03話 こんな美青年がモブな訳がない!
――――――――――――――――――――――――
拝啓
わたくしの控えめなサイズのお脳みそが春めいたお天気で一層春めいてまいりました今日この頃ですがいかがお過ごしでしょうか。
わたくしの方はといいますと、気づいたら魔女になっていて殺されそうなので命からがら窓から隣の建物の屋根にダイブしたあとにすっ転んでベランダに落っこちて運命を出会いを果たしましたの。
春ですわ。
ところでわたくしの目の前でラブリーにはにかんでいる白銀の髪の美青年のことをご存知でしょうか。
こちらの美青年さんはパッケージにはいらっしゃいませんでしたの。
けれどもわたくしの勘が申し上げているのです。
「こんな美青年がモブな訳がない!」と
かしこ
――――――――――――――――――――――――
「あの……大丈夫ですか……?」
「あっ、大丈夫れふ」
ラブリーな微笑のおかげで妄想がフル回転して鼻血が噴出しちゃいそうだけど大丈夫だよ!
いきなりベランダに落っこちてきて部屋にまで転がり込んできた怪しい女の心配をするなんて、悪い人に騙されたりしちゃいそうで逆に心配です。
「その、僕はヴァイツと言います。ここで医者や薬剤師の真似事のようなことをしています」
白銀の癖っ毛がラブリーで困った風にはにかむその笑顔に私の心が高鳴ってしまうその美青年の名前はどうやらヴァイツというそうです。
ヴァイツきゅん……
多分十代だと思うんだけど、落ち着いた物腰で優しい口調で、たまらないよねぇ……
なんて蕩けてる場合か!
医者や薬剤師と聞いて部屋の中を見渡してみると、色んな草を栽培してるみたいで、植物園のようなありさまになっていた。
少し遠くをみれば、それらしい器具もある。
ああいう手術道具とかって、中世っぽい世界観でもあるものなのかな。
流石に電子機器はないみたいだけど。
「あなたのお名前を聞かせてもらえませんか?」
「私の、名前?」
名前はどう答えたらいいんだろうかな。
この魔女の名前なんて知らないし、偽名名乗ろうにも何も思いつかないし。
だからといって私の本名を名乗っても……
本名。
私の本名。
……あれ、私の名前ってなんだっけ?
「あの、もしかして思い出せない、のですか?」
「え、ええ。そ、そうみたいです」
ヴァイツきゅんの想像とは全然違う感じに思い出せないんだけど言っても絶対に伝わらない。
それにしてもなんでなんだろう。
ゲームの中に入ったせいで忘れてるのかな。
お父さんとお母さんがいたことも覚えているのに、お父さんお母さんの名前も思い出せない。顔すら分からない。
そもそもゲームの中に入るだなんて訳の分からないことが起きているんだから、何があっても不思議はないんだけども。
「どんなことなら思い出せますか? ご両親の顔や、ご自宅は分かりますか?」
「……分かりません」
少なくとも、この世界の、今の私の身体であるこの魔女さんについては何も知らないというのは本当のことだ。
乗り移ったんだったら、その人の記憶ぐらいくれてもいいと思うんだけどな。
「そう、ですか」
ヴァイツきゅんが私のことをどこまで信じてくれてるのか分からないけど、あんまり迷惑掛けるわけにもいかない。
きっと彼はいい人だけど、きっと私は悪い魔女だから。
名残惜しいけど、早めにここを出て行かないと。
「あの、ご迷惑お掛けしました。すぐに出て行きますので」
私がそう言うとヴァイツきゅんはきょとんとした顔になった。
「出て行くって、どこに行くんですか? ご自宅の場所は分からないんですよね?」
「それはそうですけど、ここにいても迷惑だと思いますし」
「そんなことないですよ」
そう言ってヴァイツきゅんはにっこりと笑う。
「記憶が戻るまでの間はここにいてください」
「そんなご迷惑じゃ」
「気にしないでください。その、追われているんですよね?」
「ひゃいっ!?」
追われていることまで知っていて、私にここにいろと言っているの!?
いい人かよ惚れちゃうよ……
「その、ものすごい騒ぎだったので。この辺りはいつも静かですから……」
「あ、あはは。お騒がせしました……」
「いえいえ。それで、いったい何をしてしまったのですか……?」
ヴァイツきゅんは恐る恐るそう尋ねる。
うんうん、そりゃあこんな派手に追い回されてる人を目の前にしたらそうなるのが普通だよ!!
「その、誘拐、していたみたいで……」
「みたいで、というのは……? もしかしてそれについても記憶がないのですか?」
「信じてもらえるとは思いませんが、記憶がありません……」
万引きの現場を見つかって「知らないもん!記憶にないもん!」ってしらばっくれる頭の悪い犯罪者みたいなことしかいえない自分がとっても恥ずかしい。
「それは大変ですね……」
「え」
「記憶もないままに追いかけまわされたらパニックになってしまうのも仕方ないと思います」
ヴァイツきゅんと喋ってるとなんだかあやされてる小さな子供みたいな気分になってくる。
「ただ……一つ、お約束して頂きたいことがあります」
「な、なんでしょうか」
ヴァイツきゅんが真剣な表情でこちらをきっと見つめてくると、ドキッとして背筋が伸びて緊張しちゃう。
「もしも……記憶が戻って、あなたが本当に悪いことをしていた時には、素直に自首をする。そう誓ってください」
……むむ?
ヴァイツきゅんが何だか不思議なことを言いだした。
「えっと、それならすぐにでも私に自首を勧めて追い出せばいいのでは?」
「でも記憶がないんですよね?」
「そ、そうですけど状況的にはそうとしか言えない感じでしたし、兵士たちがあんなに追いかけて来てたんですよ? 怪しくありません? 十中八九犯罪者ですよ?」
自分のことなのに言っていて悲しくなってくるほどに怪しい人物だった。
「そうですね、怪しいと思います。詳しいことは分かりませんけれど」
否定することなく、ヴァイツきゅんはさらりと言った。
「だ、だったらどうして!」
「僕、こう見えても人を見る目には自信があるんですよ? 喋ったこともない兵士さんたちが追いかけていたという事実よりも、今目の前で話しているあなたを僕は信じています」
不敵に笑っていたヴァイツきゅんはそこで一度言葉を止めて、優しく微笑む。
「それに、こんなに苦しんでる人を放ってはおけないですよ」
その言葉が胸の奥にすとんと落ちた時、不意に頬を熱いものがつたった。
それが涙だと気づいた時には嗚咽を漏らしていた。
「ひくっ、あ、ありがとうっ、ございまひゅっ」
「いいんですよ」
ヴァイツきゅんはそう言いながらひっくひっく言ってる私の背中を優しく撫でてくれる。
「怖かったんですよね。苦しかったんですよね」
「もう何が何だか分からなくって……!」
息つく暇も、泣いてる余裕も、悩む時間もなかった。
死にたくなかったら行動を起こすしかなかった。
ぼーっとしてても、命乞いをしても、隠れても殺される。
今も自分の命の保証なんてどこにもないし、誰かに助けを求めることもできない。
そう思ってたのに、ヴァイツきゅんはこんなに優しくて。
私はここにきてようやく色んなことを悟り始めていた。
私の知っている現実とは全く別のところに来てしまったこと。
戻れる保証なんてどこにもないこと。
私の身体はもう私の知っている身体ではないこと。
死に戻りなんていう嬉しくもなんともない能力が自分にあること。
斬られたあの痛みも、兵士たちの殺意も、決して偽物なんかではないということ。
多くの人が敵であるということ。
――そして、こんな自分にも優しくしてくれる人がいるということ。
今まで続いていた緊張が解けて、ほっとしてしまったのか、あるいは現実を受け入れて絶望したのか分からないけれど、とにかく私は泣いた。
しばらくの間、兵士たちは外を慌ただしく駆け回っているようだった。
けれども、ヴァイツきゅんの部屋に訪れることもなく、陽が沈む頃にはどこかへ去っていった。
「落ち着きました? これ、自室で栽培してる薬草とか香草を調合したお茶です。熱いからゆっくり飲んでくださいね」
いつの間にか毛布を肩から掛けられていた私に、ヴァイツきゅんはなんだかいい香りのする飲み物を持ってきた。
「あ、ありがとうございます」
強い香りではないけど、なんだかうっすらと甘くて落ち着く優しい香りだった。
ふーふーしながらゆっくりと飲むと身体がぽかぽかしてきた。
「……美味しいです」
「それはよかった! ところで、相談があるんですが」
「は、はい。なんでしょうか」
「その、今後のことも考えると仮にでもいいから名前があった方がいいかなと思うんです」
「仮の名前、ですか」
たしかに今後も名無しでいきていくのは辛いし、仮でも何でもいいから名前はあった方がいいかもしれない。
「何か思いつくのはありますか?」
「……ないです」
この世界における一般的な名前が分からなかったし、実際特に思いつくものもなかった。
「それじゃあ、その、僕がつけてもいいかな。名前」
ヴァイツきゅんはおずおずと言い出した。
「も、もちろんです! お願いします!」
むしろ願ってもないことだよね!
「えっと、それなら……あなたの名前は『ヴァルシュ』。だから、これからはヴァルって呼んでもいいかな?」
「は、はい! もちろんです! ……ヴァルシュ、か。これが今日から私の名前になるんだ」
しっくりきたわけでも、いい名前だと思ったわけでもない。
でも、ヴァイツきゅんに名前をつけても貰えたのがなんだかもう嬉しくて、内側から湧き出るような喜びで思わず顔がニヤけてしまう。
「それと……僕のことはヴァイツって呼び捨てにしてくれると嬉しいかな。これからは敬語も無しにしよう。それでいいかな?」
「は、はい! ……じゃなくて。うん! ありがとう、ヴァイツ!」
「どういたしまして」
そうして微笑むヴァイツきゅん――ではなくヴァイツに、私はもう感謝してもしきれないくらいにお礼を言いたかった。