第三十話 勝利とこれから
「魔女に、悪魔の大群……か」
応急処置が終了し、再び空へと舞い上がったフレースヴェルグ号の船内。
シャルリアから事情説明を受けたリューネさんは、深いため息をついた。
彼女は軽く手を組むと、その上に顎を載せる。
細まった瞳は、どこか遠いところに思いを馳せていた。
「マスター、魔女って何です? 何か知らないのですか?」
思い悩んだ様子を見せるリューネさんに、ミラが切り出した。
深い栗色の瞳が、ゆっくりと持ち上げられる。
「……私も、たいしたことは。大昔に魔女戦争っていうのがあってな。その時の敵が魔女を名乗っておったということは知られておるんやけど……詳しいことは何も。資料がほとんど焼かれておって、分からへんのや」
「魔女戦争……今からちょうど、五百年前ですね」
「悪魔が出現し始めたのも、ちょうどその頃やね。戦争に負けた魔女が、悪魔を使いだしたってところやろうか……?」
「そんなに単純なことでしょうか?」
「せやなあ。何かあるんやろうけど……」
再びうーんと唸りだすリューネさん。
そんな彼女に、今度はシャルリアが質問をぶつける。
「そういえば、外に出る前に『聖地』って言ってましたけどあれは何だったんです? 魔女と関係あるんじゃないですか?」
「ああ、あれか。聖地っていうのはな、龍脈が集中するポイントのことや。大地の気が集中する場所やから、その力が悪用されんように普段はそれとわからんように特殊な結界が張ってあるんよ」
「なるほどって……それヤバいんじゃないですか?」
動揺する俺たち。
霧は見事に晴れて、聖地と思しきポイントは露わとなっている。
完成したかどうかは不明だが、魔女が怪しい儀式まで行っていた。
大地を流れる気の力――ガイア理論に基づくそれは、とてつもなく膨大である。
なにせ、惑星全体が一個の生命体と見做されるのだ。
もし解放されれば、いったい何が起こるのか想像すらつかない。
大陸を『物理的に』ひっくり返すようなこともできるだろう。
「安心しいや。聖地は数か所あって、それらを全部解放せえへんことには力は発揮できんようになっとる。そしてそのうちの一か所は――ギルド本部の地下や。私らがしっかりしとる限り、万が一のことにはならへんよ」
「この間アイベルさんが言いかけたのって……もしかしてそのことですか?」
「そうや」
沈黙する一同。
まさか自分たちが普段、そんな大事なものを守っていたなんて。
予想できないにもほどがあると言うものである。
自然と、体が震えてきてしまう。
見渡してみれば、シャルリアもヘレナもミラも、蒼い顔をしていた。
「……なんで、今まで言わなかったんですか!」
「そうです! どうして!」
「教えてほしかった」
「少しぐらい、説明してくれてもよかったでしょうに」
全員、かなりの剣幕で詰め寄る俺たち。
リューネさんは額に指を押し当てると、渋い顔をした。
彼女は今一度深い息をつくと、俺たち全員の顔を見渡す。
「……教えたいのはやまやまやった。けど、教会上層部の方針でな。それに……みんなに負担をかけとうなかったんよ。そんな小さい背中に、あれもこれも背負わせたくなかったんや」
そういうと、リューネさんは大きく手を広げてシャルリアたちを抱きしめた。
優しい母親に、娘たちが揃って抱きしめられているようである。
その様子を、俺はあったかいなと思いつつも遠目で眺めていた。
四人が長年の間に築き上げてきた信頼関係には、割って入れそうにない。
だがここで、ヘレナが手を振る。
それにつられて、リューネさんやシャルリアも「こっちに来なさい!」とばかりに手招きをした。
「ほら! ラルフも!」
「そうやで、こんな時に遠慮はなしや」
「ちょ、ちょっと!」
強引に話に加えられる俺。
全員の体が、ぎゅーっと押し付けられる。
俺以外のメンバーは全員女子。
それも、揃ってかなりのスタイルの持ち主である。
胸元の豊かなふくらみが押し付けられて、とろける様な感触が……上半身全体に……!
たまらず、鼻息が荒くなる。
「……何か、硬いものがあたってるです?」
「え? ……ちょっと、何よこれぇ!!」
下半身のテントを見て、叫び出すシャルリア。
その声に釣られて、全員の視線が俺に集中する。
な、何だこの羞恥プレイ!?
すぐに後ずさりすると、前傾姿勢をとりながら前を隠す。
「み、見ないでください!」
「……変態?」
「ま、まあ生理現象ですから……」
「男の子やなあ。そないに欲求不満なら、私とこれからでもどうや?」
ニタアッと笑うと、奥の休憩室の方を指さすリューネさん。
いや、いくら何でもあなたとだけは……。
リューネさんとの行為を想像して、すぐさま真顔に戻る。
熟女は好きじゃないからな、見た目は美少女だけど。
するとリューネさんは、面白くなさそうな様子で鼻を鳴らした。
「なんや! こんな美少女が誘っとるいうのに真顔になって……。年増は罪なんか。そんなに重い罪なんか……!」
「泣かないでくださいよ、マスター」
「別に泣いとらへん! ちょっと、心が雨漏りしただけや!」
「無駄にいいセリフ」
「も、もうええ! それよりも、目下重要なのは魔女対策やな。今回はたまたま勝てたみたいやけど……奇蹟は早々起こらんから奇蹟なんや。分かっとるな?」
不意に向けられる、鋭い眼差し。
緊張で身を固くすると、息を飲む。
今回は『たまたま』勝てたが、次はどうなるかわからない。
もし今度、あんな悪魔の大群と出会ったら……想像するだけで恐ろしい。
まだまだ修業を積まなければいけない。
この場にいる全員が、そう自覚していた。
「よし。それじゃあ、帰って怪我が落ち着いたら特訓やな。いろいろとメニューを考えておくから、覚悟しとき」
「はいッ!」
「さてと。ところで……あれはどないするんや?」
そういってリューネさんが指差したのは、横たえられたベロノアであった。
つい先ほどまで悪魔として俺たちを襲っていた、あのベロノアである。
他の悪魔たちが魔女の死と共にすべて霧となって消えてしまったのに対して、彼女だけは残っていたのだ。
「連れて帰って、いろいろと調べようかと」
「安全なんやろうな?」
「全身をミスリルの鎖で縛ってあります。万が一の時も安心です。それに……」
ちらりと、俺の顔を伺うミラ。
その視線に応えるように、軽くうなずく。
「はい。さっきから気の流れを目で見てるんですけど……人間と同じ感じがするんですよね。翼も消えていますし」
「もしかして、人間に戻ったってことか?」
「その可能性はあると思います。もし可能ならば、助けたいですしね」
「そういえば、このベロノアって子はラルフの知り合いなんやったっけ……」
「ええ、そうです」
悔しさをにじませながら、応える。
リューネさんはふうっと息をつくと、頭を抱えた。
「こらまた、難しい問題やな……」
「そうですね。いろいろと聞きたいこととかもありますし」
「……本部に戻ったら、いろいろと考えなならんか。しかしま、今日のところはこれぐらいにしとこか。あんまり考えてばっかりおっても、身体に悪いし」
そういうと、気持ちを切り替えた彼女はどこからかビール瓶を取り出した。
そして金色に揺れる液体を見つめると、うっとりとした声を出す。
「戦いの後はやっぱりこれに限るわァ! 気分転換に、みんなも飲むか?」
「いえ、俺たちは未成年ですから」
「付き合い悪いわなあ。ちょっとぐらい、ええやないの!」
ジョッキを取り出すと、強引に俺の手に握らせるリューネさん。
彼女は俺の遠慮にもお構いなく、ビールを注ぎ込もうとする。
そうしたところで、ヘレナが自慢げにあるものを取り出した。
「ジャーン!! 最新型のカメラですッ!! せっかくですし、飲む前に記念撮影でもしませんか?」
「お、そりゃええなあ。よし、みんな集まるんや!」
リューネさんの号令の元、集まる一同。
ヘレナはスズカさんにカメラを預けると、撮影をお願いした。
スズカさんは操縦桿からいったん離れて、笑いながらカメラを構える。
「それでは行きますよ! 皆さん笑ってください! 1、2……わッ!」
スズカさんがシャッターを切ろうとした途端。
フレースヴェルグ号が、横風にあおられて揺れた。
突然のことに、みんなバランスを崩して倒れそうになる。
詮の抜かれたビール瓶から、大量のビールが宙に広がった。
重力に従って容赦なく降り注いだそれは、たちまち一同を濡らす。
「わッ!? 髪が!」
「一着二千万ジュエルのコート、台無し」
「べたつくのですよう! あ、わッ!!」
「ええッ!?」
足が絡み合って、みんなでもつれるようにして倒れる。
その瞬間、カシャッと耳に残るシャッター音が響いた。
驚いた拍子に、スズカさんがボタンを押してしまったらしい。
「す、すいません!」
「ははは……まあええやろ。これも記念や」
リューネさんに釣られて、みんなで笑いだす。
こうして、何よりも思い出に残る一枚の写真が出来上がったのだった。
今後の展開に大きな不安を抱えながらも――。
これにて第一章は完結です!
次回から、第二章が始まります。
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