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22.水族館に行こうよ

 あの事件から、数週間が経った。

 「デートしようよ」と、橘がさわやかに俺を誘ったのは、一学期最後の日、偶然に乗り合わせた帰りの電車の中で。

 手前に立てば長い、踏み入ってしまえば短い夏休みが始まろうとしている。

 始まる前から常にない、甘酸っぱい予感がある。眩暈がするほどにまぶしくて、うまく息を吸えない季節。


 

「仕方ねえから付き合うけど、おまえはどこ行きたいんだよ? 自慢じゃないが女の子を連れて行って喜ぶような場所なんてしらねぇから」

 

 悪い癖を発動させる俺の扱いにすっかり慣れた橘。

「嫌なら行かなくていいよ」と、俺は軽くあしらわれ、「別に嫌じゃねえよ」と言わされるはめになる。


「水族館に行こうよ」


 橘の提案に、乗らない選択は俺にない。

 後にして思えば確かに、一緒に行こうよと橘は言わなかった。

  

 約束の日は馬鹿みたいに暑く、待ち合わせ場所から水族館に向かう途中で我慢できずに近くの喫茶店にかけ込んだ。冷たい炭酸水を二つ頼む。

 汗をかいたグラス、揺れる泡の向こうに橘の笑顔がある。


「三瀬って、お父さんに似てるね」

「似てねえよ。あんな女好きに」

「いや、中身は良く知らないけど、見た目は似てるよだって、血の繋がった親子でしょ?」

「ああ、まあその点は間違いないな。おまえらとは違ってな」


 橘が詳しく言わないので、俺から尋ねるのも躊躇われる、橘兄妹の過去。

 皮肉交じりに突っ込んでみても、いつものようにかわいい顔で笑ってかわされるだけだ。


「三瀬は、お父さんが嫌い?」

 

 俺と親父の仲は悪い。

 親父は金持ってるせいか顔のせいか知らないが女受けがよくて、誰彼かまわず手を出して、俺の母親を泣かせてばかりいた。記憶の中の親父と母は、今も喧嘩している。

 俺は、未だに親父を許す気になれない。二人でいても、会話はゼロだ。


「あんな奴は死ねばいいと思ってる。それくらい嫌いだ」


「本当に死んだら泣く癖に。そう言うこと、あんまり言わない方がいいよ」


 橘は傷ついたような顔。そこで俺は、失言に気が付く。馬鹿なことを言った。「死ねばいい」なんて軽く口にできる自分を恥じ、もう二度と、言うのも思うのもやめようと決めた。


「三瀬はほんとに、誰もかれもが嫌いなんだね。世界中が敵って感じ。好きな人はいないの?」

「あ?」

 

 これは、誘導されてるのか。橘の笑顔を前に、俺はまた言わされる。「おまえのことは、嫌いじゃねえよ」


「もうすぐ引越だねぇ」


 橘は話を逸らした。 

 

 家族会議を重ねた橘家では、長く暮らしたアパートを引き払い、休みを利用して引っ越すことが決まった。バカ兄がOKしたのが不思議だ。何か考えがあるんだろうか。

 俺の父は地域密着型のスーパーマーケットの経営者で、まあいわゆる社長だ。

 俺は親父の貯金額など知らないが、世間一般のサラリーマンよりは稼いでいる。

 その深いはずの懐を見込んで、一つ頼みごとをした。

 自宅のリフォームだ。

 改装は現在急ピッチで進行中。親父が実家の改装中に俺の一人暮らしの分譲マンションに転がり込んできて、かなり迷惑だ。


 そんな話を少しして、喫茶店を出た。


 電車の中で、橘がガラケー取り出し誰かに電話をしている内容が漏れ聞こえる。

「もうすぐ着くよ」って、いったい誰と話してるのか。嫌な予感は当たったが、闖入者は予想したバカ兄ではなかった。

 水族館の入り口で俺たちを待っていたのは、川澄愛だった。


「三瀬君、また一段と日焼けしたね」

 

 どうでもいい事をほざく川澄にムカついた。

 いや、違うか。この苛立ちは、橘に向けて。


「じゃあ私はこれで」と橘が言う。

「デートって、俺と川澄?」

「うん」

「ごめんね三瀬君、私が葉月ちゃんに頼んだの。自分で誘っても絶対三瀬君は来てくれないだろうから」


「わかってるなら、こんなだまし討ちみたいなことするなよ」 

「でも、私、三瀬と同じ位、川澄さんのことも好きなの。だから、二人には仲良くなってほしいよ」


 橘は「じゃあね」と手を振り、帰っていった。

 

 俺は、自分で思った以上に橘との時間を楽しみにしていたらしい。つまり、がっかりしていた。

 デ~トは、苦行以外の何物でもなく、昼飯を食べてすぐに切り上げることにした。

 川澄は勝手な俺を怒るわけでもなく、付き合ってくれてありがとうと礼を言われて驚愕した。

 

 川澄と別れてすぐに、橘に電話をした。

 近くの書店で立ち読みをしていると言うので、すぐにそちらに向かうから動くなと伝えると、電話の向こうで橘はおびえたふりで、「腹いせにいじめないでね、あの頃みたいに」と言った。

 

 雑誌コーナー。

 エスニック風の白いチュニックに、膝丈のデニムを着た橘の姿を、書店に入るなり一瞬で見つけた。彼女よりスタイルが良い女も、露出度の高いひらひらの服を着た女も、他はみんな白い壁に沈んでいるが、橘だけが金色に光って見える。


「ごめんね、怒ってる?」


 旅行雑誌を片手に橘は、喫茶店で見たのとは打って変わった無表情で、俺を迎えた。


「おまえが好きだ」


 俺の言葉にも顔色一つ変えず、「ありがとう、私も」と橘は白々しい調子で言う。


「じゃあ、仲直りだね。機嫌直して、デートの続きをしようか」と、橘が差し出した手を、俺は握る。


「これで少しは気が晴れたのかよ」


「なんのこと?」


 畜生。嘘くせえ顔で笑いやがって。ホテルにでも連れ込んでやろうか。無理ならせめて、せめてキスくらい。 

 できるはずもなく、健全に買い物(八百屋と肉屋)に付き合って、俺の一日は終わった。 

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