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27.にゅん

視点が葉月に戻ります。

 三瀬家のすごいところ。

 エントランス(吹き抜けで、天上が高い!)、リビング(ちょっとした運動会ができる!)、バスルーム(ジャグジーとか、サウナとかある!)、バルコニー(オープンカフェみたいなテーブルがある!)、ウォークインクローゼット(旧橘家の居間より広い!)、トイレ(中に入っただけで便座のふたが開く!)、アンドモア(屋上や、秘密の部屋がまだあるらしい)。

 全部が驚きで、開けっぱなしの口が渇いた。

 喉乾いたなぁと思えば、

「お疲れさまでございます」

 と、ねぎらいの言葉を添えて、お手伝いさんが飛び切りおいしい紅茶を絶妙のタイミングで出してくれる。

 本当にもう至れり尽くせり。


「ここはこの世の極楽だね」

「いいか、葉月。男は財力じゃない。思いやりだ」

 

 お兄ちゃんの言う通りだけど、財力は無いより断然あった方がいい。

 小一時間ほどかけて新居を見学して回った。

 結構いい運動になった。


「さあ、一休みしてお茶にしよう。座って座って」


 ミセチチの号令で、最後の晩餐(あの有名なレオナルドダヴィンチの絵)のメンバー勢ぞろいできそうな長いテーブルの端っこにちょこんと四人(三瀬は部活の合宿で不在らしい)で座り、おいしすぎるお茶を気まずく啜る。

 ミセチチが先ほどから一人で話を振りまくる。


「うちみたいにコンクリート打ちっぱなしの住宅というのは基本的に夏に暑く、冬に寒いんだ。それを壁に特殊な加工をして、快適に暮らせるようにしているんだよ」


「へえ。こういうのっておしゃれだねぇ」


 返事をするのはお母さんだけで、私とお兄ちゃんは黙っている。

 距離感と空気感が掴めずに戸惑っているだけであって、別に意地悪をしたいわけじゃない。

 このメンバーで集まってゆっくりするのは顔合わせをして以来初めてなのだから、多少居心地悪い空気が漂うのも仕方がない。

 徐々に変わっていくだろう。


「少し早いけど、夕食にしようか」


 ミセチチの命令で、料理が飛び出す。

 お金は魔法、お金持ちは魔法使いだなぁ。

 こんな世界があるのだなぁ。

 お手伝いさんが用意したメニューは、まるでちょっとした洋食屋のディナーコース。


「おいしい!」


 しばらくにこにこしながらそばに控えていたお手伝いさんは、私達の緊張を察したミセチチの命で帰っていった。


「男やもめに蛆がわかないように雇っていただけだから、もしもようちゃん(お母さんのこと)たちが手伝いは必要ないと思えば、そう言ってね」


「そうねえ。この生活に慣れるまで少しだけ手伝ってもらって、セレブ気分に浸らせてもらうのも悪くないかも」


 お母さんは、まんざらでもなさそうだ。


「パートなんて辞めちゃって、家事は全部お手伝いさんに任せちゃって、旦那様のお金でブランドバッグとか、宝石とか、買っちゃえばいいじゃん」


 お母さんに小さな声でそう言ったら、「いやよ、そんな生活。運動不足で早死にしちゃう」と笑われた。

 さすが私のお母さん。そういうところ、尊敬する。



 夜も更け、それぞれが自室へ。

 私の部屋は、三階の南の端っこに用意してもらった。お兄ちゃんの部屋はすぐ隣だ。

 新婚さんの部屋は二階。

 三瀬の部屋は不明。

 

 鍵付きのドアを開く。私の部屋。十畳ほどの広さの角部屋だ。庭に面した部分はすべて窓ガラスなのだからすごい。

 勉強机はもともと持っていないし、私物が少ないため、収納家具は小さな箪笥が一つあるだけだ。 

 段ボール三つ分の荷物を前にして、ふと思う。

 自分で望んだことながら、私の十五年分の足跡は淡い。

 一つ目の箱には、教科書。

 二つ目の箱には、衣類。

 三つ目の箱には、雑貨と本。

 荷解きには、一時間とかからなかった。


 幼い頃には、集めているものや大事なものがいくつもあった。

 だけど、何ひとつ空へは持っていけないので入院する時に捨てた。

 毎年、九月に精密検査を受ける。

 今年の検査が、来週に控えている。

 無事に来年を迎えられたら、荷物を増やそうと決めている。

 かわいらしい雑貨、ぬいぐるみ、香水瓶、きれいな便箋や、アクセサリー。

 欲しいものならたくさんある。

 大好きな水玉模様のノートを買って、日記もつけたい。

 

 私が消えてしまった後で、残された人の心を痛めるようなものを集めるのはまだ早いと決めたのは自分で、誰に強制されたわけでもない。

 それなのに、教科書と小さな箪笥の他には、学校で使う文房具と時計、数冊の文庫本だけの私の部屋は、殺風景で寂しくて胸が痛くなった。

 本当は――――手に入れたい。

「欲しいよ」

 子どもみたいに駄々をこねて、ぜんぶこの手に引き寄せたい。

 そんなことを思って顔を上げると、大きな窓に映った自分と目が合った。

 眉間に皺を寄せ、頬を膨らませ、唇を尖らせ、不機嫌そうな顔をしている。


 窓の外には、大きなビル群の放つ光の粒が星より強く煌めいている。

 その下に、何かを見つけた。

 藍色のカーテンの下に何か、まんまるいものがある。

 まさか! まっくろくろすけ?

 じゃないよね。あれは実在しない生き物のはず……でも、似てる!

 近寄って、恐る恐る手を伸ばし、カーテンの端を持ち上げると、そこには、カーテンの下に隠れて、一匹の猫が眠っていた。 

 夜の闇と同じ色をした黒い子猫だ。


「か、かわいい!」


 思わず大きな声が出て、同時に子猫の耳がぴくんと揺れる。

 手足がピンと宙に伸び、そのまま目覚めるかに見えたが、抱き上げると温もりに安心したらしく、また眠ってしまった。

 小さな温もりが、掌の上ですやすやと幸せそうに眠っている。

 愛おしくて、思わず頬ずりをした。


 思いだしたのは、三瀬と水族館へ出かけた日のことだ。

 駅から水族館までの道の途中、ペットショップのショーウィンドウに私は釘づけにされた。

 小さな子猫が数匹、玩具の木に登ったり下りたりして遊んでいたのだ。

 私は昔から猫が大好きで、でもアパート住まいで飼えなくて悲しい思いをした――――そんなことを三瀬に話したような記憶がある。

 三瀬は、それを覚えていたのかな。

 

 私は子猫をそっとベッドにおろし、カメオで写真を撮った。

 そして不意に思いついた。

 欲しいものを手に入れられなくても、写真に撮ればいい。

 いつか完全な健康体を誇れる時がきたら、写真を一つ一つ実物に変えていこう。

 

 その夜、私は三瀬に感謝をした。


 ――――いいか葉月、騙されるな。男の価値は財力じゃない。思いやりだ――――

 

 昼間のお兄ちゃんの言葉が頭に浮かぶ。

 この子猫は、三瀬から私への思いやり?

 


 にゅん

 


 子猫が、笑ったような小さな口から、小さな声をもらした。

 目は閉じたままなので、寝言だろうか。猫も寝言を言うんだな。かわいすぎる。

 胸がきゅんとして、思わず猫背にキスをした。

 ベッドの上でしばらく子猫を眺めているうちに、胸にわだかまっていたもやもやが晴れ――――幸せな気持ちで、そのまま眠ってしまった。 

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