俺、令嬢やってます。2
ユーナエル・イスティニート。
その名はこの場でただ一人、俺以外にあり得ない。
聞き間違えじゃないかと思う。
聞き間違えであってほしいと思う。
しかし、第一王子ジェラルドの瞳はまっすぐに、俺のことを捕らえていた。
ティナが涙目で俺のことを見上げ、ぼんやりと呟いた。
「ユーナエル、お義姉様......」
ティナ、黙ってなさい。
☆
その日から慌ただしい日々が俺を襲った。
王様を筆頭にたくさんのお偉方と謁見し、本当に俺が王子の妻として相応しいのか見定められる。
俺としては何かヘマをして色々と白紙に戻したい、でもそんなことをしたら家に俺の居場所はない。
抗う術を持たぬまま、俺は流れに飲まれていった。
夜風が気持ちの良い広々としたテラスで、俺はジェラルドと向かい合っていた。
完全に二人きり、周りには誰もいない。
テラスの向こうには満月が輝き、ジェラルドがそれを背にして俺を見ている。
......このまま突き落としてしまおうか。
「ジェラルド様、考えをお聞かせください。私はそもそもジェラルド様とお話したことさえなかったはずです。なぜ私を選ばれたのでしょうか」
初めてまともにジェラルドと話せる。
言いたいことが山ほどあるのだ。
「ああ、君には申し訳ないことをしたと思っている。ただ、何故かと聞かれれば......それは君のことが好きだからだ」
ジェラルドは以外にも優しげな声をしていた。
真面目な顔をしてこっちを見つめるジェラルドは後ろの背景と合わさってとても絵になる。
「私は、ジェラルド様に相応しい女などでは御座いません。他の御令嬢方の様に美しくもありません。目付きが悪くて近寄りがたいと、侍女達にも噂されています」
「そんなことは断じてない。君はとても魅力的な女性だと俺は思う」
「......なぜ、そう思われるのですか?」
「ティナ・ミッドウェルを知っているね? シュルツの婚約者だ」
「はい、仲良くさせていただいています」
「実はずっと前から君のことは知っていたんだ。具体的に言うとティナさんとシュルツが仲良くなってからね。ティナさんはいつも君のことをシュルツに話すそうだよ。とても嬉しそうに、とても幸せそうに。そしてシュルツが俺に話してくれるんだ。ティナさんや君のことをね」
「では、その話を聞いて私に良い印象を持たれたということですか?」
「いや、今思うとそれはきっかけにすぎなかった。ある事件があってから私は君のことをずっと見ていたんだ。......どんな事件かはちょっと言えないのだけどね」
ジェラルドが微笑む。
「そのとき俺は知ったんだよ。君という女性を。君が自らの危険を省みず誰かのために頑張れる人だといことを。でも君を好きになったのはそのときではない。君のことが気になってパーティーで見ていた。君はいつもティナさんのことを見ていた。その顔を侍女達に見せてあげたいよ。君はティナさんを見るとき凄く、凄く優しい目をしているんだ。誰かを愛し大切に思ってあんな目をすることができる人が、魅力的でないはずがないんだ」
それは完全に想定外の言葉だった。不覚にも顔が少し熱くなる。
「お互いに言葉を交わしたことは無かった。そもそも君は俺に興味さえ持っていなかっただろう。でも俺はいつも君を見ていて、君のことが知りたくて、君と話がしてみたくて。そして、......。相手を決めるとき一度も話したことがない君を選ぶのは失礼だと思った。迷惑をかけることになると思った。でも俺は君が好きだった。その気持ちに嘘をついて他の人を選びたくなかったんだ」
文句を言ってやろうと思っていた。何を考えているのかと。
しかし目の前の男が本気で俺に向き合っていることが分かってしまった。
「君が嫌だと言うならば、絶対に無理強いはしない。今からでも全てやめて良い。迷惑をかけてすまない。......君の気持ちを教えてほしい」
ジェラルドが頭を下げる。
「少しだけ......考えさせてください」
俺はなんとかそう言って、その場を後にした。
俺は、ジェラルドの想いに答えられないはずだ。
それでも、家に帰る場所が無くなるから結婚するしかないと思っていた。
でも今は、例え帰る場所がなくなってもジェラルドに本気の返事をするべきじゃないかと思い始めてしまっていた。
☆
多忙な日々が続いて城内を行ったり来たりしている。
あの夜のことも何度も考えた。
今思い返すと、令嬢が王子様に婚約破棄する権利を与えられたのだ。
ちょっとキレてお前との婚約など破棄だ! この悪党め! とか言ってみたい。
そして俺が路頭に迷うと。
精神と肉体が疲弊した俺を、神は見捨てていなかった。
天使を遣わしてくれた。
「ユーナお姉様!」
「ティナ!」
ああ、ティナが走ってくる。
その姿を見ただけで疲れが吹き飛ぶようだ。
ティナは俺に抱きついてきた、もちろん俺も抱きしめ返す。
ついでに、ティナの栗色の髪を撫でる。ふわふわしている。
「お久しぶりです! ユーナお姉様!」
「ええ、お久しぶりです、ティナ。会いたかったわ」
「私も! 私もです!」
色々と忙しかった俺達は、ジェラルドのはからいで一緒に過ごせることになった。
ジェラルドは神だったか。
そういえばデートを尾行していたときも神だった。
主に髭が。
「これからお昼ですよね? 今日から一緒に食べられるんですよね?」
「そうですよ。一緒に食べましょう」
ティナがわくわくしている。
俺はふわふわしている。
場所を移して、俺とティナは二人きりで長いテーブルについている。
久しぶりの心安らぐ時間だ。
ティナ可愛い。
でもそれ、マヨネーズだけど大丈夫?
イチゴには合わないんじゃないかな。
ああ、なんか見たこと無い顔してる。
あっ、そのコップに注いでるの醤油だよ?
愉快な食事をしていると侍女長さんが様子を見に来た。
ちょっと怖い感じの人だ。
「ティナ様、好き嫌いしてはなりませんよ? 体が資本。いつも健康でいていただかなくては」
「は、はい。......あの、やっぱりお仕事とか大変なんですか?」
「まあ、それもそうですが。それを抜きにしてもティナ様とユーナエル様にはいつも健康でいていただきたいのです。それにシュルツ様のお子さんをを授かるためにも健康体が一番です」
「ぶふぉっ」
吹き出したのは俺だ。
ごめんあそばせ。
「子供......。あ、あの! 子供ってどうやったらできるんですか?」
なん......だと......。
ありえるのか......。
あれ、ティナって何歳だ。聞いたことなかった。
「まあ......。そのうちお勉強していただく必要がありますね。子供は性交によって授かります」
「せいこう......ってなんですか?」
「端的に言えば男女が裸で抱き合うのです」
「ぶふぉっ」
今度はティナが二つの意味で吹き出した。
それ醤油だもんね。
「ティナ様もシュルツ様としていただくことになります。それも大切なお仕事ですよ?」
「ぷふっ」
ああっ! や、やめて侍女長さん! ティナが! ティナが醤油で溺れてる!
侍女長さんが帰ってしばらく、シュルツ君がやって来た。
それに反応するのは我らがティナ。さっきの会話もあって盛大に顔が赤い。
「ティナさん、ユーナエルお姉義さん、こんにちは」
「こ、こここ! ここここ!」
にわとりかな?
「こんにちは、シュルツ様」
「さっき、勉強の一環で行っている菜園でプチトマトを採集したのです。良かったらお二人に食べてもらいたいと思って」
シュルツ君の持つかごの中にプチトマトがいくつか入っている。
シュルツ君のほわほわ感も健在だ。
「まあ、ありがとうございます。ぜひ頂きたいです」
「あ、ありあり! ありありあり!」
なんだろう。この不思議生物。
あっ天使か。
しばらくしてシュルツ君が帰っていった。
ティナが落ち込んでいる。
「何もお話しできませんでした......」
「大丈夫ですよ。これからいくらでも機会はあります」
頭を撫でておく。
ドアが開いてまた誰かが入って来た。
げっ、ジェラルドやん
「こんにちは、ユーナエル、ティナさん」
「こんにちは、ジェラルド様」
「こんにちは! ジェラルド様」
「二人にと思って持ってきた、良かったら食べてくれないか」
そう言ってジェラルドが差し出してきたのは――
プチトマトかよっ!
ほわほわすんな!
「ま、まあ、ありがとうございます」
受けとりますけども......。
兄弟だから似てたりするんだろうか。
そんなこと思って顔を見ると、恥ずかしそうに反らされた。顔が赤くなっている。
そ、そんな顔すんのやめろよ。
ちょ、ちょっと困るだろ......。
なぜか俺の顔も熱い。
なんなんこれ。
☆
数日後、結婚式のドレスを試着している。
ティナも隣りにいるが、ティナ達はまだ年が若いので結婚は数年後になるだろう。
「ユーナお姉様、お綺麗です!」
「そ、そうかしら......」
いや、本気でそうかしら。
俺が着てるのは真っ黒なドレスだ。
これを着ると、髪の毛も合わさって全身真っ黒になってしまう。
不安になって侍女長さんを見る。
「よくお似合いですよ。それに、ジェラルド様がお選びになったドレスです。旦那様が喜んでくださるのならば、それが一番ではありませんか」
「そう......ですよね......」
その日の夜、寝る前にトイレに行った後のことだ。
廊下でジェラルドとシュルツ君が話しているのを見つけた。
シュルツ君は笑顔で楽しそうにジェラルドと話している。
そして、ジェラルドはシュルツ君の頭を撫でていた。
その目は優しく、本当に目の前の人が愛しいと、大切なのだと伝わってくるようだった。
もしかしたら............もしかしたら俺もティナを見るときあんな目をしているのだろうか。
『あんな目をすることができる人が、魅力的でないはずがないんだ』
ジェラルドの言葉が脳内でこだまする。
俺は......ジェラルドに嘘をついちゃいけない。
路頭に迷ったとしても、俺は本心をジェラルドに伝えなければならない。
そう思った。
俺は、ジェラルドと結婚できない。
☆
この国には聖地がある。
王族は結婚式を行う前、そこで身を清めるのが慣わしとなっていた。
今はそこに向けて馬車に揺られている。
今は王城を出たばかりだ。
あの夜から俺はジェラルドと二人きりになることができなかった。
しかし今、シュルツ君やティナは他の馬車に乗っている。
この馬車の中には俺とジェラルドの二人しかいない。
今を逃したら機会はもう無いだろう。
意を決して口を開く。
「ジェラルド様......」
俺の雰囲気で察したのだろう。
ジェラルドもすぐに居住まいを正して俺に向き合った。
「ああ」
「私は、ジェラルド様と結婚することはできません。お返事が遅れて申し訳ありませんでした」
ジェラルドの顔が辛そうに歪む。しかしそれをすぐに打ち消して少し微笑んだ。
「......そうか。いや、分かった。気にしないでくれ。勇気を出して本心を伝えてくれたことが俺は嬉しい。やっぱり君は素晴らしい女性だよ。必ず君に害がないように取り計らう。約束する。しかしすまないが、今日のところは聖地まで同行して欲しい。......いいだろうか?」
「はい、もちろんです」
「ありがとう」
伝えるべきことを伝えた。
本心からの言葉だ。
でも俺の胸がとても痛いのは何故なんだろう。
馬車が出て、街の中程に差し掛かったときだ。
馬車が急停止する。
「っ......。どうしたんで――」
どうしたんでしょうか。そう言おうとしたときにそれは聞こえた。
「きゃあっ!!」
ティナの叫び声。
それを聞いてすぐに馬車を飛び出した。
「なっ、ユーナエル!」
目の前には、信じられない光景が広がっていた。
何人もの護衛の騎士が倒れ、その中央に黒ずくめの集団がいる。
その一人がティナを背後から抑え、首にナイフを当てていた。
シュルツ君がその足元にうずくまっている。
他の騎士達もティナを捕らえられて手が出せないようだ。
黒ずくめの頭と思わしき髭面の男が声をあげる。
「ようよう! 出てきたな。ユーナエル・イスティニート!」
「何者......ですか」
「俺のことはどうだっていいんだよ! さあ、こっちに来い」
ジェラルドが怒鳴る。
「貴様ら何が目的だ!」
髭面が卑しく笑う。
「目的? まあ、簡単に言えば王子様達の婚約者の死だよ。分かるだろう? それを望んでるやつらがいるんだってな!!」
「貴族連中の差し金か......」
ジェラルドが悔しそうに唸る。
「ティナに......手を出さないで下さい」
「ああ、出さないぜ。まだな! でももしお前がこっちに来ないってんなら、うっかり手が滑ることもあるかもなぁ」
「行きます、行きますから」
両手をあげ少しずつ黒ずくめ達に近づいた。
その一人に腕を拘束される。
「このまま、逃げられると思っているのか?」
「だから言ったろうが、裏に支援者がいるんだよ。それに人質もいるんだ。わりと簡単だと思うぜ?」
ジェラルドが笑った。
「人質? どこにいるんだ?」
「何を言ってやがるっ! こいつらが――」
「ごめんなさい。私、そんなに大人しくないんです」
腕を拘束した黒ずくめに後頭部で頭突きする。
振り返ってみぞにひじ打ちをくらわせた。
即座に膝蹴りをティナを拘束してたやつにお見舞いする。
シュルツ君を抱えてティナを引っ張りジェラルドのもとまで走った。
全て敵の不意をついた行動だ。黒ずくめ達は反応できない。
「なっ!?」
ジェラルドが不敵に笑う。
「俺の愛する人を甘く見るな」
「くっくそっ、くそがああああ!!」
髭面が剣を抜いた。
「お前ら! 計画変更だ! やっちまえ!!」
周囲を囲っていた騎士達と黒ずくめ達が戦闘を開始する。
剣戟の波が周囲を覆う。
そんな中、髭面とジェラルドが睨み合っていた。
ジェラルドが倒れている騎士の剣を拾い上げる。
「ユーナエル、ここにいてくれ」
「ジェラルド様、私も......」
ジェラルドは俺の目を見て微笑んだ。
「君は自分の力で大切な人を守れる女性だ。だから君は、ティナさんとシュルツを守れ。俺が、君を守る」
ジェラルドが俺に背を向ける。
「守らせてくれ」
髭面が叫ぶ。
「おおらあぁぁ!!」
髭面とジェラルドが走り寄り、その中心地点で互いの剣をぶつける。
つばぜり合いになり、互いの力が拮抗しギリギリと音がする。
髭面の剣は力強く、まるで台風のようにジェラルドに襲いかかる。
それとは対照的にジェラルドの剣は静かだった。
台風の中を踊るように、流れるように剣を繰り出し、その姿勢が崩れることはない。
洗練されている。
その言葉がぴったりだ。髭面が剣を一振りする度に、ジェラルドの剣によって小さな傷をつけられていく。
「こ、この野郎があああ!!」
自分の不利を悟って焦ったのだろう、髭面の剣が大振りになる。
それをジェラルドは見逃さなかった。
一閃。
今までのどれよりも鋭い一撃が髭面の剣に叩きつけられた。
細身のジェラルドの剣が髭面の太い剣を砕く。
砕かれた剣が宙を舞い、地面に突き刺さった。
「そ、そんな......」
髭面が地面に膝をつき、うなだれた。
ジェラルドが髭面の首元に剣を向ける。
「俺の愛する人に手を出すな、下郎」
その声は深い怒りを宿していた。
「い、命だけは! 誰に命令されたのかも言う!だ、だから頼む! 殺さないでくれ!」
それを聞いて、周りの黒ずくめ達も剣を止める。
自分達の敗北を悟ったのだろう。
周囲が静寂に包まれる。
ジェラルドが俺たちの方へ振り返った。
シュルツ君も回復し、すでに起き上がっている。
俺、ティナ、シュルツ君の様子を確認すると安堵の表情を浮かべた。
「無事で......良かった」
俺達を見る目は、あのときの目だ。
心から愛していると、心から大切に思っていると、その目が言っている。
そんな目で、シュルツ君を、ティナを、そして、俺を見ていた。
ジェラルドの後ろを見てゾッとする。
髭面が卑しい笑みを浮かべ、懐に手を入れていた。
ナイフを取り出す。
「この、馬鹿があああああ!!」
髭面がナイフを構えジェラルドに向かい走り出す。
凶刃がジェラルドの背に襲いかかる。
一瞬の静寂。
髭面のナイフは、握られたまま宙を漂っていた。
髭面の腹に俺の蹴りが突き刺さっている。
俺の頬に薄く細い、赤色の線が走り、血が流れた。
「傷付かせるわけには参りませんの。この方は私の、婚約者です」
「くっ......はっ」
髭面が地面に倒れた。
俺はジェラルドへ、顔を向ける。
ジェラルドもこっちを見ていた。
どちらからともなく、顔を近づけ、
キスをした。
騎士達が、黒ずくめ達が、町人達が見守るなか、俺達はキスをした。
☆
第一王子ジェラルド、その相手は俺、ユーナエル・イスティニート。
俺達は今日、結婚する。
俺の心に従ったんだ、後悔なんかしていない。
真っ黒なドレスを着て、ヴァージンロードの上を歩く。
ティナがいるのが目に入った。
なんでそんなに泣いてんだよ。
堪えきれず少し笑う。
その先にジェラルドがいる。
俺とあいつならこれから先ずっと、大切なものを守っていける。
そんな気がした。
俺、お姫様になります。