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19.嘘じゃない

 どろどろの熱い息を吐き、口を開けて馬鹿犬面でひたすら走る。

 フェンスの向こうにホエザルがいて、俺が前を通りすぎると汚い吠え声を上げる。

 彼女たちが、法や倫理に触れているわけでもないし、たぶん、「がんばって」みたいなことを叫んでいるはずなのに、端から順に蹴り飛ばしたくなる俺は冷たいのだろう。


 汗が目に入り、ボールが見えない。

 早朝だと言うのに、舞い上がる土埃の向こうに陽炎がゆらめく。

 青いTシャツも黒く変色、肌に張り付いて気持ちが悪い。

 真夏の部活の最中に、黄色い声にイラついて、何度か意識が遠のきかけた。

 ホイッスルが鳴り、集合の号令がかかる。

 立ち止まると一気に汗が噴き出した。

 

「プリンス、このタオル使ってぇ」


 フェンス越しにいくつかの手が差し出されるが、無視して横を通りすぎた。


 グラウンド脇のバラックの部室で制服に着替え終えた時、背後から足が伸びてきて俺のロッカーをガツンと蹴る。


「プリンス(笑)。おまえのファンクラブ会員、どうにかならないか。うるさくて集中できないわ部員のモチベーション下がるわ、玉木は休むわでいいことないんだが」


「玉木?」


「二年、DFの玉木。毎朝おまえを応援する女子の中に、玉木の五年越しの片思いの相手がいるんだ。失恋のショックでもう十日連続欠席している」


「はあ」


「何ため息ついてんだよ。おまえのせいでみんな迷惑してるんだぞ」


「あんたさ、俺が頼んでファンクラブ作ってもらってるとでも思ってる? 俺だって迷惑してんだよ。あいつらにうざいからやめろって言ったら、放課後はやめるから朝だけは応援させてくれってさ」


 伝えるための唇も言葉も、理解する気のない相手の前では無意味だ。

 きつく言えば、泣かれる。

 あいつらは俺の顔の上に、自分の理想を重ねているだけだ。

 俺の罪も、俺の心も、何も知らない癖に簡単に好きですと言える神経を疑う。


「おい三瀬、敬語! 俺は三年だぞ」


 まじうざい。蹴り飛ばしたいが、ジュニアユース時代の二の舞はごめんなので、何とか踏みとどまった。


「これ以上、俺にはどうにもできません」


 俺と部長のやり取りを遠巻きに眺める部員たちの輪を割って、部室を出る。

 

 部活中にはグラウンドに足を踏み入れない彼女らは、練習が終わるとすぐに部室の扉前に集合して俺が出て行くのを待っている。

 ライブハウスの裏口で、バンドマンの出待ちをするファンみたいだ。  

 俺に、騒がれるほどの価値があるとは思えない。見事なライブを終えたわけじゃない。短パン履いて走り回っているだけだ。それを炎天下の中一時間近く眺めて何が楽しいのか。他にもっとやることあるだろ。


 始業前に、近くのコンビニで水を買って飲む。

 ぶらぶらしながら玄関にたどり着く頃に、必ず出くわす。今日も出くわす。

 橘の上履きをひっくり返して、ブスがブスとしか言えない醜い顔で笑いながら、かたつむりを二匹、橘の靴底に這わせている。


「何してンの?」


 笑顔で近寄り、片手で上履きを奪う。


「次やったらぶっとばすから」


 言いながら下駄箱を蹴ると、女は肩を震わせて走り去った。

 今朝は手紙が三通。恋文らしきものには手を付けない。差出人の無い呪いの手紙の方は、二通まとめてにぎりつぶした。カタツムリは紫陽花の葉に乗せた。

 

 好かれるか嫌われるかの二択じゃきつい。

 無関心でいてほしいだけなのに、それすら叶わない。

 って、かつては当事者だった俺にそれを憂う資格はないのかもしれないが、ただ今は、彼女の心の平穏を全力で願う。

 

 そろそろあいつを乗せた電車が駅へと到着する時刻だ。

 

「プリンス殿」


 そんなおかしな呼びかけに反応して足を止める俺も俺だが、背後から聞こえるアニメ声には聞き覚えがある。振り向くと眼帯ツインテールのちび女が立っている。なんだっけ、こいつの名前。


「今日も愛しのプリンセスの護衛に余念がないな。お勤めご苦労。茶番だねぇ。姫はお兄様に夢中」


「ハア?何が?」


「モブ雑魚いくら蹴散らしても、ラスボス倒さなくちゃ意味ないよ、プリンス」


「誰だよ、おまえ。ラスボスって何だよ」


「それじゃ、頑張ってね」


 名乗らないままで、眼帯女は去っていった。

 



 放課後は部活が無い。テスト期間中だから。

 ストレスと、免疫力の関係について考えながら駅までの道を歩いていると、尻ポケットで携帯電話が鳴った。

 メールは親父からで、『家具屋でベッドを選んでいるからおまえも来い』とのこと。

 『葉月ちゃんも誘っておいでよ』と気軽な感じで書くなよ親父。気楽に電話とかできる関係じゃねえんだよ。試しに電話してみたが、ほら、出ねえよ。こうなると地味に傷つくから、極力俺からは連絡したくない。


 俺のことを好きだとかバレバレな嘘をついた後に、色仕掛けをかましてくることもなく、橘と俺はの関係は変わらない。


 好きになってほしいとか、キスしたいとかそんな単純なことじゃない。

 俺を嫌いならそれでもいい。

 恨むならもっと強く、すべてを俺にぶつけてほしい。

 いくらでも殴られる。騙されたふりもする。嘘泣きしながら土下座もする。

 一秒でも長くあいつをこの世に留めるために、できることはなんでもする。

 免疫力と、命の関係は意外と深いものだと思うからだ。 

 今度は俺が、あいつのサンドバックになる。


 バイブでビビッて息を止めた。液晶には橘の名前が光っている。


『もしもし、三瀬、どうしたの?』


 背後に、雑踏のざわめきが聴こえる。


「親父が家具選びに付き合えってさ。お前今どこいんの?」


『めだかさんに頼まれて一緒にお使い。大学前駅の近くにいるよ』


「めだかって誰だよ」


『お父さんの友達だよ』


 よくわからなかったが、とりあえず合流する約束をした。


 途中下車した大学前駅で、なんだかでかい荷物を持ったちっさいおっさんと仲良く並んで、橘は俺を待っていた。


「おお、君があの諸悪の根源の光瀬くん!」


「光瀬じゃなくて三瀬だけど」


「め、めだかさん……、あれはフィクションだから。実在の人物や団体などとは関係ありませんから」


 橘は慌てておっさんの口を塞いでいる。

 おっさんはごめんごめんとか言いながら、俺に一冊の本を差し出す。


「これ、ぜひ読んでみて」


『お兄ちゃん、もっと! ぎゅっと! だっこしてよぉ』と表紙にある。どう見てもエロ本だ。


「ちょっと、やめてよめだかさん、それ、未成年は読んじゃいけないヤツでしょ」


「葉月ちゃんはお堅いねえ」


「おいおっさん、セクハラやめろよ」


 凄んだらおっさんはしゅんとして、「名作なんだよぉ」と呟いた。橘は俺からエロ本を奪いとり、おっさんのでかい紙袋の奥に突っ込んで「ごめんね」と俺に謝った。


 電車が来て目的の駅で降りて、おっさんとはそこで別れた。

 橘と二人で家具屋まで歩いて、「このソファをここに置いて、ダイニングにはこのテーブルを」と、浮かれる熟年新婚夫婦のみっともない様を遠巻きで眺めている。その橘の横顔を見つめる。


「なあ、ほんとにいいのかよ」


「何が?」


「嫌なら言えよ」


「だから何が」


 笑っているが、声には苛立ちが滲んでいる。 


「同じ家に暮らせるのかよ、俺と」


「平気だよ。だって、好きだって言ってるじゃない」


 橘が俺の手を握る。眉毛がピクリと動く時、心も動いているのだと俺は小学生の時から知ってる。おまえの好きは嘘だけど、俺の好きは嘘じゃない。


「何か言った?」


 口を開くかわりに強く、橘の指先を握った。彼女の眉が動く度に、俺はその意味を思い、少しだけ悲しくなる。

 翌朝、大学前駅近くのホテル街を歩く橘とおっさんを、悪意ある角度で撮影した一枚の写真が、一年一組の黒板に張られた。

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