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シロユキ  作者: miyanko
10/11

第10章 暗闇の中の奇跡

「ちょっとだけ、休んでいい?」

シロユキはそれまで疲れを見せないように頑張ってきたけど、もうかなり限界だった。美紀は帰れるか不安でいっぱいだったけど、シロユキもきっと自分以上に疲れてるだろうって思って、我慢した。

「いいよ」

2人は壁に背をもたれるようにして、そのまますとんと座り込んだ。シロユキは美紀の手をしっかりと握っていた。

「ねえ、あと、どれくらいで着くのかな」

「ごめんね、はっきり分からないけど、きっとすぐに着くから」

美紀の目から、せっかく乾いた涙がまた溢れそうになった。でも美紀は必死で耐えた。

二人はしばらく黙っていたが、そっとシロユキが口を開いた。

「ねえ、美紀」

「何?」

「さっきの話だけどね、お母さんの背中って、そんなに気持ちよかったの?」

「もちろんだわ。今じゃ美紀も大きくなっちゃって、もうおんぶしてって言ってもやってくれないだろうけどね。あれも『子供の特権』ていうやつなんじゃないかな」

美紀は笑った。

「シロユキもおんぶしてもらったことあるでしょ?」

「僕?」

シロユキは少し黙ってしまったけど、口を開いた。

「僕は、ないよ」

「え?どうして?お母さん、いないの?」

「ううん。ちゃんといるよ。でも僕とは離れたところで生活してるんだ」

「いつから?」

「僕がずっと小さい頃から」

「そうだったんだね・・・寂しくないの?」

シロユキはうつむいて、黙ってしまった。でも、ぼそっと呟いた。

「僕も、おんぶしてほしかったな」


またしばらく沈黙が続いた。美紀は喉が渇いてしょうがなかった。

「お水が、欲しい」

美紀はずっと我慢してたんだけど、とうとう我慢できなくなって、言った。暗さからくる不安と寒さがどんどん美紀の体力を奪っていき、美紀はもう限界だった。美紀の口調から、それはシロユキにも伝わった。

「もう、我慢できないんだね」

シロユキは優しく言った。

「そうだ、雨を降らせてあげるよ。僕の雨は、飲み水にもなるんだ」

シロユキは頑張って立ち上がり、また例のように両手をあげ、雲を作った。そして雲は瞬く間に雨を降らせた。

「さあ、これを飲むといいよ」

美紀は両手で雨水をすくい、飲んだ。その雨水は、とても甘くておいしかった。

「すごいおいしい。ねえ、シロユキも飲んだら?」

美紀がそう言った瞬間、バタッ・・・と、シロユキは崩れるようにしてその場に倒れた。

「シロユキ、どうしたの?」

「ご、ごめんね。ちょっと疲れちゃって」

「大丈夫?」

「うん」

美紀は両手で水をすくい、シロユキにも飲ませてあげた。

「ありがとう」

シロユキは続けた。

「ごめんね。もう少し、休んでいいかな」

「いいわ。私もこの暗いのに少しは慣れてきたし。今度はシロユキが休む番よ」

美紀は不安なのを必死で押し殺して、シロユキのためにそう言った。シロユキが作った雲からはまだ雨が降り続いていた。美紀はこの暗闇と雨の音の中だったら大丈夫だろうと、静かに泣いた。疲れてるシロユキに気付かれないように。そしたら涙が止まらなかった。美紀は目を閉じて、これまでの楽しかった事を必死で思い出そうとした。もうこれ以上、涙が出ないように。

(動物園のキリンさんやおさるさん、まだ元気にしてるかしら。またうさぎさんにご飯あげたいな。おばあちゃん家のとこの公園もまた行きたいな。はじめてお父さんとシーソーやったときは怖くて泣いちゃったけど、すぐに楽しくなって。お祭りも楽しみだな。もう今年は終わっちゃったけどね。お父さんに手を引っぱってもらって、りんご飴を買ってもらって、すごく甘くておいしかった。)

目を閉じてそんなことを思い出しているうちに、雨の音がだんだん消えていくのが分かった。雲が、なくなっていったんだろうなって、そんなことを思いながら、ずっと頭の中でいろいろなことを巡らせていた。


「泣いてるの?」

シロユキの声に、美紀ははっとして目を開けた。さっきまで真っ暗でまったく見えなかったシロユキの顔が、まだぼやけているけど、見えるようになっていた。

「え?どうして?」

美紀とシロユキの周りには、小さくて真っ白いものがいくつもいくつも降り注いでいた。それは美紀に触れると、その体温であっという間に溶けてしまった。

「これって・・・」

そう言いかけた美紀に、シロユキはほほえんだ。

「雪だ!」

二人は口をそろえて言った。真っ暗な洞窟の中で、その雪はまるで夜空の星のようだった。

「すごいきれいだわ」

「本当だね」

「でも、どうして急に?」

シロユキは少し考え込んでから言った。

「多分だけど、雪って冬に降るだろ?寒かったから、洞窟の中が寒かったから、きっと雨が雪に変わったんだ。雪の正体は、雨だったんだ」

「でも雨と違って、当たっても全然痛くないわ。当たったのが感じないくらい、優しいわ」

「冷たくても優しいなんて、なんか変だね」

シロユキは笑った。美紀も一緒に笑った。雪を見てると、さっきまで寒かったのが嘘みたいに暖かい気持ちになった。美紀はその場に座ったまま右手をかざし、触れては溶け、触れては溶けを永遠に繰り返す雪を、じっと見ていた。さっきまで不安だったのが嘘のように、美紀の口元は優しかった。

「ねえ、シロユキ」

「何?」

「雪ってこんなに綺麗なのに、生まれてすぐに消えちゃうんだね」

「そういうのって何て言うか知ってる?」

「何て言うの?」

「『はかない』っていうんだ」

「はかない?シロユキはやっぱり物知りね。いろんな難しい言葉を知ってる。でも、初めて聞くけど、なんか寂しい言葉だわ」

美紀は雪をつかもうとしたけど、すぐに溶けてしまう雪をつかむことはできなかった。

「雪もすごい綺麗だけど・・・私、人間に生まれてよかったわ。もっともっと長く生きられるもん」

「人間もいつかは死んじゃうんだよ」

「それはそうだけど、この雪よりはずっと長く生きられるわ。私たち、まだ子供じゃない」

美紀は続けた。

「私は人間ははかないとは思わないわ」

シロユキはうなずいた。その顔はやさしく見えた。

「でも、なんか夢みたいだわ。だって、私たちが見たがっていた雪をこんなすぐに見られるなんて。良かったわね」

「本当だね。きっと神様がプレゼントしてくれたんだ」

美紀はシロユキと並んで座り、片方の手を一緒にかざしたまま、雪の感触をしばらく楽しんでいた。そしてもう片方の手でシロユキの手をぎゅっと握っていた。


ふと我に返った美紀は、シロユキに言った。

「ねえ、あれを見て」

雪の明かりに照らされて、よく見ると美紀のかざす手の先に、大きな部屋があった。

「あれって、もしかして・・・」

「こんなに近くにあったんだ」

シロユキはびっくりしていた。そして、美紀に言った。

「あの部屋だよ。あの部屋にドアがあるんだ」

「やっと出られるのね!もう少しこの雪を見ていたいけど、やっぱり早くお母さんに会いたいわ!」

美紀は立ち上がった。そして、シロユキの手を掴んで、引っ張った。でも、シロユキは動かなかった。

「僕はここに残るんだ。美紀だけが行くんだよ」

「いいじゃない。どうせ戻ってこれるんでしょ?せっかくできたお友達だもん。お母さんに会わせたいわ」

シロユキはほほえんだ。

「ありがとう。でもね、あのドアの向こうに行ったら、なかなか帰ってこれないんだ。それに、僕は毎日、いちご畑にお水をあげなくちゃならないだろ。まだ読んでなくてたまってる本もたくさんあるんだ。絵も描きたいし」

「なかなか・・・って、どれくらい?1週間くらい?」

「・・・」

「もっと長いの?1ヶ月?1年?10年??」

「・・・」

「ここでお別れなの?お別れなんて嫌だよ」

美紀はまた泣き出しそうだった。

「泣かないで。永遠に会えないなんてわけじゃないんだから。またいつか会えるよ」

「いつかなんて嫌だよ。いっぱい約束したじゃない。いつかっていつなの?大人になってから?それじゃ美紀はシロユキのこと忘れてるかもしれないよ。それでもいいの?」

美紀の目からまた涙が流れた。

「またすぐ会いたいよ・・・」

シロユキは美紀とつないでいる手をそっと引っぱった。

「ちょっとしゃがんで」

シロユキは言った。美紀は言われたようにしゃがんだ。シロユキはもう片方の手で、そっと、美紀の頭を撫でた。

「安心して。僕はそんな遠くにいるわけじゃない。だから、安心して」

「本当?」

シロユキは優しくほほえんで、頷いた。そして、ずっとかぶっていた帽子を取って、美紀の頭にかぶせた。

「この帽子があれば、僕を忘れることはないだろ。また今度、その帽子を返しに来てよ。そうしたら、雲の作り方を教えてあげるよ。完成した絵も見せてあげる」

美紀はまだ涙を流していたけど、笑顔になった。

「さあ、涙を拭こう。そんな顔じゃお母さんに笑われるだろ?」

シロユキは自分の服の袖を美紀の顔に当て、優しく涙を拭いてあげた。

「もう行こうね。きっとお母さんが心配しているよ」

シロユキは美紀の手を離し、その手でそっと美紀の肩を叩いた。美紀は立ち上がって、雪の明かりに導かれるように部屋のほうに歩いていった。あたりを見回すと、その大きな部屋の右奥に、たしかにぽつんと、小さなドアがあった。しばらく部屋の中を進み、もうシロユキからは見えなくなるだろうというところで、美紀はシロユキの方を振り返った。

「ねえ、シロユキはどうするの?」

「僕?僕は少し疲れちゃったからね。もう少し、ここで休むよ。雪があれば、きっと戻れるから」

「私も頑張るから、シロユキも頑張ってね。それと、いちごありがとう。本当においしかったわ。心をこめて育てたのね」

美紀はほほえんだ。シロユキもその場に座りながら、優しくほほえんでいた。

「本当にありがとう、また会おうね」

そう言うと、美紀はまたドアのほうを振り返って歩き出した。本当はシロユキに教えてもらったいろいろなことを、教えてくれてありがとうって言いたかった。でもそれを言うとまたシロユキの見てる前で泣いてしまいそうで、もうそれ以上言えなかった。美紀はまた涙を流していた。泣いているのを見られないように、もう振り返らないように、美紀は歩いた。ドアは小さくて、ちょうど美紀が入れるくらいの大きさしかなかった。このドアを開けてしまったら、もうシロユキに会えないかもしれない。そんな不安でいっぱいだった。美紀はドアを開ける前に顔を上げ、一呼吸おいた。美紀の顔に向かって、まだ白い雪がぽつりぽつりと降り注いでいた。


ドアを開けた瞬間、後ろから、声がした。

「美紀!」

美紀はその声に反応して、とっさに振り返った。涙でぼやけていたけど、降り続ける雪の向こうで、こっちを見て立っているシロユキが分かった。下ろしている両手は力をこめているようで、顔は少しうつむき加減だったけど、その目は強く、美紀のほうを見ていた。初めはよく見えなかったけど、シロユキの目からは涙がこぼれていた。美紀はシロユキの涙を初めて見た。

「僕は美紀にいろいろ教えてあげるつもりだったんだ」

シロユキは続けた。

「でも、逆にすごい大切なことを教えてもらった。本を見てるだけじゃ、きっと分からなかった」

シロユキは声が震えていた。それでもその言葉は強く、美紀の胸に響いた。

「ぼくたちは、友達だ」

美紀はもう一度、シロユキのほうへ駆け寄りたくなった。でもそのとき、ドアの向こうから、何か強いものが強引に美紀をそっちに引きずり込もうとしていた。美紀は何も抵抗できず、何も言うことができず、ただそのまま、ドアの向こうへ吸い込まれていった。

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