0-1 サード・コンタクト(前編)
宇宙戦闘においては何よりもレーダーが頼りだ。
大気の壁に阻まれることなく加速していく敵と味方は、もはや人間の目だけで追いきれるものではない。
進行方向が数ミリずれただけで、目的地と数百数千キロも離れた場所をさまよう羽目にもなる。
いっそ人間など乗せない方がいいのだが、数年前本当に起きてしまった機械知性の反乱以来、人類はコンピュータ不信に陥っていた。
そういうわけで、球体に6本の作業用機械腕がついた形の宇宙戦闘艇『ヘラクレス』のコクピットで、辺村肇はレーダーマップと進路予想図に全神経を集中していた。
3Dチェス盤めいたレーダーマップに描かれる世界はシンプルそのものだ。
味方はわずかな文字注釈のついた青く光る点、敵はナンバリングされた赤い光点でのみ表示されている。
盤面だけ見れば、たった1機しかない赤軍が圧倒的不利だ。
だが――現実は真逆。
宇宙空間を兎のように跳ね回る赤いドット。対して青いドットは重い甲羅を背負うかのように鈍い。
両者が接触するたび、盤上から青が1つ取り除かれる。
救難信号が出ていないということは、パイロットは機体と運命をともにしたらしい。
発端は、わずか2時間前。
恒星間航行宇宙船マイグラント号建造ステーション警邏隊が、突然消息を絶った。
続いてその捜索隊も音信不通となるに至り、司令部は事故ではなくテロの可能性を視野に入れ、戦闘部隊を派遣する。
だが彼等もまた、たった一通の救援要請だけを残して通信途絶。
そこで辺村の所属する第13空挺小隊に出撃がかかった。
そして彼等は、各々の機体のレーダー上で、先行した戦闘部隊を屠っていく、未確認機の姿を見ることとなったのだ。
「敵だって? こんな何もないところに?」
「どこの国だ? それともテロリスト――」
「ここからじゃ姿は目視できない――」
「急がないと!」
素早く近寄ってきた隊長機が辺村の乗るヘラクレスを押さえつけた。
通信ウインドウが開き、端整な若い男の顔が表示される。
その分モニターに死角ができるが、閉塞的なコクピットにおいて他人の顔が見えるというのは、多少のリスクと引き替えにしてもいいと思えるほどの安心感を与えてくれた。
「撤退するぞ、辺村」
ウインドウの中の男が言った。
「絶遠隊長……? 撤退? なんで? 友軍は、まだ」
「よく持ちこたえたが、もう限界だ。間に合わん」
「何のためにここまで来たんだ!」
「助けるためではあっても、むざむざ殺されるためにじゃない。ここで引き返さなければ、今度はオレ達がああなるぞ」
「試してみなけりゃ……!」
「わかるな。オレの勘が言っている」
これまでの長い付き合いを思えば、一笑に伏すことはできない。
「あいつを倒すには、オレ達だけじゃ無理だ。ステーションの保有戦力をフルに使って、数で圧すしかないだろう。……だから、敵をステーションまで引き寄せる」
「正気か?」
「敵が目の前まで来れば、馬鹿の1つ覚えみたいに財布の紐を締めるしか能のない経理部も、全機発進を許可してくれる」
もっとも、と絶遠は口の端を釣り上げる。
何人もの女性職員を魅了してきた甘い笑み。
それは少々、引きつっていた。
「――その前にオレ達が追いつかれなければ、だが」
ついに青を駆逐した赤い光点が、こちらに進路を取ったのがわかった。
「なら、俺が足止めをする。――ま、別に倒してしまってもかまわんのだろう?」
「ふざけているのか、こんな時に。全員で生き残るんだよ、辺村」
辺村の胸中に失望という汚泥が沈殿していく。
むしろ「任せた」と言って欲しかったのだ。
何故なら、辺村を宇宙戦闘艇のパイロットに見いだしてくれたのは、他ならぬ絶遠だったのだから。
「聞いたな、張田、緋雲、米比良、騨田」
絶遠は仲間をコールサインで呼ばない。
「全責任はオレが持つ。全機回頭! 散開しつつ、全速撤退!」
6機のヘラクレスが回頭、一斉に元来た道を戻る。
しかし彼我速度差は3:1。レーダーに表示された接触予想時間はわずか3分。
無情にもきっかり3分後、最後尾の緋雲機がレーダー上から取り除かれた。
そして次に敵が狙いを定めたのは、絶遠の機体だ。
「隊長!」
先頭を飛んでいたはずの米比良澄羽が、Uターンして絶遠の援護に回る。
「バカ澄羽! あの、恋愛脳!」
そう言いながら、騨田綿華のヘラクレスもその後に続く。
「あなた達……! 抜け駆けは駄目だって言ったでしょう!」
最後の1人、張田忍までもが絶遠の援護に向かう。
たとえどんな強敵であろうと、彼女達に愛する上官を見捨てるという選択肢は、これっぽっちも浮かばないのだった。
そんな女達に、辺村は複雑な思いを抱く。
(狙われたのが絶遠じゃなく俺だったら、きっと誰も来てくれないんだろうな)
おそらくそれはただの思い込みではないだろう。
かつて、辺村は誰にも顧みられないような、しがないフリーターだった。
それがあの忌まわしい『コールタール戦争』の折、転機が訪れる。
絶遠に戦闘機乗りの素質を見いだされたことで、辺村は泣く子も黙る撃墜王となった。
まるでアニメのような話だ。
だが残念ながら、アニメと違って辺村の人生にヒロインはただの1人も現れなかった。
少なくとも今までのところは。けれどおそらくはこれから先もずっと。
(なんていってる場合じゃない、俺も――)
「来るなよ、辺村!」
操縦桿を回す直前、絶遠からの制止が届いた。
よく躾けられた犬のように、ピタリと、指が、止まる。
「オレにかまうな! 辺村、おまえだけは、生きろ!」
「……くそっ!」
辺村は操縦桿を前に倒した。
移動するにしたがって、味方も敵もレーダーマップから追いやられ、表示されなくなった。
だが、それも数秒。
警報が鳴り響く。
レーダーの端に、光点が1つ。
色は、赤。