059 ― 己を信じよ ―
遥視点です。
光が水晶の中で反射し、現実感のない幻想的な景色を作り出している。
その中の水晶の桟橋の上、二つの人影が向かい合う形で睨み合っていた。
「また会ったわねぇ。勇者ちゃん」
「なんで…貴女がここに…」
「なんでねぇ…。貴女が連れてきてくれてくれたんじゃない。地下に潜んでいるだろうと思ってはいたけど、まさかこんな大胆に隠れているなんてねぇ」
「なっ。…わたしをつけて?」
遥は驚いてそう聞き返す。
ここまで来るための厳しい道のりは恐らく外敵から身を守るもの。それを乗り越えるのが精一杯でつけられていることすら遥は気が付かなかった。
自分が敵を呼び込んでしまったことに歯噛みしながら遥は魔族を睨み付ける。
特徴的な嗜虐的な笑み。彼女は昨日と同じようにその笑みをこちらへ向けてきた。
圧倒的な強者の存在感を放ち、目の前で立ちはだかる彼女は昨日よりも幾ばくか機嫌が良いように感じられた。
「支配者。その居場所まで連れてきてくれてありがとう可愛らしい勇者ちゃん」
「ドミネーター…」
その言葉にチラッと柱の女の子を見る遥。彼女が狙っているのは恐らくこの女の子だ。“ドミネーター”と彼女が呼ぶその女の子は何も反応を見せず、静かに柱の中で眠り続けている。
(もし…ここでわたしが逃げたら…)
もし彼女の狙いがこの女の子ならこの子を囮にして逃げることが可能かもしれない。
(なに考えてるのっ! そんなことは絶対ダメッッ!!)
恐怖感からかそんな後ろ向きなことを考えてしまう遥。しかし、その考えを一瞬にして振り払った。そして、自分自身を叱咤する。
(今のわたしじゃ彼女には勝てない。だけどっ。ここで逃げたら、何も変えられないっ)
彼女は恐怖を気持ちで押さえ付け、聖剣を構える。
正眼の構え。切っ先は魔族に真っ直ぐに向かう。聖剣はやる気十分なほど熱を持っている。
それを見留めた魔族は笑みを深めて舌舐り。鋭利な尻尾が遥に向く。
「邪魔するのね勇者ちゃん。わたしの強さは昨日見せた筈だけど…?」
「分かってるよ。だけど、ここから先には行かせない。だってわたしは───“勇者”なんだもの」
精一杯の強がり。しかし、その瞳には人一倍の闘志が宿っていた。
「身体能力強化!」
遥の魔力が身体を強化する。魔力が活性化されたことで瞳にうっすらと光が宿る。
「はぁっ!!!」
振り上げて一閃。先制攻撃。
恐らく動くスピードは魔族の方が速い。だから動く前に攻撃する。
単純で浅はかな考えだ。しかし、今の力量の遥にはこれぐらいしか術がなかった。
聖剣から伸びた青い剣先は桟橋に通り抜けた爪痕を残し、彼女へと襲いかかる。
────ザシュッ
肉が切れた音。
飛び散る赤い鮮血。
(えっ…当たった…?)
困惑したのは遥の方だった。
昨日の戦いから彼女との力量の差は明白だった。遥がどんなにもがいても到底辿り着けない領域に彼女はいる。それは分かっていた。だからこそ、全力で振り切った斬擊だったのだが…心のどこかで弾かれるだろうと思っていた。
「ふふ…」
左肩から脇腹まで、一直線に傷痕が出来た彼女が笑う。
血が滴り落ち、透明な道が鮮血に染まる。
「久々に───痛かったぁ♪︎」
「───っ!?」
ゾワッと身の毛がよだつ。
見開く金の瞳。狂気を孕んだ笑みを浮かべ、楽しそうに嗤う彼女。それを見た遥はごくりと生唾を飲み込む。
(…当たったのは…わざとだ。わざと当たったんだ…)
狂喜が形を成して立っているかのように感じる。この魔族は戦いも、自身が受ける傷すら“楽しい”と感じている。そう遥は悟った。
「狂ってる…」
「ふふ…。そうかしら。まあ、分かって貰おうなんて思ってないわよ。じゃあ───次はこちらの番ね」
文字通り瞬いた刹那。
「え…」
「遅いわよ?」
彼女が目の前に来ていた。
突き出された魔族の右腕が、遥の首を捉える。そして、後ろへ突き飛ばされ、柱に叩きつけられた。
「───くぁ…っっ!?」
強制的に肺から空気が押し出される。全身に駆け回る衝撃で目の前が明滅する。
魔力で強化した身体でさえも、その叩きつけられた衝撃は吸収できず、だらんと力が抜け脱力する。
「おねんねはしちゃダメよ?」
首を捉えられ、柱に押し付けられる遥。倒れることも許されない。
「頼りないわねぇ。ここから先には行かせないんじゃなかったの?」
「──っ!」
彼女の逆撫でるような煽り文句。それに反応する遥。しかし───
(苦し…っ)
身体が悲鳴を上げている。
息が吸えない。身体も衝撃から癒えてない。力が出ず、押し返すことも出来ない。
「もうギブアップ? なら、手始めに貴女のここに…同じ傷をつけてやろうかしら。ねぇ?」
彼女はその鋭利な爪で彼女の身体を撫でる。それは遥が彼女に付けた傷と同じ場所。
(だ、め…。このまま…じゃ…)
霞む視界。ここで意識が落ちれば二度と目を覚まさないだろう。
その時、視界の端から飛び出す影があった。それは、“黒兎”。
「───っ!?」
黒兎は彼女の顔面に飛び付き、精一杯の力でへばりつく。
「なによこいつっ!! 離れなさい!!!」
女性は咄嗟のことで動揺し、遥から腕を離す。やっとのことで解放された遥は苦しそうに喘ぐ。
「ごほっ…ごほっ…っ。…う、うさぎちゃんっ」
九死に一生を得た遥は助けてくれた恩人(?)の名を呼ぶ。
しかし、黒兎は魔族の力に及ばず剥ぎ取られ、投げ捨てられる。そして…
「死になさい」
「(!?!?)」
凍えそうなほど冷たい声。腕に付いた鉤爪で宙を舞っていた黒兎は無惨にも切り刻まれた。
「────うさぎちゃぁんっっ!!!!!!」
遥は悲鳴を上げる。
力なく落っこちた“ぬいぐるみ”に急いではいよって、抱き上げる。
それは無惨なものだった。可愛らしかった顔も、ちょこまかと動き回っていた身体も、治せない程の大きな傷跡。中から綿が飛び出し、見るに耐えない姿だった。
「うさぎちゃん! うさぎちゃんっ!!」
何度も呼ぶが反応はなし。生き物でもない“ぬいぐるみ”に当てはまるかどうかは分からないが…息絶えてしまった。と、そう遥は思った。
「ふん…。妙なものがいたものね。興が冷めたわ」
魔族の女性は、ぬいぐるみを抱き抱えたままうずくまる遥を一瞥すると、興味がなくなったかのように目を逸らす。そして、自身の目的のために一歩を踏み出した。
「ただの小娘ごときが調子に乗るからこうなるのよ。これ以上邪魔するなら貴女も殺すから。そこで黙って見てるのね」
こちらを見ずに彼女は言う。俯く遥はそれを黙って聞いていた。
(結局…こうなるんだね…)
膝をつき、兎を抱き抱え、それに目を落とす遥。
(勇者って…こんなに…辛いんだ)
フィクションの中で見る勇者は努力を積み重ね、試練を乗り越え、強大な敵に立ち向かっていく。それにはいろいろな葛藤もあれば、楽しいことも、嬉しいことも、当然、辛いことだってある。だけどそれは自分たちが見ているものだからこそ共感して楽しめるものだ。
「貴方はなんで…わたしをここに連れてきたの?」
その言葉に返事はない。
「あの女の子は貴方の大切な人なの?」
この兎は何故か自身をこの場に連れてきた。恐らくはあの女の子を助けてほしいからだろう。
(大切な人…か…)
脳裏に焼き付く記憶。それが胸を締め付け、遥は我慢するように歯を食い縛る。
(わたしはなにをすればいいの───)
勝てないことは分かっている。だからって、諦めることはできないし、したくない。
遥は思い出す。ここに初めて辿り着いた時のことを。
(確か…うさぎちゃんがジェスチャーしてて…)
「綱引き?」と、聞くと兎は首を振った。
(もしかして、引くことじゃない…?)
手を引く動作からそれが本命かと思っていたが、兎は何度も同じ動作を繰り返していた。それは手を伸ばして戻す動作。
(なにかを持って…なにかを伸ばす…? いや、違う。突き出すんだ。なにかを両手に持って突き出す。なにを…?)
遥があの時持っていたもの、それは一つしかない。
『聖剣を柱に突き刺せ』
“黒兎”はそう言っていたのだ。
(ここで待ってて…うさぎちゃん)
遥は息を整え、肺一杯に空気を吸う。そして…
「────待ちなさい!!!!」
大声を上げる。それに反応する魔族。
「まだやる気?」
遥は転がっていた聖剣を持ち、握り直す。
「うん。まだ、負けてないから」
ここで立っていられるのはそこに横たわっている黒兎のお陰だ。
(機会は一度だけ。それが失敗したらわたしは殺される)
彼女は恐らく殺すことになんの躊躇いもない。“邪魔をすれば殺す”という言葉は冗談ではないだろう。
魔族の女性との距離は約四メートル強。その後ろに女の子が眠る柱がある。
今の状況を改めて目で追った遥は切っ先を魔族へ向け、頭上で腕をクロスして持つ。左足を前へ出し、身体を半身にとる。
“霞の構え”。遥の兄…彼方がよく使っていた構えだ。
(ただカッコいいから使っていただけらしいんだけど…)
そんな中二病気質がある兄。それはもうこの世を去った遥の大切な人。
(大丈夫…。わたしならやれる。力を貸して…お兄ちゃん!)
遥は目を魔族へ向ける。その雰囲気は先程とは明らかに違っていた。
それに気が付いたらしい魔族は表情の消えた顔に笑みを浮かべると口を開く。
「いいわよ。そこまで殺されたいなら…───殺してあげる!」
言葉の最終部、言い切ったのと同時に彼女は足を踏み込む。
(───瞬きするな!! 前を見ろ!!)
遥は目に力を入れる。鋭くなった眼光に光が灯る。
遥は無意識に瞳に魔力を集めていた。その魔力は視力を強化し、見えないものまでを鮮明に映す。
通常の視界では速度が速すぎて、まるで消えたように見えた魔族の女性。それが目の前に迫っていた───突き出すは彼女の左手。狙うは自身の心臓の位置。一瞬でも遅れれば、その鋭利な爪は心臓を抉り出すだろう。
(───動けぇっっ!!!!)
身体中の魔力が瞬時に反応する。それにより身体の動きが一瞬だけ…魔族の速度に追い付く。
踏み出した左足に力を入れ、右足を抜く。支えを失った身体は、それで自然と後方へと傾く、それと同時に遥は身体を全力で仰け反らせた。その結果。
スカッ
彼女の爪は空気を切った。
「───!!」
それに動揺を見せる魔族。
その瞬間、その目に目掛けて遥は聖剣を突き出した。
───シュッ
鮮血が飛び散る。頬から滴る赤い血。それは彼女の頬を切ったことを表していた。
瞬時に姿を消す彼女。いや、後方へ素早く飛んだ魔族。
「聖剣! わたしに力を貸してっ!!!!」
自身の後ろへ刃を戻す。青い光が宿った聖剣。それを遥は振るう。
「はぁ!!!!」
覇気の籠った掛け声と共に、その目で捉えた魔族へと剣圧を飛ばす。
「そんなもの! 喰らうわけないでしょう!」
やはりというべきか。魔族はその青い剣圧を尻尾で弾く。
(っ!? もしかして尻尾で防御してるの!)
やっと遥は彼女に魔法が一切届かなかった理由を理解した。しかし、ここで諦めるわけにはいかない。
「なら…これでどうっ!!」
遥は連続して剣圧を飛ばす。
一閃、二閃、三閃、四閃…。こんなにも連続で撃ったことはないが、全てを全力で遥は飛ばし続ける。
「ふんっ。馬鹿の一つ覚えねっ。何度やっても…───っ!?」
何度もそれを受け、弾いていた彼女は突然驚き、言葉を切る。それは何故か。それは目の前で何かが、無視できない激しさで弾け飛んだからだった。
「ちっ! これは…水…?」
彼女は肩透かしを喰らったように呆然とする。
遥は剣圧を何度も飛ばしたところで意味のないことだと分かっていた。だから、そこへ自身の魔術を紛れ込ませた。
まだ鍛練も存分にできていない彼女の無詠唱の魔術はたかが知れているが、それは魔族の注意を引き付けることには成功したらしい。
「はぁぁ──────ぁぁっっ!!!!!」
「───っ!?」
約四メートルの距離を魔力を爆発させ縮める遥。聖剣の刀身に剣圧の魔力を纏わせ、魔族へそれを叩きつける。
魔族が反応し、守りに入った爪と叩きつけた刀が触れ合ったその瞬間───
───ドォン!!!
それは爆散。
爆風と轟音が辺りに響き渡る。
「──っ! けほっ…けほっ…」
遥は吹き飛んだ粉塵のせいで咳き込むが、爆風からどうにか逃れた彼女は離れた位置でそれを収まるのを用心深く待つ。
そして粉塵が晴れ、そこから出てきた魔族は遥を憎たらしそうに睨んでいた。
「どうかな…? お飾りの勇者の反撃は?」
遥はあえて挑発するように言う。プライドが高そうな彼女だ。こうすればこちらに注意を向けるはずだと思った。
「…なるほど。侮っていたのはワタシの方なのね」
遥を一瞥するその瞳には冷ややかな怒りが浮かんでいる。
「魔王様は殺すな、と言っていたけど。貴女は残しておくと、後々が面倒そうね」
そう言って彼女は一歩を踏み出す。がしかし、ふと違和感に気づく。
「…ん? 貴女…剣はどうしたの…」
「さ、さぁ…。どうしたんだろ?」
惚ける遥。それを訝しんだ彼女は、はっと気がついたように後ろを振り返る。そこには───
発光する青い光。それが地面を伝って流れている。それが収束する一点に突き刺さった“聖剣”。
光が集まり、女の子が眠る柱が一際輝き出す。
「──なっ!? これはっ!」
魔族は攻撃体勢を取る。しかし、それは突如起こった現象に邪魔された。
突風が巻き起こる。それは柱を中心としたもので、周りにいるものは立っていられず、それが直撃した魔族は無様に吹き飛ばされる。
青い光のラインが柱に線を描き、幾何学模様が浮かび上がる。次の瞬間。
聖剣が刺さった場所から亀裂が走り、破裂した。
キラキラと輝く星屑の中。ストンと地面に降り立つ小さな影。
開いた瞳の色は透き通るような赤。それが遥の姿を捉える。
「貴女が…ドミネーター…?」
遥は彼女に問うように、そう呟いた。