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32.全部私のせい?

 三瀬はその後、「俺が守ってやるよ」とか、スーパーヒーローみたいに格好いいセリフを吐いて私を笑わせたわけだけど、大口叩いておいて全く役に立たないことが翌日さっそく判明した。


 移動教室で、五分休みに教科書を抱えて渡り廊下を歩いている時に、知らない女子にすれ違いざまに、耳元で言われた。


「男好き~」


 振り向いたら、まんまるくりくりな瞳と目が合った。

 それは、屋上でお兄ちゃんに告白していたあの女子だった。


「男なら誰でも好きなわけじゃないよね。お兄ちゃんが特別大好きなんだよね」


「うぎゃぁ、きもい~、近親相姦やべぇ」


 三人集まった仲良し女子たちが口々に、良く知りもしない癖に私を侮辱する。

 胸の奥底がひやりとする。

 この感覚は、身に覚えがある。小学生の頃から何度も感じた痛みだ。

 あの頃は海底で貝のように口を閉ざし、水面を荒立てる嵐が通り過ぎるのをひたすら待ったものだ。

 今度はどうするべきか。

 言い返すことが果たして賢明だろうか。

 悩んでいる間に、三人組のその女子たちはとっくに姿を消していた。

 

「葉月ちゃん、どうしたの? そんなところに突っ立って」


 後ろから歩いてきた川澄さんに声をかけられて振り向くと、川澄さんの後ろでややこしい事態が巻き起こっているのが見えた。

 三瀬が、先ほどの彼女たちの間に割って入り、ふわふわ栗色まんまる目の彼女を廊下の壁際へと追い詰め、覆いかぶさるようにして何事か話している。


「うわぁ。三瀬君の壁ドン、あの子超羨ましいッ」


 川澄さんが悔しそうに呟く。目が怖い。

 同じように振り返ってそちらを注目する周囲の女子たちのじっとりとした妬みの視線と、恨み節も怖い。

 私は、三瀬に昨日もっとすごいことされたんだよなぁ。

 そのことを誰かに知られたらどんな目にあわされるだろうかと思うと、鳥肌が止まらない。

 スノウ・プリンス友の会会員を始めとした南校の全三瀬粉雪ファンからもれなく恨まれることは間違いない。

 学校では、三瀬と仲良くするのは危険だな。

 ぼんやりと思った。




 音楽の鈴木先生はオペラマニアで、教科書を無視して自分の趣味丸出しのオペラのCDを授業時間いっぱいに聞かせてくれる。オペラのことはよくわからないが、綺麗な音楽を聞いてリラックスできるので、私はこの時間が大好きだ。


「今日は、モーツァルト作曲のオペラ・ブッファ『コシ・ファン・トゥッテ』からアリアを聴いてもらいます。コシ・ファン・トゥッテとは、フランス語で「女なんてみんなそんなもんだよ」といった意味です。浮気者ってことね」


 そこで、鈴木先生は『コシ・ファン・トゥッテ』のあらすじを教えてくれた。

 戦場へ出かけた恋人を裏切って、浮気をする姉妹の話。

 私の場合はお兄ちゃんと愛を約束した仲でもないし、三瀬と何があったって浮気じゃない。だから主人公姉妹と一緒だなんて思いたくはないけど、彼女たちの気持ちは何となくわかる。

 寂しくて泣きだしたい夜にそばにいてくれない好きな男よりも、そばにいてくれるどうでもいい男が魅力的に見える時がある。

 そんな不道徳なことを考えていた私の背を、後ろの席の女子が叩いた。

 振り向いたら四つ折りにされたルーズリーフの切れ端を掌にのせられた。紙片には、『橘葉月さま』と宛名がある。

 嫌な予感しかしないながらも開いてみると、やっぱり。


『三瀬君に近づくな。顔面骨折しろ。硫酸かけたろか、顔だけ女』


 と、あった。

 あまりにひどい言葉が羅列されたその手紙を、私は丁寧に折りたたんでペンケースの中にしまった。

 これは、立派な脅迫罪じゃないかな。いざという時の証拠として大切に保管しておこうと思う。

 フィオルディリージのきれいなアリアが、脳天にビンビンと響いて頭痛がした。


 私がそんな手紙を受け取る羽目になった原因は、どうやら三瀬にあったらしいと昼休みに私は知る。

 昼休に三瀬が「一緒に飯食おうぜ」とさわやかに誘ってきた時にはやめてくれよと思ったけれど、聞きたいことがあるので、素直に屋上へと続く階段を並んで歩くことにする。


「ねえ、さっき廊下であの女の子と何を話してたの?」


「ああ、ちょっとね」


「言えない事?」


 ドアを開けば眩しい屋上。

 昇降口のすぐ脇の壁によりかかり、さっそくお弁当(田中さんの力作、カツ綴じ重!)にがっつきながら三瀬は口を開いた。


「だって、むかつくだろあの女。だからちょっとからかってやっただけだ」


 初っ端から、言い訳だった。ほめられることをしたとは本人も思っていないらしい。


 以下、三瀬談。

 ほら、あの女子が屋上でバカ兄に告白した時、あの女子と知りあいだって言ったろ? 細谷って名前なんだけど。

 あいつ、入学したその日に俺に告って来たんだよ。

 興味ないから断ったけど。

 だからさっき言ってやった。

 おまえって、顔がいい男なら誰でもいいんだろ。

 下手な鉄砲数撃ってるバカ女のくせに、一丁前にふられて傷ついてんじゃねえよ。

 腹いせに橘にあたるのはやめろ。


 と、細谷さんに言ってやったそうだ。あまりにひどいいいざま。自分で自分のこと「顔がいい」とかどんだけ。それに、最後の一文が余計だ。


「三瀬は、私のために言ってくれたんだ?」


「ちげえよ、ただちょっと気に喰わなかっただけだっつうの」


「ありがとう。でももう二度としないでね」


「なんでだよ」


「これ以上女子を敵に回すのはつらいんだよ」


「意味がわかんねぇンだけど」


 鈍感か。

 はっきり言ってやることにした。


「お兄ちゃんのファンだけじゃなくて、三瀬のファンにまでこれ以上恨まれたら、私、ストレスで病気が再発するかも」


 三瀬は、「ががーん」と背後に効果音が浮かんだらしっくりきそうなほど、驚いていた。病気という言葉に衝撃を受けているらしい。勿論脅しのつもりで言ったのだが、あまりに効果がありすぎて、思わず吹き出しそうになった。


「そう言えば、俺の机の中にもたまに、おまえに近づくなって手紙が入ってるわ」と、三瀬が呟いた。


 その後、ダメ押しに、三瀬の人気ぶりと、私の日常(週に一度は不幸の手紙をもらい、二週に一度は足の裏に画鋲が刺さる)の関係についてどう思うかと質問してやったら、三瀬は納得してくれた。


「わかったよ。学校では、おまえに構うのやめとくわ」


「わかってくれてありがとう。ごたごたするのは本当に勘弁。私はひっそり静かに生きていきたいだけなんだよ」

 

 だけど、願いは叶わない。


 放課後。 

 私は再び、女子トイレで怖い人たちに取り囲まれることとなる。

  

「おまえの顔見てるだけで吐き気がするわ」


 言いながら、リーダー格の女子がバケツを振りかざした。

 今度は三瀬は助けに来ない。私が来るなといったからだ。

 水は、まっすぐこちらへ飛び散り、すべて私の体にかかった。

 冷たくて、悲しくて、身を縮めて時が過ぎるのを待った。

 実際には五分ほどだったと思うけれど、一時間は我慢したような気がする。

 思い出したくもないいろんな罵詈雑言を身に受けながら、どうしてこうなるのかなぁという疑問ばかりが頭に浮かんだ。


 もういい。

 自分の心なんてそっちのけで、目立たないように丸まって心を殺して生きてきたつもりだ。それでも結局こうなるのなら、言いたいことを言って好きなように生きる方がストレスが少なくてずっといい。

 もういい。

 どうだっていい。


「全部私のせい? あなたたちの好きな人が、あなたたちの思い通りにならないのは、私のせい? ほら、後ろの鏡、見てみたら? 陰湿なことばっかりしてるから、不細工全開だよ」


 唇が、生き物みたいにするする動く。考えるよりも先に言葉が溢れた。


「好きなら好きって本人に言えばいいじゃない。私が伝えてあげようか」


 ポケットから携帯電話(防水のガラケーで助かった)を取り出して、カメラを彼女たちに向け、写真を撮った。


「ほら、この人たちがみんな三瀬のファンですよって、三瀬にこの写真を見せて伝えてあげるよ」


「ふざけんなよ、まじで」


 いじめっこ達は顔を真っ赤にして、逃げるように走り去った。

 これで、彼女たちの気が済んだんだろうか。私の方は、すっきりした。

 立ち上ると、足が震えた。

 武者震いだった。

 大勢から向けられる一方的な悪意に、生まれて初めて立ち向かった。

 震えるような恐怖と、やったった感。


 びしょぬれで外に出ると、結城先生と並んであるくお兄ちゃんと目が合った。

 私は膝をがくがくさせながら、走って廊下の陰に隠れた。

 こんな格好悪い姿を、お兄ちゃんにだけは見られたくなかった。

 全速力で逃げる私は、必死過ぎて気が付かなかった。ヘンデルとグレーテルがまいたパン屑のごとく、身体から滴り落ちた水が私の逃げた先をヴィジュアル的にはっきりと示している事に。 

 そりゃあね。逃げ出した時に、追いかけてきてほしいと言う気持ちが全くなかったとは言えない。

 でも、この人に追いかけてきてほしかったわけじゃない。


「大丈夫? どうしてそんなにずぶぬれで何してるの? 」


 階段の踊り場に身を隠した私に声を掛けたのは、結城先生の方だった。

 息を切らして、心配そうな顔をしている。演技には見えなかった。

10/31 更新分の30,31話は大幅修正しました。予告なしの大幅修正でご迷惑をおかけします。

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