3.手紙
一ヶ月してあたしは開放病棟に移され、さらに二週間を過ごして退院した。
片木律子は統合失調症という病気で、もう三年くらい閉鎖に入れられているらしい。また会えるだろうか。
退院してからのあたしは、もう学校には行かなかった。一週間に一度、精神科外来に通い、せっせと錠剤を溜めた。
黒羽根の天使も、また現れるようになった。毎晩、あたしたちは語りあう。
たまに苛ついて、リスカもした。だけど今度は計画的に死ぬつもりだったから、再び病院に入れられないよう、浅くしか切らなかった。
「あのさ、死ぬ前にやりたいことが出来たんだけど。これは未練じゃないよ」
「わかっている」
「あたしを虐めた奴ら、何人か殺してから死にたいんだ」
「そうだな」
「あとね、片木律子だけはクダラナイ世界の住民ではない気がしたんだけど、どう思う」
「彼女はすでに、この世の者ではないからな」
「えっ」
「彼女は君に言ったはずだ。自分はもうロボットと入れ代わってしまったと。本当の片木律子は、もういない」
「そんな」
「なぜ、驚いている」
あたしは、このとき初めて天使の言葉に違和感を覚えた。
「じゃあ、あたしが仲良く話していたのは本当にロボットなの」
「仲良くできたなんていうのも、思い込みさ。ロボットは心を開かない。片木律子も」
あたしは彼女に手紙を書くことにした。「お元気ですか」に始まる短い文章だったが、返信はこなかった。
食事はいつも、ドアの前までママが運んでくる。誰もそこにいないことを確認してから、あたしは静かにドアを開けた。ほんの少し口をつけ、残りは廊下に返しておく。
けれどその日の晩は、久しぶりに自分から居間に出て、ママと一緒に食事をした。
「あの人はいないの?」
「パパなら遅いわ。仕事、忙しいから」
「ママはさ、あの人のどこが好きなの」
「そんなの、静香に関係ないでしょ」
なんでそんな言い方をするのか。「じゃあ、あたしもあの人、絶対パパとは呼ばないから!」
するとママも声を荒げ、「あなたは自分じゃ何もしないくせに、どうして周りの人には文句ばかり言うの」
「周りの人、関係ないじゃん。どうしてあたしが、ママに気持ちぶつけちゃいけないの」
「ああ、もう、やめて」
「わかったよ。話さない」
「いつもそうやって拗ねる」。大袈裟な溜め息をつき、「わたし、もう、あなたの親でいることに疲れたわ」
あたしだって、好きで産まれたわけじゃない。
「うん、いいよ。今まで、愛してくれなくてありがとう。今度はほんとに死んであげるから、止めないでよね」
こんな言い争いをする為に、居間に出てきたんじゃなかった。あたしはただ、片木律子からの手紙が届いていないか、訊きたかっただけだ。
部屋に戻ると、ドアの向こうで皿が割れる音、鳴咽する声が聞こえ、やがてお祈りの言葉が聞こえてきた。
ばかみたい。
世の中や、自分たちの境遇を振り返れば、神様があたしたちの味方じゃないってことぐらいわかる。
辛くなりそうだったから多めに薬を飲み、明るい音楽をかけ、ベッドの上でゲロ野郎たちの殺し方を考えた。黒羽根の天使の視線を感じながら。
いつの間にか眠ってしまったらしい。夢を見た。
教室でゲロ野郎たちに囲まれ、あたしは相変わらず虐められていた。チャイムが鳴り戸が開くと、ギクシャクした動作の片木律子が入ってきて、黒板の前に直立する。眼鏡がずり落ち、首から火花を散らしながら震えだす。指が床に落ちて転がる。肩が取れて分解し、錆の浮いたスクラップになってしまった。
みんなは、それを見てゲラゲラと笑った。
目が覚めたあたしは、いつまでも悲しかった。