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20.橘葉月は病的ブラコン

 寝坊して、始業ギリギリに教室に駆けこんですぐに、異変に気が付いた。

 昨日のおっさんと橘を、ホテルの入り口の前で手を繋いで見える角度からとらえたセピア色の写真が黒板にはりつけられ、


『橘葉月は援交してる』

 

 と、赤いチョークで書きなぐられていた。

 黒板の周囲には他クラスからも多くの生徒が集まり、口々に彼女を貶めるのに夢中だ。

 橘は既に登校して、色の無い顔でしばらく写真を眺めていたが、教壇の上に置かれた文庫本だけを手にとり、背中を丸めて教室を出て行った。

  

 無責任に橘の噂をする馬鹿どもの輪に踏み入り、写真を握りつぶし、俺も教室を飛び出した。

 廊下の窓から、中庭を駆けていく橘を見つけて、後を追う。

 すぐに追いつき、中庭のまだ葉の青い銀杏の木の陰で、声も出さずに泣いている彼女の隣に立ってはみたものの、俺は口が悪いから、こんな時にはどんな言葉をかければいいのかわからない。

 橘が泣くのを見るのは嫌だが、涙に悲しみが全て溶けて流れ落ちるように願えばこそ、むやみに泣くなと口にもできない。

 一人にさせないことくらいしか、今の俺にはできそうにない。

 俺の妄想の中の橘は、嫌がらずに俺の腕に抱かれて涙を流す。

 現実にはとてもできそうにないので、俺はただ黙って突っ立っているだけだ。 

 

「私はいい。お兄ちゃんのことは言われたくない、誰にも、悪く言われたくない」


 橘は、両手の甲で目を抑え、俯いたまま悔しそうに言った。


 『橘葉月は病的ブラコン。兄は変態エロ小説家、お兄ちゃんもっとぎゅっとだっこしてよぉおぉぉ』


 黒板の写真の下、黄色いチョークで添えらえていた言葉が、彼女の心を抉ったのだろう。


 始業のチャイムが聴こえる。

 俺は、橘長月に電話をかけた。

 きっともうじき、学校側から橘葉子に連絡がいくだろう。

 

 俺と橘は鞄を置いたまま一時間目の体育をサボった。今頃教師が俺たちを探しているだろう。

 俺たちは学校を飛び出した。

 尻ポケットに財布があってラッキー。

 コンビニでブラックサンダーを二つ買って駅のホームに座って食べていると、橘が消え入りそうな声で「お兄ちゃんはね」と言った。

 

「お兄ちゃんだけど、違うの」


 泣きすぎて幼児退行か?

 涙が止まり、邪気の抜けた顔で俺を見つめて橘が言う。心なしか、いつもよりも舌足らずで、声もあまい。 


「意味わかんねえよ。頭悪そうな言い方やめろ」


 動揺すると悪態をつく。そう言う癖が俺にはある。


「お兄ちゃんはエロ小説家じゃない。ただエッチなだけの小説をお兄ちゃんが書くはずない」


「なに、おまえ読んだことないの?」


「ないよ」


「じゃあ泣いてないで読めよ。そしたら本当のことがわかるだろ」


「読むの、怖い。三瀬が読んでみて」


「はあ?」

 

 橘が文庫本を差し出す。表紙絵がえげつない。カメナシ・カメオって、ペンネーム安直だな。

 読んでみてって、速読なんてできねえし、そんなすぐに読み終えられるはずもないだろう。

 とりあえずパラパラと捲ってはみるものの、挿絵のインパクトにやられて活字が頭に入らない。


「これ見る限りじゃ、エロ小説家と言われても否定はできねえぇんじゃね? だって、挿絵、服脱いでる絵ばっかじゃん」


「違うよ! 挿絵は絶対イラストレーターの趣味だよ」


「面倒くせえなぁ。こんな真昼間に駅のベンチに女と並んで座ってエロ小説なんか読んでられるかっつうの。あほかよ」


「だから! エロ小説じゃないって言ってるじゃん!」


 橘が立ち上がり、俺の背中をどついた。

 とりあえず、元気が出たようで何より。


 ちょうど背後で電車が到着した。

 この電車にバカ兄は乗っていただろうか。そう思った時、


「こんなところで何を叫んでいるんだ? 葉月」


 ひょいとベンチの後ろから顔を出したのはバカ兄だ。電話をしたから小一時間も経っていない。フットワーク軽すぎ。

 俺がさっき電話で状況を説明したので、兄は事情は知っているはずなのだが、緊迫感の欠片も無い、呑気な顔で笑っている。

 兄は俺の手元を覗きこみ、

 

「あ。高校生がそんなエロ小説読んじゃだめだろ」


 と、自虐的なギャグを披露するが、作者を目の前にしては正直笑えない。

 

「お兄ちゃんまでそんなこと、言わないでよ」


 橘はまた泣き出した。

 バカ兄は両腕を広げ、俺がさっき妄想の中でそうしたように、橘を胸に押し抱いて、頭を撫で、髪に頬ずりをした。俺はあほ面下げて、横でそれを見ている。

 いつもなら黙って抱かれているだろうが、今日の橘は違った。

 兄の腕の中から抜け出し、「やめて、子ども扱いしないでよ」と兄に八つ当たりをした。

 『変態ブラコン』と言われたことを気にしているんだろう。

 

「どうしたの、葉月。ご機嫌ななめだね」


 兄はむくれる橘を愛おしげに見つめる。

 並べてみるとよくわかるが、この兄妹、似てない。

 顔が整ってるところだけしか似ていない。

 橘の目はまるいが、兄の目はきれっきれだし、橘は白いが、兄は浅黒い。橘の髪はサラサラ、兄はゆるふわ。橘の唇はぽってり、兄の唇はあっさり。

  

「葉月は何も悪くないんだから、逃げる必要なんてない。学校に戻るんだ」


 兄の言葉に橘は頷く。


 俺は並んで歩く二人の後をついていく。さっきから兄は、俺を空気のように扱う。バカ兄に殴られたあの日の権幕を思いだした。

 逆戻りした学校は、まだ授業中。

 静かな廊下を歩いていると、俺たちを探していたらしい生徒指導の禿おやじにつかまり、校長室まで連行された。


「三瀬君は関係ないから、教室に戻ったら?」


 橘に向けるのとはまるで違う冷たい顔と声で、兄が俺を追い払おうとする。


「俺も家族だし、昨日橘と写真のおっさんに会ったから、状況説明ができる」


 俺の方も、退く気はない。






「私は橘葉月の兄で、T大の三年生です。今年の秋の教育実習でこちらの学校に伺う予定になっていますので、よろしくお願いします」


 兄は、出されたお茶を啜り、落ち着いた様子で校長に挨拶をした。

 校長は、美形すぎる兄妹にビビッているのか、追及の手も躊躇いがちだ。


「いやあ、その、まあ、匿名という無責任な立場で一生徒が流した情報ですから、どこまで信憑性があるかは疑わしいものですが、それでもやはり火のない所に煙は立たぬと言いますので……」


 校長は写真をテーブルの上に置いた。

 兄は写真を一瞥し、すぐに顔をあげて妖艶に微笑む。


「この男性は、近所の書店の経営者で、亡くなった父の親友でもあります。私たち家族に何かと良くしてくれています。なんなら、今すぐにでも電話をして、本人にこちらに出向くように伝えましょうか」


「いえ、そこまでしていただく必要はありません。ところで大変失礼ですが、貴方は文筆業をなされているそうですね」


「ええ。趣味の延長のようなものですが」


「失礼ながら内容が、ですね。年頃の男女の性描写を含む小説のようですね」


 校長は顔を赤くして、額に汗を浮かべている。対する兄は、涼しい顔でうなずく。


「勿論これはフィクションですので、まさか実際に私達兄妹がそのような関係にあるなどとお考えではありませんよね?」


 兄は笑顔で校長に詰め寄る。


「いえ、まあ、その、ですね。何と言いますが、仲が良すぎると言えばいいのでしょうかね。その、今どきの言葉で言えば『ブラコン』とか『シスコン』とか、そういった偏見で葉月さんとあなたを見る生徒がいるのは事実です」


 その時、ずっと俯き黙っていた橘が、突如勢いよく立ち上がり、「違います!」と鋭い声を上げた。


「兄と私は、確かに傍目には仲が良すぎるように見えるかもしれませんが、問題ありません」


「葉月?」


 兄は、橘の勢いに驚いている。


「だって、私達、血が繋がっていないんです。一緒に暮らしてはいるけれど、血縁関係だけで言うなら、赤の他人です。だから、仲良くしたってなんだって、問題ありません。誰にも何も言われたくない!」


 俺の方は、驚き半分、納得半分。

 むしろ俺よりも驚いているのは兄の方だった。

 

「私たちは、シスコンでもブラコンでもないです。変態だなんて、絶対に違います!」


 橘はピンと張った糸を弾いたような高い声を震わせ、最後には叫ぶように言った。

 


 ――――コンコンコン


 その時、静まり返った校長室のドアがノックされ、


「橘葉月の母です」


 と、ドア越しに橘葉子の声が聞こえた。


お約束の展開です。長くなったので、区切りました。

いつもご覧いただきまして、ありがとうございます(^^♪

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