番外編⑥ 光を見つけた日 ― 水瀬奈央 ―
金属と油の匂いがまだ染みついた制服を脱ぎ、
水瀬奈央は更衣室のベンチに腰を下ろした。
スマホの画面には、工場のモニターで取得したデータのグラフ。
まだ慣れないが、不思議と目を離せなかった。
「……綺麗、だな」
山と谷の揺れ。
自分が触れた部品たちが、数字という言語で息づいている。
でも――
「綺麗だからって、それが“いい仕事”とは限らないよな……」
奈央はため息をついた。
新人として入社してから二年。
作業者と技術者の間で揺れる日々。
データは正しい。
でも、現場は数字だけで割り切れない。
その狭間で、自分が立つ場所をまだ見つけられずにいた。
◆回想 ― 入社初日
「覚えること多いけど、一緒に頑張ろうね」
先輩にそう言われた日、奈央は曖昧に笑って頷いた。
だが現場は想像以上に厳しく、速さと精度と暗黙のルールが渦巻いていた。
「誰よりも早く不良を見つけろ。それが品質管理の仕事だ」
理由を聞いても、答えはいつも同じだった。
「そういうものだから」
奈央は従うしかなかった。
◆湊との出会い(再解釈)
システム導入のテストの日、湊に初めて声をかけた。
「……あの、これって現場のやり方否定しちゃいませんか?」
自分でも意外なほど、鋭い質問だった。
湊は少し驚いたように目を見開き、すぐ柔らかく答えた。
「否定じゃない。
現場の経験を“残せる形”にするんだ。」
奈央は息を呑んだ。
理由のある仕事を、初めて言葉で教えてくれた人だった。
◆怒号の朝
データ導入に反発し、現場がラインを止めた日。
ベテラン作業者たちの中で、奈央は身動きができなかった。
「私……どっちにつけばいいんだろう」
若手として、現場にも恩義がある。
でも湊も、未来も、間違っているとは思えない。
黒田の目も、千賀の声も、未来の視線も、全部“正しさ”を抱えていた。
その時――湊が言った。
「数字は人を責めるためではなく、未来を守るために使う。」
奈央はその言葉を、ただ胸に刻んだ。
◆現在・工場の夜
奈央はひとり、暗いラインの前に立っていた。
モニターだけが光り、データがゆっくり流れていく。
「湊さんのやってることは……正しいと思う」
でも、それでも不安は消えない。
「正しいことって、いつも誰かを傷つける気がするんだよ……」
その時、背後から声がした。
「迷ってる顔だな」
黒田だった。
「す、すみません、勝手に残業してて」
「責めてねぇよ。迷ってる奴ほど現場に来る。それでいい」
黒田はモニターを見つめた。
「お前は何がしたい?」
「……私は……」
奈央は答えられなかった。
怖かった。
自分のやりたいことが、誰かを否定するようで。
黒田は静かに言った。
「現場はな、“自分の役割”を見つける場所だ。
正しいかどうかは、結果じゃなく姿勢で決まる。」
その言葉が胸に落ちる。
「姿勢……」
「お前は数字が好きなんじゃねぇ。数字に宿る“意図”が好きなんだろ」
奈央は目を見開いた。
そうだ。
単にデータが綺麗だから惹かれるのではない。
誰かの努力や経験が数字という形で浮かび上がる瞬間が好きだった。
その瞬間、奈央の中で言葉が形になる。
「……私、
“人の気づきを見つけて言葉にする人”になりたいです」
黒田は鼻で笑った。
「いいじゃねぇか」
「でも私、分析も工学もまだ全然……」
「役割は今決めるんじゃない。積み上げて気づくもんだ」
奈央は小さく頷いた。
◆奈央の決意
帰宅前、彼女は湊にメッセージを書いた。
『次のラインの分析、私にもやらせてください。
“気づきを共有する役割”になりたいです。』
送信ボタンを押す手が震えた。
数分後、返信が来る。
『もちろん。君が必要だ。』
奈央はスマホを胸に当て、目を閉じた。
「……いつか、“光を見つけられる人”になれますように。」
その祈りは小さかったが、確かな始まりだった。




