第6話 結局、わたしは道具なんだろうか
王家の紋章が押された封筒は、辺境の木製カウンターの上では不自然に白かった。
朝一番にギルドに来たら、ガレスが渋い顔で待っていた。カウンターの上にその封筒が置いてある。蝋の封印。金色の紋章。間違いなく王宮からの正式文書だ。
「読んだのか」
「ギルドマスター宛だからな。読んだ」
ガレスが封筒を押しやった。
中身を広げる。羊皮紙の手触りが滑らかで、上質だとわかる。指先に馴染む感触。王都の工房で漉かれた紙だ。辺境の紙とは繊維の密度が違う。王都のインクは辺境のものより薄い色をしている。文字は事務官の手による角張った書体。見覚えがある。学院の事務局で何度も見た筆跡だ。
内容は簡潔だった。
「古代防衛魔法陣の解読に関し、冒険者マレーネ・コルヴェンの協力を要請する。王宮学術局」
協力を要 。命令ではない。だが、ガレスの顔を見ればわかる。
「断ると、どうなりますか」
「国の依頼だ。断ること自体は可能だが、ギルド全体に影響が出る。辺境のギルドは王宮の助成金で回ってる部分がある。俺の立場で言えば、できれば受けてほしい。だが」
ガレスが、いつもと違う顔をした。怒りでも困惑でもなく、申し訳なさ。
「お前の事情は知ってる。無理強いはしない」
その言い方が、かえって胸に刺さった。ガレスの目に浮かんでいたのは、辺境のギルドを預かる人間の苦悩だった。王宮に逆らえば助成金が切られる。かといって、ギルド員を売り渡すわけにもいかない。
わたし一人の問題ではない。タルニスの冒険者たち全員に影響が出る。
返事をせずにギルドを出た。
◇◇◇
森を歩いた。
タルニスの裏手にある林道。木漏れ日が足元に斑の模様を描いている。足元の苔が柔らかくて、歩くたびに微かに沈む。苔の種類が三種類ある。丸葉型と尖葉型と、名前の知らない綿状のもの。
分類を始めたのは、考えたくないことから逃げるためだ。自覚はある。前世でも試験前に部屋の掃除を始めるタイプだった。
五年間かけて手に入れた自由が、わたし自身の能力によって脅かされている。
古代語が読めるから婚約者にされた。古代語が読めるから利用された。古代語が読めるから追い出され、古代語が読めるから呼び戻される。
結局、わたしは道具なんだろうか。
足が止まった。
大きな樫の木の下で、空を見上げた。葉の間から光が落ちてくる。前世の大学の中庭にも、こういう木があった。研究に行き詰まると、あの木の下でコーヒーを飲んだ。
コーヒーはないが、水筒の水は冷たくて、喉を通る感覚が気持ちよかった。
風が吹いて、木の葉が揺れた。光の斑が地面で踊る。この景色を見ているのはわたしだけだ。王宮の窓からは見えない景色。辺境の、わたしだけの時間。
違う。
わたしは道具じゃない。わたしの知識はわたしのもので、それをどう使うかはわたしが決める。王宮が欲しいのはわたしの能力であって、わたし自身ではない。なら、能力の使い方にこちらから条件をつければいい。
そう考えたら、少しだけ呼吸が楽になった。少しだけ。
樫の木の幹に背中を預けた。樹皮のざらつきが背中に心地よい。目を閉じる。風が葉を揺らす音。鳥の声。遠くで川が流れている。
この静けさを、手放したくない。
◇◇◇
林道からギルドに戻る途中で、ケイルとすれ違った。
「散歩か」
「考え事です」
「王宮の文書か」
知っていたのか。いや、ギルドの話はすぐ広まる。辺境は狭い。
「受けるのか」
「わかりません。まだ」
ケイルが少し黙った。視線が森の奥 向く。遺跡の方角だ。
「無理に受ける必要はない」
その言葉が本心なのか、判断できなかった。
ケイルの目が、一瞬だけ泳いだ。ほんの微か。見逃しそう ほど小さな揺れ。
この人にも、古代魔法陣の情報が必要な理由があるのではないか。
初めて遺跡を見たときの目。あれは好奇心ではなく確認の目だった。何かを探しに来た人の目。
聞きたかった。でも、聞ける段階ではない。わたしとケイルの関係は、まだ「依頼主と護衛」の枠を出ていない。個人的な事情に踏み込む距離ではない。
「ケイルは、なぜ辺境にいるんで か」
「仕事だ」
いつもの答え。でも今回は、その後に沈黙が長かった。何か言いかけて、飲み込んだような間。
「……戻るか」
話題を変えた。わたしも深追いしなかった。
並んで歩く道で、ケイルが無言でわたしの前の枝を避けた。低い枝が顔の高さにあったのだ。無意識なのか、意識してなのか。どちらにしても、この人は細かいところに目が届く。
◇◇◇
その夜、ギルドの酒場でガレスに答えを伝えた。
「条件付きで受けます」
ガレスが杯を置いた。
「条件は。王宮に戻るのではなく、ギルド経由の外部委託として処理してください。わたしはタルニス・ギルドの冒険者として協力する。報酬もギルドの標準報酬体系に準じる。王宮の指揮下には入りません」
ガレスが唸った。
「王宮が呑むかどうかはわからんぞ」
「呑まなければ、他に古代語を読める人間を探してもらうだけです。いないと思いますけど」
言ってから、少し意地が悪かったかと思った。でも事実だ。
ガレスが、にやりと笑った。
「面白い交渉だな。やってみるか」
ブリジットが隣の席から首を突っ込んできた。
「あんた、令嬢だった割に交渉上手だね」
「五年間、社交界で鍛えられましたから」
本音を言えば、交渉が上手いのではなく、自分の持っているカードを正確に把握しているだけだ。わたしにあって王宮にないもの。古代語の読解力。それがわたしの唯一にして最大の交渉材料。
宿に戻る前、窓から夜空を見上げた。星が見える。
自由を守るために戦うのは、自由に生きるのとは違う。でも、逃げ続けるよりは、自分の条件で立ち向かう方がいい。たぶん。
寝台に横になると、暗闘の中で昨夜見たものを思い出した。ケイルが宿の裏手で、何かの書簡を書いていた。小さなランプの明かりの下で、慎重に封をする手つき。
誰に宛てた手紙なのか。
聞かなかった。聞けなかった。
条件をつけて受け入れる。逃げるのとは違う。戦うのとも違う。自分のルールで、自分の領域を守る。それが、今のわたしにできる最善。
ガレスが「面白い交渉だな」と笑ったとき、少しだけ肩の力が抜けた。面白い。そう言ってもらえるなら、まだ大丈夫だ。
天井の木目を見つめながら、目を閉じた。




