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その二

本日二話目の更新です。

 部員たちの悲鳴の中でサイン攻めに合うおじさんを、私一人が冷静に、遠巻きに見ている。

 いつも通りの無愛想な仏頂面だが、おじさんは断わらずに応じている。

 これは奇跡だ。 

 数年前に現役を引退したおじさん。

 最近は、主に解説者の仕事をしている。

 時々スポーツ関係の特番にも出演する。

 だから、一緒に道を歩いていると、サインを求められる事も多い。

 でも私は、おじさんがサインを描いているところを見たことが無い。

 そのおじさんが、サインをしている!

 姪の面子をつぶさないためだろうか。

 おじさん、ありがとう。


 おじさんは、どんな場面でも御愛想は絶対に言わない。

 相手がどんなお偉いさんでも、違うと思えば正面から否定する。

 

「だから本当は、あいつは解説者には向かないんだよね。生放送はだめ。だって何を言いだすかわからないから、見てるこっちが冷や冷やするよ」


 と、緑青さんが前に言っていた。

 そんな無骨なおじさんが、文句も言わずにサインをしている! 

 何度も言うが、これは快挙に違いない。

 おじさん、初めての御愛想だ。

 すごいところを目撃してしまった。感激した。

 

  



「おじさん、ありがとう。友達が煩くしてごめんね」


 っていうか、おじさんが現れるとろくなことにならないなんて思っちゃって、ごめんね。


 おじさんは運転上手だ。

 もともとおじさんのお父さんはお金持ちだし、その上自分もがっぽり稼いでいるだろうに、愛車は低燃費のエコカー。

 その助手席で、私は深く頭を下げた。

 結局あの後おじさんは私の部活が終わるのを待っていてくれた。

 近くの喫茶店で時間をつぶしながら。

 日がすっかり暮れてしまった。忙しいのに、待たせてごめんね。


「弥生、おじさんはやめろって、何度言わせンだよおまえは。俺はまだ三十代だっつうの」


 ジャイアンっぽい感じでおじさんが言う。話し方が全然三十代っぽくない。


「同じ三十代でも、三十路と三十九歳じゃまるで違う。おじさん何歳?」


「言わねえ。おまえの母ちゃんが怒るから」


「別に怒られてもいいじゃん。教えてよ」


「ダメ」


「なんでぇ! ケチ」


 お母さんを怒らせたくないって、おじさんはどうしてお母さんにそんなに気を使うのだろうか。

 義理の姉弟だからかな。

 どのみち私は一人っ子なので、その気持ちはわからない。

 っていうか、お母さんに怒られたってどうってことないじゃん。

 全然怖くないし。

 それ以前に私はお母さんに怒られた記憶が無い。

 あれ、でも私、お父さんにもあまり怒られたこと無い気がする。

 私が悪いことをするといつも、私を叱ったのっておじさんだったんじゃないの。なんかすごいことに気が付いてしまった。


「もしかしてだけど、おじさんは私の第二のお父さんじゃない?」


 おじさんは、珍しく少し笑った。

 運転中だから、前を向いたままだけど。


「おう、それいいな。弥生、俺の娘になるか」


「ううん。やめとく。私にとっておじさんはおじさんだわ。それ以上でもそれ以下でもないわ」


 本当は違う。だけど、この言葉が真実なら、楽だった。胸に言い聞かせるように、しみじみと呟く。おじさんは不服そうだ。


「だからおじさんはやめろってば」


「おじさんがだめなら何て呼べばいいのさ」


「そうだなぁ……コナくんとか、どう?」


「げえ、それは無理」


「ンでだよ」


「響きが恥ずかしい。っていうかバカップルっぽい」


 そうかぁ? と、おじさんは首を傾げる。

 その直後に、私のお腹がぐうっと鳴る。

 待ち合わせの喫茶店で、ナポリタンを食べたばっかりなのに、もうお腹がすいている。

 でっかい腹の虫の音をおじさんに聞かれてしまった。やだなぁ、恥ずかしい。

 

 おじさんは、私の家へと帰宅するコースから逸れて、近くの洋食屋へと車を向けてくれた。

 おじさんのおごりでたらふく食べて、再び車に乗り込んだ時に、車内のデジタル時計は九時ちょうどの形に光っていた。


「やばっ! 私、家に連絡するのをすっかり忘れてたよ。お父さん、怒ってるかな」


 お父さんは基本的に私にはデロ甘だけど、門限にだけは厳しい。

 慌ててスマホを取り出す私に、おじさんが言う。


「ああ、俺がさっき電話しといた。だから遅くなっても大丈夫」


「ありがとう、気が利くね」


 お腹が膨れたら、少し眠くなってきた。

 シートに深く身を任せ、窓の外を見る。

 あれ? 景色に見覚えが無い。

 この道はどこ?

 おじさんはどこに向かっているの?

 赤信号で車を止めて、おじさんが私を見つめて名前を呼ぶ。


「弥生、これからちょっと、うち来いよ」


「え? ちょっとなに真面目な顔して冗談やめてよね」


「いいじゃん、明日休みだろ?」


 確かにそうだ。

 明日は楽しい土曜日。

 幸か不幸か、部活の練習は午後から。

 いくらおじさんと姪だと言っても、血の繋がりはゼロだし、一応男と女だし、万が一っていうのは可能性としてはゼロではないし……

 俺ん家来いよって言われてホイホイついていくJKって、なんだか尻軽っぽくて嫌だし。

 そんなことをいろいろと考えている間に、ハンドルを握る横顔を盗み見る。

 おじさんの瞳は、なぜだか少し寂し気だ。

 おじさんのそんな顔を見るのは初めてなので、胸が一瞬高鳴った。

 

「どうしたのおじさん、何か悲しいことでもあったの?」


 私は思わず手を伸ばし、おじさんのつややかな黒髪に恐る恐る触れてみた。

 おじさんは嫌がらない。

 従順な犬の様に、私に撫でられるがままだ。

 おじさんの瞳が、うるんでいるようにさえ見えた。

 弱っているおじさんなんてレアだ。

 ちょっと放っておけない雰囲気だ。

 

 そんなわけでって、どんなわけで? 自分でもよくわからないままに、男やもめの侘しい一人住まいの部屋に、こんな夜更けに足をふみ家れることとなった。

 何度かこちらにお邪魔したことはあるが、夜に訪れるのも、一人で訪れるのも初めてなので、少し緊張する。

 

 マンションの立体駐車場で、おじさんが車を停める間、私は星空を見上げ、ベガとアルタイルを探す。

 やがてセンサーが作動する音がして、視線を下げると暗闇の中で、野生動物のそれみたいにきらきらと光るおじさんの瞳が真っ直ぐに私を見つめている。

 闇の中から、おじさんが言う。


「弥生は、お母さんに似てるな」


 と、本当にうれしそうに、愛しげに、ため息交じりに、低く甘く、囁くのだ。

 おじさんは、馬鹿だ。本当に馬鹿。

 

 愛は永遠じゃないし、昨今の世の中では離婚なんてありふれた出来事だから、人妻を愛することが無意味だとは言わないけど。

 でもね、お母さんに関してだけは、無駄だと思うよ。

 私は、あなたたちを一番近くで見てきたから、誰よりもわかるよ。

 お父さんとお母さんの愛は、世界で唯一の永遠。

 誓ってもいい。お母さんは絶対に、心変わりなんかしないよ。


 なのに、いつまで一途に好き続けるつもりなのさ。

 見てる私の方が切ない。

 これだから放っておけないんだよ。

 もういい年なんだから、もっとしっかりしてよね、おじさん。

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