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最終話.だからお伽噺は嫌い

本日四度目の更新の上最終話に付き、未読話数が無いかよくご確認の上お読みくださいませ

デパートでは、欲しかったものを買ってもらった。かわいらしい雑貨、ぬいぐるみ、香水瓶、きれいな便箋や、アクセサリー。

 色とりどりの色彩が、これからの私の生活を見守ってくれる。

 ずっと欲しかったたくさんのものたち。

 大事にするよ。

 私は最後に、自分のお金で大好きな水玉模様のノートを買った。

 今日からさっそく日記をつけようと思う。

 三瀬は、始終仏頂面をしていたが、最後まで文句も言わずに私たちの後をついてきてくれていた。

 午後には、抜けられない練習試合があるからと言って、三瀬は離脱して学校へと向かった。

 ミセチチとお母さんと三人で、デパートの屋上でランチを食べ終え、私は用事があるからと嘘をついて、二人と別れた。せっかくのデートを邪魔したくなかったのはもちろん、行きたい場所があった。

 それは、お兄ちゃんのアパート。

 今日はみんなで買い物に出かける約束だったのに、お兄ちゃんは、来てくれなかった。

 寝坊でもしたのだろうか。

 繁華街を抜け、秋の風が吹き抜ける土手に上がり、バッグから携帯電話を取り出したちょうどその時、まるでタイミングをはかったようにお兄ちゃんからの着信がディスプレイに浮かび上がる。


「もしもし? お兄ちゃん?」

「ごめんね葉月。今どこにいるの?」

「南校近くの河川敷だよ。でっかい煙突のある工場の近く」

「すぐに行くから、ちょっと待ってて」


 よくわからないまま、近くの自販機で温かい蜂蜜レモンを購入して飲みながら、お兄ちゃんを待つこと数分。川向うからこちらへと繋がる橋の歩道を全力疾走している成人男性が目につく。まさかと思いつつ目を凝らすと、やはりそれはお兄ちゃんだった。


 お兄ちゃんは迷わず私の傍まで走ってくると、はあはあと体中を大きく震わせて荒い息を吐き、芝に倒れ込んだ。お兄ちゃんの首筋は汗ばみ、黒いニットのカーディガンも汗で濡れている。


「一体どこから走ってきたの?」

「ちゅ……中央区の……デ……、デパートからっ」

「ええ! 今日行ったのはそっちじゃないよ」

「うん……間違えた。……ごめん」

「電話、してくれたらよかったのに」

「うん……、でもいいんだ。葉月と二人きりになりたかったから」


 やっと呼吸が整ったらしく、お兄ちゃんが身を起こして私を見つめる。

 その瞳の中に、芝の緑と私の顔がくっきりと映るのがわかるくらい、近くにお兄ちゃんの顔がある。

 私は、お兄ちゃんに本当のことを告げた。

 家族には、腫瘍は良性だったと嘘を吐いた。医師せんせいにも、そうしてくれるように頼んだ。

 でも、お兄ちゃんにだけは嘘はつけない。


「お兄ちゃん、私の腫瘍、良性じゃなかったよ」


 お兄ちゃんはしばらくの間動きを止めて、遠くゆったりと流れる川を見つめていたが、やがて私を見つめ、

「でもいいよ。こうして生きてる」

 と言った。


医師せんせいと同じことを言うんだね」

「そう? 医師せんせいはなんて」




 あの日、医師せんせいは、笑顔で私に告げた。


「ごく初期だったよ。ステージⅠで、今のところ転移も見られない。本当によかったね」

「それって、悪性ってこと、ですか?」


 声が震えた。


「境界性だった」

「キョウカイセイ?」

「そう。良性と悪性の中間だ。つまり、これは以前に君を苦しめた癌の再発じゃない。新たにできた別の腫瘍だ。切り取ってしまえばもうこれ以上の治療は必要ない。もちろん、経過を慎重に見守る必要はあるけれどね」

 医師せんせいが言い、「よかったね」と看護師さんが言う。

 よかった?

 二人の明るい表情は、私を元気づけようと、無理して作ってくれているに違いない。

 再発じゃなくとも、また私の体は新たな病に蝕まれていたということだし、この若さで、何度も同じような病気を繰り返すなんて、まともじゃない。

 悪性でなくてよかった、転移がなくてよかったなんて、思えない。思えるはずがなかった。

 それでも、無理に笑顔を作って、礼を告げた。

 医師せんせいの告げた現実は、絶望的ではないと思ったからだ。



 お兄ちゃんの愛用の、ノンシリコン、林檎のシャンプーの香りがふわりと鼻先に漂い、同時にお兄ちゃんの両腕が私の背中に回された。


「どうしたの? 葉月」


 お兄ちゃんが、俯けた私の顔を覗きこむ。

 近くで見ると、お兄ちゃんの髪はゆるくカーブを描いている。リーフの毛みたいにふわふわで、頬にさわるとくすぐったい。くしゃみが出そうになって、鼻先に触れる髪を首を振って追いやる。そうすると私の髪が、お兄ちゃんの首筋に触れるらしく、お兄ちゃんはくすくす笑って身を震わせて言う。


「弱音、吐いてもいいんだよ」


 私は、退院してから今まで一度も口にしなかった、口にできなかった本当の気持ちを、吐き出した。


「だって、これがゴールじゃない」


 握りしめた拳が、触れ合ったお兄ちゃんと私の胸の間で震えている。


「よかったなんて思わない。全然、嬉しくない。腫瘍は切り取れたかもしれないけど、もしかしたらまだ見えないだけで、転移がどこかにあるかもしれない。それに、もしも今を無事に切り抜けたって、私の人生がこの先も続いていくのなら、次の検診も、その次もその次も、ずっとこんな恐怖を抱えて立ち向かわなければならない。こわいよ」


「葉月……」


 お兄ちゃんが鼻を鳴らす。背中に回されていた手が、私の肩にのり、そっと二人の間の隙間を広げる。

 お兄ちゃんの潤んだ瞳が、まっすぐに私を見据える。


「それでも、生きてる。来年も必ず、葉月は生きてる」

「そうかな」

「うん。絶対に大丈夫だ。俺が守るから」


 お兄ちゃんは言霊を操る呪術師のよう。

 その言葉に絶対の願いを込めて、強く強く言った。


「六年前も、今も、葉月に起きた出来事を幸福だとは俺も思わない。でも葉月は、あの出来事があったから、知ることができた。この世に生きて、身体に何の痛みもなく、健やかに呼吸を繰り返すただそれだけのことが、当たり前じゃないって」


 お兄ちゃんは、私を再び強く抱きしめて続ける。


「葉月は、いま自分が生きる奇跡の価値を知ってる。俺の誇りだ。葉月はもっと自分を誇っていいんだ」


 お兄ちゃんの腕の中で、私は深く息を吐く。

 その時、身体は生まれる前の温かい場所に還ったように、幸せな心地に包まれていた。


「はい、これ。俺から葉月への退院祝い」


 お兄ちゃんがポケットから取り出したのは、以前に三瀬が病室で見つけたあのリングケースだった。

 透明なのに七色に光る石のついたリングを取り出し、私の左手を優しくとり、お兄ちゃんが薬指に差した。


「妹離れ、しなくちゃね。これからはお兄ちゃんじゃなくて、名前で俺を呼んで」


 お兄ちゃんは言って、私の唇を優しく塞いだ。

 肌が泡立ち、目の前がちかちかと光り、全身の神経が唇にあつまるような不思議な心地よさ。

 私は目を閉じ、すべてをお兄ちゃんに委ねた。

 青い空の下でこうして向き合うと、細かいことを気にするのが馬鹿らしくなるから不思議だ。病室でいくら悩んでも出なかった答えが、考えるまでもなくするりと私の頭に浮かんだ。

 私は、ずっとこのままお兄ちゃんを好きでいる。

 時々、温もりがほしくなったら抱きついて、キスをしたくなったら素直に強請って、つらくなったら弱音を吐き、ありのままの自分で生きていこうと思う。





 昔から、何度も繰り返し見る夢がある。

 夢の中で私は、密閉された小瓶に閉じ込められている。

 外に出れば、生きていけないと信じている。

 病気が私をどろどろに溶す。

 寛解という希望が銀の匙になり、私を高く、高く掬いあげる。

 せいは遠く、が近くなる。


 その夢の続きを、私は今、初めて知る。


 私を乗せた匙は傾き、地がどんどん近づいてくる。

 とろとろの液体になった私の体は、雫とつらなりゆっくりと地に落ちようとしている。

 一度落ちれば、べったり張り付くだろう。

 どうせ長くはもたない命だからと。

 残された人を苦しめたくないからと。

 その時からもう、そんな言い訳はできない。

 その場所からもう一度、私は始めなくてはならない。


 

 学校は五日間の欠席。まるまる一週間の空白は、インフルエンザに罹患して入院したという設定で、担任とも口裏を合わせている。

 退院の翌日から、学校に通学することになった。

 平穏な生活がまた始まる。

 私は、命の分岐点で、生き永らえる道を選択できた。

 それは幸せなことのはずだ。

 だけどなぜだろう。あれほど死にたくないと願ったのに、舞い戻った生者の世界はそれほどキラキラと光って見えない。それどころか、私にまるでやさしくない戦場だ。


「だってむかつくもん。私、昔からグリム童話とか性に合わない。

やさしくて素直できれいなお姫様が幸せになる話なんて、全然興味ない。

どうせ私は見た目も性格も普通の凡人だし、お姫様とは格が違うし。

王子様を好きになっても遠くから指を咥えてみているだけのその他大勢だし、姫の様に幸せになんてなれませんよ。

卑屈になるだけでトキメキとかまるでないし、お姫様にいらつくだけ。だからお伽噺は嫌い。

葉月ちゃんと一緒にいると、同じこと思う。

楽しくない。

私、本当は葉月ちゃんなんて大嫌い。友達だと思ったことなんて一度も無い」


 始業ベル五分前、人の多い下駄箱で、大声でそんな話をしているのだから、川澄さんは迂闊だ。

 私たちは同じクラスなので、靴を履きかえるためにはこのまままっすぐ進まなくてはならない。


「だったら、どうして一緒にいるの?」


 問い掛けたのは、緑青さんだ。


「あの子の傍にいたら、三瀬君の視界に入る機会が増えるから。

 それに、何かと浮きがちでかわいそうな葉月ちゃんと仲良くしてあげてる優しい子って、三瀬君や他の男子にアピールできるから。ポイント稼げるでしょ。ただそれだけ」


 笑顔で言う川澄さんの前に、私は歩み出て、その正面に立つ。

 川澄さんは少しだけひるんだ様子を見せたが、すぐに開き直って意地悪な顔を見せた。


「何? その顔。文句ある?」


 大きく息を吸いこみ、胸から提げたリングを強く強く握りしめ、口を開く。


「私は!」


 言うよ。

 言ってやる。

 他人ひとがどう見るかなんて知らない。

 どんなあだ名をつけられても、陰口を言われてもいじめられても、もう隠れない。

 正面から向き合うことから、逃げない。

 今度こそしっかりと地に足をつけて、生きる。

これにて完結です。感想、ブックマーク、評価等をくださった皆様のおかげで、最後までかき上げることが出来ました。皆様の心に少しでも何か残るものがあればと願ってやみません。此処まで約半年、拙い私の作品にお付き合いいただき、ほんとうにありがとうございました! 


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