08話 闇夜の攻防の末に
私が死を覚悟した瞬間に現れたヴァイツは、私の知らない姿をして魔女の前に立ちふさがる。
闇夜の下でもその白い六枚の翼は神々しく光っているように私には見えた。
「ヴァイツ、その羽って」
「詳しい説明は後でするから、今は助かることだけ考えよう!」
「は、はいっ」
なんだか、私に家事や掃除の仕方を教えてくれるヴァイツを思い出させるその口ぶりに、私はこんな事態なのに口元が緩みそうだった。
「お前は、何者だ」
「――――!!」
それは、初めて聞く魔女の声だった。
その声はなんだか特殊な響きがあって、どうも喉から真っ当に発声しているものではなさそうだった。まるで何かの道具を通しているのか、あるいは魔法でも使っているのかもしれない。
二十歳を過ぎた女性の声だろうか。
年老いた女性の声には聞こえないけれど、その声は低く、機械染みていて感情がないように聞こえた。
けれど、どこか私の声と似ているような気がして不安になる。
もしかしたら、私のこの身体はあの魔女の親族だったり、はたまた娘だったりするのかもしれない。
「答えるとでも?」
ヴァイツはそう短く答える。
すると、魔女はそれ以上何かを言うこともなく、踵を返した。
そして宙にふわりと浮きあがって、遠ざかっていく。
「…………」
「…………」
私とヴァイツはそれを黙って見送る。
これでとりあえず助かったのかな。
魔女もどこかに行くみたいだし。
なんて安心していた時だった。
何か風を切るような音が聞こえたかと思った直後、とてつもない地響きが起きる。
地震でも起きたのかと錯覚するような衝撃に続いて突風が吹き荒れるというその一連の流れには覚えがあった。
「る、ルジィ?」
爆心地、とでも言った方がしっくりくるようなほどの衝撃の中心地は見事に陥没していて、その周辺の地面も割れていた。
砂煙が晴れると、その中心にはやっぱりルジィがいて、そのルジィの足元にはぴくりともしない魔女がいた。
「こいつをここで逃がすなんて選択肢はない、と思って追いかけて来たんだがどうも無駄だったみたいだな」
ルジィは言いながら足元の魔女を軽々と持ち上げてローブを取る。
「ひっ」
そこにいたのは――正確にはそこにあったのは男の死体だった。
見るからに血の気がない、ついさっき死んだというような姿ではなかった。
「ど、どういうこと……?」
「死体を操ってたってことだろうな」
ルジィはつまらなそうに言って、こちらを――ヴァイツを見る。
「青年、その羽は……聖遺物を取り込んだのか」
聖遺物。
ルジィはそう言った。
ヴァイツは特に動揺した様子もなく頷く。
「はい、おっしゃる通りです。流石四天のルジィ・フェルナンテ様ですね」
「おいおい、堅苦しい喋り方は勘弁してくれ。こっちまで窮屈になる」
ルジィは苦笑して言った。
「ですが……」
「呼び捨てが一番しっくりくるんだが……まあ俺のが年上っぽいからルジィさんでいいよ。それで妥協してくれ」
「は、はい。ルジィさん」
ヴァイツがたじたじなのはなんだか珍しい。
恐るべし四天様。
「よし、それじゃあ行くか」
「行くって、どこにですか?」
「そりゃあ隠れ家的なところさ。お前ら、というか特にそっちの魔女さん……いや魔女さんじゃないのか。名前はなんだ?」
「私の名前なら……」
一度説明したような気がしたけど、よくよく思い出したらその後死んじゃったからなかったことになってるんだった。
そんなことを思い出していると不意に視線を感じて、それが申し訳なさそうにしているヴァイツのものだと気づく。
「ん? なんだよ、名乗ると不都合でもあんのか」
「いえ、ありません! 私の名前はヴァルシュです! いい名前でしょう! よろしくお願いします!!」
バーンとそう宣言して、ヴァイツにウィンクを飛ばす。
「……いいの?」
「悪いことなんてないよ!」
私とヴァイツは顔を見合わせる。
自信満々に笑う私と、嬉しそうに微笑むヴァイツ。
なんだか、そんな小さなことが無性に嬉しかった。
「おいおい、仲良しなのはいいんだが早く移動するぞ。合流もしなくちゃならんし」
「移動? 合流?」
「ヴァルシュ、お前自分の立場を忘れちまったか?」
「あっ……」
なんだかひと段落して色々と解決したような気分だったけど、ロンダルはきっとまだ私たちを探している。
「合流ってのは、ミリナのことだ」
「ミリナちゃんはちゃんと無事だったんですか?」
「ああ、無事だよ。今はこっそり隠れてもらってるぜ」
「そうなんですか。でも一人じゃ危ないんじゃ……」
あの魔女に誘拐されてたミリナちゃんをその直後に放置するなんて、ちょっと不用心がすぎるんじゃないかなと思っちゃう。
「心配はごもっともだけど心配いらねえよ。不意打ちかけてくるような相手にはめっぽう強いんだよアイツは」
「……?」
「多分もう近くにいるんじゃねえか?」
そう言いながらルジィは後ろを振り返るとビクリと跳ねた。
「……随分近くにいたんだな?」
「えへへ。少し前からここにいました」
飾り気のない、優しい女の子の声だ。
「その、ミリナ、と言います」
ルジィの陰からひょっこりと姿を現して、ミリナちゃんはそう言った。
「えっと、その、ヴァルシュ、と言います。えっと、先日はどうもすみませんでした」
私自身が悪いことをした記憶は全くないけれど、なんだか居たたまれなくなって謝る。
それにしても、この子があの四天様たちを落とすミリナちゃんか。
一度、私がこの世界に来た時に会った……というよりは一方的に見たという方が正しいのだけど、その時ぶりだ。
あの時のミリナちゃんは気を失っていて、何があっても起きなかったからお話できなかった。
だけど、私がこの身体に入る前の私のことをミリナちゃんは知っているはずだ。
なんたって、この私がミリナちゃんを誘拐した犯人その人なのだから!!
「初めまして、ヴァルシュさん」
ミリナちゃんはにっこりと笑って挨拶をしてくれる。
「……? 初めまして?」
怖がられるのかなと思ったけれど、ミリナちゃんは穏やかな微笑みを浮かべている。
うーん、これは仏様ですよ。
なんだろう、こう、邪気がないっていうか。
純朴さの固まりをこねまわして人型にしたらこんな人なのかもしれない。
「仲良くしてくれるのはいいんだが、ロンダルもそこまで無能じゃねぇ。合流できたし早いとこ行くぞ。着いてこい」
ルジィは足元の死体を豪快に担いで早足で歩き出す。
「えっ、連れていくんですかその死体」
「何か分かるかもしれないからな」
ちらりと振り返ってルジィは返事をするとまた歩き出した。
私とヴァイツとミリナちゃんはその後を慌てて追いかける。
ルジィは早足で歩いてるだけだけど、私とミリナちゃんはちょっと小走りじゃないと追いつかないぐらいの速度だった。
「隠れ家? ってどこにあるんですか。 ずっと歩いて行くんですか」
「よく喋る奴だなお前……」
ルジィは呆れた声で振り返らずに返事をする。
「近くで部下に待機させてる。その馬車に乗ってちょっくら走ればすぐだ。分かったらキビキビ動け」
「は、はーい」
その会話を最後に、私たちはしばらく一緒に歩いた。
月は陰っているし街灯もない住宅街の細道は暗かったけれど、ルジィが先導してくれているおかげでそれほど困ることなくどんどんと道を進んで行く。
そして不意に、街灯が見える。
「あ、街灯があるところもあるんだ」
「ここから向こうは、それなりに裕福な人々の住む区域だからね」
私がぽつりと呟くとヴァイツが答える。
なるほど、裕福な人々が多く住む区域の方がしっかりと整備されているわけだ。
少し広い通りを一本挟んだだけで、なんだか随分と華やかに見える。
むっとしたくなる気もするけど、仕方なのないことだとも思う。
「あそこにいるのが俺の部下の馬車だ。乗りこむぞ」
ルジィはその広い通りに停められている馬車を指差して、ずんずんと歩み寄る。
その馬車はいかにも高級そうな黒い馬車で、荷台はおしゃれな箱のようになっていて扉がついているだけで中は見えない。
御者さんは白い髭をたくわえた白髪の老人で、運転席でぐーすかと寝ていた。
おいおい……なんて思っているのもつかの間で、ルジィが近づいていくとバッと飛び起きてルジィに敬礼をした。
「ご苦労。今すぐ移動する頼むぞ」
「ハッ、了解しました」
老人だと思っていたその人の声は若々しく、よく見ると変装であるようだった。
寝てたように見えたのも演技だったんだろうな。
ルジィの部下だってバレないようにしてるのかな。
大変なお仕事だなー……
「おら、さっさと乗りこめ」
「はい」
「うん」
「失礼します」
ルジィに急かされるままに、ミリナちゃん、私、ヴァイツの順で乗り込む。
「出してくれ」
「ハッ」
そんな会話を最後にしてから、ルジィが乗って扉を閉める。
箱の中身は思ったよりもゆったりとしていて、座席が向かい合うように設置されている。
私とミリナちゃんが向かい合って、私の隣にヴァイツ、ミリナちゃんの隣にルジィが座っている。
「隠れ家ってどんなところなんですか?」
「お前ほんとよく喋るな……」
どうもお喋りな女はルジィ様のお気に召さないらしい。
その点ミリナちゃんはヒロインの風格ですよ。
「まぁいいんだけどな。今から俺たちが行く隠れ家ってのはブラウが今住んでるお屋敷だ」
「ブラウ……?」
誰だっけ、と思ってヴァイツの方を見るとたいそう驚いている様子だった。
「四天のブラウ・フルリカンド様のお屋敷、ですか?」
「ああ、そうだよ」
「隠れ家、なのでは……?」
「こそこそ隠れるよりもドーンとしたところにドーンと入った方が探しづらいってもんだろ」
「な、なるほど……?」
ヴァイツは真剣に唸って考えているようだった。
ルジィは不意に真剣な表情になって、私とヴァイツを見て言った。
「そこで色々聞かせてもらうからな」
「……ひゃ、ひゃい」
「もちろんです」
私はビビって変な声出しちゃったけど、ヴァイツは立派だね!!
――そんなこんなで、闇夜の攻防の末に、私たちは四天の《月下の蒼光》の屋敷に出向くことになるのだった。