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その一

 私の名前は橘弥生、十七歳。彼氏なし。恋よりスポーツ、花より団子、年中日に焼け部活に励む健康優良児で、三度の飯よりテニスが好き。友達は多い方だと思う。人付き合いは、割と得意。

 高校生活は毎日楽しい。

 人生って本当に素晴らしいと思う。


 校門を出たところで、特徴的な高い声に呼ばれ、足を止めた。


「弥生ちゃん、葉月に会わせて!」


 パンツスーツ姿の緑青さんが、門柱に横付けした真っ赤な外車を背に、両手をすり合わせてこちらを拝んでいる。

 黒いセーラー服、学生服の群れの中では、見るからにバリキャリの緑青さんは特に目立つ。

 私は慌てて駆け寄った。


「ちょっと緑青さん、静かにしてくれない? みんな見てるし」


「お願い、お母さんがどこに行ったのか知ってるんでしょ、教えなさい」


「知らないよ。お父さんかおじさんに聞けばいいじゃん」


「ダメダメ、あいつらまるで使えない。橘長月は葉月を庇うばっかりで話も聞いてくれないし、三瀬粉雪に至っては本当に何も知らないみたいだし、期限まであと十日もないし、私困ってるんだよぅ」


 緑青さんは半泣きだ。

 

「そんなこと言われても困るよ。本当に何も知らないから」


 これは本当だ。私はお母さんの逃亡先を知らない。

 こんなことになったのも、全部緑青さんのせいだ。緑青さんが無理やり詰め込んだ仕事を嫌い、お母さんは旅に出てしまった。と、言う設定。


「嘘だ! 葉月が弥生ちゃんに黙って姿を消すはずないもん」


 腕に縋り付いてくる緑青さんを振り払う。

 背後でしつこく私を呼ぶ声が聞こえるが、無視してテニスコートへ。

 急がないと遅刻だ。



 青天の夏空に、ラケットがボールを叩く小気味よい音が響く。

 着替えてコートに駆けこんで、ふうっと熱い息を吐く。

 ダッシュでなんとかウォーミングアップには間に合った。


「弥生! 遅かったね。どうしたの?」


 クラスも部活も同じで仲良しの美紅みくが手を振る。


「ごめんね、変な人に絡まれてさぁ」


 二人一組の柔軟体操で、美紅と背中合わせで腕を組み合い、そのまま腰を折る。私の背中の上で、美紅が言う。


「弥生、変な人ってあれ? すごい勢いで手招きしてるよ」


 今度は私が美紅の背に身を預け、胸を広げて空を仰ぐ。

 途中、金網を掴んで恨めしげにこちらを見つめる緑青さんの姿を確認した。

 しつこい。


「ああ、そうそう。あの人ね、お母さんのマネージャーの人なの。仕事の関係でもめてるみたいで、なぜか私に助けを求めてくるから困ってるんだよね。まったくっ」

 

「へえ。芸能人の娘って言うのも何かと大変なものだねぇ」

 

「いや、そんな大げさなもんじゃないけどさ」 



 お母さんが、マネージャーである緑青さんに黙って家を出て行ってから、今日で三日目になる。

 本来ならば事務所になど所属する必用も無いくらいの低頻度で、お母さんは芸能活動をしている。

 怪しい肩書で週に一度、金曜日にだけ働いているのだ。

 それ以外の平日は、基本的には専業主婦だ。

 怪しい肩書というのは、ライフロングラーニング研究家という訳の分からんものだ。


 緑青さんは高校の時からのお母さんの腐れ縁で、大手芸能事務所の一人娘だ。

 緑青さんは、大学在学中に、アルバイトを探していたお母さんの前に突然現れた。

 二人は高校一年生の時に同じクラスだったが、それほど仲良くはなかったらしい。

 大学も別々。

 そんな緑青さんが数年ぶりに突然現れてお母さんに言ったそうだ。

 

「葉月ちゃん、私はこれまで厳しくあなたを見守ってきたけれど、それもすべてこの日のため。ずっとこの日を待っていた。合格だよ! 機は熟した。あなたはその若さで、人一倍の苦労をしてる。悲しみが多いと、その分だけ優しくなれるってテツヤも歌っていたよね。得難い自分の経験を、多くの人に知らせたいと思わない? やってみようよ、講演会!」


 お母さんはもちろん断ったが、緑青さんは引き下がらなかった。

 断わり切れずに一度だけの約束で、お母さんは仕事を引き受けた。


 私のお母さんは生まれつき病弱で、私と同い年くらいの時に大病をして入院をしていたそうだ。

 それ以前にも何度も死にかけたが、お母さんは見事病に打ち勝ち、生き延びた。

 今年で三十うん歳になる(教えてもらえない)。

 無理だと思われていた子宝、イコール私にもめぐまれ、毎日元気に生きている。

 そんなお母さんだから、『長期療養を必要とする子どもを持つ母の会』講演会の壇上に立ち、自らの経験を基に同じ苦しみを知る同輩として多くの母親とその子どもたちに希望を与える、見事な講演をやってのけた。

 それを機に、お母さんはマスコミの注目を受け、一躍時の人となった。

 ただ一度、小さな地方都市の体育館で講演を行なっただけのお母さんがそれほど話題になったのは、何かとドラマチックで昼ドラみたいな生い立ちもさることながら、美しい見た目のせいでもあった。

 緑青さんのもくろみ通りだった。


 当時お母さんが住んでいた自宅にはテレビカメラが連日押しかけ、朝と昼と夜のワイドショーでは「美しすぎる生還者」との二つ名を冠されたお母さんの様子が連日放送されたそうだ。

 お母さんは注目されることを嫌い、講演会には二度と立たなかった。

 ニ十歳の頃のことだ。

 当時はまだ婚約者の身のお父さんまで、ワイドショーのネタにされた。

 お父さんとお母さんは今でこそ夫婦だが、それ以前の二十年間を兄妹として過ごすという特異な環境で恋心を育ててきた。

 お母さんの高額な医療費を稼ぐためにお父さんが書いた官能小説も合わせてテレビで話題となり、お母さんは心労で激ヤセしたらしい。

 お父さんは激怒した。

 

 二人の義理の弟であるおじさんはその頃、ドイツでサッカーをしていたそうだが、ちょうどオフシーズンだったので、お母さんを守るために飛んで帰ってきた。

 おじさんは今でも時々、その話をする。

 そうするとお父さんがものすごく嫌がるので、それを見越してわざと嫌がらせをしているのだと思う。


「本当はあの朝、俺が出てって記者たち全員ぶん殴ってやろうと思ったんだけど、長月が止めたんだ。『俺に任せろ、おまえが出て行くと余計ややこしくなるから』とか、格好つけて、何するかと思ったらこいつ、いきなりブロッコリー刻みだすんだよ。あほかと」


 ある朝、ついにたまりかねたお父さんが、押しかけたテレビカメラの前にパジャマ姿で現れた。

 その大胆な行動で、お父さんはお母さん以上の有名人になってしまった。

 その時の映像が残っている。

 おじさんがワイドショーを録画したものだ。

 録画映像を初めて見た時は、思わず笑ってしまった。


 豪邸の門が開き、中から黒いパジャマ姿のお父さんが、朝ご飯の残りを大きなお盆に乗せて現れたのだ。

 今よりもだいぶ若い時のお父さんは、頭に寝癖をつけていてもさえないパジャマ姿でも滅茶苦茶恰好よかった。

 私が同じクラスだったら、絶対好きになっていると思う。

 お父さんは無言で料理ごとお盆を一人の記者に手渡すと、門の中へと戻って行った。 

 そして今度は緑色でどろどろで、ものすごく不味そうな液体の入ったボトルと小さなグラスを用意して、再び記者たちの前に立った。


『これを食べたら、帰ってください。これは、葉月の命を救ったスペシャルメニューで、マクロビオテックを基本に私が独学で考案した奇跡の療養食です。私たち家族の生い立ちを根掘り葉掘り穿り返すより、この料理こそ日本中に紹介してください』


 お父さんは大法螺を吹き、最後までしおらしく礼儀正しく記者たちに対応した、つもりだった。が、詰めが甘かった。

 

「記者たちも気が済んだのか知らんけどおとなしく帰ってったわけ。その後で俺も様子を見に行った。そしたら、一人だけ記者が残ってて、長月に言ったんだ。『で、妹さんとはもうヤったの?』って。長月が殴りかかる寸前で俺が止めた。少し先の電柱の影に、一台だけカメラが残ってたから、さすがにそれを撮られたらやばいと思って。その様子もばっちり撮られてさぁ。もう、あほすぎ」


 おじさんは言い、映像は続く。


『おまえ、地獄、見たことある? 見せてやろうか?』


 記者の胸ぐらを掴み、低い声で凄むお父さんの姿はばっちりカメラにとられていて、後ろでお父さんを羽交い絞めにしているプロサッカー選手の三瀬粉雪共々話題となった。

 それが全国ネットで放送されるや否や、お父さんはマスコミに徹底的に叩かれたが、見かねたおじさんがスポーツ雑誌で、記者の下衆い発言を暴露すると、今度はお父さんは世間の有閑マダムを中心に、爆発的な同情を集めるようになった。


『地獄、見せてやろうか?』は、その年の流行語大賞を受賞した。

 今やお父さんは、『お料理界の氷川きよし』として広く日本中に知られる存在となった。(別に顔は似ていないが、ポジション的に、ペヨンジュンとか、マダムに人気があるところが似ている)

 『長月の地獄キッチン』という五分番組が始まってから、もう十年以上にになる。


 お父さんの料理は確かにおいしいけれど、使う食材が緑の野菜ばっかりで、正直食べた気がしない。

 健康の大切さは十分わかっているが、ヘルシーだけじゃ満足できない。私は毎日部活でくたくたになるから、夕ご飯にはがっつり肉を食べたい。


 私の帰宅がどんなに遅くなっても、お父さんもお母さんもご飯を食べずに私の帰りを待っていてくれる。

 お母さんは優しくてきれいで料理が上手で、私の理想の女性。いつかあんなふうになりたい。

 「弥生が世界で一番好きだよ」って、毎日眠る前に私を抱きしめて、頬にキスをする。嬉しいけれど、きっとそれは違う。

 お母さんの一番は、お父さんだ。

 結婚して十年以上たった今でも、二人は付き合いたての恋人同士みたいにアツアツでラブラブで、見てるこっちが恥ずかしいくらいだ。



「ふふふふふ~」


「なに、弥生! 気持ち悪っ。思い出し笑いなんかして」


 柔軟体操中に美紅が、背中をぐいぐい押してくる。


「いてててっ、やめて~」


 二人で散々はしゃいだ後で、ふと気になり、コートの外の、先ほどまで緑青さんが立っていたあたりのフェンスを見遣る。

 するとそこには緑青さんはもういなくて、かわりにおじさんが立っていた。

 こなれたTシャツにデニムというカジュアルな姿だ。


「よお、弥生! 久しぶりだなぁ、会いたかったよ」


「おじさん!?」


 私が思わず上げてしまった大声に、部員たちは一斉に私の視線の先に注目した。

 ほどなくして、あちこちで黄色い悲鳴があがった。

 私はげんなりした。

 おじさんが私の前に現れる時はいつも、ろくなことにならないからだ。

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