1.こっち見てんじゃねえよ、白豚眼鏡
人は死ななくても生まれ変われる。
小学校に入学してすぐに、私には大変不本意なあだ名がついた。
名付け親は、同じクラスの三瀬粉雪。
入学式の会場、体育館で、三瀬は私の真ん前に座っていて、振り向いた彼と目が合って、その時に言われた。
「こっち見てんじゃねえよ、この白豚眼鏡」
既に式は始まっていて、静まり返った体育館に、声変わりもまだの三瀬のボーイソプラノが響いた。私の周りに、さざ波のようにくすくすと笑い声が上がった。
あの時の足元が冷えるような衝撃を、今でも忘れることはできない。
サッカー少年の三瀬、西小学校のホンダケイスケの異名も伊達じゃなく、スポーツ万能で成績優秀。内面は別として、見た目だけならそこらのアイドルなんて目じゃないくらいにきらきら光る男の子。(私のお兄ちゃんには劣るけど。)
そんな小学一年生にして半端じゃないカリスマ性を持つ三瀬に目を付けられ、私の小学校生活は、終了とまではいわないが、二度と浮上できない底なし沼に沈みかけと言った感じで、毎日がじめじめとしていて暗く、楽しいことは何もなかった。
友達はゼロではなかったよ。見た目が愛らしい女子には好かれた。小太りの眼鏡女を差別しないことで男子に優しさをアピール、あるいは引き立て役として隣に置けば、自分がもっとかわいく見える。彼女らがそう思っていることくらい、気が付いていた。それでも、一人でいるよりはましだった。
男子からはばい菌扱い。臭い汚いと言われ続けて自信を失った。本当にそうなのだろうかと思い、身体を洗いすぎて肌が荒れた。せめて衣服と髪型くらいは清潔に、見目良くしたくて、ファッション雑誌で勉強をして、こぎれいにしてきたつもり。
明るくふるまい、『ワタシ、いじめなんかには負けないわ』ってな具合に笑顔を忘れずに頑張ったよ。あの辛い毎日でもつぶれずに、私が前向きでいられたのは、
「葉月の笑顔は宇宙一かわいい」
と、私を励ましてくれた大好きなお兄ちゃんのおかげ。
お兄ちゃんは私とは全く似ていなくて、細身で日に焼けて視力は両目とも検査で最高レベル、眼鏡なんかは必要ない。顔もそれはそれは格好いい。三瀬粉雪と違って、性格も優しくて、まるで天使や妖精みたい。そんなお兄ちゃんが私を好きだと言ってくれたから、私は自分を信じていられた。生きていてもいいんだって。
家では私の守護神のお兄ちゃんは私より六つも年上の中学生。だから一度家を出れば、自分の身は自分で守るしかない。
ハプニングが盛りだくさんの毎日。
上履きが紛失したり、教科書に落書きされたり、一日誰とも話をしなかったり。
二年生になっても、三年生になっても、私はクラスメイト達のストレスの捌け口のまま。
でもね、だったら私のストレスはどこに行ったらいいの。
身体の中で膨らんだ精神的負担が、私の体を蝕んだ。
医師によれば、原因はほぼほぼ遺伝で、私の年くらいで発病してしまう場合にはストレスはあまり関係が無いらしい。中年以降に患う人なら、ストレスは重大な要因にもなり得るそうだ。
父は、私が五歳の時に、不治の病で亡くなった。亡くなる三か月前までは健康そのもので、趣味のゴルフに釣りにと週末は遊び歩いていたのに、ある日背中が痛いと言って、お母さんに付き添われてイヤイヤ訪れた病院で、まさかまさかの余命宣告を受けた。家族も本人も、誰も事実を受け入れられないうちに、あっという間にがりがりに痩せて死んでしまった。
私は小太りで、色は白く、目が悪い。そのすべてが、健康だったころの父にそっくりだ。同じ病を若干八歳、小学三年生にして発症してしまうなんて、私は父とクローンレベルで似た遺伝子を持っていたに違いない。
恐るべし、人体の不思議。
私は逃げたのでもくじけたのでもなく、病気を治すという前向きな理由で、学校とは名ばかりの牢獄から、円満に解放された。やっほー! って思った。
でも、浮かれていられたのは最初だけ。
病気になってから病室で、瞼がピンポン玉みたいになるまで泣いたし、お父さんのように苦しんで死ぬかもしれないと知ると怖くて毎晩、眠れずに震えていたりもした。
八歳から十四歳までの六年の辛い闘病。
その間に、同じ病気で頑張っていた仲間を何人も見送った。
薬のせいで髪の毛が抜けて吐き気がして、身体がどんどん細くなって、五回ほど死にかけた。あの恐怖は言葉じゃ言い尽くせない。
西小学校には、発病してから一度も足を運んでいない。進むはずの中学校にも一度も通ったことが無い。
入院してすぐに一度だけ、クラスメイトが全員でお見舞いに来てくれたことがあったけれど、心から私を心配している友達は一人もいないと、目を見ればすぐにわかった。三瀬粉雪の姿は無かった。
もらった寄せ書きは、クラスメイト全員が同じ文面。『早く良くなってね』と。
言われなくても、私は絶対に元気になってやると、心に誓った。
そして、彼らが帰ってからすぐに、お礼の手紙を書いた。
『お見舞いに来てもらうと、皆さんに会いたい気持ちが膨らんでつらいので、もうお見舞いには来ないでください。お手紙もいりません』
私の願い通り、返事の手紙さえも無く、以来一度も、西小から私を見舞う者は無かった。
大学病院内の小学校、中学校に籍を置き、高校受験を視野に入れるころには寛解、大学生になったお兄ちゃんに家庭教師をしてもらって、なんとか公立高校に合格できた。
退院する頃には、私は身も心もすっかり別人だった。
ニ十キロやせた今は、自分で言うのもあほらしいが、絶世の美少女へと生まれ変わった。どれくらいの美少女かというと、ドラマのヒロインを指さしてお兄ちゃんが、「葉月の方が百倍かわいいな」と言ったときに、以前は「もう、兄馬鹿ねえ」と笑っていた母が、最近では「確かにそうねえ」と納得してしまうくらい。
今では南高校一番の美少女として、近隣から多くのやじ馬が私を見に来る。
だけど、心はいつも冷めているし、白豚眼鏡だったあの頃と何も変わらない。
ただ、周囲の視線が変わっただけだ。
馬鹿みたい。
友達なんていらない。
私は一人でも、生きていけるよ。