番外編⑤ 短期利益という正義 ― 千賀彰人 ―
星鋳精工・営業本部長、千賀彰人。
東京出張から戻った夕方、彼は本社の応接室にひとり腰を下ろしていた。
テーブルには、契約書のコピー。
上には太字でスタンプが押されている。
「納期遵守」「単価維持」「クレーム責任は自社負担」
千賀は書類の端を軽く叩いた。
「……どれも飲めば苦いが、飲まなきゃ会社が死ぬ」
それが現実だった。
◆過去 ― 入社当時の記憶
千賀が入社した頃、会社はまだ世界1位だった。
憧れだった。
自慢できる職場だった。
「日本が世界をリードしている」と確信できる場所だった。
しかしある時、ある顧客が席を立ち、こう言った。
「品質が落ちたのに、まだ“誇り”を語るのか?」
その言葉に、千賀は何も返せなかった。
技術も文化も誇りも、本当に尊い。
だが――「市場」は待ってくれない。
その日から、彼は決めた。
「誇りを守るために、まず生き残らなければならない」
その日を堺に、彼は“数字の人間”になった。
◆現在・会議での対立(補完描写)
「業界一位よりも、今期の黒字だろ」
あの言葉を言ったとき、
湊の目には失望と怒りが混じっていた。
それを見た千賀は、胸が痛んだ。
湊の願いが正しいことは、千賀も分かっている。
** だが、湊の願いが叶うまで会社が存続できるとは限らない。**
湊の未来は美しい。
未来の描く理想も美しい。
しかし千賀が背負っているのは――
来月の給料を払えるかどうかだ。
◆深夜・帰宅後
千賀はマンションのキッチンで缶ビールを開けた。
テレビのニュースが静かな音量で流れている。
「父ちゃん、今日も帰るの遅かったね」
リビングに駆け寄る小学生の娘。
千賀は笑顔を作った。
「ごめんな。仕事、ちょっと重くてな」
「お仕事って、かいぎ?プレゼン?それとも接待?」
「今日は……戦い、だな」
娘は首をかしげた。
「敵がいるの?」
千賀は言葉に詰まった。
敵……?
湊も未来も黒田も木原も、敵ではない。
むしろ大切な資源だ。未来そのものだ。
だが、千賀は答えられなかった。
「……守りたいものがあって、それを邪魔するものがあっただけだ」
「ふーん、むずかしいね」
「父ちゃんにもな……分からない時がある」
娘は千賀の手に触れ、笑った。
「父ちゃん、まもってる人いるんでしょ?」
その言葉に、千賀は目を閉じた。
「……ああ。会社というより、そこで働く人たちをな」
◆社長との対話(本編裏)
会議後の廊下。
千賀は天峰社長の背中を見つめていた。
「社長。俺は間違ってますか」
「間違ってはいない。
短期利益を守らなければ、改革が始まる前に会社は死ぬ」
「だが……湊たちとぶつかっています」
「それでいい。正義はひとつではない」
社長は振り返り、静かに言った。
「君は“今”を守れ。
湊たちが“未来”を作る。」
「その隔たりは……埋まるんでしょうか」
「埋めるのが経営だ」
千賀は初めて、そこに“役割”があることを受け入れた。
◆千賀の独白
ビルの外に出ると、夜風が頬を刺した。
千賀は空を見上げ、小さく笑う。
「湊。お前の未来は美しい。
でも、俺は“今日を生かす役目”を選ぶ」
胸ポケットには、今日結んだ契約書の控えが入っていた。
誰にも誉められない契約。
歴史に残らない数字。
しかしそれがあるから、湊が戦える。
「誇りは未来にある。
だが、未来は“今日の利益”の上になり立つ。」
遠く工場の明かりが、星のように瞬いていた。
それを見つめながら、千賀は静かに呟いた。
「俺は悪役で構わない。
誰かが未来を語れるように、俺が今日を繋ぐ。」
夜道を歩くその背中は、不器用で、孤独で――
しかし確かに、会社を支える柱だった。




