4.イっちゃってんじゃねえ?
三瀬はどうして目を逸らさないんだろう。
私が視線を外さない理由は、外せないからだ。
目が、逸らせない。
思い出すのは、私がまだ病気になる前、近所の美術館にルノアール展がやってきた時のことだ。お父さんが強請るで、家族みんなで見に行った。
モネもルノワールもふたつ並べられたら見分けなんてつけられない私でも(今でも美術の成績は良くない)、ものすごく美しいものがそこにあるってことはわかった。
画家の優しい視線を受けて、額縁の中で柔らかく微笑む被写体に、瞳は吸い付けられて動かせなかった。(私が好きなのは、『雨傘』と『テラスにて』)
三瀬の美しさは、そう言う類なのだ。もはや芸術レベル。
そんな姿かたちに生まれてしまい、注目されるのが三瀬の運命。(人外の異形レベルで美しすぎる男子高校生なんて、社会に出れば金にはなるが、学校という狭い箱の中じゃトラブルの種にしかならない。)
白豚眼鏡に生まれてしまい、蔑まれたのが私の運命。
不思議だ。
接点なんてなさそうなのに、なぜか絡み合う私たち。
見つめ合えば、不本意ながら三瀬の無駄な美貌がしみじみと胸にしみる。
私には、美形の兄がいてよかった。耐性があって本当によかった。でなければ、こんな状況に頭が沸騰して、復讐なんて一瞬で忘れて、『スノウ・プリンス友の会』にホイホイ会員登録する、そんな悲しい未来だったと思う。
思い返せば小学校時代も『コナくんファンクラブ』なるものが存在していたような気がする。
「離せよ」と言われても、三瀬の言う通りにはしたくない。
このままぎゅっと襟ぐりを捻り上げるのが理想。でも、無理だった。
引っ込みがつかないまま、私の右手は学ランの第一ボタンの当たりにぶら下がっている。身長差が頭二つ分ある。三瀬の背が高すぎるんだろう。私は女子としては平均的な高さ、身長百五十九センチだ。三瀬はたぶん百八十五以センチ以上はある。
なにか劇的に背を伸ばす物質、カルシウム含有量がすごい石とかを採掘して食べているんだと思う。
降り注ぐ攻撃的な視線を、私は黙って受け止める。
「なあ」
三瀬が口を開く。
「おまえ、どこかで……」
首を傾げながら、顔を近づけてくるので、反射的にのけぞった勢いで、私は間抜けに着席してしまった。
三瀬は視線を私の足元へと移し、そのまま跪き、磁気細工のような指先で私の脛に触れた。触れたんだよ、ね、これはおかしいよね。
「おまえどこかで、ぶつけた? 血が出てる」
囁く声まで三瀬はきれい。
膝から踝までにゆっくりと三瀬が掌を滑らせる。血を拭いているのか。せめてハンカチにしてほしい。鳥肌がぶわわわわっと全身を覆ったが、悲鳴は何とかこらえた。
私は三瀬の肩をドついたけれど、体格差がありすぎてびくとしない。
「どこかにぶつけたかって、あんたのその目は節穴!? これが見えないの?」
思わず叫び、三瀬が倒したパイプ椅子を抱き上げる。
今まで、全校生徒凡そニ千人プラス保護者、教師陣の視線を一身に受けていることを自覚して、声のボリュームを極力絞っていたのだが、理性がぶっ飛んでしまったよ、やっちまったぁ……。っていうか、どうして誰も止めないの? 教師も会長も、入学式を中断する迷惑な私たちを見ているだけで注意しようとしない。
やっと私が怒った原因に気づいた三瀬は(にぶすぎ)、
「あ、ああ。わりぃ」
と私に謝罪した。ほしいのは、そんな軽いノリじゃない。もっと血を吐くような重いヤツ。そうじゃなきゃむしろ迷惑だ。やる気が萎んでしまうから。
「やめてよ、謝罪を安売りしないで」
「人が素直に謝ってるのになんだよ」
「謝るのが早すぎるって言ってるの」
「はあ?意味が解らん。 おまえ、ココ、大丈夫か? イっちゃってんじゃねえ?」
三瀬は桃色の舌を出し、ライトブラウンに染められたクラウドマッシュ(猫っ毛ふわふわさせてないで坊主にしろ、坊主に)に指を突き刺す。
「自己紹介がお上手ですネ! イっちゃってるのはそっちでしょ」
私はもう一度、両手で三瀬の胸をドついた。
すると三瀬が私の胸元に手を伸ばし、リボンの先端をぎゅっと握って強く引く。当然、リボンはするりと解ける。
三瀬は即座に頬を赤くして、
「わりぃ、ちょっとひねり上げようとしたら解けた」
と言い訳をする。やめてほしい。なんかいたたまれなくなった。
リボンを結び直そうとこちらへ両腕を伸ばしてくる、三瀬の頬を殴ろうと決めたその時、
「子猫ちゃん、きみのお名前は?」
壇上から私に向けてオウムが鳴いた。