゃなくて瞳も、他の3人も同様だ。
まるで悪魔のようなこのファッション、奇抜かもしれないが、俺たちのアイデンティティーともいえる要素なのだ。このビジュアルが、見る者に強烈なインパクトを与えてきたのは間違いない。
俺もハイテンションな人物を演じ、激しいマイクパフォーマンスで観客を沸かせる。普段とは別人にならなければならないが、これもまた売りのひとつなので、やらなくちゃならない。
しばしば、俺達は『5人の悪魔』と評された。CDの帯にも、『5人の悪魔が生み出す、ダークにして熱く、そして叙情的な世界に酔いしれろ!』と書かれたことがある。
当初、その呼ばれ方には首を傾げていたが、今となっては誰かもわからない、最初にそう呼んでくれたやつに感謝している。
俺達は5人の悪魔、観客を魅了することを存在意義とする、『BLACK ROSES』だ。
『俺達と一緒に叫ぶ準備はいいか! さあ始めるぞ!』
観客が、さっき以上の大声を張り上げた。
その日のライヴでは、アンコールを含めて12曲を演奏した。当然俺は演奏に全力を注いだのだけど、どうしても脳裏に引っ掛かるものがあった。そう、空のことだ。
ライヴ終了後、控室に戻った俺はスマホを手に取り、SNSを立ち上げた。
空の親御さんのアカウントを見てみる、新しい投稿はないようだったが、あの動画のコメント欄にはさらに多くの書き込みが寄せられていて、俺に空へ会いに行くよう求める声が無数にあった。
俺を好きだと言ってくれて、難病に侵されながらも、懸命に命を燃やすたった7歳の少女。
そんな彼女を見ていると何だか、胸に込み上がるものが感じられて……俺は空の親御さんのアカウントに、メッセージを打ち始めていた。