第十四話 それでは取引をしましょうか
入口の先にあるのは噴火で流れ出た溶岩が冷えて固まってできた溶岩洞。
アンジェリーナの手元でランタンが揺れる。
今回は防御の結界を使わずに暗い洞窟内を照らす灯りとしてだけ使うことにした。
洞窟内はたしかに迷路のように入り組んではいるが、そこまで複雑ではなかった。一本道ではないけれど、多少迷って時間がかかるくらいで最奥まで行ける。
ただ問題は、この洞窟に蔓延る魔物の種類と数だった。こんなのに集団で襲われたら普通の人間ではひとたまりもないだろう。
……そのはずなのですが。
目の前にいた大型の魔物が真っ二つに切り裂かれて、跡形もなく燃え尽きる。
呼吸もピッタリだ。手を出すなんておこがましい。
「私、必要ないですねー」
「安心してください、私も必要ないですよ」
アンジェリーナはジャミル様と顔を見合わせて苦笑いを浮かべる。
ちなみに現在の状況は、先頭を歩くジルベルト様が剣と風属性の魔法を併用して魔物を薙ぎ払い、天井や壁を這って近づいてくるものは背後にいる王子殿下が一匹残らず焼き尽くす。
王子殿下は火属性の魔法を使う。見た目どおりというか、雰囲気そのままだ。
しかも竜の血が薄いと言っていたが恩恵はちゃんと受けていて、魔力量は元々多いとされるジルベルト様よりも上、そこに身体能力の高い肉体が加わるわけでこの程度の敵なら瞬殺だった。
というか、ここでアンジェリーナが手を出せば完全に過剰というものである。
殲滅するつもりはないので、無意識が勝手に仕事する以外は何もしていない。だから周囲を観察する余裕もあるというもので。
「あら、こんなところにも紫水晶の鉱石が。先ほどからところどころにありますね」
品質が良いとされるベルビナ産の紫水晶。たしかに原石のままでも輝きが違う。
「紫水晶に限らず、こういった鉱石の集まる場所を鉱床と呼ぶのですが、洞窟の近くに紫水晶の鉱床があるのでしょう。表層が年月をかけ削られたことで埋まっていた原石が顔を出したのかもしれません」
「なるほど、そういうこともあるのですね」
深く濃い紫水晶の輝きにアンジェリーナは微笑みながら手を伸ばす。
なんだか懐かしいと思ったら、おばあさまの瞳の色に似ているのか。
そしてランタンの灯りに照らされたアンジェリーナの横顔を見たジャミルは口元をほころばせる。
唯一無二、紫水晶色の瞳。
自分の手で思う存分磨いて、もっと輝かせてみたいと願うほどだ。
吸い寄せられるようにジャミルは鉱石に触れるアンジェリーナの手にそっと自分の手を重ねた。
「アンジェリーナの瞳は、ここにあるどの紫水晶よりも美しい」
「はは、ご冗談を!」
触れた手の熱には気づくことなく、アンジェリーナは滑らせるように洞窟の壁へ手を這わせる。
予想したとおり、この辺りにも竜の気配が。
軽やかに去っていく背中を見送って、ジャミルは苦笑いを浮かべる。
「驚くほど響かないものですね」
「ジャミル、おまえ……」
どこか咎めるようなアレスティオの眼差しを受け流して、ジャミルは薄く笑った。
誰にだって欲はある。欲しいと願うことは罪ではないはずだ。
――――
魔力だまりを目指しながら洞窟を途中まで進んだところで王子殿下は深々と息を吐いた。
「コウモリ類に昆虫類、クモ類。しかもよりにもよってここにいるのは吸血種と呼ばれるものばかり。ここまで危険な場所は王家の名で領民の出入りを禁じてもいいくらいだ」
たしかに、これだけ湧いてくれば洞窟内で襲われて命を落とした者もいるだろう。
生きて帰った人は本当に運が良かっただけだ。
「それにしても、どうしてこんな凶悪な魔物ばかり蔓延るようになったのか」
「あくまでも予想ですが、砂漠とは別の意味で過酷な環境だったからでしょう。他の種の、さらに上をいく能力がなければ魔物だろうと生き残れない」
アンジェリーナの脳裏には無防備と思えるほどぽっかりと口を開けた洞窟の入口が浮かんだ。好奇心に駆られた人や動物を洞窟の奥に引き込んで、迷って逃げられなくなったところを襲う。
獰猛で、狡猾。この国に棲む魔のつくものは罠を仕掛けるのが得意みたいだ。
それでもこれだけ余裕があるのはジルベルト様と王子殿下の強さが桁違いだから。特にジルベルト様が前にいると安心感がある。
前を歩くジルベルト様が蜘蛛の吐いた毒液を風の魔法で受け、吹き飛ばした。
いつものように散らすのかと思っていたが、毒液は見えない空気の板によって弾かれる。そして吐き出した蜘蛛に向かってまっすぐ飛んでいった。自身の吐き出した毒液にからだを焼かれて、蜘蛛が苦しそうに身をよじる。
続けて風の刃だろうか、ジルベルト様の放つ魔法が蜘蛛のからだを真っ二つに切り裂いた。
どこか聖女の魔法に似ている……見たものが信じられなくてアンジェリーナは目を丸くする。
毒液を狙って打ち返すところが、まるで反射の効果を付与した防具みたいだ。
「えっ、ジル。その魔法は」
「アンジュの反射の魔法を参考にして作った。魔法で気流を操作して空気に厚みを作る。毒液を受け止めるために強度を増す魔法を追加、角度は自前で調節して相手にぶつける感じだな。私は盾を使わないのだが、こうして風を操作して盾のように使うなら邪魔にならないし便利だ」
言っている意味がわからない。呆然としたアンジェリーナの肩をジャミル様が叩いた。
「気持ちわかりますよ、私にもさっぱりわかりません」
「おっかないねー、これが魔法を読む力のこわいところだ」
王子殿下は苦笑いを浮かべる。
ジルベルト様の魔法を読む力は使用された魔法の痕跡から系統だけでなく、相手の体内で隠された魔法の存在まで認知できる。それは聞いていたけれど……それだけではないということ?
「魔法を読むのはあくまでも第一段階だ。読んだ相手の魔法を元にして新たな魔法を獲得する。そこまでできてようやく一人前だな」
ジルベルト様は何でもないことのように答えた。
ごめんなさい、言っていることの意味は全然理解できないけれど……。
アンジェリーナの瞳がキラキラと輝いた。
「ジル、とってもかっこいいです!」
これだけはわかります。
ジルベルト様が聖女の魔法で進化した。異論も反論もありませんよね!
笑顔が直撃した彼は固まって、じわじわと目元が赤くなる。
とろけるような眼差しで微笑むとアンジェリーナの手を固く握った。
「アンジュはいつもかわいい」
「落ち着け、ジル! 理性が飛ぶのはわかるが最前線だから。めちゃくちゃ敵が攻めてきてるから!」
背後から、あせる王子殿下の声がする。
大丈夫ですよ、背を向けていてますが魔物が切れたり弾けたりしているので確実に何かやってます。
それに、と小さくつぶやいてアンジェリーナは顔を上げた。
「もうすぐ目的地である最奥に着きますよ」
「いくら何でも早すぎません?」
「だから言ったではありませんか、最奥まで迷わず行けると」
目を丸くしたジャミル様にアンジェリーナはニヤリと笑った。
洞窟を抜けると一気に目の前が開ける。
思っていたよりもずっと大きな空間が広がり、天井が抜けているところから日差しが差し込んで周囲を明るく照らしていた。
日差しの下、音を立てて泡立つ不気味な赤い沼のようなものを王子殿下が指した。
「あれがマグマだまりと呼ばれるものだ。いいか、興味本位で不用意に近づくなよ。周囲の温度は高いし、落ちたら間違いなく死ぬ」
離れていても、ふつふつと煮えたぎる音がするのは高温の証。
絶対に近づかないようにしよう。
遠目からのぞいただけでアンジェリーナはそっと身を引いた。
「それで、魔力だまりは?」
「あの方向ですね」
アンジェリーナが指す先には一見すると積み重なる溶岩しかない。
だが隠そうとしてもアンジェリーナにはわかる。
濃厚で、狡猾な、とんでもなく禍々しい気配しかしないもの。
積み重なる岩を眺めていたジャミル様がハッと目を見開いた。
「あの大岩の裏側に隙間があるようには見えませんか?」
「そのようだな。偶然だろうか……人の視点からでは見えないようにうまく隠されている」
そして何かに気づいた様子でジルベルト様は顔を上げた。
「大岩の先にもし空間があるのなら、あちら側も天井が抜けている。人間からは見えないが、空から飛んでくるもの……たとえば竜からはあちら側の様子が見えるわけか」
「じゃあ、もしかするとあの先にルベルが!」
急いで王子殿下は大岩の後ろをのぞいた。そしてあっと声を上げて黙り込む。
彼の後ろから奥をのぞき込んだアンジェリーナもまた息を呑んだ。
ふつふつと泡立つ、オレンジと赤でできた沼。色も、大きさもマグマだまりとそっくりだ。
これがベルビナにある魔力だまりの源泉。
マグマだまりではない証拠に中心に向かって黒々とした渦が巻いている。よく見ればまったく同じというわけではないけれど、一般的な暗色の禍々しい沼のような見た目とは明らかに違っていた。
こんなものを隠していたのか!
マグマだまりと壁一面隔ててできた魔力だまり。なぜ同じ場所に似たような見た目のものを並べた?
膝をついて視線を下げたジルベルト様は見極めるように目を細める。
「どちらがマグマだまりか誤認させるためじゃないか? 魔のつくものか、人間か。騙そうとした相手はわからないが、これだけ似せたということは何か目的があるはずだ」
ちょうどそのとき、魔力だまりに野生の竜が飛来した。アンジェリーナの存在に気がついた竜はこちらを威嚇するように吠えると、魔力だまりから生まれた魔獣を大きな口でぱくりと食べた。そして魔力だまりの魔力に惹かれて飛来したワイバーンを襲って同じように呑みこんだ。
満腹になったのか満足そうに吠えると、アンジェリーナを警戒しながら竜はさっさと飛び去った。
なるほど、そうか!
「この魔力だまりは竜にとって餌場にもなっているのですね。翼のない魔物はここまで来られないけれど、翼のある種ならば、いつでも好きなときに恩恵を受けることができる」
アンジェリーナの言葉に王子殿下が反応する。
「では、ルベルはここに餌を食べに来ていたと?」
「そうかもしれません。ですが……それだけではないかも」
先ほどから、とにかく嫌な予感がする。
アンジェリーナは三人を振り返った。
「ここで待っていてください。私が良いと言うまで、絶対に近づいてはいけませんよ」
「アンジュ、本当に一人で大丈夫か」
「ええ、大丈夫ですよ!」
不安を察したように、ジルベルト様がアンジェリーナの手を握った。
大丈夫、大丈夫。言葉を重ねるようにアンジェリーナは笑顔でそう答える。
優しく彼の手を外して、前を向いた。
本当は嘘だ、でもこれは大切な人を守るための嘘。
たった一人、アンジェリーナは魔力だまりに近づいて渦を巻く中心部をのぞき込む。
「っ!」
見たものが信じられなくて、アンジェリーナは真っ青な顔で後ずさった。
まさか、こんなことができるとは。これを使って寄せたのか!
たしかに魔力だまりも魔のつくもの。生き残るために他の上をいく能力が必要だというのはわかるが、さすがにこれはやり過ぎだろう。
「アンジュ!」
「来てはだめです、そこにいてください!」
アンジェリーナは勢いよく立ち上がったジルベルト様に視線を向けることなく叫んだ。
脳裏にリゾルド=ロバルディア王国で見た歪んだ笑みが浮かぶ。
絶対に許さないわよ。
怒りを抑えて拳を強く握るとアンジェリーナは振り返った。
「王子殿下、ルベルはここにいます」
「どこに!」
見えないものを探すように王子殿下の視線が激しく上下する。
見つからないわけだ、こんなところに閉じ込めて。
アンジェリーナは魔力だまりのさらに奥を覗くように、膝をついた。
「この魔力だまりの中です」
「なんだって……!」
想像もしていなかった答えに王子殿下は言葉を失った。
この魔力だまりは罠だ。マグマだまりに似せた、竜を捕らえるための罠。
アンジェリーナはぬかるみに顔を寄せて声を響かせる。
「懲りないね、あれだけ厳しく叱られたのに同じ手を使うとは」
応じる声なき声が直接脳に響いて、アンジェリーナは冷ややかな視線を向ける。
「なるほど、ルベルのほうが飛び込んできたのだから自分は悪くないと」
「なっ!」
「たとえそうだとしてもルベルは魔力だまりの底で今も王子殿下を待っている。変わることのない彼の目がその証拠だ。うまく捕らえたつもりでも、竜の心まではあなたのものにはならないよ」
王子殿下の驚く声が聞こえたけれど、視線を固定したままアンジェリーナは魔力だまりを探る。
ただ耐えられたとしても、たぶんギリギリだ。
あと一日遅ければルベルの意思とは関係なく取り込まれて王子殿下は竜の目を失っていたかもしれない。
アンジェリーナの感覚が震えながら開いた目蓋の奥にファイアオパールの輝きを捉えた。
――――よし、見つけた。えらいよ、ここまでよくがんばったね。
魔力だまりの淵に座って、相手に悟らせないようゆるりと笑った。
指先を添えた口元がくっきりと上がる。
「それでは取引をしましょうか。セザイア帝国での貸しを返してもらいたいの」




