第五話 旅はすこぶる順調です
アンジェリーナの旅はすこぶる順調だった。
魔除けの力が及ぶ範囲を自分と半径十メートル以内に限定してある。おかげでアンジェリーナ自身の安全を確保しつつ、影響範囲外では魔獣に遭遇するという自身にとって非常に都合のいい状況を作り上げた。これなら誰も私が魔除けの聖女だとは思うまい!
「……ぶっつけ本番でもなんとかなってよかった」
「ん、何がだ?」
「いえいえ、こっちのことですよー」
アンジェリーナは誤魔化すようにへへっと笑う。
「隊長、進行方向にワームが出ました! しかも三体です!」
うわー、嫌なのが出た。ワームは毒の体毛を持つ芋虫みたいな魔物。おばあさまに図鑑で見せてもらったが、見た目がとにかく気持ち悪い。体は大きいけれど動きも遅いしさほど強くはない。単体であれば楽勝だけれど集団で襲ってくると厄介だ。
「私が行く」
「おおっと、お待ちくださいジルベルト隊長。鞘の先に糸屑がついております!」
「そうか、すまない」
「いえいえ、がんばってください!」
糸屑を取るふりをして剣に魔法を付与する。弱体化と毒無効。スパッと切れて、持ち主が毒の影響を受けない。これであっという間に片付くでしょう。前線に駆けていく隊長の後ろ姿を見送って、アンジェリーナは兵士を振り向いた。
「あらあら、けがをしていますね。今のうちに軽く手当てをしてしまいましょう!」
「いや、これくらいはけがのうちに入りませんよ」
「いいえ、魔物の毒を甘く見てはいけません。炎症を起こすと、最悪命を落とします」
おどしではなく、これは本当。アンジェリーナは彼の腕の傷に水をかけて毒を洗い流す……ついでにささっと魔法をかけて傷口に布を当て包帯を巻いた。これなら治療器具で普通に傷の手当てをしたようにしか見えないからね。
完璧な偽装工作、もしかして私は天才か⁉︎
「はい、これで大丈夫です」
「ありがとう、さっきまでひどい痛みがあったのに今はすごく楽になったよ!」
「よかったですー、がんばってくださいね!」
にっこりと笑うと彼は頬を赤らめた。
「アンジュさん、まるであなたは聖女のようだ」
「は⁉︎」
アンジェリーナは青ざめる。え、嘘どうして。いつどこでバレた⁉︎
「私はサビーノといいます。リゾルド=ロバルディア王国についたら是非私と」
「前線にいながら、ずいぶんと余裕ですね」
「うおっと副隊長!」
「傷の手当てが済んだのなら速やかに戻りなさい」
「はい!」
振り向けばそこにはいい笑顔を浮かべたフェレス副隊長がいた。サビーノさんはピシリと固まる。時間がなさそうなので、そっと毒無効だけをかけておく。これで再び毒に侵されることもないでしょう。
「余裕があるのなら地獄のような特訓を」
「も、申し訳ありませんでしたー!」
サビーノさんはすごい勢いで走っていった。うん、元気そうでなによりだ。彼の背中を見送って、フェレス副隊長は深々とため息をつく。
「本当、油断も隙もない」
「フェレス副隊長は別の任務ですか?」
「ええ、私は後方支援が主な仕事なので、余程のことがなければ戦闘には参加しません。ああやって兵士が楽しく戦っているときは休憩場所の確保と食事の準備を」
「手伝います!」
「え、いやでも民間人に手伝ってくれというのは」
「いえいえ、国までの身分の保証と安全が確保できるのであればむしろ好都合……っと、いろいろ助かってますので是非お手伝いさせてください!」
あわよくば、このまま彼らと同行して入国審査を軽やかにパスするという展開が一番望ましいのです。するとフェレス副隊長は、柔らかく目を細めた。
「アンジュは働き者ですね、ではお願いします」
「はい!」
幸せな未来のためなら一生懸命働きますよ。フェレス副隊長の指示で道具を借りて食材を刻む。
「ずいぶんと手慣れてますね」
「はい、ジャガイモなら一個を秒で剥けます!」
料理長の好みなのか、神殿の料理にはジャガイモが使われることが多かった。山と積まれたジャガイモを、ひたすら毎日剥いていたので魔法とは関係ないスキルが身についている。そうだ、リゾルド=ロバルディア王国についたら、食堂で働こうかな。
アンジェリーナ特製スープは切った野菜を干し肉と一緒に煮て塩胡椒で味付けすれば出来上がりです。
「これはおいしそうだ」
手元をのぞき込む気配を感じて振り返るとそこにはジルベルト隊長がいた。フェレス副隊長は目を丸くする。
「おや、早いですね」
「いつもより敵が弱くて、あっけなく倒した」
「けがはありませんか?」
「ない、毒の影響も受けなかった」
でしょうねー、お役に立てて光栄です。アンジェリーナは心を込めて鍋をかき混ぜる。おいしくなれー、おいしくなれー。はい、回復の魔法の付与が終わりました。ついでに解毒もオマケしてあります。
「そういえば手当ての必要な方はいらっしゃいますか?」
「何人かいるが、自分達でできるからそこまではしなくていいぞ?」
「いえ手当てのことではなく、料理で水をけっこう使ったのですよ。だから追加で水を汲んでこようかと」
「そうか、ならば一緒に行こう」
「いやいや、それよりもどうぞ温かいうちにスープを召し上がってください!」
実質戦闘に参加していませんからね、私が一番元気です。ですが押し切られて、ジルベルト隊長と一緒に小ぶりの樽を一つずつ抱えて、沢まで降りてきました。
木々の隙間から陽の光が差し込んで水面がキラキラと輝いている。芳しい木の香りに揺れる可憐な花。ずっと、こういう景色が見たかった。アンジェリーナは森の空気を吸い込んだ。
「恐ろしい森だと聞いていましたが、こういうおだやかな場所もあるのですね!」
「今日は比較的魔獣との遭遇率が低い。だからそう思うのかもしれないな」
柔らかく目を細めて、ジルベルト隊長は川の水を口に含んだ。
「毒はない、大丈夫そうだ」
毒と聞いてアンジェリーナは顔色を悪くする。
「川の水に毒が含まれることもあるのですか?」
「先ほどのように毒を持つ種がいるときは稀にな。体液か、もしくは爪や牙に含まれるものが滲み出るのかわからないが。舌に乗せたときに痺れる感覚がするときは飲むのをやめたほうがいい」
知らなかった。本から得た知識だけでなく、経験に基づいた知恵ということか。アンジェリーナはしょんぼりと肩を落とす。全てを知ったつもりになって恥ずかしいわ。
「どうした?」
「勉強不足を深く反省しているところです」
「セントレア王国は魔獣がいないからわからないかもしれないな」
決して責めているわけじゃない。樽に水を溜めながら彼は困った顔で笑った。
「アンジュは若いから知らないことがあって当然だ。わからないことは学んで、次に活かしていけばいい」
「私を無能だとか、役立たずとは思わないのですか?」
「それはない。君は働き者で、実地でもよく学んでいる。周囲の空気を読むことに長けているようだし、我々にもいろいろ気を使ってくれるだろう? その資質は素晴らしいと思うし、むしろ誇っていいことだ」
アンジェリーナは、ハッと胸を突かれた。そんなふうに言われたのは、はじめて。お礼を言いたいのに、うまく言葉が出てこない。
おばあさま以外の人に褒められたことがなかったからだ。
視線をさまよわせたアンジェリーナの手元から桶が消えて、代わりに花が差し出される。濃い緑の細い葉の隙間から小さな紫色の花が重なるように咲いていた。花の縁がレースの飾りみたいにふわっとしてかわいい。
「わあ、素敵な花ですね」
「これはフィラニウム。一年中咲いていて、葉は料理に使われたり薬にもなる」
「乾燥した葉なら見たことはありますけど、実際に咲いているところを見たのははじめてです」
フィラニウムは葉を使う。料理では肉の臭みを消し、毒消しや炎症を抑える薬となる。神殿では調薬の聖女がいたので、手伝うついでに使い方を教えてもらった。嫌な顔をしながらも、聞けば丁寧に教えてくれるので彼女の手伝いはけっこう楽しみだったことを覚えている。アンジェリーナは花を陽に透かした。
「澄んだ紫色がとてもきれい。それに採取したばかりだと独特の香りが一層濃い気がします」
「フィラニウムはリゾルド=ロバルディア王国では国内の至るところで咲いている。踏まれてもまた再び咲き誇る生命力の強い花とされているんだ」
「そうなのですね!」
飽きることなく花を眺めていると、ジルベルト隊長が柔らかな微笑みを浮かべた。
「この花は君によく似ている。紫色の花は気品があって、君の瞳みたいに優しい色だ」
気品があって優しい色。その言葉が胸の奥にじわじわと広がった。この気持ちはなんだろう。うれしいのに胸が痛む。フィラニウムを握りしめたまま、アンジェリーナは途方に暮れた。




