第一幕 魔除けの聖女として契約の履行を求む
「そうだな、うっかりだ」
「は、うっかりですか?」
「うっかりは誰にでもあることだから、しょうがないな!」
はぐらかすような王の声がして、周囲は同調するように声を上げる。止める間もなく、静かに女王の聖杯が運び出されていった。
けれど部屋を支配する静けさとは対照的にアンジェリーナの周囲から冷気が流れてくる。しかも、同時に三ヶ所から。
「ほう、うっかりか」
特に隣。隣から地を這うようなおそろしい声が聞こえる。ジルベルトからダダ漏れる冷気を感じたアンジェリーナはカタカタと小さく震えた。
おかしい、魔除けの聖女は人の使う魔法が感知できない仕様のはずなのに。雪山へ上着なしで放り出されたような恐怖を感じるのはなぜだろう。
半ば白目をむいて震えているアンジェリーナの願いは一つ。
……宿に帰りたい、できれば今すぐ!
アンジェリーナは祈るような気持ちで天を見上げた。
ああ、おばあさま。
人はなぜ、やってはダメなことをしてしまう生き物なのでしょう!
ーーーー
柔らかな風が吹いて、猫の尾のような草を揺らした。風に乗って、ジルベルトの手元に白い何かが届く。魔力の供給を受けて、白い何かは封書に姿を変える。
宛名を見て、ジルベルトはアンジェリーナに封書を差し出した。
「宛名はアンジュだ」
「珍しいですね、私宛てに直接届くなんて」
受け取って、アンジェリーナは慎重に手紙を開ける。
手紙には王の名とともに玉璽が押されていた。
つまり、王命。
自分でもわかる、珍しく緊張しているみたいだ。
続けて書き出しの一文を読んだアンジェリーナは軽く息を呑んだ。
――――女王の聖杯は器を取り戻した。
魔除けの聖女として契約の履行を求む。
止めた息を吐いて、アンジェリーナは手紙を掲げた。
「ラグイアーナ王国から宝具の修理が終わったという連絡がきましたー」
「ようやくだな。ほかに相手は何と言っている?」
「実際に魔力を流して、問題なく使えるか試験をしたいということです」
アンジェリーナはジルベルトに手紙を差し出した。
受け取った手紙に目を通すジルベルトの隣で、ルベルを抱っこしたアレスティオは首をかしげる。
「宝具って何だ?」
「正式には『三種の宝具』です。亡国セントレアで魔除けの聖女の力を借り受けるために作られた三つの魔道具のことですね。それぞれ聖騎士の剣、聖者の杖、女王の聖杯と呼ばれています。対魔戦で魔除けの聖女が戦線を離脱しても、もちこたえることができるようにという目的で作られました」
「もしかして魔除けの聖女絡みの用件か?」
「そうなりますねー。今回のお手紙は、そのうち一つの修理が終わったので来てほしいという依頼でした」
「そんなすごいものがあったのか。俺は聞いたことがないな」
「三種の宝具の存在は機密扱いでしたから。神殿でも知らない人のほうが多かったと思いますよ」
当時の状況を思い出したアンジェリーナは難しい顔をした。
あのころは視野が狭くて気がつかなかったけれど、もしかすると他国に「貸して」と言われるのが嫌だったから内緒にしていたというのもあるかもしれない。セントレア王や上層部の対応を思い出すと、十分にあり得そうな話だ。
ジルベルトの手元にある手紙をのぞいていたアレスティオが、アンジェリーナに視線を向ける。
「アンジェリーナ、ここに書かれている女王の聖杯とはどんなものだ?」
「女王の聖杯は魔除けの聖女専用の魔道具です。浄化、回復、毒無効、魔法抵抗向上の効果が付与されています。聖杯に水を溜めておけば聖水の代わりにもなりますし、経口摂取することで霊薬の役割を果たします」
「いいなぁ、それ。竜王国にもほしい。聖水は高価だし、すぐ品薄になる」
アレスティオは心底うらやましいという顔をする。
手紙を読み終えたジルベルトは思い出した顔でつぶやく。
「そういえばアンジュはリゾルド=ロバルディア王国の審議の場で、魔除けの聖女のローブの背を飾る紋章は三種の宝具を模したものだと言っていたか」
「ええ、そうです。よく覚えていましたね!」
「ド派手……いや、目立つ刺繍だったからな」
律儀に言い直すところが真面目な彼らしい。
アンジェリーナはふふっと笑った。
ローブと聞いて魔道具に興味のあるジャミルは瞳を輝かせる。
「三種の宝具については噂は聞いています。三ヶ国に一つずつ渡ったそうですね。実物を見たことがないので機会があればぜひ拝見したいと思っていたのですよ」
この三種の宝具はセントレア王国が滅び、領土を分割したときに周辺三ヶ国に一つずつ渡った。というのも魔除けの聖女が不在でも使えるようにという目的で作られた魔道具だから、魔除けの力が充填されていれば誰でも使える。
三種の宝具のうち、聖騎士の剣はムダルガンド。
聖者の杖はヴェルニローザ呪王国。
そしてラグイアーナ王国は女王の聖杯を選び取った。
ジルベルトは鞄から取り出した魔道具の手紙に連絡事項を書き込むと、魔力を流して次々と風に乗せる。彼方にある目的地を目指して、青い空を軽やかに飛んでいく手紙がアンジェリーナには白い鳥のように見えた。
アレスティオは手紙の行方を目で追いながら、首をかしげる。
「なぁ、ジル。宝具をなぜ三ヶ国に渡したんだ。今後も魔獣の大移動が起きることを考えたらリゾルド=ロバルディア王国こそ宝具が必要だろう」
ジルベルトは手紙を飛ばしながらアレスティオに視線を向ける。
「周辺三ヶ国が領土とともに宝具を受け継いだのは理由があるんだ。宝具を得た代わりに、各国は自分達だけで亡国セントレアと担ってきた魔獣対応区域を管理する」
「ああ、そういうことか。魔獣対応区域は広いからな」
苦笑いを浮かべたアレスティオにアンジェリーナは眉を下げた。
「ですが三種の宝具にはそのまま使い続けるには問題がありまして。古い時代の魔道具だけに充填部の容量が大きくて、燃費も悪いのです」
魔道具は三つあるのに、魔除けの力を持つ者は一人しかいない。しかも歴代でもっとも魔力量が多いとされるアンジェリーナでも三つの魔道具を完全に満たすことは無理だった。
「ですからこの三種の宝具を引き継いだ三ヶ国が魔道具を組み直し、燃費の悪い充填部を改良するということになっていたのですよ」
アンジェリーナの説明にジルベルトが補足する。
「この魔道具はアンジュの魔力を使って稼働する。当然のことだが、魔力が空になってしまえば使えない」
「そこで修理が終わったものに、私が魔力を補充することになっていました。これは各国と約束したお仕事の一つなのです」
魔力の充填という仕事は、表向きアンジェリーナが亡国セントレアの聖女筆頭として罪を償う姿勢を三ヶ国に示すという意図もあった。
そして裏には人々の目に見える形で実績を重ねて、アンジェリーナの無能で役立たずという評判を払拭したいという狙いもある。
「お仕事のついでに、魔除けの力にはこういう使い道もあるのだと各国に知ってもらう良い機会なのですよ!」
三ヶ国との契約はリゾルド=ロバルディア王国主導で結んでいて、初回は動作確認も兼ねて無料。双方の同意のもとに契約が更新されたら次回は要請を受けて魔力を充填するたびに契約に基づいてアンジェリーナに手当が支払われる。
感動でうち震えながらアンジェリーナは手紙を鞄にしまった。
「手当が見たことのない金額なんですよ。こんなにもらっていいのでしょうか?」
「あなた、元はついても唯一無二の魔除けの聖女でしょう。それが普通なんですよ。いいですか、搾取されることに慣れてはいけません。商人として、その台詞を聞くと胸が痛みます」
ジャミルはアンジェリーナに哀れむような眼差しを向けた。
笑ってごまかすと、アンジェリーナは小さく首をかしげる。
「それにしても、ずいぶん早く完成しましたね!」
「リゾルド=ロバルディア王国が改良した充填部の試作品を三ヶ国に提供したからな。アンジュが設計図を複写させてくれたおかげだ」
「設計図を提供したときは、こんなふうに使ってもらえるとは思わなかったので驚きました」
ジルベルトの「ようやく」という言葉はここにつながる。
各国が魔道具を得た代わりにリゾルド=ロバルディア王国はアンジェリーナと取引をした。それが三種の宝具の設計図の模写だ。そして複写した設計図を基にして研究者が燃費の悪い充填部を改良し、出来上がった試作品を三ヶ国に提供してくれた。
「試作品を本体に組み込み、各国で最終調整を行う。いつ完成するかは三ヶ国の技術力の違いだけだ」
「本当にすごいですね、リゾルド=ロバルディア王国の魔道具製作の技術は!」
あっという間に試作品を作ってしまうし、何ができるかわからない。
びっくり箱みたいだとアンジェリーナは目を丸くする。ジルベルトは誇るように胸を張った。
「我々が目指したのは従来と同じ性能を維持しながら充填部の容量を小さくすることだ。それと回路を整理して燃費を向上させた」
回路を整理すれば使う魔力量が減って、燃費が良くなる。さらに充填部の容量を小さくすれば充填する魔力の量が少なくて済むだろう。
誰のためかなんて聞かないでもわかる。アンジェリーナは深々と頭を下げた。
「こんなふうに使っていただけるとは思わなくて。ありがとうございます!」
「研究者も喜ぶだろう、伝えておくよ」
「ですが厚意に甘えただけのようで、ちょっと心苦しいですね」
「試作品を提供したのはアンジュのためというのが一番の理由だが、ちゃんと我々にも利があるから大丈夫」
そう話すジルベルトはひっそりと口角を上げる。
「ラグイアーナ王国が最終調整を行い、本体がうまく可動すれば、魔力を充填してアンジェリーナへの依頼は終わる。そしてリゾルド=ロバルディア王国は私の報告と、充填部に関する各国からの問い合わせがあった結果を参考にして、より効果の高いものへと改良していくことになるだろう」
「な、なるほど……」
「どんな技術も最初からうまくいくわけじゃない。三種の宝具を一個ずつ試行錯誤して、改良していくことを考えたら時間も費用も削減できる」
ほんの少し黒さのにじむ顔を見て、アンジェリーナの口元がゆるむ。
この仕組みを考えたのが誰かなんて聞かなくてもわかった。
「とはいえ今はまだ理論的には使えるという段階だ。実際にアンジュの魔力を流して、最終調整をする。これが今回の依頼の大きな目的だな」
「三ヶ国のどこへ行くか迷っていましたが、これで行き先はラグイアーナ王国で決まりですね!」
「ラグイアーナですか。ちょうどいい、私も重要なお客様に呼ばれていたところなのですよ」
ジャミルは鞄から色鮮やかな冊子を取り出して、アンジェリーナに差し出した。
「ラグイアーナ王国は絵画に演劇、服飾や装飾品が評判です。美術品のような劇場に魔唱姫と呼ばれる絶大な人気を誇る歌姫がいます」
「セイレーンですか、珍しい!」
アンジェリーナは目を丸くする。
魔唱姫――――セイレーンはさまざまな伝説をもつ魔物だ。元は精霊だし、容姿と声の美しさで有名だから、歌姫の愛称に選んだことは理解できる。
それにしても魔物の名を呼ぶなんて大胆なことをする。もし、本物が来たらどうする気だろう。
ジャミルが冊子を取り出して、アンジェリーナの前で次々と頁をめくった。
「ほら、こちらにある挿絵を見てください。これが歌姫の絵姿です」
「立ち姿もきれいだし、衣装も豪華で美しいです。ですが仮面で顔を隠しているので顔はわからないのですね」
「それが謎めいて魅力的なのですよ。それにほら、こちらに描かれているように景色もすばらしい国なのです」
芸術と宝飾の国、ラグイアーナ。
国土の大半が海に囲まれており、島々を橋でつなげて運河を走らせている。運河沿いに並ぶ色鮮やかな建物が海と空の青に映えて、まるで挿絵自体が一枚の絵画みたいだ。
描かれている風景も建造物もアンジェリーナが今まで見たことのないものばかり。アンジェリーナの顔がパッと輝いた。
「見たいです、行きたいです!」
勢いよく答えたものの、行程を確認するために地図を取り出したアンジェリーナは思わずため息をついた。
「うわ、遠いですね……」
大陸の端から端、スワラティ竜王国を起点にすると一番遠いところにある国かもしれない。これでは移動だけで三ヶ月くらいはかかるだろう。
地図を見つめたままアンジェリーナは途方に暮れる。
……こんなにもすばらしい景色だから、早く見てみたいのに。
すると地図をのぞき込んだアレスティオがハッとして顔を上げた。
「そうだ、この近くにいいものがあるぞ」
「いいものですか?」
「転移の魔法陣だ。行き先はラグイアーナ王国。まだ運用を始めたばかりだが、今なら融通が利くかもしれない」
「えっ、この距離をですか!」
アンジェリーナは呆然とした顔で地図を見つめた。
転移できる距離という部分では、リゾルド=ロバルディア王国の技術を上回るかもしれない。アレスティオは誇らしげに胸を張る。
「すごいだろう!」
「はい、すごいです!」
「一部が機械によって自動化されているから、我々は転送装置と呼んでいる」
驚いたアンジェリーナは目を見開いたまま、黙って建物を見つめる。
見た目だけではどんな仕組みなのか想像もつかない。
「昔からラグイアーナ王国の装飾品には竜王国産の宝石が多く使われていてな。それを商人が仕入れに来るのだが、これだけ距離が離れていると道中にも危険が多い」
大雨や砂嵐といった自然災害に巻き込まれたり、魔獣や魔物、もしくは盗賊に襲われることもある。だから数代前の王が、ここからラグイアーナまで直接移動できるような転送装置を造ろうと考えたのが計画の始まり。
アンジェリーナの呆然とした横顔を見て、アレスティオは誇るように胸を張った。
「仕組みもすごいぞ。転送には膨大な魔力が必要だから、それは魔力だまりから得た純度の高い魔力を使う。そして、それ以外の補助装置をヨナセア火山のマグマが発生させる魔力を代用して動かすんだ」
「地下に蓄えた魔力を、動力に」
「そうそう。昔から天然の素材には微量でも魔力が含まれるとされている。これは火山のある国だからこその発想だな」
そこまで聞いたところで、アンジェリーナはいきなり走り出した。




