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婚約破棄とか聖女とか悪役令嬢とかの短編

結納金ケチって私を追い返した馬鹿王子のことなんか知りません。見初めてくれたお方のところへ嫁ぎます

作者: ルーシャオ

「婚約していなかった、ということにしてもらえないかな!」


 誤魔化すように明るくそう言ってきたのは、ペルシス王国第二王子のシアーマクです。遊び人という噂に違わぬ放蕩者で、だから婚約なんか嫌だったのに——。


「婚約を破棄する、ということなら我が家にも名誉というものがありますわ、王子」


 私が険しい声を作って責めたというのに、シアーマクは大きく笑って誤魔化します。これまでずっと我慢して見てきましたが、相変わらずムカつく顔です。


「違う違う! そんなものはなかった、破棄するも何もなかったものはどうしようもない! そういう話で行こう!」

「そんなわけにはいきません。婚約を破棄するのであれば、いただくはずの結納金は」

「そう、それもなかったことに! いやー、払えなくてね!」

「は?」

「昨日、全部スった! だからない!」


 この野郎、賭け事で用意されていた結納金全額使い込みやがったわけですわ。


 第二王子のくせして王位継承の話が一切ないのは、この放蕩っぷりに国王以下重臣たちが呆れ果てているせいだ、ともっぱらの噂です。まあ、その噂はバッチリ本当のことだった、と私は今、痛感しているわけですが。


「じゃ、そういうことで! お前も早く実家に帰るんだぞ!」


 シアーマクはさっさと私の部屋を後にしました。


 私は思いの丈を叫びます。


「何じゃそりゃああああ!!!!」


 こうして、私は結婚式を前にしてすべてご破算、王宮から追い出され、実家に帰る羽目になりました。






「というわけですわ、お父様」


 散々っぱら私は苦労してカルマニアにある実家に戻りました。ほぼ夜逃げ同然だったので、召使い数人と護衛だけの強行軍で、数日かけての旅はやっとこさ野盗や山賊に目をつけられずに済みました。


 私の父はカルマニア総督で、つまりはペルシス王国の重要な州のトップを任されている国家の重鎮、ではあるのですが——。


「はあ、そうか。いや、別によかったんじゃないか」


 この気のない返事です。腹が立ちますが、私はちゃんと問い直します。


「お父様、我が家の名誉はどうなりますか?」

「そんなことよりお前があの放蕩者と結婚することが許せんかった。幼い頃はそんなことはなかったのになぁ、口約束なんてするもんじゃない」


 そう、私とシアーマクの結婚は、幼少の頃の婚約によって約束されていたことだったのです。ペルシス王国の国王と私の父はそれなりに仲が良好で、その縁で決まっていたことだったわけですから、これは国王と父の間に亀裂が生じるようなことではないでしょうかね。


「ぶっちゃけるとだ、私、最近国王が嫌いなんだよね」

「だよね、ってお父様、あなた公務員でしょう。ちゃんとしてください」

「いやあ、だってあいつ耄碌してきて会いたくないんだよね。早く第一王子のカイヴァーン殿下に王位を譲ればいいのに。でもカイヴァーン殿下もちょっと癖があるからなぁ」


 こんな調子です。


 とにかく、問題は私が出戻りという汚名を被ったことです。


 いくら婚約がなかったことに、と言われても、現実はそうは上手くいきません。世間の目は厳しく、シアーマクは曲がりなりにも王子ですから、婚約破棄は私に責任があったのだと指を差してくる人間も大勢いることでしょう。


 こんなこと、許せるわけがありません。そこは父と意見が一致しました。


「ファルリン、とりあえずだ。お前がすぐに結婚すれば、引く手数多の娘を逃がしたのだ、とシアーマク殿下の顔に泥を塗れる。そうすればお前が汚名を被ることはない、だから急いで結婚相手を探す。何、それほどかからない、大人しく待っていろ」

「だといいのですが」


 私は思わず、大きなため息を吐いてしまいました。あらやだいけない。


「ではお父様、立派でお父様が認めるような男性を探してきてくださいまし。私はもう、疲れました」

「うん、だろうなぁ。ゆっくり休みなさい、もう」


 バカ王子のせいで、私は将来に暗雲立ち込めるような事態です。


 私は疲れ果て、実家の宮殿の部屋に戻って、ベッドにくったり倒れ込みました。


 何でこんなひどい目に遭わなくちゃいけないのよ。







 数日経って、私のもとに手紙が届けられました。


 差出人は北方の辺境伯の娘シェイダーです。そういえば昔、王宮で会ったことがあります。どちらも国家の重鎮の娘でしたから、それも父のほうが国王と仲がよく第二王子シアーマクとの婚約も漕ぎ着けていただけに、シェイダーからはかなり敵視されていたことを思い出しました。


 そのシェイダーが何の用か、などと呑気なことを考えていると、手紙にはこう書かれていました。


「私、シアーマク殿下と婚約しました……はあ?」


 どうもシェイダーは、私との婚約をなかったことにしようとしているシアーマクと婚約したようです。時系列がおかしいですよね。どうして数日でそんな話がまとまるのでしょう。


「つまり……私と婚約しておきながら、シェイダーに乗り換えるために婚約を破棄した、ってことかしらね、あの馬鹿王子」


 大体そんなところでしょう。シェイダーの家は交易で儲けているので、結納金をがめつくするどころか、逆に賄賂をシアーマクへ送っていたことでしょう。


「もういいわ、あの馬鹿王子に関わりたくない!」


 私は手紙を放り出し、宮殿から抜け出すことにしました。


 そもそも私が傷心であることは周知の事実なので、誰も止めようとはしません。


 そのへんにあったスカーフをかぶり、私はバザールに向かいます。こうなれば買い物をして憂さ晴らしをしよう、そう思ったからです。


 久しぶりの地元のバザールは熱気に溢れ、いつもどおりです。いつもどおりでないのは私で、まだ傷心は癒えていません。そりゃそうです、私には何にも責任はないのに、突然婚約破棄されて放り出され、挙句には横取りされたわけですから——。


「はあ……何か、やる気、ないわ」


 さっきまであった買い物の意欲も、だんだん薄れてきました。


 遅れて来た、婚約破棄のショックは、意外と大きかったようです。降り注ぐ太陽の光さえ腹立たしいほどに。


「ん?」


 人々の喧騒の中から、柔らかな弦の音色が聞こえてきました。


 私は誘われるように、音のする方向へ向かいます。弦楽器、おそらく小型のハープでしょう。そんなものを演奏している人間、となれば、おそらく——吟遊詩人くらいです。


 私はちょっとだけ嬉しくなりました。吟遊詩人は旬の話題を好みます。だから市井の人々と話すことも仕事で、私の話も聞いてくれるかもしれない、と思ったのです。


 私は走り出しました。


 そこにいたのは、奇妙な青年でした。


 吟遊詩人です。しかし、ハープは古臭いし、おひねりを受け取っている様子もありません。まだ開店していないのでしょうか。でも、誰も足を止めません。深々とフードとマントを被った青年の顔は窺えず、ちょっと気味が悪いです。


 でも、私は座り込んで、声をかけました。


「あのー、あなた、吟遊詩人よね?」


 すぐに答えは返されます。


「ああ、そうだよ。でも」

「聞いてほしいことがあるの! ちょっと時間ある?」


 私の勢いに押されてか、気弱そうな青年は頷きました。


 私はこれまであった出来事を話します。主にシアーマクにやらかされたことをです。


「それで婚約をなかったことに、ですって! そんな馬鹿な話があってたまるものですか! でもあいつ、王子だからって権力を笠に着て、やりたい放題! お父様だって呆れていたわ。だから婚約破棄になってよかったのだけど」

「だけど?」

「シェイダーって辺境伯の娘がいて、その娘とさっさとシアーマクが婚約したの。多分、随分前から付き合っていたのでしょうね。だから、私はフラれたってわけ」


 言葉に出して言ってみても、やっぱりひどい話です。そして私は、事実の再確認をしてしまってさらに落ち込みます。


「あーあ、そんなに私って魅力がないの? シアーマクと結婚しなくてよくはなったけど……でも、何だか、もっと結婚したい娘ができたから私なんかと結婚したくなかった、って言われると、つらいわ」


 どうしたって、比べられて劣ると言われると、つらいものです。


 そんな私を見かねてか、吟遊詩人の青年は慰めてくれました。


「ファルリン姫、落ち込まなくていい。君は十分に魅力的だ、あの王子殿下の目が節穴だっただけさ。おそらく、市井の人々だってみんなそう言うよ」

「だといいけど。早く結婚しないといけない、って言われると、焦っちゃうわ」


 すると、吟遊詩人の青年は立ち上がりました。


「うーん……何にも保証はないんだけど」

「何が?」

「十日後、君はきっといい人と出会えると思うよ」


 真面目くさってそう言う青年を見て、私は吹き出します。


「何それ、あなた吟遊詩人じゃなくて占い師だったの?」

「似たようなものさ。とりあえず、それまで宮殿にこもって、大人しくしたほうがいい。市井の人々は噂好きだ、君を見かけたらあることないこと何でも話題にしてしまう。そうなって傷つくのは君だ。そんな君を見て、結婚したいと思う相手がどう思うか、分かるだろう?」


 私は反論しようとしましたが、すぐに口をつぐみました。


 言わんとするところは分かります。私がこれ以上傷ついて、落ち込んでいるところを見て、誰が結婚したいと思うのでしょうか。世間の男性というものは、できるだけ明るく、くまを作らないようにきちんと化粧ができる女性と結婚したいはずです。


「……分かったわ。宮殿に戻って、身だしなみをきちんとして、よく食べてよく寝る」

「そう、それがいい。君を射止めに来る男は必ずいる、だから落ち込まないで」

「うん。ありがとう。お名前を聞いてもいいかしら?」


 吟遊詩人の青年は、やっと笑って答えます。


「カイヴァーン。僕はカイヴァーンだ」

「あら、この国の第一王子殿下と同じ名前なのね」

「よくある名前さ。第二王子のシアーマクだって、黒髪なら誰でもつけるような名前だ」

「それもそうだわ。全国のシアーマクさんはいい迷惑ね」

「本当、そう思うよ。さ、もう行って。たくさん美味しいものを食べて、嫌なことなんか忘れてしまえばいい」


 カイヴァーンと名乗った吟遊詩人の青年の言うことはもっともです。


 私は立ち上がり、お礼を言います。


「励ましてくれてありがとう、カイヴァーン!」


 気持ちよく笑って、私は家路につきました。


 手を振ってくれたカイヴァーンに、大きく手を振り返して。







 十日間、私はよく食べて、よく眠りました。おかげで落ち込んでいた気持ちはすっかりよくなり、次の結婚相手を探そう、そんな前向きな気持ちが湧いてきていました。


 その間に、私にはいくつか縁談が来ていたようです。しかし、父は浮かない顔です。


「うーん、どうしても見劣りがするな。大事なお前を嫁がせるのだから、きちんとした男でないと困る」

「でも、早くしないと……馬鹿王子が図に乗りますし」

「そう、そこがな。どうしたものか」


 私は父と一緒に悩みます。まさか、大手を振ってここに結婚相手を探している女がいます、それも条件のいい男限定です、などと言うわけにはいきません。そんなみっともない真似をするくらいなら、一生結婚しないほうがいいに決まっています。


 しかし、はっきり言って、こんな短期間で簡単に結婚相手が見つかるわけがないのです。時間との勝負なのに、これではどうにもなりません。


「捜索の手を広げるか。隣国にも手を伸ばしてみるしかないか」

「それだと国王陛下から文句が出ませんか? 隣国と繋がって反乱の兆しありと見做されてしまいかねません」

「だなぁ……さすがにそこまでことを荒立てたくはない」


 それは私も同じです。そのくらいのことで国王に逆らったなどと言いがかりをつけられて逆賊扱いなど、たまったものではないのです。


「貴族の連中を探すにも、時間が足りん。かと言ってこの近辺の有力者となると、やはり第二王子には見劣りする。親戚筋を辿れば多少はマシだが、お前と同じ年頃の男はほぼすでに婚約しているやつらばかりだ。まさか横恋慕するわけにもいかんしなぁ」

「それは絶対嫌です。シェイダーと同じことはしたくありません」


 ああでもない、こうでもないと議論がなあなあになってきた頃、来客がありました。


 召使いが父に来客について耳打ちします。すると、父はその来客に興味が湧いたようで、急いで連れてくるように、と言いました。


「ファルリン、ひょっとすると、ひょっとするかもしれんぞ。お前は今すぐしっかり化粧をしていい服を着てきなさい」


 私は父に命じられたとおり、大至急部屋に戻り、化粧を確認して塗り直し、絹の服と被るように何重にもショールを巻いて、大きく深呼吸をしました。


 あの吟遊詩人の青年、カイヴァーンの言ったとおりなら、今日、私の結婚相手が見つかるかもしれないのです。もし来客がその人だとすれば——。


 私は気合を入れ直し、胸を張って父のもとへ早足で向かいました。





 残念ながら、違いました。


「ですのでサドリ軍司令官が興味を示されておいでで」

「それは願ってもない話ですな。しかし娘を最前線の土地へ嫁がせるわけにもいかず、それも親心というもので」


 いかにもな軍人然としたお使いのおじさまと、父が話しています。サドリという人のことは知りませんが、軍人というのはちょっとないなー、と私は内心がっかりしています。辺境の土地まで夫について行かなくちゃいけなかったりするし、何より夫が死んでも名誉扱いで実家に戻れない身分になるので、嫌です。


 どうにか父が話をはぐらかし、会談が終わったところで、私はまたため息を吐きました。


「いい人が来るって言ったのに」


 それはバッチリ父の耳にも聞こえていました。


「どういうことだ?」

「大したことではありません。十日前にバザールで出会った吟遊詩人が、今日いい人と出会えるかもしれない、って言ってくれていましたから、ちょっと期待していただけです。そんなこと、なかったですし」

「何だそれは。確かにサドリ軍司令官は身分や役職的にも文句のつけどころがないが、軍人にお前を嫁がせるというのはなぁ」

「他にいなかったら、その方が一番マシでしょうね……はあ」


 大変失礼ながら、私はそう思わざるをえないのです。


 今頃私を振ったシアーマクはシェイダーとの結婚を前に有頂天になっているんでしょうか。それを考えるだけでフツフツ怒りが湧いてきますが、どうにか抑えます。


 とりあえず、サドリ軍司令官については保留にして、と父と話をまとめました。


 わがままを言っている場合ではないと分かっているのですが——こうも思います。不幸なことがあったんだから、そろそろ幸せなことがあってもいいんじゃない?


「そんなこと、あるわけないか」


 私はトボトボと部屋へ帰る羽目になりました。


「あの吟遊詩人が悪いんじゃないわ。励ましてくれたのは事実だし、信じた私が馬鹿だっただけだし」


 ぶつくさ言いながら、私は宮殿の廊下を歩いていきます。


 あのカイヴァーンという吟遊詩人を憎たらしいと思うのはお門違い、それにどう言ったってあのときの私はその言葉を頼りにするほど落ち込んでいたのだから。


 そんなことを考えつつ、足はだんだん重くなっていきます。


 ひょっとしたらまだ、何かあるんじゃないか、と。


 今日はまだ終わりません、まだ日も高く午後になったばかり。


 だから、私は玄関のほうへ足を伸ばしました。ちょっと見てから、諦めて、それから部屋へ帰ろう。


 まあ、まさかそこにまだあのおじさまがいるとは思っていなかったのですが。


 玄関で、サドリ軍司令官の使いであるおじさまが、私を見つけました。私は近くに寄っていって、挨拶を交わします。


「おや、ファルリン姫。お見送りですかな」

「ええ、まだ色良いお返事ができていませんから、少し申し訳なくて」

「お気遣いなく。ああしかし、ちょうどいい機会です。姫にはぜひともお話ししたいことがあります。お時間をいただけますかな?」

「かまいませんが、父を通してではなく、私に?」


 不思議に思いましたが、もしかしてサドリ軍司令官のいいところを売り込むためかな、とも思いましたし、それなら断るのも申し訳ないから話だけでも、と聞くことにしました。


「実はですな、ここだけの話」

「ここだけの話、ですか」

「左様。サドリ軍司令官というのは、偽名です」


 私は、へ、と口から声が漏れました。何を言い出すんだろう、このおじさま。サドリ軍司令官は実在の人物のはずだから、偽名ということは偽者なのか、私は混乱します。


「え、それはどういう……?」

「ああ、順を追ってお話ししますとも。何もおかしな話ではないのです」

「はあ」


 おじさまは朗らかに、ちょっと楽しげに話します。


「ペルシス王国は軍人同士の暗殺合戦が多いのです。それは軍司令官であっても同じ、特に権力争いは最前線で起きているのです。なので、全軍の頭たる軍司令官は常に複数人の軍人が兼ね、臨機応変にそのサドリ軍司令官という役目を代わる代わるこなしています」


 ははあ、なるほど。


 つまり、サドリ軍司令官は偽者ではなく、偶像。中の演者が時々違うだけで、サドリ軍司令官とは肩書きのようなもの。それはそれで名誉ある地位で、また、軍司令官がいなくなるという最悪の事態だけは避けられる措置となっています。


 上手く考えられているものだなぁ、と思うと同時に、私は一つ疑問が浮かびます。


「そのことをお父様はご存じなんでしょうか」

「どうでしょうかな。あまり公にはされておりませんし、総督と軍人では受け持つ分野が異なりますので、もしかするとご存じないかも。今日のご様子では、お詳しいようには見受けられませんでしたので、明日またご説明したほうがよいですかな」

「そうですね。はあ、面白いと言っては不謹慎ですけれど、そんなこともあるのですね」


 私は感心しました。全然興味のないところの話ではありますが、変な慣習があるものです。


 しかし、私ははたと気付きます。


「つまり、私はどのサドリ軍司令官に求婚されているのですか?」


 おじさまはその問いを待っていた、とばかりにニヤリと笑います。


「それを知りたいですかな?」

「もちろん! だって、結婚のお相手のことですもの! 実際にお会いするまで誰だか分からない、なんて、あんまりですわ!」

「はっはっは。確かに。それでは、ヒントを差し上げましょう」


 どうやら、おじさまは面白がっています。でも、私もちょっと面白くなっていました。


 おじさまはこう言いました。


「サドリ軍司令官を務められるほどの人物となれば、ペルシス王国全土を見渡しても片手の指ほどしかおりません。軍人であり、この国の重要人物。そして何より、元から暗殺を警戒しなければならないほどの地位にある。加えて」


 加えて、何だと言うのでしょう。


 私は唾を飲み込み、おじさまの答えを待ちます。


「——加えて、現在も婚約相手がおらず、戦に備えるため王都に滞在することはない男性。ここまで言えば、すぐに幾人か候補が上がりますとも。お父上とご相談してみてはいかがかな?」






「というわけなのですが、お父様はお心当たりは?」


 私はおじさまから聞いた話を父に伝えて、様子を窺います。


 父はふーむ、と何か悩んでいました。


「そんな話になっていたとはなぁ。ペルシス王国の中でもカルマニアはずっと平和で戦とも縁遠い土地だから、一切知らんかったぞ」

「そんな適当な、お父様だって国の重鎮でしょうに」

「軍事のことは職業軍人がやるものだからな。第一、私が剣や槍を持てるとでも思うか?」

「無理ですわ」


 はい、ぽっちゃり体型の父にはとてもできそうにありません。戦争なんか行っても何の役にも立ちそうにないですね。


「そういうわけだから、そのサドリ軍司令官になれそうな人物を選ぶとすれば……うーむ、何人かは思い当たるが」

「思い当たる人物はいるのですね」

「ただ、確信はないし、今回お前と結婚をしたいサドリ軍司令官役の人物が誰か、まではなかなかなぁ。だが、そこまで地位が高いのに婚約相手がおらず王都にいないとなれば」

「となれば」

「真っ先に思い浮かぶのは、第一王子殿下くらいなものだぞ」


 父は、そう言った自分でも信じ切れていない様子です。とりあえず推理の根拠を聞いてみます。


「お前は知らんだろうが、第一王子のカイヴァーン殿下は王都におらん。何でも全国を渡り歩いているとのことだが、それも暗殺を防ぐための偽の情報かもしれん。とはいえ、とりあえず王都にいないことは確かだ。いるなら式典なんかにも出ているわけだからな」

「王子殿下ともなれば、地位も高くて王都にいない、その条件は当てはまりますが」

「婚約相手もおらん。少なくとも、公表はされていないわけだ」

「そうだったのですか? それは知りませんでした」

「シアーマク殿下が話題になりすぎて、カイヴァーン殿下の話はまったく耳に届かんかったからだ。あれはあれでいい目眩しになっていたんだなぁ」


 その目眩しの一端だった私は苦々しいのですが、それはさておき。


 しかし、私にはカイヴァーン殿下がサドリ軍司令官だとは思えません。


「でもお父様、もしサドリ軍司令官の一人がカイヴァーン殿下だとして、私に求婚すると思います?」

「そこだ。だから私もいまいち信じ切れておらん。王子ともなればそんな身分を隠して求婚する理由などない、どのみち結婚すれば公表せざるをえんわけだしな。暗殺者など邪魔する者がいるとしても、結婚への道のりでここまで慎重になるほどか、と思う。ああもちろん、お前は第一王子に釣り合うから心配するな」

「だといいのですが」


 ちょっと私はその評価が気に入りません。家柄よりも第二王子シアーマクと婚約はしていた、ということがステータスになっているようで嫌です。


 求婚のお相手がカイヴァーン殿下かどうかは置いておくとして、では他に誰がいるのでしょうか。


「他か、他……他にお前と同年代か少し上の立場ある人物で、婚約相手がいないと言われてもだ、私もそんなに軍人のことを知っているわけでもないし」

「ですね」

「調べるより、あの使いの者に問いただしたほうが早い。明日聞いてみるから、今日のところは部屋に戻りなさい」

「はい。きちんと答えてくださることを祈りますわ」


 こうして、結婚のお相手が残念なのか新しい情報が出て希望が繋がったのかよく分からないまま、今日という日は過ぎていきました。





 サドリ軍司令官の使いのおじさまの応対を父がしているうちに、私はバザールへ出向きました。あの吟遊詩人の青年カイヴァーンに会うためです。


 ひょっとすると、カイヴァーンは使いのおじさまのことを知っていたのかもしれません。となると、吟遊詩人の裏の顔、諜報者の可能性もあります。各地のことや人物を調べて主人に報告する人たち、噂には聞いていましたからありえます。


 とにかく、カイヴァーンを問い詰めてやる、その思いで私はバザールでカイヴァーンを探し当てました。


「カイヴァーン! よかった、ここにいたのね!」


 古臭いハープを持って、道端に座り込んだフードとマントを被った青年は、私を見て意外そうな顔をしていました。


「やあ、ファルリン姫。どうしたんだ、慌てて」

「どうしたもこうしたも、来たのよ! 微妙に違うけど、結婚の打診、っていうのかしら、要するに求婚よ! でも、いい人かどうか分からないの」

「落ち着いて。それで、君は僕に何か用があるんだろう? ただ話を聞かせに来た、ってこともないだろうしね」


 何だかカイヴァーンの余裕ぶった態度にイラつかないこともないですが、私は直球で尋ねます。


「あなた、どこの諜報者なの? それとも暗殺でも企んでいるの?」


 それを聞いたカイヴァーンは、吹き出しました。


「何だ、それ! どうしてそうなるんだ!」

「違うの? だって、使いのおじさまが来ることを知っていて、しかもそのおじさまのことも」

「いやいや、僕はそこまで厳密に予言したわけじゃないさ。君ほどの器量なら世の男は放っておかないし、だからと言って食い気味に求婚したって断られるに決まっている。だから十日くらい間を置くかな、と思っただけだよ」


 種明かしをされてみれば、なるほど、と頷けますし、そんなことだったのかと唖然とします。カイヴァーンは本当に、予想しただけだったようです。


「なぁんだ、そんなことだったの?」

「その使いが来たことと僕の予言が噛み合ったのは偶然だよ。僕は占い師でも諜報者でもない、ただの吟遊詩人だ。あんまり買い被られても困るよ、ははっ」


 分かってみれば大したことではなく、まだ疑おうと思えば疑えますが、それをしたところで何になる、という思いもありました。なので、もうカイヴァーンは吟遊詩人、それでいいと思います。


「それで、ファルリン姫は何か他に困っていることでもあるのかな。僕でよければ話を聞くよ」

「あっ、そうなの! あのね、サドリ軍司令官っていう人から求婚されているんだけど」

「サドリ軍司令官? ふぅん、名前だけは聞いたことがある。でも」

「でも?」


 カイヴァーンは私へ耳打ちしました。


「本名で求婚しない人間を君は信じるのかい?」


 私はドキリとしました。なぜカイヴァーンがそんなことを言うのか、なぜそれを知っているのか、驚きを隠せません。


 震える声を精一杯隠して、私は問います。


「サドリ軍司令官が偽名だって、どうしてそう思うの?」

「風の噂さ。だって、死んだと思えば生きている、不死身の軍人だって聞いたよ。そんな人間がいるわけがない、だから名前だけが一人歩きして、本当はそんな人間はいないんじゃないか、って思っていた。だが、君が求婚されたと聞いて、実在はするんだろうけど、おそらく偽名じゃないかな、って」


 カイヴァーンの話は、一応の筋は通ります。ということは、カイヴァーンはひょっとして、サドリ軍司令官を務めている人々のことも知っているのでしょうか。


「ねぇ、カイヴァーン。じゃあ、サドリ軍司令官の正体って、誰なのかしら?」

「それは分からない。だけど、推測することはできるよ」

「本当!?」


 カイヴァーン、すごい。私はワクワクして、カイヴァーンの話に聞き入ります。


「まず、軍人であることは大前提。実際に前任者のサドリ軍司令官が死んで次に務めないといけなくなったとき、ちゃんとできないと話にならないからね」

「ふむふむ」

「次に王都にいないこと。王都にいちゃ遠く離れた戦場の把握はできない、だから間違いなく国境沿いや地方にいる」

「そうね、そうだわ」

「それから、名前を隠す意味のある人物であること。地位が高くて、暗殺の危険性があって、だからサドリ軍司令官になることにメリットがある人。実際どうだかは知らないけど、サドリ軍司令官になれば色々と恩恵はあるんじゃないかな。そうじゃないと誰もやらないはずだ」

「うん、いくら国への忠誠心があっても、そんな危険なことを無償でやる人なんていないものね。一人いたって、何人もは無理よ」

「そういうこと。これらの情報から推測するに、サドリ軍司令官をやる人というのは」


 カイヴァーンはもったいぶって、それから得意げに発表します。


「真っ先に上がるのは王族、それから老練な軍人。さらに言えば元から隠された人物。現実的に考えれば、この中で姫である君に求婚してくる人物なんて、王族くらいしかいないよ」

 もう私は感心しきりです。


 カルマニア総督である父の推理、吟遊詩人カイヴァーンの推測、それらが合わされば、もはやある一人の人物しか指し示さないのです。


 私に求婚してきたサドリ軍司令官の正体は、ペルシス王国第一王子カイヴァーン殿下その人だと、私は確信しました。


 ですが、ここで一つ問題があります。


「カイヴァーン。あのね、すごく大事な問題があるの」

「何?」


 私は意を決して——わがままではあるのですが——それを口にします。


「私、あの馬鹿王子シアーマクやシェイダーと義理の兄弟になるのは嫌なんだけど」


 カイヴァーンは目を丸くしていました。ですが、私は真剣です。


 カイヴァーン殿下と婚姻するということはすなわち、あの放蕩者で浪費癖のあるシアーマク、意地の悪いシェイダーとものすごく近い親戚になるということです。嫌です。会いたくもないし関わりたくもないです。


 第一、もしそうなれば、婚約破棄してきたあの馬鹿王子がカイヴァーン殿下を馬鹿にすることは目に見えています。自分が捨てたものを拾ったのか、などと頭の悪いことを言いそうです。そうに違いないわ。


 カイヴァーンはやっと得心がいったようで、手で顎を撫でます。


「ははあ、なるほど。それは僕も思いつかなかったな。でも君としてはすごく嫌なんだろうし、その気持ちは分かるな」

「でしょう!? だから、どうしよう。カイヴァーン殿下のことはよく知らないし、多分立派な人物だとは思うけど……親戚にシアーマクとシェイダーがいると思うと、結婚はちょっと、躊躇うわ」


 私はうんざりしました。馬鹿王子から離れたと思ったのに、また関わる可能性が出てくるなんて、あんまりです。


「それは嫌だね。だが、どうしようか。じゃあ、断るかい?」

「それも失礼よね。ご本人が嫌いなわけじゃないのだから」

「うん、かもしれない。何か手があればいいんだが」


 うーん、と私とカイヴァーンは二人揃って悩みます。


「カイヴァーン殿下が、これからもサドリ軍司令官として役目を果たして、第一王子としてどうこうっていうよりそちらの顔でいてくれたなら……だけど、無理よね。いずれはペルシス王国を継ぐ方だし、絶対にシアーマクたちと関わらないといけなくなる。そうなれば、私は妃として親戚と応対する羽目になる。絶対、嫌! 考えるだけでもう、落ち込んじゃう……!」


 頭を抱える私は、もうどうすればいいかさっぱりです。


 ここでカイヴァーン殿下の求婚を断ることは簡単です。ですが、そのあとどうするか。もっといいお相手なんて、そう簡単には見つかりません。時間をかければかけるほど、あの馬鹿王子をつけ上がらせることになります。


 我慢して、カイヴァーン殿下がいい人であることを信じて嫁ぐか。あるいは、もっと条件のいい殿方がいる可能性に賭けるか。


 私も、きっと父も、到底結論を出せそうにありません。


「とりあえず、それは切り離して考えよう。あのシアーマクのせいで断るなんて、あまりにもカイヴァーン殿下に失礼だ」

「うん……カイヴァーン殿下は何も悪くないもの、そうよね」


 はあ、と私はまたしても大きなため息を吐いてしまいました。一難去ってまた一難、どうしてこう私はついていないのでしょう。


「今日のところは、このくらいにしよう。また考えておいで、僕でよければ話を聞くから」

「ありがとう、カイヴァーン。また来るわ」


 私はトボトボ、バザールをあとにしました。


 収穫がないわけではないけど、それ以上に嫌なことに気付いてしまった現状、もうどうしていいのか。






 おそらく、風向きが変わりはじめたのはこの日だと思います。


「やはり、サドリ軍司令官はカイヴァーン殿下だと思うんだが、どうしても確証がない。あの使いの男もはっきりと言わんし、こういうことを推測で進めるのはどうにもなぁ」


 父の言わんとすることは分かります。そのつもりで結婚の用意をして、結局違う人物だった、なんて目も当てられません。


「じゃあ、確認のために、婚前の顔合わせでお会いすることはできないのですか?」

「私もそれを言ったんだが、何せサドリ軍司令官は最前線にいる。お前を連れていくのは、どうにも気が進まん。あちらも手が空いたら来るだろうが、いつになるやらだ」


 父はうんうん唸って落ち着きがない様子です。


 にっちもさっちも行かない、そんな状況で、来客がありました。やってきたのはあのサドリ軍司令官の使いのおじさまです。


「失礼。急ぎ、ファルリン姫にお渡ししたいものが届きましてな」


 おじさまは私へ、きちんとした書状を渡しました。宛名は私で、差出人はあのサドリ軍司令官の名前が入っています。


「お手紙、ですか?」

「左様。サドリ軍司令官からです」

「わざわざ送ってくださったの? お気持ちはとても有り難いけれど、でも誰だか分からない方からというのは」

「ご心配なく。サドリ軍司令官はあなたのことを分かっておられる。無論、不安になる気持ちも分かります。ですが、こればかりは信じていただくほかありません」


 そう言われると、サドリ軍司令官——おそらくカイヴァーン殿下——やおじさまを信じられない自分が何だか恥ずかしい気もします。


 私は書状を開きました。端正な文字で、きわめて丁寧な文章です。軍人というのはお堅くて、教養よりも実用的なことを好むのかな、と思っていたのですが、そうとも限らないようです。読みやすく、ウィットに富んだ言い回しも素敵です。


 そんな手紙を読み進めていくと——。


「ん?」


 私は首を傾げます。


「どうかなさいましたか?」

「えっ……あの? サドリ軍司令官は、どうして」


 それこそ、信じられないことを私は読んで、口にします。


「どうして、どうやって、シアーマク殿下を追放なさるおつもりなの?」


 私はいまいち情報が繋がりません。


 サドリ軍司令官がカイヴァーン殿下だとしましょう。しかし、カイヴァーン殿下は地位も盤石で、シアーマクが何をしようと王位継承は揺るがず、それこそシアーマクは路傍の石程度の存在です。なので、シアーマクに手を下す必要がないのです。


 ですが、この手紙に書いてあることでは、国を揺るがせにし、侮辱的に私を捨てたシアーマクを許さない、とおっしゃっているのです。


 おじさまは一つ頷きました。


「事情を説明いたしましょう。お時間をいただけますかな」


 私と父は顔を見合わせます。


「もちろん、ぜひともお聞かせ願いたい。そうだな、ファルリン」

「ええ、聞きたいですわ」


 おじさまは満足そうに、話しはじめました。


「シアーマク殿下が辺境伯の娘シェイダーと婚約したことはすでにご承知のこととは思います。ファルリン姫はおつらかったでしょう」

「お気遣いありがとうございます。でも、大丈夫です」

「左様ですか。ところがです、その婚約、大変問題があります」

「え?」

「シアーマク殿下は、身の程知らずにもほどがありまして、今更ながら王位を狙っているのです」


 これには、私も父も、寝耳に水です。


 あのシアーマクが王に。聞くだけで怖気が立つような話です。結納金を賭け事でスったなどと恥ずかしげもなく言える男が、王になどなってしまえば、ペルシス王国は終わりです。


「王位を狙う者が、辺境伯と手を組んだ。これは、現国王が第一王子カイヴァーン殿下へ王位を譲ることがほぼ決定的である今、叛意あり、と見做されても何らおかしくはありません。辺境伯は金を蓄え、軍備もよく、シアーマク殿下へ何かと金品や兵を送っています。つまり、辺境伯はシアーマク殿下をペルシス王国の王位につけ、裏から操ろうとしている、そう見受けられます」


 父がおじさまの話に食い入るように耳を傾け、私もそんなことが裏で起きていたのか、と驚くばかりです。


 シアーマクがいきなりシェイダーと婚約、そんな話の裏には陰謀が隠されていて、私へのただの当てつけではなかったのです。私はもう、恐ろしくなってきました。一歩間違えれば、婚約破棄にもっと抵抗していれば、私は邪魔者として殺されていたかもしれないのですから。


「なぜ今になってシアーマク殿下と辺境伯がそのようなことを考えているのかと言えば、おそらくは……カイヴァーン殿下が忙しくペルシス王国全土を巡り、また軍人として各地を転々としているせいでほぼ王都に滞在していない隙を狙った、そのように考えられます。上手くカイヴァーン殿下が王位を継げない状態、たとえば戦死したりしたならばシアーマク殿下へ王位は転がり込みますが、そう易々とそんな状況は訪れません。なので、痺れを切らし、実力行使に出つつある、そんなところでしょうな」


 おじさまはしょうもない話だ、と言いたいのでしょう。確かにしょうもない話です、あのシアーマクが王位を狙うなど図々しいにもほどがありますし、担ぐ人間も神輿は軽いほうがいいとでも言うつもりでしょうか。


 おじさまはさらに話を続けます。


「そこで、サドリ軍司令官はこうお考えです。せっかく軍人たちが命を賭してペルシス王国を守っても、無能が王になっては命を懸けた甲斐がない。何としても阻止しなければならない、そのためにはどんな手を使ってでもシアーマク殿下の王位継承権を剥奪し、この国から追放しなくてはならない。その準備を今、行なっているところなのです」


 おじさまの話では、サドリ軍司令官のお考えはもう至極まともすぎて、私と父はぐうの音も出ません。


 別にカイヴァーン殿下でなくとも、私でなくとも、シアーマクを好いている人間などいないのです。辺境伯さえも、ただのお飾りとしてしか見ていないでしょう。


 それに気付かないのがシアーマクという男で、もはや哀れにすら思えます。


「なので、ファルリン姫」

「は、はい」

「サドリ軍司令官はあなたのための意趣返しも兼ねて、そうおっしゃっている、その気もあります。もちろん直接言いはしないでしょう、ですがその意気は汲んでいただきたく思います」


 おじさまはにっこり笑って、けっこう辛辣です。


「それほどまでにサドリ軍司令官はあなたのために動こうとする意思があるのです」


 しかし、私はちょっと納得がいきません。


「でも、私はそこまでしてもらうほど、サドリ軍司令官とも面識がなく、そこまで思っていただいている理由が分かりません。むしろ、畏れ多いとさえ思いますわ」

「はっはっは。惚れた女性のためになら、国をも平定する。私の仕えるサドリ軍司令官とは、そういう男性です。惚れた腫れたの前に理由など瑣末なこと。とにかく、サドリ軍司令官はあなたのことを好いておられます。それだけは確かです」


 おじさま、ちょっと面白がっている節があります。


 でも、ここに来て初めて、私に求婚しているサドリ軍司令官の一面が見えた気がします。そういう方なのだ、と人間味ある——ちょっと語弊はありますが——ところが分かって、私は少し心が傾きます。


 おじさまは立ち上がりました。


「それでは、私はまだカルマニアにおりますので、色よいお返事がいただけるまで何度でもまいりますとも。今日は話しすぎました、このあたりでおいとまいたしましょう」


 そう言って、おじさまは宮殿を去って、帰っていきました。


 残された私と父は、嵐のあとのような余韻に呆気に取られていました。


「ファルリン、お前はものすごい性分の男に好かれたんだな」

「そうみたいです」

「悪くはないが……どうなのだろうな? 結局、サドリ軍司令官が誰なのか、分からずじまいなんだが」


 はたと、私は気付きました。


 ここまで話しておいて、未だにどのサドリ軍司令官が私に求婚しているのか、その正体は判然としません。おそらくカイヴァーン殿下だ、と確信は得たけれど、実際にその正体を探らんとする機会に直面してみると、やはりその自信は揺らぎます。


「そう言えば、そうでした……」


 でもまあ、ちょっとだけ私は前向きになれました。


 こんな私でも、好きになってくれる男性がいると分かったから。





「それで、サドリ軍司令官が私のことを好きなんですって!」


 私はバザールの道端にいるカイヴァーンへ、先日の話を聞かせます。


「シアーマクとシェイダーの婚約に隠された辺境伯の陰謀、それを見抜いて国のために追放しようとなさるサドリ軍司令官。こんなことになるなんて、思ってもみなかったわ!」


 カイヴァーンは機嫌よく、私の話を熱心に聞いてくれています。


「そうか、それはよかった。これで君はもしサドリ軍司令官がカイヴァーン殿下だとすればシアーマクと義兄弟にはなるかもしれないが、関係は絶てるということだ」

「そう! だから、それもあるけれど、私のことを好いておられるって聞いて、私、サドリ軍司令官と——カイヴァーン殿下と結婚したいって初めて思ったの。まだ推測だし、ご本人じゃないかもしれないけれど」

「いや、ほぼ当たっていると思うよ。シアーマクの追放ができる人間なんて、この国では国王とカイヴァーン殿下くらいなものさ」

「そうよね!」


 まったくもって、カイヴァーンは私の考えを肯定してくれました。私は思わず嬉しくなって、笑みがこぼれます。


 しかし、懸念もあります。


「でもね、カイヴァーン。本当にそうかしら?」

「何がだい?」

「私へ求婚しているサドリ軍司令官、本当にカイヴァーン殿下かしら。お手紙はくださったけれど、どうしてもお会いできないかしら。どんな方か、見てみたいわ。お会いして、声を聞いてみたいの」


 これには、カイヴァーンも顎に手を当てて考え込みます。


「難しいんじゃないかな。サドリ軍司令官の居場所は、暗殺を警戒して秘密にされているはずだ。そのための『サドリ軍司令官』なんだからね」

「そう、そうなの。だからわがままを言っちゃいけない、って分かっているんだけれど、結婚相手の顔も知らずに婚約なんて、あんまりでしょう?」


 しゅん、と私はちょっぴり気を落とします。


 いくら好いてくれている男性がいると分かっていても、会えないのでは愛しようがありません。それに一度も会わずに結婚なんて、まるで私は家とあちらの都合に振り回されるだけのお人形です。そんなものに成り下がった覚えはありません。シアーマクに振り回されて、まだ他の男性にも振り回されるなんてごめんです。


 そこで、カイヴァーンはこう言いました。


「君の言い分はもっともなんだが、それならこうしてはどうかな? そのサドリ軍司令官の使いの人間に、サドリ軍司令官、つまりカイヴァーン殿下が近くに滞在していないかと尋ねる」

「ふむふむ」

「もし近くにおられるなら手を尽くせば会えるし、いないならいないでどうしてもお会いしたいことを言っておく。もし君のことがそこまで好きな男なんだったら、できるかぎり君と会おうとするだろう。そういうものさ、君は向こうが来るのを待っているだけでいい。何、そう時間はかからないと思うよ。男は堪え性がないからね」


 くくっとカイヴァーンはおかしげに笑います。そういうものなのか、カイヴァーン殿下もそうなのかしら、と私は想像してみようとしますが、どうにも会ったことのない男性のことまでは分かりません。


「なら、そうしてみるわ。カイヴァーン、ありがとう!」

「どういたしまして。それはそうとファルリン姫、聞きたいことがある」

「何かしら?」


 カイヴァーンは悪戯っぽい顔をして、私へちょっとだけ指摘します。


「こんなに国の重要な情報を、一介の吟遊詩人に話してもいいのかい? 少々不用心じゃないかと思うんだが、どうだい?」


 何だそんなこと。私は答えます。


「カイヴァーン、それは違うわ」

「どう違うんだい?」

「いずれことが終わったとき、あなたにはいろんなところで話してほしいの。私が婚約を破棄されて、サドリ軍司令官に求婚されて、その裏には第二王子と辺境伯の陰謀があったけれどサドリ軍司令官ことカイヴァーン殿下がそれを鎮圧して、晴れて私はカイヴァーン殿下と結ばれる。そういう話を語ってもらうために、あなたへ聞かせているの」


 私はふふん、と鼻を鳴らします。


 私がカイヴァーンへ話すことは、すべてはめでたしめでたしで終わる話だと、ペルシス王国にいる人々へ伝えてもらうため。もちろんまだ油断はできない、でも準備はしておいて損はないのです。


「一番近くで、一番真実に近い話を、私はあなたへしているつもりよ。あなたがどんな話を語るのかは知らないけれど、話の種は欲しいでしょう? あなたには世話になったし、ほんのお礼と思ってちょうだい」

「そういうことか。僕が諜報者や暗殺者じゃないという保証はないのに?」

「あなたは違うわ。そういう人間だったら、もうとっくに姿を消しているだろうし、私は今ここに生きてはいないわ」


 もしカイヴァーンが諜報者や暗殺者だとしたら、私を狙ってきていると思います。父やサドリ軍司令官の使いのおじさまの可能性もありますが、むやみやたらと殺すほどではないし、シアーマクの一派なら私が死にさえすれば、なんて考えてもおかしくはないのです。


 でも、私は生きています。つまりはそういうこと、カイヴァーンはただの吟遊詩人なのです。


「どう?」

「違いない。僕は君のことを侮っていたようだ。ご無礼を、姫」


 カイヴァーンが大仰に、芝居がかったふうに頭を下げました。私は気にしていないわ、と声をかけます。


 古臭いハープを指で弾いて、カイヴァーンはここで商売を始めるのだと合図をしてきました。


「君がカイヴァーン殿下と結ばれることを祈っている。さ、もう行って」

「うん。またね、カイヴァーン!」


 私はとても気分よく、宮殿へ駆けてきました。





「あの娘を捨てるだなんて、シアーマクは本当に愚かだ。ああ、絶対に追い落としてやるとも。君の名誉は僕が守る」






 数日後、サドリ軍司令官の使いのおじさまがやってきました。


 おじさまは珍しく慌てた様子です。急いで父に呼ばれて、私は面会にやってきました。すると、おじさまはすぐに口を開いてこう言います。


「ファルリン姫、サドリ軍司令官がこちらへ来るとおっしゃっておられます!」


 こんなことってあるのかしら。私は飛び上がって驚きます。


「本当ですか!? 嬉しい、お会いできるなんて!」

「ええ、そうでしょうとも。数日ほどかかりますが、必ずあなたを訪ねると仰せです。いやはや、やると決めたらあの方は実に素早いもので、こちらもついていくことがやっとです」


 おじさまは迷惑そうな言葉を使っていますが、その口調はどこか嬉しそうです。


 そんな中、父がどうにも不満そうです。


「それはいいんだが……この際だ、娘に求婚したサドリ軍司令官の正体を教えてくださってもよいのでは?」

「お父様、それは」


 知りたいことはやまやまですが、おじさまが隠し通していることを暴くのもどうか、と私は思います。数日後にお会いすれば分かることですし、急がなくてもよいのではないか、と。


 ですが、おじさまはあっさりと答えました。


「どうせ数日で分かることです。分かりました、お教えしましょう。ファルリン姫との結婚を望んでおられるお方は、ペルシス王国第一王子カイヴァーン殿下です」


 いくら確信を持っていても、推測をつけていても、やはりその名を聞くと驚愕と萎縮をしてしまいます。


 私もお会いしたことのなかった、次期国王たる謎に包まれた第一王子。その人が数日後にはここへやってくるというのです。心躍らないわけがありません。


「予想どおり、ではあるが、やはり驚くなぁ。カイヴァーン殿下は幼いころから放浪癖があると聞いていたが、まさか実際には各地を転戦していたとは」

「第一王子が直接戦場へ赴くことを鼻白む重臣たちもおりますからな。表向きは放浪の旅好きで各地を巡っていることにして、サドリ軍司令官として前線で指揮を取っておられます」

「それもすべて王命で?」

「それもありますが、何よりもカイヴァーン殿下自ら望まれていることです。王の名代として、十数年もの間、立派に戦っておられます。ただ」


 ちらり、とおじさまは私と父を見ました。そして、声を一段と潜めます。


「姫、今から言うことは絶対にカイヴァーン殿下へ漏らさぬように」

「は、はい」


 何でしょう。私はドキドキしながら、おじさまの言葉を待ちます。


 おじさまは一つ咳払いをしました。今から大事なことを言うのだ、というふうに。


「では。カイヴァーン殿下は、あなたへ一目惚れしていたのです。ずっと昔、王宮で影ながらお見かけしたときから。しかしながら、あなたはシアーマク殿下の婚約者。まさか横取りするわけにもいかず、さりとて無視できるわけもない。それを忘れんがために戦場へ赴き、半ば自暴自棄だったあのカイヴァーン殿下が、あなたが婚約破棄されたことを聞いたとき、どれほど葛藤なされたか。すぐに喜び勇んであなたへ求婚すると同時に、こうも思われたのです。つけ込むように傷心のあなたの前に姿を現すのは、あなたの不幸を待ち望んでいたようで何とも卑しいと思われはしないか、と」


 私は、言葉を失いました。


 呆然と、ただ、父とおじさまを見ているだけです。


「まあ、私はカイヴァーン殿下が幼少の頃から付き従う傅役(もりやく)ですからな。そういうことも相談を受けるのです。どうか、このことは内密に。いいですかな?」


 念押しするようにおじさまはそう言ってきますが——私は、それどころではありません。


「ファルリン姫?」

「どうした、大丈夫か、ファルリン」


 父とおじさまが心配そうに私の顔を覗き込んできます。


 ですが、私は反応できませんでした。


「ファルリン、顔色が悪いぞ。もういい、部屋に戻りなさい。おい誰か、ファルリンに付き添ってやってくれ」


 父が手を叩き、召使いを呼びます。私はやってきた召使いに肩を支えられ、部屋へと戻っていきました。


 そのあと、私は記憶がはっきりしません。


 次の日の朝、ベッドで目を覚ますまで、何を考えていたのでしょう。


 ああそうだ。


 カイヴァーン殿下が、そこまで私のことを思っていてくださったこと。


 十数年も、私があのシアーマクの婚約者だったせいで、おつらい思いをさせてしまっていたこと。


 なのに、恨むどころか、私を気遣って、心を砕き方々手を尽くしてくれていたこと。


 そんなことを知ってしまって、私はどうしていいか分からなくなりました。


 カイヴァーン殿下に報いなければ、とも思います。でも、それは何かが違うのです。


 なら、どうすればいい。


 そこで、私は思い至ります。


 単純な話——カイヴァーン殿下は私のことが好きなのです。そして、私も嫌いではありません。熱心に求婚してくださっていて、それにいいお方のようですから、むしろ好きでしょう。


 であれば、結論はごくごく簡単です。


 でも、その前に。私は、心の中にある抱えたものを、どうにかしなければなりません。






 今日も、吟遊詩人カイヴァーンはバザールの道端に座り込んでいました。私と目が合うなり、フードの下の表情は見えづらいけれど心配そうです。


「どうしたんだい、ファルリン姫。随分落ち込んでいるようだけど」


 私はカイヴァーンの前に座り、思い切って、思いの丈を聞かせます。


「私、ずっと好きでもないシアーマクと結婚しなくちゃいけないと思っていたから、結婚が嫌だったの」

「そうなのか」

「こんなことしなくちゃいけないなら、もう家に帰りたいって何度も思ったわ。でももう決まったことだし、私が嫌って言ったってどうにもならないから、諦めていたの」


 少なくともペルシス王国では親同士の決めた婚約に、子供が異を唱えたりなんてできません。シアーマクはあの素行だからこそやってのけただけで、異例中の異例です。


 私は思い出したことに腹を立てながら、浮かんでくる言葉を吐き出します。


「だからってシアーマクのやったことは許されないし、私をすっごく侮辱したと思うわ。いつか天罰が当たればいい! シェイダーのことは知らない、どうとでも好きに生きて! 私に関わらなければどうでもいいわ!」


 カイヴァーンがまあまあ、と私をなだめます。


 でも、私は逆に落ち込みました。


 だって——私はこんなに、嫌なことを他人へ聞かせるような人間です。


 私は膝に顔を埋めます。


「私、そんなにいい人間じゃない」

「ファルリン姫」

「でもね! カイヴァーン殿下が好きって言ってくれたのなら、いい人間になろうって思う! カイヴァーン殿下がどんな私のことが好きなのか分かれば、そうする! 頑張って、好きになってもらう!」


 その想いは本物だと、胸を張って言えます。


 ですが、現実はどうでしょう。


「けど、そうできなかったら? 私、また捨てられちゃうの?」


 一度あることが二度ないとは誰も保証できず、また私は同じことになってしまうのではないか、そう思ってしまいます。


 あのシアーマクに捨てられ、今度はカイヴァーン殿下にも捨てられるようなことになれば、私はもう生きていけません。想像するだけで恐ろしいことです。はっきり言って、不安が勝ってしまい、結婚から気持ちが遠ざかりつつあるのです。


 そんな私の話を聞いて、カイヴァーンはゆっくりと、諭すように私へ声をかけてきました。


「大丈夫だよ、姫。カイヴァーン殿下はそんな人じゃない。いや、そう言うのは無責任かな。そうだな……比べる対象がシアーマクというのが間違っているんだ。あいつは都合が悪くなれば婚約者さえ捨てるような、ひどいやつだ。それと同じくらいひどい人間なんて、そうはいない」


 私は頷きます。シアーマクはひどい人間です。


「そんなひどい人間は、いずれは相応の報いを受ける。事実、そうじゃないか。シアーマクは殿下の敬称も奪われる、カイヴァーン殿下の手で」


 カイヴァーンはそれを熱心に言ってきますが、私は首を横に振りました。


「それを喜んだら、きっとあいつと同じになる。だから喜ばないわ、そうなの、って淡々と流す」


 意外そうに、カイヴァーンは私を見ていました。


「そうか。君がそれを選んだのなら、カイヴァーン殿下も受け入れてくださるよ」

「うん、そうだといいな……嫌われたくないもの」

「こんなに素敵な君を嫌うものか。もしそうだとすれば、カイヴァーン殿下も弟と同じで見る目のない男だ。心配いらない。そんなことはないって、僕が保証する。カイヴァーン殿下と同じ名前の僕がね」


 それは何の保証にもならないけれど。


 それでも、私は少し、気が楽になりました。


「ありがとう、カイヴァーン。スッキリしたわ」

「うん、それはよかった。宮殿まで一人で帰れるかい?」

「大丈夫。ちゃんと帰るわ。それじゃ、またね!」


 また今度、お礼を持ってくる。


 私はそう言って、宮殿へ足を向けました。






「まさかあれから二日でお会いすることになるとは」


 父はとても感慨深そうにしていました。


 宮殿の庭園、そこにすでにカイヴァーン殿下が通されています。私は庭園へ向かう廊下で、父と最後の打ち合わせです。


「いいかファルリン、カイヴァーン殿下たっての希望だ、まずはお前が一人でお会いする。もうそれでよかったら結婚を決めるんだ、私や家のことはどうでもいい。お前が幸せになれそうならそれでいい」

「お父様、投げやりすぎません?」

「いやなぁ、もうここまで来たら私の出番はないだろうし」

「それはそうですが」

「どのみち、私が国王に睨まれることには変わらん。あの国王、何を勝手なことを、と憤慨するだろうなぁ。カイヴァーン殿下がどうやってくれたとしても、私はお咎めを受ける。もうそれはそれでいい、私もあの国王には愛想が尽きた」


 そんな理不尽な、とも思いましたが、国王からすれば私とシアーマクの婚約破棄自体許せることではないのかもしれません。シアーマクのことです、婚約の破棄は私に原因があると自分を棚に上げて言い触らしていることだって考えられます。


「大丈夫ですわ、お父様。カイヴァーン殿下なら、そんなことは阻止してくださるはずです」

「いやいいよ、面倒だし、私は隠居したい」

「やる気のないことを言わないでください」


 もう面倒くさがりな父は放っておいて、私は廊下の先へ向かいます。


 たとえ適当な父の言葉であっても、何も気にする必要がないと言ってもらえれば、私も気が楽です。どう転んだって、それはそれで受け入れてもらえるでしょう。


 私は庭園に出ました。ヤシの木やシダ、極彩色の実が生え揃う木々の奥に、カイヴァーン殿下がいらっしゃいます。


 どんな方でしょう。聞く分にはお優しい方だと思いますが、サドリ軍司令官を務められるほどですから厳しい方かもしれません。とりあえずあのシアーマクに似ていないことを祈ります。


 人影が見えました。緑色の立派な衣装に金刺繍の絹の帯。間違いありません、王族しか身につけることのできないものです。


 黒髪のシアーマクと違って金色の髪は、確か母親が違うせいです。ペルシス王国では珍しくはありませんが、やっぱり先進的な西方の気風が感じられて魅力的に映ります。


 そんな姿を見定めて——私が近づいたことに気付き、振り返ったその男性の顔を見て、私は笑ってしまいました。


「あなただと思ったわ。フードで隠れていたけど、そうじゃないかしらって思っていたもの」


 カイヴァーン殿下、いえ、あの吟遊詩人カイヴァーンが、今日は古臭いハープもフードもマントもなく、着飾って私の目の前に現れたのです。


「やあ、ファルリン姫。さすがに勘づくだろう、とは思っていたよ」

「だって、何もかも上手く行きすぎだもの。あなたに話したら……大抵のことは解決して、それに私に優しくしすぎよ。あとは、女の勘ね」


 ごくふんわりと、何にも根拠もなくて、何となく思っていただけです。


 あの吟遊詩人のカイヴァーンは、もしカイヴァーン殿下だったら。そんなふうに思っていると、何だかそうであるように思えたりもしていました。


 もちろん、口に出せるようなことでもなし、なるべく考えないようにはしていましたが、当たっていたようで何よりです。


 カイヴァーンは上機嫌です。


「ははっ、そうか。それで、どうだろう? 僕は君のことをそれなりに知っているつもりだ」

「私はそこまであなたのことは知らないわ。でも、あなたには恩があるし、嫌いじゃない」


 あ、こうじゃないな。


 うーん、どう言えばいいのでしょう。


 何でもいいや、もう心はすでに決まっていて、あとは同意を得るだけです。


 私はウインクをしてみせます。


「なんてね。もう答えは決まっているじゃない」

「これ以上聞くのは野暮だな。ああ、じゃあことを進めよう。その前に」


 カイヴァーンは真面目な顔になり、神妙に話しはじめました。


「君はシアーマクが報いを受けることを喜ばない、と言った。しかし、何事もけじめをつけなくてはならない。僕は次期国王として、不義理を行った王族を戒め、また敵意ある者を討伐しなくてはならない。だから、シアーマクはもう逃げられない。もうこの国で生きてはいけないようになるだろう」


 カイヴァーンは、それでもいいか、と確認を取ろうとしていました。


 いいも何も、それは妥当なことです。


「お好きなように。その道理は私も間違っていないと思うから」


 カイヴァーンは私のその言葉に納得したようです。


「分かった、そうしよう。よし、この話はこれで終わりだ!」


 私の手を取って、カイヴァーンはきわめて紳士的に——気品ある礼を執りました。


 それはペルシス王国の男性が、女性へ婚約を申し込むときの正式な礼です。


「改めて、僕は君と結婚したい。受けてくれるかい?」


 私は大きく頷きました。


「もちろん。あなたとなら私、今度こそ幸せになれそうだもの」


 予想なんて、想像なんて、現実のこの感動に比べたら些細なことです。


 私はこうして、カイヴァーンの手を握り締めて、結婚に同意しました。


 それはそれとして。


「カイヴァーン、聞きたいことがあるのだけど」

「何だい?」

「あなたは『サドリ軍司令官』なのよね?」

「うん。その一人だよ」

「ずっと最前線で戦っていて、王都には戻っていない」

「そうだね。うん、ここ十年くらいは一度も戻っていないかな」

「でも、あなたが王位に就くことになれば、『サドリ軍司令官』は一人減ることになるでしょう? この国はそれで大丈夫なの?」

「ああ、何だ。それは問題ないよ、一人辞めればまた一人別の適任者が『サドリ軍司令官』に選ばれるし、そのあてもある。それに、僕は王になったからと言って戦うことをやめるわけじゃない。というより、ペルシス王国が平和になるまでやめられないと思う。それは君には申し訳ないと思うが、どうか理解してもらいたい」


 カイヴァーンは本当に申し訳なさそうな顔をしていました。


 私はそれに反対できるはずもなく、こう言うしかありません。


「そっかぁ……『サドリ軍司令官』もカイヴァーン殿下もやるのは、大変ね」

「そうでもないさ。もう慣れたよ」


 カイヴァーンは苦笑します。いくつもの役割を抱え込んで、すべてやってのけているのですから、やはりカイヴァーンはすごい人です。


 でも、私は一つ、約束をしてもらいたいと思いました。


「カイヴァーン、もしよかったら、なんだけど」

「他ならぬ君の頼みなら何でも聞くよ」

「ふざけないで。真面目な話よ」

「はい」

「私、あなたについていくわ。あなたが戦場に行くなら一緒に行く、放浪したいなら一緒に放浪する。王都にいたってつまらないし、あなたがいない場所にいたってしょうがないもの」


 これには、カイヴァーンは少し考え込んでいました。


 私としては、わがままだと思います。危険な場所に連れていくことはできない、と断られても仕方がない話です。


 それでも、言ってみなければどうなるか分かりません。


 私が固唾を飲んでカイヴァーンの答えを待っていると、カイヴァーンはこう言いました。


「いいだろう。どのみち遠い王都では君を守り切る自信はないし、それなら近くにいたほうがいい。あと、もう放浪はしないように……努力する」

「放浪って楽しいの?」

「いや、何となく旅に出たくなるんだ。それが結局放浪になるだけで、あと戦地を移るときは暗殺を警戒して少人数で移動することもある。それも放浪と言えば放浪かな」

「そうなんだ。私、旅はそんなにしたことないけれど、慣れるように頑張るわ」


 お互い、顔を見合わせて、笑いました。


 慣れなきゃいけないことは、たくさんありそうです。







 荒野の丘から見下ろす大地は、先ほどまで剣戟の音が怒涛のごとく鳴り響いていました。


 今はもう、静かなものです。抵抗する者はいなくなり、血と死者が大地を埋め尽くし、降伏した者が連れていかれます。


 砂塵吹く丘で、剣を佩いたカイヴァーンが私の横に来ました。


「これで終わりだ。シアーマクは戦死、辺境伯やシェイダーらしき死体も見つかった。すぐにでも反乱の終結を全土に知らしめよう」


 カイヴァーンの顔に喜びの色はありません。いくらそうしなければならないから、と言って身内を死に至らしめて喜ぶような方ではありませんから。


「財産を奪われ、継承権も殿下の呼称も奪われ、無様に逃げ延びた末に乾いた大地で死を迎える。シアーマクは報いを受けた、もう君を害することはない」

「そうね。ありがとう、カイヴァーン。これで、おしまい」


 私だって、別にシアーマクの死まで願ったわけではありません。


 でも、こうするほかになかったのです。シアーマクはやりすぎました、王位を狙うなどしなければ、命は助かったでしょうに。


 すでに国王から王冠と玉座を受け継いだカイヴァーンは、誰よりも正統なペルシス王国の統治者として、また今もなお『サドリ軍司令官』の一人も兼ねながら、戦っています。私はそのそばに寄り添い、いろいろなものを見てきました。


「ファルリン、風が強い。天幕に戻ろう、体に障るよ」

「ええ。ねぇ、カイヴァーン」

「何だい?」

「私はあなたのそばにずっといるわ。こんな戦いだって一緒に見届ける、だから気を遣わないで」


 それを聞いたカイヴァーンは、私の頭を撫でました。


 風が髪を揺らし、日差しが雲から出てきました。


 カイヴァーンは私の背中を押します。


「ああ、分かった。一緒にいよう、約束する」


 私は微笑みます。


 私はきっと、カイヴァーンとともにこれからも各地を巡るのです。


 ずっと遠く、死が二人を別つまで。


このお話はこれでおしまいです。

ちなみにこの話の時代はササン朝モデルなので宗教はゾロアスター教のはずですが、あの宗教は結婚に関する取り決めがそんな詳しくなくて、特にササン朝の時代に教義が固まっていたとも言い難いので、多分原始宗教か近隣のキリスト教の影響を受けてるんじゃないか、と推測した上で最後のセリフになります。どのみち離婚はダメっぽいです。

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[良い点] 読みながらアラビアンな感じだなあって思ったのでペルシアでだよねーってなりました。 どこかに強く文化風土で描かれてるわけじゃなかったと思いますが、なんだろう物語のなんとも言えない匂いが ディ…
[一言] 大多数が好きなものは、マンネリと紙一重。 でも、最後まで楽しく読めました。 他の方のコメントを読んで、 オチが読めるけど最後まで楽しいって、 凄いことだなって思いました。 結構途中で読むのに…
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