5.殺したい
男の車は銀色のミニバン。助手席に座ると、ヤニで黄色くガラスが雲っている。
建物の駐車場を出ると、日が落ちた街に艶やかなネオンや街灯が燈り、綺麗だと思う。
「お前、どうして自殺したいわけ?」。男が訊いてくる。
車は国道に入ると速度を上げた。あたしは男の質問に応えず、道の彼方に広がる暗闇を見つめていた。
「手に傷あるし。痛くないのか」
「……」
「だから精神病院に行くわけ?」
「あたし、最近までそこに入院してたし、友達もまだいる」
「あのさ、俺だって昔はヤケになって死にたくなったけど、そんな勇気あるなら、もっと明るく考えて……」
ありきたりな励まし。会話する時間が空しい。
「趣味を持つとか、若いんだし、頑張ればいいじゃん」
「頑張っても、変わらないよ」
「じゃあ、なんで死にたくなるんだ」
「……」
「カワイイ顔してんだから、もったいないだろ」
もう喋りたくなかった。
指をかけ、ドアを開ける。
「危ねえ!」
男がブレーキを踏んだ。
後続のタクシーがクラクションを鳴らし、追い抜いていく。
「なにすんだよ」
「もう、ここでいいから」
「ここでって……。病院はまだ遠いぞ。それにお前、何処にいるのかわかってんのか」
「あそこにマンションあるよね。今から飛び下りて死ぬよ。さよなら」
外に出ると、男は車を脇に止めて追い掛けてきた。
「ついてこなくていいよ。関係ないんだし」
「ばかやろう。自殺する奴をほっとけるか」
「ついてくんなよ。あんたみたいな人間が嫌いだから自殺するんだろ」
男は立ち止まって叫んだ。
「どうして俺が嫌いなんだ!」
「だってあたしに、ひどいことしたくせに」
「なんでだよ。お前だって、同意したからホテルに入ったんじゃねえか」
「あたしが倒れたことをいいことに、無理に連れ込んだんでしょ。誰があんたみたいなゲロオヤジと寝たいと思うか」
あたしはまた歩きだした。男が続ける。
「だったら謝る。だから死ぬなよ」
「関係ないでしょ。あたしが飛び下りたら、あんたも警察に調べられて面倒だから嫌なんでしょ」
「お前が、好きだからだよッ」
「えっ」
あたしは驚いて振り返った。会ったばかりで何も知らないくせに、どうして「好き」なんて言えるんだろう。
「あたしが若い女だから、そんなこと言ってるだけでしょ」
「違う。なんか俺、お前が可哀相になったんだ」
「可哀相だから好きですって」
「そうだよ。悪いか」
いいことを思いついた。この男を使おう。
「じゃあ、あたしのために人を殺してよ。あたしを虐めたゲロ野郎を全員殺してッ」
あたしたちは睨みあった。
男のケータイを借り、家に電話をした。
「もしもし」
「静香なのッ」。ヒステリックなママの声。「何処にいるの。心配してるから、早く帰ってきなさい」
「あのね、ママ。いま友達といて、しばらくその子のウチに泊めてもらうから」
「友達って誰」
「ママの知らない人」
「そんな……。ね、静香。 あなた、まだ病気なのよ。みんなに迷惑かけるんだから戻ってきなさい」
「ママだって知らない人と暮らしてるんだから、いいじゃん」
「どうして、そんなことばかり言って……」
応えずに電話を切った。
できればベッドの下に隠しておいた沢山の薬と、何枚かのCD、着替え、ケータイを取りに戻りたかったが諦めた。
もう母親と話すこともないだろう。
次にゲロ野郎の一人で、小学校の頃は友達だった順子の家に電話した。
本当はもっと殺したい奴がいたが、順子の電話番号しか思い出せなかったし、あたしが呼び出して出てきそうなのも彼女しかいない。
「もしもし……、久しぶりだね」
「静香ッ、どうしたのよ。みんな心配してるよ。お母さんからもウチに電話かかってきてさ」
「……ねえ、なんでそんなふうに友達ぶって喋れるの?」
「えっ、だって……」
「あたしが虐められても笑ってたくせに」
「……」
「あのとき、あたしがどんなに絶望したかわかる?」
「わかるよ。ごめん」
「わかるわけないよ。あたしが本気で死ぬつもりでも、信じてくれないしね」
「信じてるよ。だから相談乗ったじゃん」
「じゃあどうして、みんなに話して笑い者にしたわけ」
「……明るくした方がいいと思ったんだよ」
「ここで死んでみろとか、あれが明るくすることなの?」
「ごめんなさい」
「もう遅いよ。あたし、今度はほんとに死ぬから」
「静香、何処にいるの」
「なんで訊くのよ」
「こんな電話じゃなくて、ちゃんと会って話がしたいから。謝りたいよ」
あたしは一旦電話を切り、男と相談して場所と時間を決めた。
電話をかけ直す。
「絶対、一人だけで来て。誰にも言わないで」
「うん、わかった」