おふくろの景色
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
つぶらやくんには、「おふくろの景色」ってあるかしら?
おふくろの景色って、あたしが勝手に名づけたんだけどね。こう、心の奥に眠っている大切な景色のことを指すんだ。
おふくろの味が味覚のふるさとならば、おふくろの景色は視覚のふるさと。本人はすっかり忘れたつもりでいても、ふとした拍子に表へ出てきて感情をかっさらっていく……ふふ、まるで泥棒さんね。
つぶらやくんも、そんな経験ない? ある景色を眺めていたら、無性に涙がこみあげてきちゃったり、いらだったりしちゃうことが。
もし、そういうことがあったなら「おふくろの景色」が関係しているかも。私が昔に体験したおふくろの景色に関する話、聞いてみないかしら?
私がおふくろの景色に初めて出会ったのは、5つのころだったなあ。
当時、私はスイミングスクールに通うことが決まってね。入学の手続きの時は、お母さんの車で送ってもらったんだけど、送迎のバスで送ってもらうのは初めてだった。
バスは上半分が白、下半分が青色で正面と左右を見やると、ヒレを広げたイルカに見えるデザインだったわね。私が待つ停留所からだと、くねった道路の先が建物の影に隠れていて、あるていど近づいてくるまで、姿が見えなかった。
そのバスの姿がようやく確認でき始めたとき。私はなぜだか胸にこみあげてくるものがあったの。のどじゃなくて顔の奥をぐううっと通って、目元に熱が溜まっていく。
目の前でバスが停まったときには、もう号泣状態。乗り口の近くにいたお姉さんに心配されちゃうくらいだったの。それでもいざ車内に乗り込んじゃうと、涙は一気に引っ込んじゃって、少し気味が悪かったわね。
家に帰ってからお母さんにこの話をすると、それは「おふくろの景色」だと説明されたの。
「子供はみんな、お母さんとお父さんの一部を受け継いで生まれてくるの。じかに産んでくれた父母ばかりじゃない。ずっとずっと昔に生きた人の分まで、少しずつ受け継ぎながらこうして立っているのよ。
その誰かが受けた印象が、ときどき私たちの中でぶり返す時がある。もし、これからもこんなことがあったら、気をつけなさい」
ちなみに、バスに関するおふくろの景色に関しては、お母さん自身の影響じゃないかと話していたわ。
お母さんが子供だった時、道路に飛び出した猫が猛スピードで迫ってきたバスに轢かれてしまい、その現場を間近で目撃しちゃったとか。自分で車を運転するようになった今でも、対向車にバスがいたりすると、つい目頭が熱くなっちゃうことがあるって話していたわ。
それから私は、正面からバスを見ることを控えるようになる。くわえて、小学校に通うようになると、クラスのみんなに「おふくろの景色」を持っている人がいるかどうか、確かめて回ったわねえ。知らない間に、変なことから傷つけちゃったら嫌じゃない。
でもほとんどの子には首をかしげられたり、笑われたりしたわ。そんなものあるわけがないって。実際、私のようにいきなり涙ぐむこともないし、「考えすぎかなあ」と思い始めた、ある冬の日のこと。
私は仲が良かった友達のひとりと一緒に、学校から帰るところだった。
まだ校庭を抜けないうちから、どことなく煙臭さが漂っている。今日はどんど焼きをする日だったはず。
私の地域で行うのは、近所の空き地とかを使ったささやかなもの。正月飾りを火にかけて、お団子を焼いて食べる。当時の私にとって、おかし感覚でお団子が食べられる時間という認識くらいしかなかった。
でも、学校わきのバス通りに出て、近くの家の屋根の上から立ち上る煙を見たとたん、友達の足が止まったの。まだ別れる場所まで距離があるし、信号待ちをしているわけでもないのに。
その子は、じっと煙を見ていたけど、ぽつりとひとことだけ。
「もう、終わるんだ」
そうつぶやくと、真っすぐに駆け出したの。家の方向じゃなくて、煙のあがっている方向へ。
私は足に自信があったし、体育の時間ではいつもその子を上回る記録を出していたから、すぐ追いつけると思ってた。それが、今回はぜんぜん。
足の速さも去ることながら、彼女は煙を見据えたまま突っ走っていく。それが赤信号でのただなかでもだから、たまったものじゃない。
ゆく手でクラクションが鳴り、運転手たちが罵倒を飛ばす。そうして進路をふさがれた私がもたもたしている間に、彼女はどんどん先へ進んでしまう。
ついには背中も見えなくなっちゃったけど、行き先は分かっている。あの煙の元なんだって。
私がたどり着いた時、どんど焼きに集まった人たちは大騒ぎになっていたわ。
火から少し離れたところに人垣ができていて、その中で横たわっているのが彼女だったの。
髪、服、靴下のあちらこちらが、ちぢれたり焦げていたり。明らかに火に近づいた証が残っていたわ。周りの人の話だと、彼女が急に駆けいってきたかと思うと、たき火の中へ飛び込んでいこうとしたのだとか。
さいわい、すぐ近くに大人の人がいたおかげで、大事にはいたらずに済んだけれど、火から遠ざけようとするたび、彼女はわめいたらしいの。
「殺して。私をおしまいにして」とね。
今も存命している彼女だけど、その時のことはぜんぜん記憶にないみたい。
ひょっとしたらご先祖様に、火あぶりにかけられた罪人か、もしくは罪悪感を抱きながらも裁いてもらえなかった誰かがいたんじゃないか。
私はそう思っているの。