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30.ちゃらちゃらしてんじゃないですよ

「葉月ちゃんのお兄さんって、月曜九時ドラマのあの人を、もっと甘くした感じ。俳優になれるよ絶対!」


 川澄さんの上ずった声は、校長の長話の後に訪れた静寂を縫って、体育館中に響き渡った。

 兄妹だってこと、別に隠したいわけじゃないけれど、大っぴらに触れ回りたかったわけでもないので、ちょっとだけ川澄さんが疎ましい。川澄さんは、私のじっとりとした視線に気づかず、ステージ上を見つめている。

 男女三人ずつ、計六人の教育実習生が一人ずつステージに上がると同時に、体育館には、ざわめきが広がり始める。

 教育実習生がひとりひとり自己紹介を述べていく間、緊張しすぎて私の方が吐きそう。胃も痛い。

 当のお兄ちゃんはすまし顔で、名前と出身大学と担当教科だけの挨拶を、冷たくそっけない口調でさらりと終えた。

 これがお兄ちゃんの仕事モードか。

 私の知らないお兄ちゃんの余所行きの顔を知って、おしりがむず痒いような違和感があるけど、やっぱり好きだなぁとも思う。

 空間を満たすざわめきは二種類あって、ふわふわと天井まで漂うのは、女子の黄色い囁き声だ。

 かっこいい、神レベル、イケメン、優しそう、など。

 聞えているのかいないのか、お兄ちゃんは女生徒の熱いまなざしを一身に集めて、涼しい顔をしている。

 確かに、スーツのお兄ちゃんは、いつもより眩しい。

 女子の皆さんが騒ぎ立てるのもわかる。

 群れの中に埋もれるその他大勢の私は、必死でお兄ちゃんに視線を投げる。ちょっとでもいいから、こっちを見てほしい。だけど橘先生は気が付いてくれない。

 男子生徒の視線を集める実習生は、結城ゆうきはなと名乗った。地を這う重低音は、橘先生の美貌に対する、ため息交じりの感嘆だ。リクルートスーツに包まれて尚、そこはかとない色気が漂う清楚な黒髪の和風美人、その上スタイル抜群の結城先生は、隣に立つ橘先生とはものすごくお似合いだった。

 実習初日の昼休みには、校内放送で実習生たちにインタビューをするプログラムが流れた。ゲストは、橘先生と結城先生で、MCの放送部員は終始、「本当に二人は美男美女でお似合いですね」とか、「好みの異性のタイプを教えてください」とか、どうでもいい質問ばかりを繰り返した。

 ちなみに好みのタイプ、橘先生の返答:「自立した大人の女性が好きです」←私と真逆! 

 結城先生の返答:「橘先生みたいに優しい人はステキだと思います」←この返答がありえない!

 当然のごとくその日から、『橘先生と結城先生が、近頃どうやら急接近!』と、生徒たちの間で口々に囁かれるようになった。

 年頃の似合いの男女がいたら、ましてやそれが人目を引く二人なら、あることないこと噂される。そう言うことはよくある。

 現在進行形で私と三瀬も、「付き合ってる」とか「校舎裏でキスしてるのを見た」とか、そんな根も葉もない噂を流されている。

 私は橘先生を信じると決めた。

 休み時間に、私は社会科準備室へ足を運んだ。

 そこは実習生の控室なのだ。生憎お兄ちゃんは不在だった。


「橘君なら、一年生の女子に連れていかれたわよ。質問があるからって。女子高生ってかわいいね。あなたも、橘先生と仲良くなりたくて来たの?」


 結城先生が私に言う。柔らかく微笑んでいるつもりなのかもしれないが、その裏に隠された蔑みが透けて見えるような、笑みだと思った。

 この人、嫌い。

 巨乳だから。

 自分の心の狭さと嫉妬深さに、なんだか気持ちが落ち込んだ。

 

 教室へと戻る途中でお兄ちゃんとすれ違ったので、呼び止めてみる。

 

「おに、橘先生」


「なんですか? 橘さん」 


 立ちどまって振り向いたお兄ちゃんの両腕は、担当クラスの女子生徒に絡めとられている。

 まあね。

 だいたい予想通りですよ。気にしない、気にしない。


「先生、学校は勉強する場所です。ちゃらちゃらしてんじゃないですよ」


「はい、気を付けます」


 お兄ちゃんは苦笑い。両脇の女生徒が私を睨み付けた。

 

 翌日の昼休に、屋上の青空の下で弁当箱を広げて、私はため息を七ついたらしい(一人でお弁当を食べたいけど、三瀬が勝手についてくる。今まで一緒にお昼ご飯を食べていた川澄さんは、「邪魔しちゃ悪いから」と、余計な気をまわして私と三瀬を二人きりにしようとする)。

 ため息を数えていたのは三瀬で、「暗い顔すんな、顔色悪りぃ、さっさと弁当食えよ」って、いちいちうるさいので、ますます食欲が出ない。

 「悩みがあるなら言えよ」とか、罠かと。思わずまじまじと三瀬の顔を見つめた。

「ンだよ。見んなよ」

 三瀬は小鼻を桃色にして、上目づかいで私を見つめ返した。


「ねえ、私が三瀬に悩み相談なんて、するはずないって思わない? だってそんなに仲良くないよね?」


「しろよ。義理でも家族だし、おまえが元気ないと気になンだよ」


「どうして?」


「どうしてって……言わせンなよ、恥ずかしい」


 三瀬の手が伸びる。頬に触れる寸前で、我に返り、叩き落とした。

 

「やめてよ。こんなところでうっかり三瀬といちゃついてる場合じゃないんだよ、私は、もっと他に考えるべきことがたくさんあるんだから」


「何をだよ」


 口を開きかけた私の目の前で、昇降口の銀色の扉が開く。

 姿を現したのはお兄ちゃんと、昼間見かけた一年生の女子だ。

 女子生徒のゆるくパーマをかけた栗色の髪はふわふわだ。まんまるの目がかわいらしいその子は、戸惑うお兄ちゃんの背中を押している。見かけによらず積極的な子だ。

 二人が私たちの目の前を通り過ぎる時、お兄ちゃんとばっちり目が合った。

 お兄ちゃんは呑気に微笑んでいるけれど、シチュエーションがシチュエーションなだけに、私の方は気が気じゃない。

 二人は、グラウンドを見おろせる柵の当たりに向かい合って立った。

 今、私たちがお弁当を食べている場所からは、二人の声は聞こえてこない。

 だからって、近づいて行けるほど神経太くできてもいない。

 やきもきしている私に、


「俺がさりげなく近くに言って、立ち聞きしてきてやろうか」


 と、三瀬が魅力的な提案をした。

 

「さりげなくって、どうやって?」


「あの女子と知り合いなんだ。声かけてみる」


「え、でも、そんなことしたら邪魔になるでしょ」


「邪魔しに行くつもりだけど? アレ。どう見ても告白だろ」


「う、うん。でも、そんなことしなくても、お兄ちゃんが受け入れるはずないよ。女子高生は趣味じゃないって言ってたし」


「だったら、そんな不安そうな顔見せんじゃねえよ」


 三瀬は私のおでこを指先で小突いて、二人の方へと近付いていく。

 何やら二言三言、女子生徒の方とだけ会話を交わして、すぐに三瀬がこちらへもどってきた。


「大丈夫。バカ兄、ちゃんと断ってたぞ」


「そりゃそうだよ、当たり前じゃん」


 とか言いつつ、かなりほっとしたのは内緒だ。

 

 そんなこんなで昼休は終わり、午後の授業がつつがなく終わり、帰り支度をしていた私のところに川澄さんがやって来て、とんでもないことを大きな声で言うものだから、私は思わず鞄を床に落としてしまった。


「ねえ、葉月ちゃんのお兄さんに告白したって言う女子から聞いたんだけど、『妹よりかわいい子じゃないと付き合いたくない』って断わられたんだって。その子、私の友達でさ。かわいそうにすっごく泣いてたよ」


「お兄ちゃんがそんなこと言うはず無いと思うよ」


 私が反論すると、川澄さんはむっとしたようで、眉を吊り上げた。


「じゃあ、彼女が嘘をついたって言うの? 葉月ちゃんがお兄さんを悪く思いたくない気持ちはわかるよ。でもさ、前から思ってて、こんなこと言いたくないけど、葉月ちゃんってすっごいブラコンだよね」


「うん。そうだよ。私のことは別にいいよ。でも、お兄ちゃんをおかしな感じで言うのはやめて。お兄ちゃんは、妹思いの度が過ぎてるだけ」


「だから、それをシスコンって言うんでしょ」


 川澄さんが言った。

 なるほど。

 


 

「橘先生、すごい人気だね。昨日も、うちの学校で二番目にかわいい先輩がね、橘先生に告白したんだって。あ、ちなみに一番は葉月ちゃんだよ」


 体育の時間に、川澄さんが言った。

 私は朝から胃が痛むので、グラウンドの端っこに座って見学中だ。

 川澄さんは特にどこも悪くないのだが、私のことが心配だからと仮病を使って体育の授業をさぼっている。

 今日の私は心が狭い。

 一人になりたい。 

 隣にいる川澄さんが邪魔に思える。

 あの放課後の言い合い以来、川澄さんは私の前で、お兄ちゃんの話ばかりする。


「そうそう、結城先生ってね、あの黒いスーツの下には胸元のV字がものすごい鋭角で、谷間を強調しまくったニットのカットソーを着てるんだけどね、授業でも部活でも絶対に脱がないのに、橘先生と一緒の時にだけジャケットを脱いで、二の腕で胸をぎゅっとよせてアピールするんだって。気持ち悪いよね」


 やめてよ。聞きたくもないのに、川澄さんは話を続ける。

 これは多分、私が嫌がるのを知っていてわざと言っているんだろう。

 考えてみれば、私は今までいろんないやな目に合ったけれど、面と向かって相手に言い返したの初めてだ(三瀬を除いて)。

 これって、喧嘩だろうか。

 それなら仲直りをしたい。

 そうでないと、胃痛で参ってしまう。

 でも、私は悪くないので、謝るのも癪に障る。

 色々考えていたら本格的に胃が痛くなってきたので、その日は放課後まで保健室で休んだ。

 これが家なら、お兄ちゃんは血相を変えて私の看病をしてくれるだろう。

 いつものジュースと、胃にやさしい食事を作って、痛む場所をいつまでも優しくさすってくれるだろう。

 近頃、お兄ちゃんは家に帰ってこない。

 「実習期間中は仮にも教師と生徒だから」とお堅いことを言って、毎日大学近くの別荘に帰ってしまう。

 理由はわかってる。

 学校側から、また事件を起こさないようにと釘を刺されているんだろう。

 実習が始まってからもうすぐ十日。

 私は、お兄ちゃんの声が聴きたいだけなのに、それも叶わない。

 胸が痛くて、食欲も無い。

11/2 22:16 ちょこっと修正(エピソード追加)

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