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8.ごちそうさん

 今日から私の高校生活が始まる。

 これから一年、苦楽を共にするクラスメイトが一堂に会した午前の教室。

 記念すべき初のホームルームで始まった自己紹介は淡々と進み、高橋君のターンが今終わった。

 次はいよいよ私の番だ。

 手が汗でべちょべちょしている。

 緊張の理由はわかっている。私は、三瀬の反応に怯えている。


「えっと、じゃあ次、橘さん」

「はい」


 実は心臓ばくばくでも見た目だけは自信満々に見えるように背筋を伸ばして立ち上り、大きな声で、自己紹介をする。


「橘葉月です。趣味は創作料理。モットーは健康第一。よろしくお願いします」


 出身中学は言わない。

 病気のことは誰にも知られたくない。

 三瀬は今、どんな顔をしているのだろう。

 私の席は、教壇のど真ん前。あからさまに振り向くことはできない。私の真後ろの戸川君が名前を述べた瞬間に、少しだけ振り向いて視界の端に捕えた三瀬は、窓際の一番後ろの席で、ぼんやりと空を見上げているだけで、驚いたような様子はまるでなし。

 私のフルネームを知っても、『あ、おまえ、あの白豚眼鏡じゃん、まじで!』なんて、三瀬が私を思いだすことはなかったらしい。

 


 その後、各種委員会の委員長を決めに入る。

 年若い女教師、高野たかの一子いちこは、出席番号一番の男子と、最後の女子を無理やりクラス委員に任命し、「後はお任せするわぁ」と言って教室の端に座ったきり、電池が切れたように動かなくなった。

 まだ互いに慣れない相手同士がお見合いするようなそわそわとした雰囲気のうちにも、同中出身同士を中心にグループができ始めている。


「風紀委員は川澄がやれば」

「ええ、やだよぉ。私、そんなに真面目じゃないもん」


 私の右と左の二人の声が、頭の上を飛んでいく。

 私は透明人間になった。誰にも触れられない存在。

 私と同じように、三瀬の周りにもエアポケットが出来上がり、誰もそれ以上踏み込もうとはしない。真空のごとき空気の断絶。もしやここは宇宙? 一人漂っているうちに時は過ぎ、放課後、私は魔物に捕獲された。



「さあ、約束ですわ。橘葉月さん。私とともにいらして」


 一年一組の教室に会長が顔を出した。オウムの鳴き声が再び時空を歪める。

 生じた亀裂の向こう側から、会長の指先が伸びてくる。


「まあ、リボンはどうなさって?」


 物足りない様子の私の胸元を眼光鋭くギラリと見遣って、会長が言う。

 後ろから歩いてきた三瀬が私たちを追い越し、教室を出て行った。

 あの人が、持っているはずです。

 心の中で呟く。


「秘密主義なのね。まあいいわ。さあ、参りますわよ」


「どこへですか?」


 問いに答えてくれない。会長はふふふと笑い、まだ多くの生徒が残っている教室から、会長に手を引かれて廊下へと飛び出した。

 ばっちりメイクの決まった横顔は、綺麗で、どこか少し冷たい。

 会長って、不思議の国の生き物みたいで、現実感がない。

 


「さあ、着きました。『スノウ・プリンス友の会』、略してSP友の会の活動場所ですわ」


「ここって、調理室ですよね?」


「ええ、そうです。私は準備がありますので、あなたは先に中に入っていらして」


「はあ、なぜですか?」


「なぜって、その方が面白いからですわよ。それだけ。ただそれだけよ。ケケケケケケ」


 会長オウムが不気味に笑った。


 そうして迷い込んだ不思議の国で、私は不思議の国の住人達と共に、みんなでお菓子を作るはめに。

 メニューは、ジンジャークッキー。ちょっと、これは、悪くないチョイス。私は我然乗り気になった。

 しょうがは冷えを改善するので、健康にも良い。冷えは免疫力を下げるから、良くないんだよ。私は夏でも、毛糸のパンツを履いている。

 さて。

 調理室には、甘い砂糖のにおいが満ちている。砂糖が白いことだけはいただけない。白砂糖は身体に悪い。 


 各学年の総勢五十名ほどの乙女たちが集結し、愛しの三瀬粉雪様について噂話をしながらスイーツづくりをし、出来上がったお菓子をぽりぽりしつつ親睦を深める。いたって平和だ。

 小麦粉をふるいにかけながら、雪みたいできれいだなぁなんてトランス状態に陥っていた私の耳に、黄色い噂話が届く。


「プリンスは、今頃グラウンドでサッカー部の初日の練習をしてるんだね。今すぐ生足拝みに行きたい!」


「う~ん。でもぼうぼうだったらどうする? 冷めない? 遠くから見ていたいわ。すね毛が見えない距離で」


「プリンス、サッカー上手なの? なんかいつも気怠いし、見た目チャラそうだからスポーツマンっぽい印象ないわ」


「ねえ、川澄さんはプリンスと同中でしょ。プリンスに恋人はいるの?」


 私は顔を上げる。「いないと思うよ」と答えた声に聞き覚えがあったから。


「へえ。そんな奇跡ってあるのか。じゃあ、元カノどんなん?」


 黒髪ショートの清楚な女子、川澄さん(教室で、私の右隣の席に座る人)と呼ばれた彼女は表情を曇らせる。


「たぶん誰とも付き合ってないと思う。三瀬くんはものすごい女嫌いなんだよ。学校で一番かわいい先輩も、美人の子も、みんなひどい感じで振られてた。中には短時間でものすごく痩せたり、学校をしばらく休んだり、そのまま不登校になっちゃった子とかもいるよ」


 私は、いつかのお兄ちゃんと看護師さんのやり取りを思いだした。


「えぇぇ……、それ、ちょっと引くわ。どんな振られ方されたら、そんなことになるんだろう」


「プリンス見た目だけじゃん。中身最悪じゃん」


 だよね。


「まあね、だから中三の頃には、みんな遠巻きに三瀬君を見てたよ。遠くから応援するだけで満足する、みたいな。サッカー部の練習の後にタオルやスポーツドリンクをプレゼントしたりしてさ。最初は突っ返された。でも一年くらいずっと続けていたら、最後には受け取ってくれたんだ」


「やだぁ、川澄ちゃん健気! 私今、涙で前が見えない」


 思ったよりも、和気あいあいと空間でほっとした。

 

「私たちは気楽にお菓子を摘まみつつ、平和にプリンスを愛していこうよ」


 ふと顔を上げると私の前には、頭にはツインテール、右目には眼帯を装備した超絶個性的な独眼竜女子が座っているではないか。

 その声、容貌、覚えがある。

 一年一組のおしつけられクラス委員、緑青ろくしょう未音みおんだった。


「緑青さんも三瀬君のファンなの?」


「まぁね」

 

 へえ。なんだか意外だ。

 その後、友の会会員たちは、クッキーを食べ終えて平和に解散した。



 鞄を取りに教室へと戻る。

 扉を開くと、ちょうど私の席の当たりに、背の高い男子生徒が立っている。

 西日が斜めにさしていて、その人の顔が逆光で見えない。

 

「おい、橘」


 声で気が付いた。

 ヒュンメルの黒いクロスアップジャケット(偶然にもうちのお兄ちゃんと同じデザイン)に、黒のハーフパンツ、汗まみれの首筋にピンクの花柄のタオルを巻いた、明らかに部活終わりの三瀬が立っていた。

 三瀬は、大きな歩幅で私の横を通りすぎて、屈みこんで何かを拾った。

 通り過ぎた一瞬、レモンみたいな、シトラスみたいな、鼻の奥がすっきりとする清涼感溢れる香りがした。

 汗まみれでいい匂いを漂わせるなんて、腹立たしいくらいに完璧なプリンス。


「これ、おまえの?」


 三瀬が拾ったのは、クッキーの包みだった。

 同じクラスのよしみで、川澄さんが余ったクッキーをかわいくラッピングして渡してくれたのだ。私が落として、気が付かなかったのだろう。


「あ、うん。ありがとう」


 手を伸ばす。

 指先に、三瀬の手が触れて、情けないことに動揺した。

 受け取り損ねた包みは滑り落ちて、平たいクッキーが包みの中で粉々に割れた。


「わりぃ」


 三瀬は、クッキーを拾いあげ、私の机の上に置く。

 そんなことでいちいち謝らないで。

 言いかけた言葉を即座に喉の奥に飲んだ。

 喧嘩腰はやめよう。

  

「リボン、悪かったな」


 自席に戻った三瀬は、鞄の中から取り出した包みを、クッキーの隣にそっと置いた。

 三瀬が無言で促すので、私は購買部で変われたものらしいその包み紙を破る。中から、真新しい真紅のリボンが現れた。


「リボン、新しいのを買ってきてくれたの?」


「ああ。血が、付いたから」


「少しくらい血がついていたっていいよ。どうせ赤だし」


「ないよ。捨てた」


「捨てた?」


「ああ」


 当然のように言われて、むっとした。

 

「少しくらい汚れたからって、他人の持ち物を勝手に持って帰って捨てるのはおかしいと思う」


「わりぃ」


 さっきから、三瀬が素直に自分の非を認めまくるので、私は完全に拍子抜けをしてしまった。

 三瀬は、机の上のクッキーに手を伸ばし、


「腹減ったから食っていい?」


 と、言いながらすでにリボンをほどいている。

 全くずうずうしい。

 三瀬にプレゼントをするなんて考えただけで気が狂いそうに腹立たしいが、元はといえば製作者たちは皆(私を覗いて)三瀬のファンなのだから、三瀬に食べてもらえたらきっと泣いて喜ぶだろう。

 そう思えばこそ、断腸の思いで「いいよ」と言えた。

 ファンクラブ会員たちの喜ぶ顔を思い浮かべた。


「あ、これうめぇ。ほら、食えよ」


 三瀬がクッキーの袋を私へと差し出した。

 これは私の持ち物なのに、なんであんたに指図されなきゃならないわけ?

 心で悪態をつきつつ、中から一枚クッキーを取り出した。

 おいしそう。

 食べようと口を開きかけたその時、突然三瀬が私の手首をつかんで引き寄せた。


「ちょっと! なにを」


 三瀬は身をかがめ、私の手ごとクッキーを食べた!

 濡れた舌がゆっくりと指先をなめた!


「ぎゃあっ」


「色気ねえな。もっといい声だせよ」


 三瀬は濡れた口元を拭い、立ち上り私を見おろす。


「な、な、なんなのぉ!!」


 言っておくが、この絶叫は、私じゃない。

 教室の外から聞こえた。

 女子の声だ。

 その声で我に返り、足先を引いた。


「何するの!」


 三瀬は顔色一つ変えずに、さっきまで私の指を舐めていたその口で「ごちそうさん」とのたまった。

 息を飲んだ私に、「じゃあな。リボン、確かに返したからな」と言い残して三瀬は教室を出て行った。

葉月の健康豆知識:白砂糖は悪魔の食べ物だよ。血糖値を急激に上げるからね。チョコや飴を常食する小さな子どもは、癇癪を起しやすかったりもする。これ、豆知識ね。おすすめは、茶色い砂糖。キビ砂糖がベストだけど、手に入らないなら三温糖でもいいよ。


11/4 修正済み


ここまで、読んでいただいてありがとございます。

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