060 ― 理の子 ―
どんどんポイポイッ
コツコツと靴音を鳴らしながら女の子は遥に近づいてくる。そして、彼女は遥を見上げて小首を傾げる。
「…貴殿が…“エクスカリバー”の担い手?」
「え…あ、うん。恐らく?」
「…わかった」
澄みきった瞳に見つめられ、つい疑問系になってしまう遥。返事を聞いて、小さく頷いた彼女は左手をかざす。
その左手が向いている方向には無惨な状態の“ぬいぐるみ”が転がっていた。
「あ…。ごめんなさい…うさぎちゃんが…」
「…大丈夫。彼は貴殿の厄を肩代わりしただけ」
「…や、やく?」
遥は表情に疑問符を浮かべる。しかし、彼女はその答えを述べることはなく、無言で光輝いた手をかざす。すると、向けられた“ぬいぐるみ”はそれに答えるように光だして宙へ浮く。呆気にとられている間にそれは彼女のもとへと舞い戻っていた。
女の子は胸の前で浮かんでいる“ぬいぐるみ”に対して、ふっと短く息を吹き掛ける。すると、驚くべきことが起こった。
突然光が収束したかと思うと───
ポンッ!
と、軽快な音を鳴らして煙が立つ。その中から傷が完治した。新品同様の“黒兎”が飛び出てきたのである。
「う、うさぎちゃんっ!!」
「…ツキミ。戦闘態勢展開」
淡々とした口調で彼女は呪文のような言葉を呟く。その直後、爆風が巻き起こった。
───ドンッッッ
「うひゃっ!!??」
突然の衝撃に遥は悲鳴を上げる。それは言わずもがな、魔族からの攻撃だった。
盛大な音がしたのにも関わらず、一向に衝撃が来ない。不思議に思った遥はそちらを見る。
そこには大人よりも大きな影があった。
「え…うさぎちゃんっ!? でっかっ!?!?」
それは大きくなった“黒兎”。それが壁となって魔族の攻撃を防いでくれたようだった。
「また会えたわねぇ、支配者」
浮遊する魔族。彼女は獲物を見つけた獣のような眼差しを向け、こちらを見下ろしてくる。
「…支配者、じゃない。マキナはただの“案内役”」
それを真っ向から受け止めて彼女は否定する。
「案内役ねぇ。白々しい…。貴女のような奴がいるから、この世界は歪んでいるんでしょ」
「…? …“歪み”は世界の“虫”のようなもの。これはマキナがいてもいなくても存在する」
「ふん、分かったような口を…。まあ、貴女を殺すことには変わりないわ」
魔族はそう言って会話を打ち切り、こちらへと手を翳す。こちらが届かない上空から攻撃を浴びせかける気のようだ。
「…ツキミ」
女の子はそう呟く。すると、“黒兎”が飛び出す。不格好な容姿で巨大化した“ぬいぐるみ”とは思えない俊敏な動き。
どこにそんなパワーがあったのか、一瞬にして浮遊していた魔族と同じ高度まで飛び上がる。
「ちっ。さっきから邪魔なのよ。この人形風情がっ!」
「(!!)」
彼女は魔法を中断し、接近してきた黒兎へと爪を向ける。
黒兎はその勢いを利用して振り上げた拳を突き出すが、空中で分があるのは彼女だ。
翼を羽ばたかせ身を捻ることでそれを軽々と躱してみせる。そして、自慢の爪で黒兎を切り裂いた。
しかし、その結果に驚いたのは魔族の方だった。
横一線に切り裂いた爪は目に見えない何かに阻まれる。
それによって攻撃の威力は失われ、黒兎自身には全くというほど届いていなかった。
魔族と黒兎の一瞬の交錯。その次の瞬間。
パン!!パン!!パン!!
「───っ!?」
盛大な音を響かせて、周りの水晶柱が砕ける。そしてその破片は意思をもったかのように空中を舞い、彼女を容赦なく襲った。
それはまるで水晶の豪雨。光を照り返してキラキラと輝くそれは、空を彩る星々を連想させる…がその実、彼女を殺傷できる狂暴性を持っている鋭利な刃だ。
そして、容赦のない欠片の嵐は音もなく彼女を飲み込んでしまった。
遥はその圧倒的な光景に何も言えず、見ていることしかできなかった。
「…や、やったの…?」
「…ううん。…まだ生体反応ある」
遥の問いに女の子は澄んだ声で答える。
その言葉がトリガーだったかのように、欠片の嵐は内側から大爆発を起こす。
「…やってくれるじゃないの。ねぇ、この…殺人人形っ」
内側から破壊され、ポロポロと崩れていく水晶の欠片。その中から一つの影が現れる。彼女は爛々と狂気じみた瞳を光らせ、そう言った。
しかし、彼女の見てくれはボロボロ。かなりのダメージを受けたようで、あの副団長の攻撃を真っ向から受けて無傷だった彼女の身体はもはや傷だらけで満身創痍。浮かんでいるのもやっとのようだった。
「…殺人人形じゃない。案内役。───ここはマキナの“聖域”。…貴殿が勝てる見込みない。諦めて」
「はぁ…? 諦めるですって? 笑わせないで…。───貴女のような支配者がいるから、我ら魔族は自由に生きられない! 何者にも囚われないのが我ら魔族の生き様! なのに貴様らが、我らを閉じ込めた!!」
常に冷たく、冷静だった彼女は突如、声を荒げて怒号を発する。
(閉じ込めた…?)
遥は彼女の言葉に引っ掛かりを覚える。が、それ以上のことは分からない。彼女たち“魔族”が、戦う理由…。それを今の今まで考えたこともなかった。彼女の叫びでそれを気づかされる。
(わたしたちは…言われるがまま進んできたけど…。彼女らが戦う理由なんて一言も聞かされてなかったね…。人間側も分からないのかも知れないけど…。彼女を見る限り、なにかしらの理由があるみたい…)
冷静さをかいた彼女は右手から魔法を発射する。しかし、そんな中途半端な攻撃が当たるわけがなかった。
それは瞬時に駆け寄ってきた黒兎が盾となり攻撃を防ぐ。黒兎は無傷。女の子も遥も喰らうことすらなかった。
「───ちぃっ!!」
彼女は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。もはや、勝敗は決していた。
「…まだ。…やる?」
女の子の澄んだ瞳が彼女を貫く。
「…ふ。ふふ…。ふふふふふ…。ああ、そういうこと…。ワタシじゃ殺せない…のね。なら───」
魔族は不気味な笑い声を漏らし顔を俯かせる。その表情は窺えない。
観念したのか…。そう遥は思った。しかし、それは甘い考えだとすぐに思い知らされる。
彼女は突然、右手に何かを出現させる。それは黒い石だった。
「覚えているかしら支配者。“降りかかる全ての災厄”。この地に眠っている招かれざる者を呼び覚ますわ」
「───!!」
女の子の目付きが変わる。それには少しの動揺が見てとれた。
魔族はその黒い石をそのまま砕いてしまう。途端にそこから黒い煙が発生し、地面の中へ吸い込まれていく。一瞬の出来事だったが、それは禍々しく、遥はそれを一目見てだけで胸がざわめく感覚を覚えた。
「なにが起きるの…?」
遥がそう呟いた。その答えはそのすぐ後に訪れた。
ゆら…
世界が揺れた。次いで、脳を揺さぶるほどの振動。
「…ツキミ」
女の子が呟いた。それに答えるように飛び出した黒兎は魔族に接近し、拳を突き出す。が───
「…逃げ足、早い」
魔族は霞のごとくその場から姿を消した。足元に魔力の残滓が視認できる。彼女は災厄を呼び覚ましてさっさと己は逃げ去ってしまったようだ。
それを悟った女の子は興味をなくしたようにクルッと身体を反転させ、靴音を鳴らしながら遥の元へと戻っていく。
「…あ、あの……」
「…一先ず、脅威は去った。これから担い手たる貴殿に“加護”を預ける」
「へ…?」
聞き慣れぬ言葉に遥は首を傾げる。
「…ツキミ、保存領域展開」
そう言うや否や、黒兎は元の姿に戻って彼女の前に跳ねてくる。すると、パカッと口を開けた。
そこから女の子は何かを取り出す。それは長く平べったい棒状のもの。
少し重そうにしながらも、彼女はそれを抱えてこちらを向く。
大事そうに抱き寄せるように持たれたそれを彼女は遥へ差し出す。
それは不思議な雰囲気を放つ白い鋼。シンプルながらも上品で落ち着いたデザイン。
「…これは……」
「“神域の加護”=“アヴァロン・グラス”」
「??」
「…本来、剣と鞘は一蓮托生。剣が存在するならそれを納める鞘も存在するはず。これはその聖剣の鞘」
「───!!」
遥は目を見開く。
確かにティアラ姫から受け取った“聖剣”には“鞘”というものがなく、さすがに不便だということで、彼女からは作っておく、という話になっていた。が、まさかここでこの女の子がそれを持ち出してくるとは思いもしなかった。
「…これが聖剣の鞘…なの? なんで貴女が…」
「…これには、装備した者を治癒し守護する力がある。だけど、聖剣と違って使い手を選ばない。だから、マキナが持っていた」
女の子は遥の瞳を見据え、淡々とそう口にする。
そういえば…と、遥は騎士団長のジュリアから聞かされた話を思い出す。
それはもともと専用の鞘があった…ということ。
(…それを彼女が持っていた…。それを守るために…?)
「…貴女は…一体…?」
「…それは後でいい。先にこれを受け取って。話はそれから」
彼女は有無もいわさず遥を促す。
遥はごくり…と唾を飲み込むと、手を鞘に近づけた。そして、触れる。感じる鉄の冷たい感触…それが、瞬く間に変化した。
「う…っ?」
一瞬目の前が眩しく光輝く。
遥が触れた剣鞘はその一瞬で変化を終えていた。
白色だったそれは蒼色に、ただの直線だった形が少し細くなり曲線を描いている。
それはまさしく遥が持つ聖剣と似通った姿。
(…あれ…身体の痛みが…消えていく?)
遥は不思議な感覚に囚われる。触れた手から流れてくる何かが身体の傷を片っ端から治していくのだ。
少しむず痒いが…いやな感覚じゃない。暖かく優しい感覚。それに遥はどこか懐かしさを覚える。
それに浸っていると、いつの間にか怪我は完治していた。
「え…? あれ…痛くない…」
遥の声には今だ戸惑いの色が濃い。身体中を確認するように見回すが…うむ、なんともない。
驚異的な早さだった。
遥は気になっていた手のひらを見てみる。そこには最早火傷の跡はなく、傷もない綺麗な手のひらがそこにはあった。
「これ…」
「…“聖剣”。本来、人が使えるものじゃない。“加護”がない生身で使えば強力過ぎるその力で使い手の身体を傷つけてしまうのは必至」
「え…わたしが頼りないからじゃ」
「…違う」
「じゃ、使い方を間違って…」
「…それも違う」
「じゃ、じゃあ。聖剣に認められていない…とか?」
彼女はふるふると首を振った。
「そ…そっかぁ」
遥ははぁ~、と長い息をつく。彼女の話で少し肩の荷が降りた気がした。
「───…マキナ」
「え?」
「自身の個別名称。“マキナ=デュクス・フィーリア”」
「個別…? あ、貴女の名前ってことね。えっと…でゅ、でゅくす?」
「…マキナでいい」
「う…。ごめんなさい。外国の名前になれてなくて…」
「…気にしてない。そして、こっちがツキミ」
と、マキナは視線を変えて言う。そこにはぴょんぴょんと跳ねる黒兎の姿があった。
「ツキミちゃんって言うんだね。さっきは守ってくれてありがとう! 可愛い名前だね──あいたっ!?」
何故か足の脛を叩かれた。そこまで痛くはなかったが…その不意打ちにかなり驚いた表情を浮かべる。
「え?え? なんで叩くのツキミちゃんっ?」
「(ポカポカッ)」
何故か怒った様子で再度叩いてくる黒兎。原因が分からずあたふたしていると…マキナがポツリと呟く。
「…ツキミは男の子」
「…え? 男の子っ!? あっ、そういう事っ!? ちゃん付けが嫌だったのっ!?」
「(ぶすー)」
なにやら不満そうなぶすっとした雰囲気を醸し出しながら黒兎は大仰に頷いている。
「えっと…。分からずごめんね。ツキミ…くん?」
「(ふんすっ)」
凄く納得した雰囲気で頷かれた。
「あ、わたしも自己紹介しなきゃだね。わたしの名前は美凪遥。あっと…ここでは遥、美凪の方が自然なのかな」
「ハルカが名前?」
「うんっ。よろしくね、マキナちゃんっ」
「…うん。これからよろしく。ハルカ」
お互いに挨拶を交わす二人。微笑む遥に対して、表情が動かないマキナだったが、遥は互いに自己紹介を交わしたことで少しだけ距離が近くなった気がした。
そんな和やかな雰囲気に水を差したものがあった。
ズンッ
と、のし掛かるように空間が揺れる。
パラパラと天井から破片が落ち、砂ぼこりが舞う。
「わわっ。これって…外から…? 皆は…無事…なのかな…」
「…行こう。仲間を助けられるのは貴殿たちしかいない」
「え…? どういう…こと?」
遥をその澄みきった瞳が見据える。
「…降りかかる全ての災厄───“降魔”。先代の勇者が討ち切れなかった相手。それを貴殿の手で、討って」
その向けられた赤い瞳には、驚いたように目を見張る遥が映っていた。