第十八話 ルベルが魔力だまりに飛び込んだ理由
竜についてですが、生死に関する内容が出てきます。苦手な方はご注意ください。
「ああそうだ。ルベルはいますか?」
「おう、ここにいるぞー」
王子殿下は足元から黒い塊を持ち上げて膝の上に置いた。
急に視線が高くなって驚いたのだろうか、キョロキョロと動いてファイアオパールの瞳が瞬く。
やっぱりまだ小さいなー、二百年も生きているというのに。
漆黒のからだ、ファイアオパールの瞳。からだ全体を火の気が覆って、まるで太陽みたいだ。
……あら、ルベルってもしかして。
竜でもこの大きさのときはかわいいのねと見ていたら、いきなり目を吊り上げて威嚇された。
前言撤回、ちっともかわいくないわね!
「実はルベルについて誤解のないように話しておかなくてはと思っていたことがあるのです」
「誤解とは何だ?」
「ルベルが魔力だまりに飛び込んだ理由です」
王子殿下が深く息を吐いて。心底悔いたような顔をする。
「さみしかったからだ、そうだろう?」
「それも理由の一端ではありますが、決して自らの命を地に還そうとしたわけではないのです」
マグマだまりに偽装した魔力だまり。そこにルベルが自ら飛び込んだ理由を、王子殿下はさみしさのあまり地に命を還そうとしたからだと考えていることにアンジェリーナは気がついていた。
だから今も悔いて、こんなにも深く傷ついている。
ちゃんと本当の理由を教えておかなくてはとそう思った。
「ずっと引っかかっていたのです。ルベルにも親の竜がいたはず、親はどうしたのかと。そしてベルビナでマグマだまりを見たときに確信しました」
ぐらぐらと煮えたぎる巨大なマグマだまり。
あれだけの熱量と大きさがあれば、からだの大きな竜であっても簡単に飲み込めるだろう。
「病か、怪我か。そこはわかりませんが。ルベルの親はベルビナのマグマだまりで命を地に還したのです」
どこまでも静かなアンジェリーナの声。
王子殿下は息を呑んだ。そしてルベルはただじっと黙ってアンジェリーナを見つめている。
「本能に従って親の竜はマグマだまりを目指した。その背中をルベルは追ったのでしょう。親が恋しい時期ですもの、仕方ありませんよね。ですが追いつくことができず、見失ってしまった」
これが親のいない状況でルベルがベルビナにいた理由。
見失った後、竜の寝床にたどり着いたルベルは本能で親の死を悟ったのだ。
賢いというけれど、こういうときはかわいそうだわ。
こうして親を失ったルベルは王子殿下の腕の中に降ってきたのだが。
アンジェリーナはルベルと視線を合わせる。
「親の代わりに王子殿下を選んだのは、彼の雰囲気とか醸し出す空気が親の竜にちょっと似ていたから?」
黙っているのは、そのとおりのなのだと勝手に解釈する。
「ルベルには本来なら受け継ぐはずのさまざまな知識が欠けています。騎竜の契約が中途半端だったのも親に教えてもらっていなかったからでしょう」
「そういう悲しい過去があってルベルが俺の元に来たのはわかった。だが魔力だまりに飛び込んだのはどうしてだ?」
アンジェリーナは深々と息を吐く。それがあの魔力だまりのおそろしいところだ。
「ジルベルト様が言っていましたよね。これだけ似せたということは何か目的があるはずだと。あの魔力だまりは擬態していたのです。ただ誤認させるのではなく、上から見ればどちらもマグマだまりに見えるように」
知識のないルベルはどちらがマグマだまりなのかわからなかった。
その結果どちらかがではなく、両方ともマグマだまりだと思い込んだ。
「擬態は生存や繁殖を助けるもの。自然界によくあるのです。天敵から身を守るために周囲に紛れて目立たなくする。または目立つようにして逆に注意を引き、相手を欺くこともあります」
今回は後者だった、そしてもう一つ。
「もう一度覚書を見直してみたのですけれど、通常の魔力だまりとしての役割の他に別の力を持つようになった特異なものを、おばあさまは変異型と呼んでいました。そもそもマグマだまりに擬態すること自体が特異ですが、そこに新たな力が加わることでおそろしい罠が出来上がったのです」
「罠だと? 新たな力とはどんなものだ?」
あのとき見たものを思い出すと怒りに震える。アンジェリーナは硬く拳を握った。
「失ってしまった大切な存在を、ぬかるみに映すのです」
「何だって……では、ルベルは」
「あのぬかるみでルベルが見たのは失ったはず親の姿だった。あれをマグマだまりと思い込んでいるルベルは、ここに親が飛び込んだと思ったのです。あれに気づくまでは竜の寝床は親を思い出す大切な場所という程度の認識だったのでしょうが、気づいてからはさらに特別な場所になった」
ここに来れば、親に会える。
幼いルベルにとって竜の寝床は親のいるかけがえのない場所になった。
「どのくらい前から意識が引き込まれていたのかわかりませんが、おそらく様子がおかしいと感じるようになった時期にはすでに思考を支配されていたのかもしれません。竜舎を飛び出したのも、あれに呼ばれたのでしょう」
遊び盛りの幼い竜の思考をすべて上書きしてしまう強烈な記憶のようなもの。
アンジェリーナの予想が当たっているなら、ルベルにとってそれは大切な親と過ごす時間だ。
「そして食虫植物が甘い蜜で誘い込むように、ついに魔力だまりはルベルを捕まえた」
ぬかるみに映る親に触れたいと願ったから、それとも囚われた親を助けようとしたのか。
とうとうルベルは魔力だまりに自分から飛び込んだ!
「これが真相です。竜の餌場に見せかけたあの魔力だまりは、竜を寄せて捕まえるための罠だった。ルベルは罠にかかってしまっただけなのですよ」
そこにさびしさがあるとすれば、王子殿下も無罪とは言えないけれど。
彼の手が黒く艶のあるからだをなでるとルベルは甘えた声で鳴く。
「大切だから、大好きだから。さみしいと言えなかったのよね」
甘えたくても、甘える方法がわからなかった。
アンジェリーナは少し前の自分を思い出して悔いた顔をする。
……大切な人を失っていたとは思わなくて。
厚かましいとか、ずうずうしいとか勝手に思い込んではダメよね。
泣きそうな顔をした王子殿下はルベルを抱っこっしたまま、アンジェリーナと視線を合わせる。
「ルベルを助けてくれてありがとう。真っ先にお礼を言うべきなのに後回しになってしまった」
「どういたしまして!」
騎竜と竜騎士。並んだ対の宝石のような瞳を見てアンジェリーナはふふっと笑った。
よかったな、守ってあげられて。
彼らがすれ違うことは二度とないだろう。
「ああそうだ、中途半端なままの騎竜の契約なのですけれど」
とそこまで言ったところで、ドカンと扉が開いた。そこにはあせった顔をしたジルベルト様がいる。
「アンジュ、大丈夫か!」
「安心してください生きてます。接触も不快な出来事も一切なく、間に騎竜を挟んで適切な距離感と和やかな空気を保ちつつ、魔力だまりと騎竜と竜騎士の関係について簡潔に説明していました。それ以外に事件も事故も盛り下がりもなく、お伝えすべき憂慮事項は一切ありません。ええ何一つ!」
アンジェリーナは笑顔で元気よく答えた。
よし、これで少しは生存率が上がったはずだ……主に王子殿下の。
王子殿下はあいかわらずのほほんとして、ジルベルト様から冷気が漂っているのに気づいているのか、いないのか。ここまで動じないって、すごいわね。実は竜の血のおかげだったりして。
「思っていたよりだいぶ早いな、魔獣並みにしぶといところはさすがだ」
「意図的にやったということだな。よし、表に出ろ」
「おかげでゆっくり寝られただろう。アンジェリーナも起きたし、全部解決だな!」
「そうだな、アンジュの前では気が引ける」
微妙にすれ違っていますが、友情があるから大丈夫ですよね!
巻き込まれて心底迷惑という顔のルベルを抱えた王子殿下の首根っこをつかんで、ジルベルト様が部屋の外へと引きずっていく。そして扉を閉める前に振り向いた。
「アンジュ、消化のいい食事を用意してある。食欲があるようなら、ジャミルに頼んで持ってきてもらおうか」
「はい! それであの、お肉は。お肉はありませんか!」
「あるぞ。でも食べ過ぎないようにな」
もう本当に優しいなー、ジルベルト様!
アンジェリーナが大きく何度もうなずくと、柔らかく笑って王子殿下を引きずりながら出て行った。
程なくして、外で何かとてつもなく大きな物音が聞こえる。
ジルベルト様ったら、はしゃいでいるわね。何だかわからないけれど楽しそうだ。
軽やかに扉を叩く音がして返事をすると、ジャミル様がお盆を手にして顔をのぞかせた。
「アンジェリーナ、食事を持ってきました。食べられますか?」
「はい、いただきます!」
「よければ食べさせてあげましょうか。遠慮はいりませんよ」
「新手の嫌がらせですね、お断りします!」
匙を手にそんな麗しい微笑みを浮かべても無駄です、ジルベルト様に言いつけますよ。
そう思ったところで外から何やら悲鳴のようなものが聞こえた。
「よく飽きないですねぇ、あんなに暴れて大丈夫なのでしょうか」
「あはは、あれでも手加減しているみたいですよ」
静かに笑って、アンジェリーナは匙でスープをすくった。
大丈夫だよ、王子殿下は。
あの表情を見る限り、ジルベルト様はルベルが魔力だまりに飛び込んだ理由を知っている。
扉の向こう側で、どこからどこまでを立ち聞きしていたのかはわからないけれどね。
だからルベルを悲しませるようなことはしないよ。
一際、ドーンと派手な音がする。
……急に自信がなくなってきたわね、でもたぶん大丈夫?




