第二十話 今の私は、どこに行くのか選ぶことができるのです
突然の申し出にアンジェリーナは目を丸くする。ジルベルト様は深々と息を吐いた。
「……言いそうな気はしていた。でもアンジュは便利屋じゃないぞ。都合よく使わないでくれないか」
「そうじゃない。今回、アンジェリーナは魔窟の主と交渉するために貴重な手札を失っただろう? 貸し借りのない状態に戻ったわけで、次に同じ手は使えない。ならば失った貴重な手札の代わりに俺とルベルでできることを手伝わせてほしい」
謝罪と感謝の気持ちを込めて。
真摯な眼差しにアンジェリーナは顔色を悪くしてジルベルト様を見上げた。
え、王子殿下ってもしかして。
「……今ゾワってしたのですが、鳥肌が立つくらい良い人じゃないですか。これまでしてきたアレコレを思い出すと、こっちとしては罪悪感しかありません!」
「あっさり絆されるな。だいたい竜は魔除けの聖女と相性が悪い。ルベルの意思を無視するのはダメだろう」
「大丈夫、ルベルも同行したいそうだ。そうだな?」
王子殿下の言葉にルベルはうなずいた。アンジェリーナは驚愕する。
「ええっ、ルベルが承諾したのですか!」
本心を探るようにアンジェリーナは視線を合わせる。
一点の曇りもないファイアオパールの目が輝いた。
ああ、これ本気だ。
アンジェリーナは一瞬天を仰いで、苦笑いを浮かべる。
「ルベルが承知しましたか。では連れて行くしかありませんねー」
「おや、私のときは試しがありましたが王子殿下のときは不要なのですか?」
ジャミル様が怪訝そうな顔をするので少しばかり補足を。
「ルベルは竜なのです。竜が騎竜になれるのは、わずかでも神性を与えられきたから。そのうえで神性とは神の力の一端を与えられた証とされています。つまり神の力を与えられたルベルは神の意思を代行する者でもあるのですよ」
神の代行者でもあるルベルが、アンジェリーナに王子殿下がついて行くことを可とした。
理解したらしいジャミル様は苦笑いを浮かべる。
「なるほど、つまり神様が許可を出したのと同じ状態なのですね」
「そういうことです。聖女ならではの判断基準だとあきらめて呑み込んでくださいな」
隣を見るとジルベルト様が微妙な顔をしている。
ごめんなさい、二人旅のはずが愉快な仲間達が増えてしまって。
彼の肩を王子殿下が軽く叩いて、耳元でささやいた。
「別にアンジェリーナと存分に仲良くしてかまわないぞ、そういうときは空気を読んで横を向いておく」
「アレス、おまえ」
「それにこれでも身分は王子だ。ジャミルが邪魔するときはジルの援護をしてやる。どうだ、損はないだろう?」
ちょっと考えてジルベルト様はそれはもう深々と、海よりも深そうなため息をついた。
よかった、あっちも折り合いがついたらしい。
アンジェリーナはルベルと王子殿下と視線を合わせる。
「ではルベル、それから王子殿下も。これからよろしくお願いしますね!」
「よろしくなー、ただその王子殿下、というのはやめてくれ。目立ちすぎる」
「まあそうですねー、ならばアレスティオ様でいいですか?」
「アレスでいいぞ、長いから。ついでにアンジェリーナのことも短くしてアンジュと呼んでもいいか」
「ああ、それはいいですね。私も呼ぶならアンジュがいいです」
王子殿下—―――アレス様か、ジャミル様も提案に乗ってくる。
アンジェリーナはさほど悩むことなく、さらっと答えた。
「お断りします。今までどおりアンジェリーナか、別の呼び方でお願いしますね」
「え、どうしてだ。アンジュという呼び方は一般的だし、悪くないぞ?」
「いえ、そうではなくてですね」
アンジェリーナは慎重に言葉を選ぶ。
「以前は親しみを込めて誰にでもそう呼んでほしいと思っていたのですけれど、こうして旅に出た今はちょっと考え方も変わってきていまして」
そっと見上げるようにしてジルベルト様と視線を合わせた。
「できればジルベルト様にだけアンジュと呼ばれたいのです」
竜と竜騎士が唯一の目を、互いの身に宿して対とするように。
アンジュの呼び名はジルベルト様だけのもの。
ちなみにリゾルド=ロバルディア王国の対魔獣特務部隊本部の皆さんもアンジュと呼びますが、二度と会うことはないと思うので数に入れません!
すると突然真っ赤になったジルベルト様が呻き声を上げて、胸を押さえ膝から崩れ落ちた。
「ぐっ!」
「どどどうしました!」
あのジルベルト様が真っ赤になって、震えている!
こ、この尋常ではない苦しみ方。まさか遅効性の毒とか盛られた⁉︎
アンジェリーナが同じように膝をついて顔を寄せると絞り出すような声が聞こえる。
「アンジュ」
「はい、どうしました!」
「大好きだ」
「やはり毒……、うん?」
アンジェリーナは一瞬きょとんとする。
今、好きって言われたような。
じわじわと言葉の意味を理解して、ようやくアンジェリーナは花が咲くように笑った。
やっぱり好きな人の大好きは格別だなー。
「もちろん、私も大好きです!」
膝をついたまま、ほわほわと幸せそうに笑うアンジェリーナと、両手で顔を覆って耳まで真っ赤なジルベルトの周りを可視化できない花が舞っている。
それを呆然と見ていたアレスティオは真っ青な顔でジャミルを振り向いた。
しまった、これは想定以上かもしれない。
「ジャミル、おまえあんなのに耐えているのか。すごいやつだな! 一種の精神攻撃と一緒だぞ。時と場合と相手によってはバキバキに心折れるレベルだぞ!」
「はは、まだまだ青いですねー。あの程度なら朝の挨拶と同じです」
「おまえ……難儀な奴だなー」
態度を見ればジャミルだってアンジェリーナを好きだということが丸わかりだというのに。
まあそうだよな、簡単にあきらめがつくものを人は恋と呼ばないだろう。
アレスティオは甘くて吐きそうという顔をして。
いまだに立ち直れずにいるジルベルトの肩を叩いた。
「敵なしの対魔獣特務部隊元隊長に膝をつかせるなんて、アンジェリーナくらいだろうな」
「それは光栄ですね!」
「いいなー、俺も恋人とか欲しいなー」
「え、でもアレス様はすでにルベルが恋人のようなものじゃないですか。むずかしいと思いますよ?」
「たしかに婚約者と騎竜の相性みたいなものもあると父も言っていたからな。どんなすばらしい女性ならルベルが認めてくれるか」
「うーん、うん?」
これまた微妙にかみ合っていないような。アンジェリーナは首をかしげた。
王子殿下はアンジェリーナの顔を見て同じように首をかしげる。
「どうした?」
「ああ、そういうことか!」
かみ合わない原因がわかったアンジェリーナは、本日一番の爆弾を投下する。
「ルベルは雌、つまり女の子ですよ」
「……え?」
アレス様、気づいてなかったのだなー。
ようやく復活したジルベルト様が目を丸くする。
「竜に性別があるのか?」
「もちろんありますよー。圧倒的に雄が多いそうですが、ごく稀に雌も生まれるそうです。しかもルベルは陰陽の竜の片割れ、彼らは特別なのですよ。必ず相反する性質をもって生まれてくる。たとえばからだの色は黒と白。属性は光と闇のように。当然、雌雄もあります」
「ほ、本当か。では、まさかルベルは」
顔の高さまで抱き上げてルベルと視線を合わせると、ゴクリと唾を飲み込んだアレス様は真剣な表情で尋ねた。
「ルベル、おまえは雌なのか?」
厳粛な空気が流れる中、厳かな表情でコクリとルベルがうなずいた。
ほらね!
アンジェリーナは胸を張り、場の空気が静まり返る。
ジャミル様の鉄壁の無表情でさえくずれて、表現できない面白い顔になっていた。
「正直、私も今まで見たことも聞いたこともないです」
「でしょうねー、私も初代おばあさまが残した覚書で知ったぐらいですから」
「その覚書とやらを出版しませんか。欲しがる方はたくさんいますよ!」
「いやです。世に出てはいけない秘匿情報も多数含まれますので」
歴代のおばあさま方は皆、興味の幅が広すぎまして。少々どころか、だいぶ危険な情報も含まれているのですよ。冗談抜きで世界が変わってしまうかもしれません。
呆然としてルベルを見つめていたアレス様がハッとした。
「ということは、俺の婚約者はルベルが認めた女性だけだと」
「そうなります。女性同士ですから越えなくてはならない壁は高いでしょう」
「壁、そんなに高いのか?」
「そうですねー、これはあくまでも私の予想ですけれど」
—―――婚約者、できないかもしれませんね。
若干の憐れみを含んだ声でアンジェリーナが厳かに告げるとアレス様が膝から崩れ落ちた。
しまった、竜騎士まで討ち取ってしまったわ。
視線が合って、ルベルがパタパタと羽ばたきながら近づいてくる。
アンジェリーナは彼女にだけ聞こえる距離でささやいた。
「言わなくてもいいのかしら? あなた、本当は彼の唯一である番になりたいのでしょう?」
からかうように笑うと、ルベルは黙ってなさいよとばかりに短く鳴いた。
なるほど、自分の口から伝えたいわけね。
覚書によると竜が運命を共にするために選んだ相手を番と呼ぶそうだ。
ある日突然、騎竜が嫁にしてくださいと迫ってきたら。王子殿下は驚くだろうなー。
「長生きしている竜なら人に変化する術を心得ているでしょうし、過去には人と混じって暮らした竜もいたみたい。契約の基本は双方の同意、それさえ守れるのならあなたの好きにすればいいわ」
ただし、そこで言葉を短く切ったアンジェリーナは眼光を鋭くする。
「あなたがアレス様や他の人間達にとって脅威とならない限りは、だけれど」
番である前にルベルはアレス様の騎竜だ。ルベルの好意をアレス様が受け止めてくれるとは限らない。双方の思いが釣り合わなくてもそばにいる道を選んだのはルベル自身。
「ジルベルト様のご友人を悲しませるようなことは私だって避けたいの。そこは肝に銘じてちょうだいね」
叶わぬ思いに身を焦がし、邪竜となってしまわないように。
これはアンジェリーナの願いでもある。承知したとでもいうように、ルベルはもう一度鳴いた。
「それにしても皮肉なものね。あなたがアレス様と結ばれたら、あなた達の子は間違いなく王よりも濃く強い竜の血を受け継ぐ。でももし竜王国が彼を王と認めないのなら、おそらく二度と王家に濃い血は入らないわね」
国王陛下の思惑は一部当たりだ。これらの竜に関する知識は初代から綿々と受け継がれたもの。魔除けの聖女ではなく、竜の乙女としての知識というところか。もし国王陛下が魔除けの聖女の信頼を得ていたら、これらの貴重な知識が手に入ったかもしれない。
今は残念ながら、これらの竜の乙女の知識を伝える気はさらさらないけれど。竜王国の状況を見て余計にそう思った。このままでは竜を手に入れるために秩序すら曲げてしまう。
だから言わない。すべてを伝えることが正義ではないときもある。
誰がもっとも王にふさわしいのか、竜王国の人間が気づくといいわね。
アンジェリーナは小さく笑って空気を変えるようにポンと手を叩いた。
「そうだ。忘れていましたが、出発前に騎竜契約を完全なものに結んでおきましょうか」
ベルビナで言いかけたのですが、ジルベルト様が突入してきたのでうっかりしていましたよ!
「完全なもの、ということはまだ不完全とでも?」
「そういうことですねー。大丈夫です、私を信じてください!」
「またどうしてそういう言い方をするのか」
相変わらずの軽さしかない台詞にジルベルト様は深々と息を吐いた。
まだ出発前だというのに、アレス様の声が疲れ切っている。
「だんだんアンジェリーナの台詞に驚かなくなってきた自分がこわいな」
へへっと笑って誤魔化したアンジェリーナはアレス様とルベルの間に立った。
さあさあ、邪魔にならないようにちょっと端っこに寄りましょうか。
「どうすればいい?」
「契約の基本です。竜騎士が条件を提示して竜が同意すること。ルベルに約束するのです、アレス様ができることで、ルベルがそうであってほしいと願うことを」
アレス様はちょっと考えて、ルベルと視線を合わせた。
「さみしい思いはさせない。一緒に幸せになろう」
非常に簡潔で、愛ある言葉だ。ただちょっとそれでは愛が深すぎるのではと、忠告する気だったアンジェリーナは隣から放たれる殺気に固まった。
黙っていろという圧がすごい。
アンジェリーナですら生命の危機を感じるくらいルベルに気合が入っている。
おっかしいなー、魔除け全開なのに。こわくてこのくらいしか助言できないわ。
「い、いいのですか。本当にそれで。もうちょっと軽めの、ゆるい感じのほうが」
「いいんだ。力のない俺にできることはあまりないから、それくらいしか約束できない」
アレス様は申し訳なさそうな顔をしていますが、むしろ十分です。というかそれ騎竜契約どころかもはや番の、とさらに言いかけたところでルベルがアンジェリーナをにらんだ。
ええそう、むしろルベルにとっては望ましい展開。あまりにも思いが強すぎて、一緒にのあたりでアレス様の寿命すら伸びましたねたぶんですが。
それでも魂に傷がつくこともなく、契約の範疇に収まっているところはさすがだ。
この状況で竜に蹴られたら恋路を邪魔する者は冥界に落ちるのでしょうか。
本当、おとなしいふりしているけれどやんちゃというか……したたかというか!
困った顔でアンジェリーナは魔力を手繰る。
本人達が良いと言うし、あとは上司に丸投げしよう。
ふわりと風が吹いて、契約は天へと届いた。そして応じるように天からは祝福の光が舞い落ちる。
「え⁉︎」
「わかりますか、これが完全な契約です」
ルベルにも変化があったようで、周囲をきょろきょろと見回している。
「相手の見ているものが見えるようになったでしょう? 契約を交わすと種を越えて深い絆で結ばれるというのは過言ではないのですよ」
きっと今、二つの竜の目は同じ景色を映している。
練習すれば景色だけでなく、人でも物でも。普段は別の景色を映していても、相手に見せたいと意識することで別々の場所にいながら同じものを見ることができるようになる。
「つまり本来なら騎竜契約を結んだ時点で相手が今どこにいるか一目でわかるようになるのです。ですから騎竜が迷子なんてことはあり得ないのですよ」
だからアンジェリーナは初めに騎竜が迷子と聞いてたいそう驚いたのだ。
契約が中途半端だったのはルベルの知識が足りていなかったのもあるし、アレス様を他の竜に取られたくなくて焦ったのもあるかもしれない。
だから今度は契約をすっ飛ばすことができないように、アンジェリーナがちょっとばかり上のほうに報告しておいた。
「宣誓を破ったら冗談抜きで命にかかわりますからお気をつけください!」
ちなみに祝福の光が降り注いだのは、虚偽でないことを神が認めた証です。
そう答えると、アレス様は呆然としてつぶやいた。
「初めて聞いたぞ。アンジェリーナはそんなことまでできるのか」
「そんなことと言いますが、これでも少し前まで聖女だったのですよ」
古今東西、聖女とは神と人間を繋ぐ存在のはずですが。
ただこのことを知らないのなら、国王陛下や王太子殿下の騎竜契約というのも完全なものであるか疑わしいわね。アンジェリーナは竜舎でのんびりとくつろぐ竜の姿を思い浮かべる。
契約の匙加減も竜次第。さすが竜だわ、賢いだけではないということね。
「それでは今度こそ行きましょうか!」
改めて荷物を背負って、街道を歩きだした。
突然、背後から大きな声がしたのでアンジェリーナが振り向くと国境検問所で揉め事が起きたようだ。周囲を巡回していた兵士達の注意がそちらに逸れる。
よしよし、今のうちに!
アンジェリーナの視線を追ってアレス様が背後を振り返った。
振り向いた彼の視線の先にはヴァディス・スワラティの天船がある。
「ヴァディスとは道しるべという意味を持つ名だそうだ。たとえスワラティ竜王国がなくなっても、天船のある場所が竜騎士の故郷になる。きっといつか俺もルベルを連れてあの船に帰るのだろう」
道しるべか、アンジェリーナはジルベルト様と視線を合わせて微笑んだ。
手を差し出して、手を握り返して。
この手があるところがアンジェリーナの帰る場所だ。
「ちなみにもうひとつ、始祖王ヴァディス・スワラティは人生に迷う者に『あなたは何を選び、どこへ行くのか』と問いかけていたそうだ。それに倣って聞きたいのだが、これからアンジェリーナはどこに行くんだ?」
「さて、どこに行きましょうか。候補地が複数あるのですよ。ですからたまにはギリギリまで秘密にしておくというのも素敵だとは思いません?」
「そうかー? そういうのは面倒じゃないか」
「ロマンがないですねー」
アンジェリーナは苦笑いを浮かべる。
目的のある旅も楽しいが、行先や期限の決まっていない旅というのも魅力的だ。
今の私なら、どこに行くのか選ぶことができる。
「いいですか、ジル?」
「もちろん、旅の行き先はアンジュが決めるものだ」
そしてジルベルト様がいるから、曲がらず、折れず。
アンジェリーナはどこまでも遠くに行くことができるのだ。
さて、どこに行こう。
きれいなもの、面白いもの、不思議なもの。いろいろなものを見て、できればおいしいものが食べたい!
アンジェリーナの視線の先で大地が杏色の砂漠から少しずつ色を変えていく。足元には緑が増えてその先に鬱蒼とした森が見えた。かすかに魔力だまりの気配がする。
とりあえず森に行くことは決定だな!
「コカトリス、どこかの魔力だまりに湧いてないかなー」
食べ損ねた夢のお肉……今なら秒で狩ることができるような気がする。
弾むような足取りでアンジェリーナは空を見上げた。
未来の選択肢があることも幸せの一つ。
そうですよね、おばあさま!




