第二十九話 百魔夜行
白い濁流。
一切合財を押し流しながら迫ってくるそれに、対抗すべく刀を構えた。
空間に火花を散らせながら、透明の壁が素早く展開される。
厚く、強固に。
刀にドンドン幽気を流し込み、あらん限りの力を込める。
「おらァッ!!!!」
喉が裂けるかと思うほどの、強烈な雄叫び。
それを全て飲み込むかのように、白い波濤が襲い掛かってきた。
手にかかる膨大な圧力。
足を雪に深く埋め、どうにかそれを堪えようとする。
雪と接するバリアが、激しく火花を散らした。
青色の電光が、頬の手前でパチリと弾ける。
「手伝うわ!」
「あんたにかかってるんだから……!」
俺の背中を、ミラとシャルリアが支える。
さらに何かが足に触った。
見れば、その場に倒れていたヘレナが足首を持ってくれている。
彼女は俺の視線に応じて、グッと親指を立てた。
頼もしい。
体の奥から、自然と力が溢れてくる。
幽気の炎が、俺だけでなく他の三人まで覆い尽くすかのように、熱く大きく燃え盛る。
「おおおおおッ!!!!」
こうして、粘ること一分ほど。
地鳴りが収まり、腕にかかっていた強烈な圧力が消えた。
展開していたバリアを解除し、張りつめていた腕をいたわるように揉む。
「何とか、堪え切ったな」
「穴になってる。凄い」
「こりゃ、上るの大変そうね」
「あはは……お世話になります」
雪崩が終わってみると、俺たちがいる場所は深い穴の底になっていた。
周囲を取り囲む雪壁の高さは、ざっと三メートルと言ったところか。
これだけの量の雪が、山頂付近から滑り落ちて来たなんて。
自然の力と言うのはとんでもない。
「よいしょっと……!」
「重い」
「ヘレナ、あんた太ったんじゃないの?」
「そんなことないですよう! 最近、お菓子いっぱい食べてますけど!」
三人がかりでヘレナを抱えて、地上へと戻る。
見渡せば、あたりは完全に白一色となっていた。
突き出していた岩なども、みんなまとめて雪に飲み込まれてしまっている。
さっきまで魔女が立っていた崖も、先端のごく一部を除いてすべてが埋まっていた。
「こりゃまた、凄いわね」
「自然の驚異」
「あの悪魔は……完全に埋もれたみたいだな。魔女も」
「私たち、勝ったんですかね?」
ヘレナのつぶやきに、無言でうなずく。
生死を確認したわけではないが、これに巻き込まれてタダで済んだとは思えない。
何らかの対処をする時間も、ほとんどなかったはずだ。
きっと今頃は、凍てつく雪の下で身動きが取れなくなっていることだろう。
「戻りましょうか。寒さが怪我に沁みるわ」
「そうね。ヘレナを治療しなきゃいけないし」
「えっと、フレースヴェルグは……あっちだな」
はるか遠くに、星とは違う明かりが見えた。
フレースヴェルグ号だ。
空気が澄んでいるせいか、窓から漏れる灯りが灯台のようにはっきりと見て取れる。
俺はヘレナの体をしっかりとおんぶすると、そのままゆっくりと歩き出した。
柔らかな雪に、重くなった足が深く沈み込む。
ともすればバランスを崩してしまいそうだが、幽気で強化された肉体はそれほど軟ではなかった。
一歩一歩、着実に進む。
「ん?」
「な、なんだ!?」
「地震?」
にわかに大地が揺れ始めた。
全員、距離を詰めると背中合わせになる。
まさか、悪魔が復活したというのだろうか。
緊張感が満ちて、嫌な汗が額から滴る。
もし悪魔が復活したら、再戦は困難な状況だった。
全員それなりに疲労しているし、ヘレナに至ってはほとんど戦闘不能。
もし敵が健在ならば、まず負ける。
やがて、雪原の一角が轟音とともに吹き飛んだ。
紅い光が天に向かって伸びる。
白い大地に、ぽっかりと綺麗な円形の穴が出来た。
その中からゆっくりゆっくりと白い手が這い出して来る。
魔女だ。
黒いローブはボロボロになり、長い髪も乱れてしまっているが、間違いなく先ほどの魔女である。
「おのれぇ!! 私の傑作悪魔が、一体壊れたじゃないか!」
魔女はその場でゆっくりと立ち上がると、ローブの雪を払った。
そして俺たちの方を睨みつけてくると、笑う。
狂気と憎悪。
負の感情に彩られたその顔は、邪悪と形容するほかなかった。
やがて彼女は天に向かって手を高く掲げると、高らかな笑い声を響かせる。。
「遊びはこれまで、皆殺しだ! すべて壊しつくしてやるッ!」
魔女の手から、おびただしい量の鎖が伸びた。
鋼がうごめき、空に向かって果てしなく伸びていく。
天を、月を縛ろうとでもいうのだろうか。
龍が如く昇る鎖を、俺たち四人は呆然と見上げる。
恐ろしい何かが、今まさに始まろうとしていた。
不気味な気配が、ひしひしと伝わってくる。
「百魔夜行ッ!!」
空が割れた。
黒い亀裂が星空を真っ二つにする。
山脈にも匹敵する、圧倒的な大きさ。
息をのまずにはいられない。
世界が終わりそうな風景だ。
やがてそのひび割れから、次々と悪魔が姿を現れた。
空一面に、黒い翼が広がる。
一体、何体居るのか。
数えきれない。
いや、数えたくもなかった。
耳元で、ヘレナがかすれた声で囁く。
「神様ァ……! どうか、どうか救いを……!」
「へこたれるんじゃないわよッ!! あんなの、あんなのはったりよ!」
「来るわッ!」
「こりゃ、いよいよヤバいかもな……!」
天から舞い降りた悪魔が、次々と雪原に降り立つ。
俺たちの周囲が、たちまち黒い巨体で覆いつくされた。
圧倒的不利。
その光景を眺めていた魔女が、一層大きな笑い声を上げる。
「私が今までに生み出した悪魔百体ッ!! この数の暴力に、貴様ら勝てるかなあ!」
迫る悪魔。
状況は絶望的、進む先にはおそらく死しかない。
だが、それが逆に心地よかった。
中途半端に生の希望が残っているよりも、逆に覚悟が決まると言うものだ。
不思議と、笑みがこぼれてくる。
それはみんなも同様だったようで、先ほどまでとは一変して落ち着いた顔をしている。
「こうなったら、やるしかないわね」
「ああ、そうだな。もう戦えないとか言ってられない」
「あの!」
ヘレナが、負傷者らしからぬ大きな声を出した。
彼女の声に、みんな一斉に耳を傾ける。
「せっかくですし、最後ぐらいかっこよく名乗りませんか? さっきは全然締まりませんでしたし!」
「……いいかもしれない。士気を挙げる上で、名乗りは重要」
「辛気臭くやっても、しょうがないしな」
「そうね! じゃあ、思いっきりかっこよく名乗りますか!」
朗らかな顔をしながら、頷く一同。
俺たちは一列に並び直すと、悠然とたたずむ魔女を睨みつけた。
そして一斉に、右手を空へと突き上げる。
「我ら、特S級クエスト対策窓口係ッ!!」
「たとえ万の軍勢を前にしようとも! たとえこの身が己の血に塗れようとも!」
「この心と刃、決して折れずッ!!」
「ただひたすらに悪を斬り、正義を守るッ!!」
空へと突き上げた手を、一斉に振り下ろす。
全員の指先が、スウッと魔女へ向けられた。
細い眉が、わずかにだが苛立たしげに吊り上げられる。
「それが我ら、特窓のあり方ッ!! いざ、戦場に躍り出るッ!!」
全員武器を構え、飛び出す。
たちまち、悪魔たちもこちらへと飛びかかってきた。
総計百体にも及ぶ異形が、俺たちをひねりつぶさんとする。
「かっこいいことを言ったところで、状況は変わらない! 貴様ら全員、死ぬんだよッ!!」
金色に輝く聖遺物が、悪魔たちの体に触れた。
その瞬間、紙でも切り裂くように悪魔の巨体が呆気なく切り伏せられる。
軽い。
先ほどまでと比べて、明らかにみんなの動きが向上していた。
同じ人物で、しかも怪我を負った後とは思えない。
俺のバリアも、尋常ではない速度で展開できる。
透明の壁が、数体の悪魔をまとめて包み込み、そのまま押しつぶした。
百体居た悪魔も、あっという間に数を減らしていく。
「まさか、これは……霊気ッ!! 土壇場で超越した!?」
自慢の悪魔軍団が、恐ろしい勢いで数を減らしていく。
その光景を見た魔女が、半狂乱になって叫ぶ。
彼女はその場で尻餅をつくと、大慌てで逃げ出そうとした。
だがその瞬間、彼女の後ろにある穴からぬうっと手が伸びる。
その手は万力のような握力で、魔女の肩をわしづかみにした。
下を見て、穴の奥にいる何者かの姿を確認した魔女は、顔を蒼くして叫ぶ。
「なッ!? 貴様、主人である私に何を!?」
「バカ言うなよ。契約解除したのは、あんただろう?」
「嫌だ、やめろォッ!!!!」
絶叫と共に、穴へと引きずり込まれる魔女。
その直後、悪魔たちの動きが止まった。
黒い瘴気が立ち上り、その姿が闇へと消えていく。
「今度こそ……勝ったの?」
実感がないのか、どこか間の抜けた表情で言うシャルリア。
その肩に手を置いて、笑う。
「そうだ。勝ったんだよ、俺たち」
掠れた俺の声が、穴だらけになった雪原に響いた――。
今回で、第一部の内容はほぼ完結!
次回はエピローグ的な話になります。
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