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8.貴族だったら

「リュカ様はミリア様の薬師ですわ」


 城の使用人部屋の一室で、親切なメイドはリリの捻った足首に薬を塗りつけながら教えてくれた。薬師、とリリが呟いたのには気づかず言葉を続ける。


「ミリア様達は領主様のお客様なんです。ほら、もうすぐ聖夜祭が行われますでしょう?毎年この時期は領主様が親しい方々を招かれて過ごされるんです。狩りに出かけられたり、毎夜のようにパーティーを開かれたり。お客人のお世話とその準備とで私達はいっぱいいっぱいなんですけどね」


 軽くため息をついたメイドは、疲労がたまっているのだろう。目の下にはうっすらとクマが出来ていた。


「リュカ様もミリア様もお優しい方ですから良いのですが、ジーン様は厳しい方で。あなたも、さっきは災難でしたね」


 ジーンとは、先ほどのきっちりした女性の名だった。


「ジーン様はミリア様の侍女なのですがとても高名な教育者だとかで、ミリア様以外にはとても気難しい方なんです。私も粗相をしないように気をつけなくちゃ」


 最後の一言は自分に言い聞かせるように言って、薬を塗り終えたメイドは立ち上がった。リリも「ありがとう」と言って、靴下とブーツを履きなおす。


「あの、もうひとつ聞いてもいい?」

「ええ、どうぞ」

「塗ってくれた薬ってもしかしてリュカって人が作ったもの?」

「そうですよ。打撲に効くからと言って貰ったんです。私達のことまで気にかけてくださって本当にお優しい方ですよね」


 やっぱり、とリリは嗅ぎ覚えのあった薬に彼がハイルだと確信した。


「ねえ。リュカって男の人は、ずっと前から、その、ミリア様、の薬師なの?」


 いいえ、とメイドは首を横に振った。


「リュカ様は去年から雇われたそうです。綺麗なお顔をされてたでしょ?私最初はどこかの貴族の人かと思ってたんですよ」


 くすくすとメイドはおかしそうに笑う。


「今でも勘違いしてる子がいるみたいなんです」

「そうなの」


 リリは話を合わせながら、どういうことだろうと考えた。なぜハイルはリュカと名乗り、リリに別人のように振る舞うのか。解らない。

 メイドがふと息をつく。


「本当に、リュカ様が貴族だったら良かったんですけどね」

「え?」

「だってそしたら、ミリア様と結ばれたでしょう?」


 メイドは悲しそうに言った。

 リリはどくどくと鳴る心臓を押さえつけて尋ねる。もしかして。


「二人は恋人なの……?」


「公言はされていませんが」とメイドは薬壺を抱いたまま切なげに瞳を細めた。


「好き合ってはいらっしゃると思います。あなたも見たらきっとわかります。お互いを想い合ってらっしゃるというか。見つめ合われる瞳がとてもお優しいんですもの。でもリュカ様は出自も不明ですし、ご結婚はできないだろうと皆言っています……あっごめんなさい!内緒にしてくださいね、今言ったこと」


 喋りすぎたと慌てたメイドに、リリは乾いた返事を返すのがやっとだった。


「……ええ、もちろんよ……教えてくれて、ありがとう」

「いいえ。でも、あなたは何しにここへ?落馬されたって聞きましたけど、馬は逃げてしまったのでしょう?帰り道は大丈夫ですか?」


 メイドは心配するように眉根を寄せた。

 リリはただハイルに会いたい一心でここへ来た。けれど、ハイルはハイルではなくて、でもリュカは絶対にハイルだった。このまま帰ることなど到底できない。真実を知りたい。たとえ彼が心変わりをしていたのだとしても。


「あの、実はあたしここで働きたくて」


 リリは黒い髪をしたそのメイドの手をとる。


「聖夜祭まででいいの。人手が足りないのでしょう?下働きでもなんでもいいから雇っては貰えないかしら」


 さすがに図々しいかと、言葉の最後が弱弱しくなってしまった。しかし、リリの願いにメイドは疲れた顔を明るく輝かせた。


「大歓迎よ。えっと、メイド長にまずお願いしなくちゃいけないから、ちょっと待っててちょうだい。今年はお客様が二十名もいて本当に最悪だったの!ありがとう、えと、名前は」

「リリよ」

「リリ!ありがとう。私はスージーよ」


 朗らかに笑ったスージーは「絶対待っててね、逃げないでね」と念を押して使用人通路を駆けていった。(そんなに過酷なのかしら)リリはどんな仕事が待っているのだろうと思わず身震いした。でも、これでリュカのそばにはいられる。

 この大きな城のどこかに、ハイルがいる。そう思えばどんなことでも乗り越えられる気がした。



 スージーの喜びようにはすぐに納得がいった。

 数十分後。必要があったのかと思うほど簡単な面接のあと、リリは大量の洗濯物の前に立たされていた。城の裏手にある広場は、家畜小屋と小さな菜園があり、そのそばに幾重にも干された真っ白なシーツがはためいていた。客人二十人とそれから領主一家の分と予備の分。一枚一枚が大きな上に、数量も果てしない。「若いコが来てくれて助かるわ」と洗濯係の女がリリのそばを通り過ぎながら笑った。


「仕事は辛い分お給金はいいから、頑張ってね。逃げ出さないでね」


 スージーと同じようなこと言って、洗濯係の女はせっせとシーツを籠に入れていく。リリも腕まくりをして、シーツをとりにかかった。目的は別にあっても、仕事は仕事だ。


 聖夜祭まで、二週間と少し。

 リリは仕事をする傍ら、リュカの姿を探して回った。だが、領主の城は予想以上に広く、裏の仕事ばかり回されるリリはリュカはおろか客人の一人にも会えなかった。

 客人の前に出るには、それ相応の服装とマナーが必要らしく洗濯係に回された時点でそれは絶望的なことだった。リリはまかないを食べながら、仲良くなった主婦の女性にどうやったらリュカに会えるのかを聞き出そうとした。


「リュカ様に?そりゃ無理よ」


 高笑いをされ、リリは「どうして」と尋ねる。


「あの人だって召使なんでしょ。あたし達と一緒だわ」

「あのね、リリ、召使にもランクがあるの。あたし達は下も下。リュカ様と比べる方が失礼ってもんよ。ああ、あんた、初日にリュカ様に会ったんですってね?一目惚れでもした?だったら諦めなさいな、あれは遠くから見つめるもんよ。あたし達が手を出していいものじゃないわ」


 そんな理屈はリリには納得できなかった。

 だが、ただ待っているだけでは会えそうもないのも事実だ。

 リリはなんとかリュカに会えないかと休憩時間は落馬をした場所に行ったり、表を歩こうとした。けれど、貴族の城はとにかくややこしく差別的に出来ていて、使用人の通っていい廊下と部屋は限られていた。最初に話を出来ただけでも奇跡に近かったのかもしれない。


 このままでは時間だけが無駄に過ぎてしまう。


 リリは途方に暮れながら、その夜は庭園を歩き回ってみた。庭園には庭師以外が入ることは良い顔をされないそうなのだが、そこは夜のパーティーが開催されている広間から近い。リュカが出席しているかは知らないが、一目でも見かけることが出来るかもしれないと思ったのだ。


 毎夜のように行われるパーティーには豪勢な食事が並び、楽団が華やかな音色を奏でている。漏れ聞こえてくる音楽に耳を傾けながら、リリは花壇の縁に腰を掛けた。

 ハイルに会いたい。

 ちゃんと話がしたい。

 リリは明るい室内を眺めながら、心の中でそう強く願った。

 と、その願いが通じたのだろうか。庭園へ続くテラスの扉を開き、ひとりの青年がすっとこちらに歩み寄ってきた。淡い金色の前髪を全て後ろに流したリュカは、惜しげもなくその整った顔を夜風にさらしていた。白いぱりっとしたシャツに、黒のネクタイとスーツ。グラスを持つ手には真っ白な手袋まではめていた。リリは眉をひそめた。まるで貴族だわ。

 リリは花壇に腰かけたまま、近づいてくるリュカを見上げた。


「……こんばんは」


 リュカはリリの姿に、戸惑ったように声をあげた。まさかこんなところにリリがいるとは思わなかったらしい。リリも「こんばんは」とあいさつを返す。


「ハイル」


 リリが呼びかけると、リュカは、ぴくりと肩を震わせるのだった。

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