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21.私、三瀬君が好きで

 校長室に呼び入れられた橘葉子は、ど頭で「お騒がせして申し訳ありませんでした」とただ一度深々と腰を折ったが、兄の隣に座った後には一度も謝ることはなかった。

 おっさんの素性については兄とほぼ同じ説明をし、兄妹の仲の良さについては、


「一度は世の限りと覚悟をした娘です。今はただ、生きて息をしてくれるだけで、ありがたくて幸せで、いくら抱きしめても足りないくらいなんです」


 と、兄がそうしたように愛おしげに、母は娘のつむじに頬をよせた。

 少し大げさで、作られた余所行きの声で、


「まあそれでも、母親の私から見ても葉月と長月は、仲が良すぎて困っていますが、今は寛解したばかりの蜜月ですので、しばらく放っておけばそのうち熱も冷めましょう。どうぞ放っておいてやってください」

 

 と、全く困ってはいない、むしろ明るい顔で笑って言った。

 

 とにかく、援助交際などうちの娘がするはずがない、兄妹仲が良くて誰に迷惑をかけるわけでもない、それよりも、明らかに娘を陥れようとする悪意を持った犯人の方によほど問題があるのだから、そちらを何とかしてくださいと言った旨をやんわりと笑顔で、しかしはっきりと伝えてから、


「さあ、今日はうちに帰ろうか」


 と、橘葉子は娘の肩を抱いた。

 校長と生徒指導は母の話に納得したようで、この件に関して橘に何らお咎めなしという話で落ち着いた。



 俺は授業の真っ最中の教室に、橘の鞄を取りに戻る。玄関で橘一家が鞄が戻るのを待っているので、急がなくてはならない。

 教室では、担任の高野一子が現代文の授業中だ。

 俺が後ろのドアから中に入ると、皆の注目が俺に集まる。

 担任の高野と目が合った。高野は、後ろで一つにまとめた髪にはゴムのみ、服はおそらくユニクロか無印、ボーダーのカットソーにチノパン(いずれも茶系)、すっぴんで飾り気はゼロだ。

 この女に何か問題があるわけではないが、過去の経験から俺は若い女教師が苦手だ。

 進路指導中に手を握られたり、内申点を上げるかわりにキスをせまられたり(もちろん断る)。今のところ高野にはそう言った気配はないのが救いだ。

  そう言えば、こいつは俺たちの担任なのに、先ほどの話し合いの場にいなかったのはなぜだろうか。

 橘の鞄に手に取った時、「さぼりはだめよ。橘さんはともかく、三瀬君は授業に戻りなさい」と、高野は俺にだけ聞こえる声で囁いた。



 玄関で俺を待っていたのは橘と母のみで、兄は落せない必修の講義があるからと先に大学へ戻ったらしい。

 こんな時には橘のそばにべったり張り付き、砂糖たっぷりの甘い台詞で一日中でも妹を慰めそうなものなのに、あっさり帰っていくなんて意外だ。

 

「三瀬、付き合ってくれてありがとう。ごめんね」


 橘はすこしだけ頬を赤くして俺に礼を言って、母と並んで帰って行った。

 夏の日差しに溶けてしまいそうな頼りない背中を見送ってから、高野の言う通りに教室に戻ることにした。

 めんどうだからさぼってもいいのだが、事なかれ主義の校長や生徒指導が真面目に犯人捜しをするとも思えない。仕方ないから俺がやる。


 まあ、普通に考えて疑わしい人物に「おまえがやったんだろう」といきなり詰め寄ったところで、しらばっくれられるのが関の山なので、証拠を掴まない事には始まらない。

 幸か不幸か、橘は何かと注目されがちな有名人。何につけても目撃者は多いはずなので、片っ端からいろんな奴に声をかけていいこうと思う。


 まず手始めに、橘のファンクラブの男に話を聞くことにする。本当はラスボスが同とか言っていた女、緑青(名前を調べた)に話を聞きたいのだが、昼休み、緑青は教室にいない。どこで弁当を食べているのか知らないが、クラスの誰に聞いても緑青がいつもこの時間にどこで何をしているのかを知る者はいなかった。

 

 思案していると、川澄が寄ってきた。


「三瀬君、葉月ちゃんの様子はどう? きっと傷ついてるよね」


 橘を気遣う様子に白々しいところはなく、演技ならば女優級だ。


「でもまあ、あんなの濡れ衣だって誰でもわかるだろ」


「そうだよね。実はさっきね、玄関で葉月ちゃんとお兄さんを見かけたんだ。葉月ちゃんのお兄ちゃんて、すっごく格好いいね。びっくりしちゃった」


 川澄は言い、「あ、でも、三瀬君の方がずっと格好いいと私は思うけど」と、顔を赤くした。



 俺は教室を出て、三年の教室を目指す。 

 リーフムーンファンクラブ(失笑)を仕切っているのは、三年の水戸武士という男に会うためだ。

 武士と書いてたけしと読む。どんな屈強な野郎かと思えば、どう見ても小学生にしか見えない小柄な身体で、


「や、やぁ。あの有名な三瀬粉雪君が僕になんの用かな?」


 なぜかがちがちに緊張しながら不自然に手をふり教室から出てきた水戸を見て、拍子抜けをした。

 情報料のかわりに購買で買った人気の焼きそばパン(俺の昼飯)を手渡すと、水戸は困ったような顔をした。

 三年の女子がずらりと窓から顔を出して廊下の様子をうかがっているのが気になって話しづらいので、すぐそばの化学室に場所を変える。

 人気が無く、薬品臭い室内の空気を換えるべく窓を開けた。

 まずは世間話で場を和ませてから本題に入りたいが、何を話そうか。思案するうち、先に水戸が先に口を開いた。


「三瀬君は、橘さんと家族になったんだってね」


 なんでそんなことまで知っているのか。

 両親が夫婦別姓を選択したため俺たちの苗字は変わっていないし、学校側に事情を報告するにはしたが、生徒の誰にもその話はしていない。俺も橘も私情を語るほど親しい友達がいないのだ。それなのに、どこからそのような情報が漏れたのか。胸ぐら掴んで脅して吐かせるのは簡単だが、今はまずいので下手に出ておこうと思う。


「心配するなよ。おまえたちの大事なお姫様に手ぇ出したりしねえよ」


「もしかして犯人を捜している?」


 水戸が言う。


「いつも金魚の糞みたいに橘にくっついてるおまえらなら、何か知ってるかと思って」


「酷い言い方だな。でも、選択は正しい。僕はたぶん、犯人を知っているよ」


 水戸はつぶらな瞳で俺を見つめて静かに口を開く。


「写真部の鈴木。あいつは橘さんの事が好きで、校内の様子を撮影するふりをしていつも橘さんを隠し撮りしている。放課後にもカメラを持って橘さんの後をつけていくのを何度見かけて、僕たちの方で注意をしたことがあるんだ」


「なるほど、サンキュ」



 そんなおかしな野郎には、正面から話を聞くよりも奇襲の方がよさそうだ。

 好都合なことに、鈴木の所属するという二年二組は午後一で体育の授業の予定。

 俺は五時間目をサボり、からっぽの二年二組に忍び込む。

 鈴木のカバンと机の中を探ってみたが、手掛かりは無し。

 諦めかけた時、鞄の下に小さな鍵を見つけた。ご丁寧に『部室、ロッカー』とシールを張る鈴木の防犯意識の低さに感謝しつつ、写真部の部室に入る。

 鈴木の名前のロッカー鍵穴に鍵を挿し込めば、扉はあっけなく開いた。

 中には、一眼デジカメが一つ。

 データを確認したところ早々にビンゴで、中には今朝黒板に貼られていた写真と、別の角度から撮られた同じような写真の他にも、橘のスカートの裾の当たりを執拗に狙ったようなものや、物憂げに俯く横顔や、寂しげに遠くを見る背中など、笑顔のまるでない橘の学校生活を写し取った写真がいくつも残されていた。

 コピーを取るには時間が足りないのでデータカードごとパクり、カメラと鍵は元の場所に戻した。


 

 放課後。

 データカードは安全な場所に隠し、鈴木を訪ねる。

 まだ多くの生徒が残る教室内で鈴木を呼び止め、耳元で、

 

「橘を傷つけてどうしたいわけ?」

 

 問いかけると鈴木はでかい身体を震わせて、俺を見つめた。

 おどおどした様子の鈴木を睨み付け、口を開くのを待つ。

 逃げられないように腕を掴んではいるものの、相手は重量級。体力勝負じゃ負けるかもしれない。

 だけどそんな俺の心配は杞憂で、鈴木は特に抵抗する様子もなく、「俺じゃない」と小さな声で言った。


「証拠はある。言い逃れはやめろ」


「確かに写真を撮ったのは俺だけど、あれはあくまで個人的な趣味の範疇で、誰かに見せようなんて思ってないし、ましてやあんなふうに貼りだして彼女に迷惑を掛けるようなこと、俺はしていない」


「盗撮犯でストーカーの言うことを素直に信じると思う?」


「写真を撮ったのは俺だ。でも張り出したのは俺じゃない、信じてくれ」


「じゃあ誰だよ」 



 

 結論から言うと、犯人は一年一組担任高野一子だった。

 

 鈴木を一発張り倒し、その足で一緒に職員室に向かい、禿の生徒指導立会いの下で高野の机の引き出しを探ると、中には例の写真が三枚仕舞われていた。


「これは没収したものです」


 高野は言い逃れをしたが、鈴木の証言で観念したのか、最後には自分がやったと認めた。

 

「私、三瀬君が好きで」


 と、高野は泣きながら言った。

 冗談じゃない。俺のせいかよ。


 昨日の放課後、早めに退勤し俺の後をつけていた高野は、電車の中で俺と橘の姿を隠し撮りする鈴木を見つけ、データを没収したのだそうだ。

 俺が映ったその写真がほしいばかりに。

 高野は俺と親しく会話をする橘に嫉妬して、今回の事件を思い至ったそうだ。

 理解不能だ。


 翌日から、高野一子は南校から姿を消した。

 この一件で橘は、ますます周囲から浮き上がることとなる。

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