第八話 警告、もしくは戒めのようなもの
「申し訳ありませんでした!」
「こちらこそ民間人という意識が薄くて申し訳ない」
「いいえ、見たいと言ったのは私です。まさかこんなご迷惑をおかけするとは思わず」
アンジェリーナの意識が途絶えていたのはほんの十分くらいだったようで、お姫様抱っこで運ばれている間に気がついた。視線をあげると、そこには真っ青な顔色をしたジルベルト隊長がいて驚いた拍子に落ちそうになったよ!
「まさか意識を失うところまで影響を受けるとは思わなかった」
「違います、本当にもう大丈夫なんです!」
しょんぼりとうなだれたジルベルト隊長をアンジェリーナはフォローした。だってあれは魔素に当てられたわけじゃない、たとえるなら拒絶反応だ。
魔と魔除けの聖女の力は対極にあるもの。魔除けの聖女だけが魔に干渉できる。裏を返せば、魔だけがアンジェリーナに干渉できるのだ。
あれは警告、魔の巣窟には手を出すなという戒めのようなもの。
過去、どれほど力のある魔除けの聖女がいたとしても魔力だまりを消すことができなかった。実際に見たからアンジェリーナにもわかる。あれは無理、手を出したら逆に喰われる。あれをどうこうできるのは、名に神とつく人ならざる存在だけ。
「疲れただろう、少し休むといい」
あとで迎えにくる。黙り込んだアンジェリーナに気を使ったのか、ジルベルト隊長は頭をなでた。相変わらず温かい手だ。一ヶ月の間一緒に過ごしたからわかる。強くて優しくて、誰からも慕われている人。私とは大違いだ。アンジェリーナは離れていく手を逆につかむ。彼は驚いて目を見張った。
「アンジュ?」
「ジルベルト隊長はセントレア王国の魔除けの聖女のことをどう思いますか?」
あなたは誰よりも先頭に立つ人だ。だからあなたの答えが聞きたい。
ジルベルト隊長は一瞬押し黙ったけれど、やがて重い口を開いた。
「二年前、たくさんの兵士が命を落とした。彼らは自らの義務を果たして死んだ。魔除けの聖女がきっとこの国を救ってくれると信じて、それまで持ちこたえるのだと」
「……」
「もちろん平常時なら個人の意思を尊重してもいい。婚約したばかりで浮かれる気持ちも理解できる。だがのうのうと幸せを享受する一方で命を落とす兵士達がいることを、彼女は何とも思わないのだろうか」
たしかに選択や優先順位は個人の自由、それでもだ……強く握りしめたせいで、彼の手がギリッと音を立てた。
「私は与えられた義務を果たさない人間は嫌いだ」
彼の瞳に暗く燃え盛る炎が浮かぶ。うらんで、憎んで、それでも尽きることのない怒り。彼は熱を逃すように、深く息を吐いた。
「すまない、君の国の人間を悪く言ってしまった」
「いいえ、私もそう思います」
アンジェリーナの中途半端だった覚悟がこの瞬間に定まった。彼らが憎むほどアンジェリーナを切望してくれたというのならば力を尽くす価値がある。魔除けの聖女としてではなく、アンジェリーナとしてこの国に手を貸すことを決めた。ただひとつだけ、心残りがあるとすれば……開きかけた口を固く閉じる。
バカだな、何を期待しているの。
こちらにどんな事情があろうが知ったことではないでしょうね。この国の要請を退けたという事実は変わらない。そのせいでたくさんの兵士が亡くなったという事実も。アンジェリーナはベッドから滑るように降りた。
「もう少し休んだほうがいいのでは?」
「いいえ、もう元気いっぱいです」
アンジェリーナはにっこりと笑う。時間が惜しい。早く、一つでも多く情報を集めなくては。アンジェリーナが歩き出すと、その背後からいぶかしげなジルベルト隊長の声がした。
「どこへいく気だ?」
「もちろん、勤務先の宿舎ですよ」
「方角が違う。宿舎はあっちだ」
「……」
「そもそもの話、まだ宿舎の場所を教えていないはずだが」
アンジェリーナは無言で方向を変える。
「切り替えが早いのはいいが思い込みが過ぎる」
「うるさいですよ、ちょっと間違えただけじゃないですか」
呆れたような声が降ってきたので反射的にポンと言い返す。しまった、不敬まっしぐらだわ。頭上で吹き出すように笑う声がして、ジルベルト隊長が隣に並んだ。足並みを揃えて、ゆっくりと廊下を歩く。
「図太いのか、繊細なのか。うっかり目が離せないな」
「ご安心ください。図太いのは認めますが、繊細ではありません」
「認めてどうする。普通は逆だろう」
気安い会話、少し前までは想像もしていなかった心穏やかな時間が流れていた。
「そういえば、ひとつ聞いていいか?」
「どうぞ?」
「アンジュは倒れる前に、もっと短いと言った。あれはどういう意味だ?」
よく覚えているなー。言った当人はすでに忘れかけているのに。でも詳しくは話せない。魔除けの聖女であることがバレてしまう。ただ……忠告くらいはしておくべきだろう。
「昔、おばあさまが教えてくれたのです。普段と違う動きがあるときは、見えていないだけで理由があるのだと」
「理由、それは?」
「因果関係というものですかね。おばあさまが旅人から聞いた話だそうですが、遠く離れた異国には、ここと同じように大きな魔力だまりがあるそうです。その場所では、これまで活発だった魔獣の生まれる頻度が目減りするという不可解な現象が起きることがあるとか」
「……」
「目減りする期間は数週間から一ヶ月。止まるわけではないので、よくよく気をつけていないとわからないこともあるそうです」
しかも定期的に必ず起きるというわけではないらしい。あくまでも過去にもそういうことがあったという言い伝えが残されているだけで、絶対起きるという保証はないそうだ。
「ただ旅人はこうも言っていたそうです。その静止状態が終わった次のタイミングで魔獣の大移動が必ず起きる。記録にも残されているようで、これだけははっきり言えるそうです。だから兆候に気がついたら周辺の住民はいち早く逃げる準備をするのだとか」
噂すら貪欲に集積したおばあさまの知識。そこに魔の巣窟を実際に見たアンジェリーナの勘を加味した。
「ここ最近、今日のように魔獣の出現率が下がることはありませんでしたか?」
「……それは」
「もしくは逆に他国の魔力だまりで出現率が上昇したという情報は?」
「っ、それはどういうことか?」
「書物にも書かれていますが、魔力だまりは水脈のように地下で繋がっているとされています。水源の一つが汚染されれば水脈にも影響を及ぼすものと同様に、どこかが活性化すれば、引きずられて他の魔力だまりも活動が活発になるということは十分にあり得るとは思いませんか?」
呆気にとられた顔でジルベルト隊長は足を止める。真剣味を帯びた眼差しを受け流すように、アンジェリーナはふふっと笑った。
「その知識、どこから」
「おばあさまの知恵袋です!」
アンジェリーナはドヤ顔で胸を張った。年寄りの戯言と侮ることなかれ。セントレア王国の神殿で知恵の書と評された方だ……なんてことは言いませんけれどね。私が魔除けの聖女であることは秘密なのです。
「又聞きであることは否定しませんし、誇張も含まれているかもしれません。ですが火のないところに煙は立たないものですよ」
「ということは……」
「もし出現率が目減りしているのであればこの一ヶ月以内に魔獣の大移動が起きる可能性があります」
ジルベルト隊長は沈黙した。それもそうだろう、あと一ヶ月以内なんていくらなんでも早すぎる。だが私の情報が正しいとする根拠もない代わりに、嘘と断定できる証拠だってないはずだ。情報は渡したし、忠告もした。あとは彼らがどこまで真剣に受け止めるかだけ。
「ちなみにその旅人はどこからきたかわかるか?」
アンジェリーナはこの国より北にある島国の名を口にした。こんな荒唐無稽と思えるような情報を一蹴しないところはさすが特務部隊を率いるだけある。見定めるように目を細めてジルベルト隊長が一歩前に出た。威圧がすごいけれどアンジェリーナは決して引かない。引き下がる理由がないからだ。
「アンジュ、いや、アンジェリーナ。君は一体何者なんだ?」
さて、なんと答えたらいいか。アンジェリーナが首をかしげたときだ。角を曲がって兵士が姿を現した。
「ジルベルト隊長、緊急事態です!」
「どうした!」
「セントレア王国から連絡がありました。国内の魔力だまりから大量の魔獣や魔物が発生、また結界の外からも大量の魔獣や魔物が領土に押し寄せているそうです。至急応援を要請すると!」
ジルベルト隊長は呼吸を忘れたように息を呑んだ。
ほらね、こういうことだ。アンジェリーナは口角を上げる。それにしてもセントレア王国は魔獣の大移動を待つまでもなく耐えきれなかったか。だから言ったのに……私が役立たずであることは幸せなことだ、と。
さあ、あなた達の愛する聖女が役立たずに堕ちていくさまを見るがいい。