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15.俺のこと馬鹿だと思ってない?

 六月になった。

 ミセチチとお母さんは、六月六日に籍を入れた。

 戸籍上、私は三瀬の姉になった。私の方が三瀬よりも一か月長く生きているらしい。

 一緒に暮らすのは待ってもらっている。

 そのかわりに時々、互いの家で一緒に食事をすることを強制されている。

 先週の日曜日の昼は、私が食事を作った。

 私は、三瀬の分の味噌汁に思いっきり酢を入れてやった。

 焼き魚には、過剰に醤油をかけてやった。

 辛し和えのからしを十倍増にしてやった。

 食後に嫌がる三瀬にメントスを食べさせ、直後に炭酸水を飲ませた。

 三瀬の口の中で大爆発が起きた。

 それでも、三瀬は怒らなかった。

 すごく迷惑そうな顔で、「ばかじゃねえの」と言っただけだ。

  

 三瀬が愛想が悪いのは、私に対してだけじゃない。

 女子なら誰に対しても平等に態度が悪い。

 それでも、顔だけは超絶格好いいので、ファンクラブは今のところ解散していない。


「もう六月かぁ」


 川澄さんが空を見上げて言う。

 今年は空梅雨で、雨が少ない。


「なんだかもう夏みたいだよね」


 と、川澄さんが続ける。グラウンドの隅っこで私と川澄さんと、友の会会員の数人が並んで座っている。このメンバーでやることと言ったら一つ。三瀬の部活動を応援しているのだ。

 私は、結局あほらしすぎてスノウプリンス友の会には入らなかったが、あれ以来川澄さんに時々活動に誘われるようになった。

 暇な時にはこうして付き合うこともある。

 だけど今日は、思ったよりも楽しくない。

 

「橘さんって肌めちゃきれぃっ。どんな化粧品使ってるの?」


「うちのクラスの鈴木君が、橘さんのこと好きなんだって」


 五人が一度に話をするので、誰に返事をすべきか考えているうちに会話は勝手に進んでいく。


「どうしてそんなに美人なのに、ファンクラブなんかに入ってるの?」


 この質問には、必ず答えておきたい。


「べつに美人じゃないよ。昔は太ってて、冴えなかったし。それにファンクラブには入ってないし、私は三瀬君のことは全く好きじゃないよ」


 言い終ると、みんなは「ほんとにぃ?」と、口だけで笑い、冷たい目で私を見る。


「あ!」


「橘さん、危ない!」


 うわあ、よけて!


 遠くで男子の声が聴こえるのと、首が折れたかと思うほど強く、横から何かに頭を殴られるのと、ほとんど同時のことだった。



 

 目が覚めてすぐ、理解した。私は気絶したのだ。

 初めてじゃないので、さほど動揺はしない。

 闘病中には、あまりに体中が痛くて、気を失ったことがたくさんある。


「サッカーボールが当たっただけだから大丈夫だと思うけど、心配なら後で病院に行った方がいいかもね」


 保健の先生が窓際の椅子に座ったまま、私に声をかける。


「一年一組の三瀬君がここまで運んでくれたのよ。後でお礼を言うといいわ」


 三瀬が、どうして? 

 義理とは言え姉になったから、私が死んだらさすがに困ると思ったのかな。

 今度、食事の時にありがとうって言おう。

 私たちは学校では全く話をしない。

 家で、必要に迫られて最低限の会話をするだけだ。

 

 

 さて、この一件で私は女子から更なる恨みを買うこととなった。

 おそらく、三瀬が私を抱いて校内を練り歩いたせいだろう。

 保健室で少し休んで夕暮れ、教室へ戻る途中、突然十人ほどの女子に取り囲まれ、私はトイレに連れていかれた。


「気絶したふりして、プリンスに抱っこされるなんてずるくない?」


「ちょっとかわいいからって、調子にのらないでよ」


 一様に般若のような形相で私を睨む彼女たちに見覚えはない。

 こういう時は、何も言わずに黙って時が過ぎるのを待つ。それが最善策だと小学生の時に学んだ。


「なんか言えば?」


 リーダー格らしい女子が、青いバケツに水を汲んだ。

 襲い掛かる水がスローモーションに見えた。

 目を瞑る。

 少し待ったが、冷たい水は、私に届かない。


「あほじゃない?」


 低い声がすぐそばで聞こえる。

 

「逃げればいいだろ。手足を縛られて転がされてるわけでもないんだからさぁ」


 目を開くと、頭から水をかぶり、苛立ちを隠そうとしない三瀬がいた。


「三瀬、ここ女子トイレ……」


「ちょっと黙ってろ」


 私の肩に手を回し、座り込んでいた私のひざ裏を反対の腕で掬い、三瀬は私を抱き上げた。


「み、三瀬くん……、私たち……」


 言い訳をしようとする女子たちに一瞥も与えず、三瀬はずぶぬれで私を抱いたまま、廊下を歩き出す。

 居残りしていた生徒たちが、立ち止まって私たちを見る。

 


「おろしてよ」


 胸をどついたら、三瀬は立ちどまり、強く私を抱き直してこう言う。


「おまえがいじめられたの、俺のせいかと思ってた。だから高校ではお前に迷惑かけないように、わざと冷たくして突き放してたっつうのにさ。結局こうなるんじゃん。問題はおまえにもあるんじゃねえの」


「なにそれ、どういう……」


 私の胸が、速く動く。跳ね上がった心臓の音が大きすぎて、喉から咳が一つ飛び出す。

 

「なんでそんな顔するわけ? おまえさ、俺のこと馬鹿だと思ってない? 気が付かないわけないだろ。覚えてるよ」


 三瀬は、前を向いたまま、真っ直ぐに私たちの教室を目指して歩く。


「ちょっとくらい痩せたって、眼鏡コンタクトに変えたって、顔まで変わるわけないだろ。名前だって同じだし」


「覚えて、たの?」


 三瀬は立ちどまる。

 教室のドアは目の前。


「忘れない」


 三瀬は、私の体を床におろし、「忘れるわけないだろ」と、もう一度呟いた。

 その時、三瀬は途方に暮れた迷子のような顔をしていた。

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