第七話 存分に異国の空気を満喫しましょう
アンジェリーナの想定どおり、フェレス副隊長の口利きもあってさらっと入国できました。
真面目に一生懸命働いてよかったです、ありがとうございます!
「それで、このあとはどうされるのですか?」
「まずは宿を取りまして、それから仕事を探します」
この検問所は王都から二日ほどの距離にある。何度か使ったことがあるそうで兵士の皆様から安くて安全と評判の宿をご紹介いただいた。しかも万が一セントレア王国から接触があったとしても、ここなら検問所が近いからすぐに逃げることができる。
「この付近で働き口を探しつつ、色変え魔法薬を売った商人を探すことにします」
そうです、表向きの理由があることを忘れてはいけませんよ!
「ですが働き口を探しつつ、人を探すというのもなかなか大変ですよね」
思案したフェレス副隊長はポンと手を叩いた。
「そうだ、よければ我々の宿舎で働きませんか?」
「えっ⁉︎」
思いもよらない申し出にアンジェリーナは目を丸くする。
「宿舎ということは、王都のですか?」
「ええ、ちょうど管理人さんから人手が欲しいと相談を受けていたのですよ。魔獣の大移動に合わせて兵士の数も増やしているので大忙しのようなのです。部屋も余っていますし、住み込みで働きながら人が集まりやすい王都で商人を探すというのはいかがでしょう?」
たしかに良い案のように思いますが。そこまでしてもらうのはどうにも心苦しいというか、怪しいというか?
「住み込みですから食事も出ますし、部屋代はタダです。しかもお給料まで出ます」
フェレス副隊長はにっこりと笑った。ますます怪しい。アンジェリーナは眉根を寄せる。
「どうしてそこまでしてくださるのです?」
「簡単なことです。この一ヶ月間、あなたをずっと見ていました。その結果、あなたは信用できると判断した。それだけです」
たったあれだけで。アンジェリーナは言葉を失った。
「私を信用してくださるにはうれしいのですが。たった一ヶ月だけのことですよ?」
「人が人を裏切るのに一ヶ月もあれば十分です。あなたは我々の生命線である食事の調理と、怪我人には道具を使い治療もした。もしあなたに悪意があるのなら、どちらも絶好の機会なのです。ですがあなたは誠意をもって我々に尽くした」
「……」
「ちゃんと気がついていましたよ。あなたは自分が作った料理を必ず皆の前で最初に口にします。あれは毒味のつもりなのでしょう? 我々が気兼ねすることなく、安心して口にできるように。それから治療もそうです。必ず私がいる前で処置します。手順に間違いがないか確認させるとともに、怪しい動きがないか目視させるためでしょう? そうすることで怪我人は安心して治療を受けることができる」
「気づいていたのですか」
「もちろん。たった一ヶ月だろうと、あなたは我々が魔物や魔獣と全力で戦えるよう最善を尽くした。ですから我々もあなたの努力に報いたいと思ったのです」
フェレスは手を伸ばしてアンジェリーナの頭をなでた。アンジェリーナはうれしそうに頬を染める。口にしなくても気がついてくれた。それがこんなにうれしいことだとは思っていなかったわ。
そして色づいたアンジェリーナの微笑みにフェレスは視線を奪われる。普段は大人びているだけに無防備なところがより際立つというか。時折見せる素直なところがかわいらしい。フェレスは目元を和らげた。
「アンジュはかわいいですね」
「はっ⁉︎ いやいや、そんなことはじめて言われましたよ! セントレア王国では青白い生気のない不細工な顔とか、何を考えているかわからなくてうす気味悪い、冷酷な女とか言われていたので」
「ほう、それは具体的に誰ですか? 本名を教えてください」
フェレス副隊長が笑みを深めた。ハッとしたアンジェリーナは勢いよく視線をそらす。しまった、うっかり鬼畜スイッチ押したかも。このままでは国を跨いで粛清案件になってしまう。耳元でフェレス副隊長の声が甘く響いた。
「ねぇ、アンジュ。返事は?」
「はい、宿舎でお世話になります!」
「そうですか、それはよかった」
ええそう、私の未来と精神的な平穏のために何も言わない代わりに聞かなかったことにしましょう!
宿舎の住み込みの件は悪くない話だ。そこまで長く滞在する気もなかったし、魔獣の大移動を見届けてから落ち着いたところでひっそりと移住すればいい。一瞬、脳裏にジルベルト隊長の顔が浮かんだけれど軽く頭を振って追い払う。
勘違いしちゃいけない。あの優しさは同情からくるものだ。
「では移動しましょう」
副隊長が差し出した手をそっとつかむ。不思議だ、セントレア王国ではこんなふうに手を差し伸べられたことなんて一度もなかった。まるで私に優しくすることが罪のようだったもの。
もしかするとセントレア王国の誰かが探しに来るかもなんて考えていたけれど、それはなさそうだ。ただの自意識過剰じゃないの、恥ずかしいわー。
「では転移の魔法陣に案内します」
「すごいですね、こんなに大きな魔法陣が!」
台座の見た目は古代の遺跡みたいだ。巨大な石を組み合わせた石組みの上に強化と修復の魔法がかけられている。脆そうだけれど簡単には壊れないようにできているということか。足元には魔法陣が描かれていて、この大きさだと一度に十人くらいは余裕で転移させることができるだろう。
「これだけ大きなもので魔力の供給はどうするのです?」
「魔力だまりがありますからね。排出された魔力の余剰分は門に供給されるようにしています。ここ以外にも必要と思われる各所にこれと同じものが設置されているのですよ。国内でしたら大抵の場所にすぐ転移できます」
「それは便利ですねー!」
魔獣の大移動というリスクを負いながらも魔力だまりの上に住み続けるのはこういう恩恵があるから。すごいな、これ以外にもセントレア王国では見たことのないものがありそうだ。
門にたどり着くと、ジルベルト隊長が待っていた。私の顔を見るとほっとしたような表情で笑って、そのことにほんの少しだけ胸が騒ぐ。
「話はついた?」
「はい、もう少しお世話になります」
「もう少しと言わず、ずっといてくださってもいいのですよ?」
「あはは、まあ先のことはあとで」
フェレス副隊長がグイグイきますね。特製スープがそんなに気に入ったのかな。じゃあ国を出るときがきたらレシピを置いていこう。これで万事解決と思ったら、ジルベルト隊長は添えられたアンジェリーナの手をみて軽く眉根を寄せる。
「ずいぶんと仲良くなったのだな」
「いけませんか?」
何を考えているのやら。フェレス副隊長はアンジェリーナの手を握って、にこやかに微笑んだ。
「そうか、ならば受けて立つ」
二人とも笑っているのに空気が微妙だ。ジルベルト隊長はアンジェリーナのもう片方の手をさらっとつかんで軽く引いた。
「それでは行こうか」
「はい!」
最後は度胸。アンジェリーナは深く息を吐いて転移の魔法陣に乗った。魔力が供給されると線が輝いて一瞬だけれどひかりを放つ。あまりの眩しさに目を閉じると、一瞬の浮遊感のあと、地に足がついた。目を閉じていてもわかる。喧騒と、周囲の空気や香りが違う。
「もう目を開けて大丈夫ですよ」
フェレス副隊長の声にそっと目を開けた。セントレア王国の色鮮やかな街並みとは違って、リゾルド=ロバルディア王国は灰と白と黒の石組みの堅牢な建物がどこまでも続いている。でも地味ではなく、至るところに赤や青や黄色といった華やかな生地に、金や銀の刺繍が描かれた豪奢な旗がひるがえる。威風堂々とした城塞都市。威厳があって美しい、そんな台詞がぴったりとはまった。アンジェリーナは瞳を輝かせる。
「素敵、想像以上だわ」
「それはよかった」
うれしそうに笑って、ジルベルト隊長はアンジェリーナの手を引いた。
「ようこそ、リゾルド=ロバルディア王国へ。まずは我々、対魔獣特務部隊本部に案内しよう」
「……へ?」
対魔獣特務部隊。なんですか、その仰々しい名前は。
めちゃくちゃ身分の高そうな……権力の香りがするじゃないですか!
「内部で取扱う情報には機密も含まれます。関係者以外には内密にお願いしますね?」
もう片方の手をつかんでいるフェレス副隊長が口元に指先を当てて甘い声で囁いた。これって外部に漏らすなってことですよね。もしかして他国に移住するのも制限されるレベルですか?
無言で両側を固めたまま二人はにこやかに微笑んだ。完全に囲い込まれている。いつのまにか退路を断たれたアンジェリーナは顔色を悪くした。
「わ、私は色変え魔法薬を売った商人を探さねばならないのですが」
「もちろん我が隊が全面的に協力しよう。預かった瓶を鑑定部署に回して国内の販売登録されている商品に適合するものがないか調べてもらう。そのうえで適合する物がなければ、国外に通達して同様に調査してもらう予定だ」
まさかの国を巻き込んでの捜索。アンジェリーナは呆然として言葉を失った。ジルベルト隊長はニヤリと笑う。
「特務部隊の名は飾りではないということだ」
「いやいやいや、そこまでは望んでおりません。国家の横暴、権力の無駄遣いです!」
「無駄ではありません。絶対に見つかるから安心して任せてください」
さらっと答えたフェレス副隊長の微笑みがこわい。逆よ、逆。むしろ簡単に見つかったら困るの。
「自分で心ゆくまで探しますからお気になさらず!」
ひとまず瓶を回収して、困ったら相談させてもらうことにした。コワイワー、国家権力。簡単にできそうな雰囲気がさらに恐怖を煽ります。回収した瓶を鞄の奥にしっかりとしまって、ようやくほっと一息ついた。
さてどうするかな。短い時間ですが私は考えました。いくら機密情報を扱うとはいえ、そもそも情報に触れなければいいのです。だってお掃除、洗濯、調理の手伝いに、食料の買い出しですよ。どこに機会があるとお思いですか?
そうよ、魔獣の大移動さえ見届ければあとは自由の身。それまでは存分に異国の空気を満喫しましょう!
「宿舎に行く前にどこか行きたいところはある? 荷物は少ないし、買い出しが必要なら付き合うぞ?」
「まずは荷を整理して必要な物を確認してからにしたいです。余計な物を買ってしまうと逆に荷物になるので」
「まあ、それもそうか」
「それよりも先に見てみたいものがあるのです」
「なんだ?」
不自然にならないよう、どこまでも話のついでという雰囲気をまとわせる。そう、これこそがリゾルド=ロバルディア王国についたら真っ先に見たいと思っていたもの。私の人生にとって無縁ではいられないものだ。
「リゾルド=ロバルディア王国の魔力だまり……通称魔の巣窟が見たいです」
思ってもいなかったのだろう。二人は目を見張った。リゾルド=ロバルディア王国の魔の巣窟は、この世に蔓延る魔とつくものが生まれるところ。ここから闇が生まれ、魔獣の大移動がはじまる。フェレス副隊長は目を細めた。
「どうして見てみたいのですか?」
「リゾルド=ロバルディア王国の一番の観光名所だからです」
用意してきた理由をさらりと答える。嘘偽りなく、観光案内のトップを飾る情報だもの間違いはない。だけど彼は硬い表情をしたまま、ゆるく首を振った。
「魔獣の大移動の兆候が見られるときは非公開なのです」
「そうですか、それは残念ですね」
たしかに、安全確保が最優先だ。観光客の目の前で魔獣の大移動がはじまれば安全確保なんて言っていられないものね。場所だけ確認しておいて、あとでこっそり見に行こう。けれどジルベルト隊長はちょっと考えて、アンジェリーナの手を握った。
「いや、いい機会だ。見せておこう」
「隊長、ですが!」
「リゾルド=ロバルディア王国に住んでいながら場所すら知らないとすれば命に関わる。特務部隊の宿舎に住むなら余計にだ。魔獣の大移動が起きれば無関係ではいられない」
「それはそうですが……」
「隠すようにして守るだけが優しさじゃない。自分の人生なのに選ぶことができないなんて、やりきれないだろう」
どうして彼はこんなにもアンジェリーナが欲しい言葉をくれるのか。アンジェリーナはかすかに痛む胸を押さえた。魔除けの聖女と呼ばれていた私のことを欠片も知らないのに。
「気持ちのいいものではない。それでも見るか?」
「はい、見せてください」
「では早速、対魔獣特務部隊本部に行こう」
「どうしてですか?」
「来ればわかるよ」
二人は視線を合わせて意味ありげに笑った。そして特務部隊の本部があるという敷地に連れてこられたのだが。
「こういうことだったのですね」
広さのある中庭のど真ん中に深々と抉れた大穴があいている。底を満たすのは黒々としたとぐろを巻く濃厚な魔素の塊。柵の外からでも一目で危険なものとわかる様相をしていた。大穴を中心とした中庭を囲うように砦のような石造の建物が建っている。
「あれが魔力だまり、そして石造の建物が特務部隊本部だ。この国の魔法師や魔法剣士の精鋭が集められている」
「……」
「ここに魔力だまりがあるから砦が設置され、特務部隊が編成された。魔獣の大移動がはじまるとまずは敷地内で対処する。魔獣を削れるだけ削って、対処しきれなくなったところで鉄扉を開くんだ」
ジルベルト隊長の指先が順番に門を指していく。全部で五つ、それぞれ門は各国の魔力だまりがある方向へと伸びていて、他国に到達した魔獣は他国の責任において対処する。周辺各国とはそういう取り決めがなされているそうだ。
「ここが最初で最後の砦。魔獣の大移動がはじまると全員がまさに命懸けで戦うことになる」
「……二年前の戦いで亡くなった方もいるのですか?」
「ああ。友人も、尊敬する先輩もここで亡くなった。隊員には家族を亡くした者もいる」
二人は悼むような眼差しを向けた。そのとき私は何をしていただろうか。掃除に洗濯、他の聖女の手伝い。調理場でいつものようにジャガイモを山ほど剥いていた。
――――違う、私はそのために生まれたわけじゃない。
「今日は珍しく姿を見せていないが、普段は頻繁にさまざまな種が生まれる。それを日や時間を決めて、各国から招いた視察者や観光客の前で狩ってみせるんだ。一種のパフォーマンスだな」
冷たく暗い眼差しで魔の巣窟を見つめる。
模擬戦のようなものだろうか。リゾルド=ロバルディア王国で魔獣を狩ることがどれだけ重要で、どれほど大変なことなのかを各国に理解させる。たしかに百の言葉で飾るよりも一目見てもらうほうがわかりやすいこともあるのだ。他国の理解を得るためには必要なことなのだろう。ただ心から楽しんでいるわけではないということはわかった。
「すみません、嫌なことを思い出させてしまいました」
「いや、いい。仕方のないことだから」
ジルベルト隊長はあきらめた顔で笑った。配慮に欠けていたとアンジェリーナは唇を噛んだ。安易に観光気分で見たいという場所ではなかったということか。
「それで兆候が出ているとのことでしたが、次の大移動までどのくらい時間があるのでしょうか?」
「半年か、この状態を保っても一年だと」
あまりにも短い。間違いなく膨張は頂点に達しつつある。そこから生まれた魔獣の数は計り知れず、凶暴性は格段に上がるだろう。そう思ったアンジェリーナは探るように魔の巣窟をのぞき込んだ。
――――ドクン!
アンジェリーナには波打つ黒い脈動の奥で眼が開き、ニタリと歪んだのが見えた。瞳の虹彩や角膜は赤く、白目は黒く塗りつぶされている。アンジェリーナに宿る魔除けの聖女としての力が教えてくれた。あれこそが魔の巣窟の主。あらゆる魔とつくものを生み出す親であり、魔そのものだ。
「っ!」
一気に心拍数が上がって、呼吸が乱れる。うまく息ができない。きつく胸が締めつけられて崩れるように膝をついた。
「アンジュ、どうした!」
「魔素に当てられたのでしょうか」
青白い顔で荒く呼吸を繰り返しながらアンジェリーナは激しく首を振った。
そうじゃない、そうじゃないの!
ジルベルト隊長の胸に倒れ込んで、フェレス副隊長が手首をつかむ。
「もっと短い」
「……え? なんだって、アンジェリーナ!」
時間がないとそう思ったところで完全に意識を失った。