第110話 だいじょばない寄りの大丈夫
「大好きだよ、お姉ちゃん……」
目のまえで、頬を赤らめながら、小岩井さんが言った。
どうしてこんなことになっているのか、私は困惑した頭で必死に考えた――
朝、教室に入って小岩井さんに挨拶すると、手をぎゅっと握られて、
「あ、お姉ちゃんだぁ……」
いきなりそう言われた。それでさっきのセリフに繋がる。
……うん、全然分からない。
どどど、どういうことっ!? なにがどうなってるのこれっ!?
なんて思っている間に、私はあっという間に壁際まで追いつめられてしまった。
「あ、あ、あのあのあの……っ」
小岩井さんに見下ろされる格好になった私は、もうどうしていいのか分からない。
っていうかどうなっちゃうのこれ!? ま、まさかまさか、き、き、キチュとかかかかかかかっかかっか……っ!!
フランス人形みたいにきれいな小岩井さんの顔。それがどんどん私に近付いてくる。
う、うそ……ホントに……? 小岩井さんが本気なら、私……
一瞬受け入れそうになるが、すぐに正気に戻る。
だ、ダメダメ! 私だって、その……小岩井さんとそうなりたいけれど、小岩井さんには遥香さんがいるんだからっ!
「お、落ち着いて小岩井さん! 私だよ! 星野だよっ!」
肩を掴み、ガクガク揺らすと、今度は小岩井さんがハッとした顔になった。
「星野さん……あ、あれっ? 私なにやってるのっ!?」
めずらしく慌てた様子で私から離れる。
……いや、いいんだけどさ。やっぱり残念。
「ごめんね、星野さん。私、ちょっとボーッとしてたみたい」
「全然全然! へーきですっ! 気にしないで!!」
ついさっきの天国のような居心地の良さを思い出し、思わずテンションが上がってしまう。
小岩井さんはといえば……あ、ちょっと引いてるっぽい。「そ、そう……?」と不思議そうにしている。
私はコホンと咳払いする。
「大丈夫? 昨日もバイトだったの?」
「うぅん、ちょっと夜更かししちゃったの。お姉ちゃんと一緒に……」
!? 遥香さんとっ!? 遥香さんと夜更かしって、まさかまさか……
あんなことや、そんな、そんな、そんにゃああああああああああああっ!?
「映画見てたら、遅くなちゃって」
全然違った。なあんだ、そうなんだ……
「? 星野さん、なんかガッカリしてる?」
「う、うぅん、そんなことないよ! 私はただ……」
なんて言っている間にも、私の脳裏に思い浮かぶ光景が。
夜の部屋を照らすのは、アロマキャンドル。
ロマンティックな雰囲気の中、二人はこの夜のために用意した下着をつけているの。
そして、まずは遥香さんが、
「さあ、いらっしゃい、アリス」
そう言って両手を広げるの。
「は、はい、お姉様……」
そして、小岩井さんはゆっくりと歩み寄って、遥香さんの腕の中に納まる。
「ふふっ。いい子ね。そのままジッとして」
「んっ……お、お姉様、あの、そこは……」
「大丈夫よ。いつもみたいに、全部私に任せなさい。ね?」
「は、はぃ……」
二人はそっと口づけを交わして、それでそのあとは……
あとはあとはあとはあとはあああああああああああああああああああああああっ!!
「ふへっ、ふへへっ、ふへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへ……っ!」
「今度は喜んでる!? どうしたの星野さん! しっかりしてっ!」
私の肩を掴んで、ガクガクと揺らす小岩井さん。
「うん、平気だよ! 小岩井さんが幸せなら、私も幸せなんだからっ!」
「なにが!? 本当にどうしたのっ!?」
二人の仲睦まじい姿を想像し、私は幸せな思いに浸ったのだった――
あとから考えれば、このときにもっと気を遣えてればよかったんだ。
寝不足だという小岩井さんに「保健室で休んだほうがいいんじゃない?」って言っていたら……
三時間目は体育だった。
バレーボールの試合をしているとき、いつもは機敏に動く小岩井さんが、なんだかボーッとしているように思えた。
危なっかしいなあと思いながら見ていると、
「小岩井さん、危ないっ!」
反射的に声を上げる。けど遅かった。
「え……ぷへっ!?」
コートに立っていた小岩井さんの顔に、ボールが激突。小岩井さんは、そのままよろよろと倒れこんでしまった……
「……んっ、んぅ……」
「あ、小岩井さん、気がついたんだね。よかったあ」
……あれ? 私どうしたんだっけ?
星野さんが安心した様子で言った。どうやら、私はベッドで横になっているらしい。
そこで思い出した。私は授業中に倒れちゃったんだった。じゃあ、ここは保健室か……
「大丈夫? 痛いところない?」
「うん。平気だよ」
すると、星野さんはもう一度「よかった」と言った。
かなり心配かけちゃったみたい。悪いことしちゃった。……ていうか、あれ!? 授業……
慌てて起き上がろうとすると、
「あ、ダメだよ! まだ寝てないと!」
星野さんによってまた寝かされてしまう。
「でも、もう四時間目始まってるでしょ?」
「平気だよ。先生にはちゃんと断ってあるから。私も付き添いますって言ったし。だから心配しなくていいよ」
「そうなんだ……ごめんね、私の不注意につき合わせちゃって……」
ずっと傍にいてくれたのか、よく見れば星野さんも体操服のままだった。
「うぅん、気にしないで!」
星野さんはブンブンと手を振り、
「昨日の夜は遥香さんといたんだもんね! うんうん、分かるよ! ふへへへへへっ!」
んっ!? 急にテンションが上がった!? ど、どうしたんだろう……
いや、ていうか……
「お姉ちゃんと映画見てたっていうのもあるけど、それだけじゃないよ」
え? という星野さんに私は言う。
「星野さん、もうすぐお誕生日でしょ? だからプレゼント用意しようと思って、手袋縫ってたの」
「えっ? わ、私のために? 誕生日覚えててくれたの?」
「? うん。お友達だもん。当たり前じゃん」
静かな保健室の中で、星野さんのヒュウという息の音が響いた。
口を両手で押さえて、目を潤ませ、感極まった様子で私を見ている……
「ど、どうしたの? 大丈夫っ?」
心配になって訊く。すると、
「クハ……ッ!?」
鼻血を出したかと思うと、イスから倒れてしまった。
「え……えぇっ!? ほ、星野さん!? 大丈夫!?」
さすがに寝てはいられない。
慌ててベッドから起きて星野さんの抱き起す。けれど、なぜか星野さんはとっても幸せそうな顔をしていた。
「ふ、ふ、ふへっ、ふへへへへ……っ! こ、ここ、小岩井さんが私のために……! ふぇへへへへへへへへっ!」
ブバッと鼻血を出しながら喜ぶ星野さん。
「ちょっ、本当に大丈夫っ!? せ、先生ーーーーっ!」
いつの間にか立場が逆転していた。
動揺する私を置き去りにして、星野さんは幸せそうな表情でまた鼻血を出したのだった――




