第十三話 実は無自覚というのが最強なのではないかと
叱られるか、厄介事か。
不安でいっぱいのアンジェリーナにラシムール公爵子息が近づいた。
「力を使うとき、あなたの瞳が赤く染まることは秘密にします」
「……っ、何のことでしょう?」
小声で告げられた内容に、アンジェリーナの顔から血の気が失せる。
厄介事のほうか、一気に心拍数が上がった。
「リゾルド=ロバルディア王国の用意した魔道具は魔法や武器による物理攻撃から守る防御壁。珍しい仕組みと術式の組み合わせですが、防御壁はジルベルト殿の性格を考えると妥当なところですね。ですが、もう一つ組み込まれた効果は意外なものでした」
容姿の一部改変。
「赤く染まった瞳に青を重ねて紫色に偽装するものだ」
衝撃にアンジェリーナは息を呑んだ。
いつ気がついた、どうしてどうやって……もしかして、あのときに?
ランタンに貯めた魔力が切れたところで一瞬の隙に見られたか。
「いいえ、違います」
まるで心を読んだように、ラシムール公爵子息は言葉を重ねる。
「いつというなら、初めからです。海を向いているときのあなたの瞳はずっと赤く染まっていた」
「……嘘でしょう」
「聞いたことはありませんか、古来より、孔雀石の瞳は善悪と嘘を見分けると」
ラシムール公爵子息は自らの瞳を指す。
「あなたにだけ教えしましょう。この瞳に宿るのは鑑定と呼ばれる力です。ジルベルト殿は魔法を読む力に長けていると聞いておりますが、私はわかりやすく物の価値、性能、そして真贋を見極めます。ですから魔道具による改変、偽装を見破るのは得意なのですよ」
「なるほど、商人としては大変心強い力があるということですね。でもそれをこの期に及んで言い出すのはずるくないかとも思いますが」
つまりアンジェリーナが赤く染まる瞳を隠していることに気がついていて黙っていたわけか。
いい性格しているな。それをいまさら口にした理由は?
警戒するようにアンジェリーナが目を細めると、真顔で彼は肩をすくめる。
「そんな警戒しなくても、私はただ公平であろうとして教えただけですから」
「公平とはどういうことですか?」
「あなたの瞳の秘密を私だけが一方的に知っているのは不公平だ。ですが、これで同等です」
一瞬、アンジェリーナは言葉につまった。なんかうまく丸め込まれていないかしら?
「あなたは瞳の色が変わることを隠しておきたい。そのためには状況に合わせた協力者が必要ということです。ジルベルト殿はうまく立ち回っていますが、彼の力が及ばないときもあるでしょう。ですが私がいれば使える手段はもっと増える。そのためにはお互いに何ができるのか知っておいて損はないはずです」
「つまり協力者になってくれると。裏にどんな秘密があるか暴こうとは思わないのですか?」
「誰だって他人には知られたくない秘密の一つくらいある。ご存じですか、理由などという無粋なものを聞かずとも相手の望みを理解して願いを叶えることができるのは商人だけなんですよ」
秘密の一つ二つくらい、余裕で飲み込んでみせる。
ジャミルは気づかせないよう慎重に、アンジェリーナの耳元で毒のような甘い言葉を注ぎ込んだ。
「我々には守秘義務がありますから誰にも言いません。そう思うと便利でしょう?」
誰にも言えないまま、秘密を抱え続けることができるほどに人は強くない。
密かに注ぎ込んだ甘い毒は静かに時間をかけてアンジェリーナの体を巡るだろう。
秘密を暴かずにはいられない清廉潔白な騎士にはできないことだ。
ジャミルはアンジェリーナの目元に触れるか触れないかの距離まで指先を伸ばした。
「訳を聞く気はさらさらありませんが、警戒して隠そうとする気持ちはなんとなく理解はできますよ。きっとその瞳は利益だけでなく、弊害をもたらすこともあるのでしょう」
「つまり何が言いたいのです?」
「あなたを理解したうえで秘密を共有できるのは私だけだということです」
私もあなたと同様に秘密を抱える者だから。彼の指先が自らの瞳を指す。
「瞳のことも、それ以外も。他の誰にも話せないことが、私にだけは話すことができる。それをお忘れなきように」
「ラシムール公爵子息はそのつもりでも、私はあなたの秘密を誰かに話してしまうかもしれませんよ」
「かまいません。ですがあなたは誰にも言わないと思いますよ? 能力という武器を隠すことで精神的に揺さぶりをかけ、威力を増す。あなたのずるさや嘘はそのためのものだ」
「そんなことまでわかるものなのですか?」
「ええ、あなたの商人ですから」
唐突にラシムール公爵子息は色鮮やかな笑みを浮かべる。
アンジェリーナは目を見開いた。
それまでの無表情はやはり意図的だった、完全に騙されていたわ。笑うと色香が半端ないというか、普段が無表情だから余計映えるというか。使いどころによっては、より効果的な武器となるだろう。
翻弄されているであろうセザイア帝国のお嬢様方の心臓に同情してアンジェリーナの胸が痛んだ。
さすが特級商人、ここぞというところで特大の罠を繰り出してきたわ。
今もこの作り物の笑顔を自分だけのものだと思い込むお嬢様が物陰に潜んでいたりしてね。なんて罪作りな人だ、いつ背後から刺されても文句なんて言えないわよ。
途端、アンジェリーナの背筋に悪寒が走った……そうよ、勘違いされて私が刺されないように気をつけないと。
顔色を青くして存分に距離をとってから、アンジェリーナはポンと手を叩いた。
「そういえば私も一つお伝えしたいことがあったのです。この際だから言ってもいいですか?」
「もちろん、なんでしょう?」
「正解にたどり着くか、常にそう問うようなあなたの緑青の瞳を私はこわいと思うこともありました。もっとできるはずだ、その程度ではないはずだ。寄せる期待値が高いだけ、負担に思うことも何度かありました」
静かなアンジェリーナの言葉にラシムール公爵子息はハッとして瞳を伏せた。
彼は自分と同じだけの働きを人にも求める。それはきっとアンジェリーナに対してだけではないはずだ。友人か、同僚か。もしかすると過去にそう言われて敬遠されたことがあったのかもしれない。
「嫌なことを思い出させてしまったら申し訳ありません。ですが無能で役立たずと呼ばれた私に人は初めから期待しないものなのですよ。期待以上だったら幸運だと、その程度の扱いが普通なのです。ですから驚きました、私の過去を知りながらできることを疑わない人がいるなんて思いもしなかったのです」
たしかに重さを負担に思うこともあったけれど。
最後まで曇らなかった眼差しに込められた期待がアンジェリーナを奮い立たせた。
「ありがとうございます、きっとできると信じてくれて」
周囲の人々が魔除けの聖女に寄せる期待。
無能で役立たずと呼ばれることがなければ、本来はこれがアンジェリーナが背負うべき重さだった。
命の重さと呼ばれるもの、彼はそれに気づかせてくれた。
これもまた乗り越えるべき壁だったのかもしれない。
ラシムール公爵子息はアンジェリーナに真摯な眼差しを向ける。
「アンジェリーナ嬢、あなたは今でも人がこわいと思いますか?」
「そうですね。人の感情というものは一筋縄ではいかないときのほうが多いですから」
望まずとも揺らされて、翻弄されて。熱くて、重くて、逃げたいと思うときもあるけれど。
空を見上げて、アンジェリーナは幸せそうに目を細める。
もう、こわくはないだろう?
さみしいときや悲しいときに、ぎゅっと温かい腕で抱きしめてくれるのもまた人の感情があるから。
「今は人との出会いというものを悪くないなーなんて、そう思っています」
「それはよかった」
ラシムール公爵子息は、ふっと笑って背を向けた。
入れ替わるようにジルベルト様が戻ってくる。
「ラシムール公爵子息、皇太子殿下がお呼びです」
「ありがとうございます。今、行きます」
立ち去る背中を見送っているとジルベルト様が首をかしげた。
「ずいぶんと話が弾んでいたようだが、何の話をしていた?」
「ええと、それはですね。結論から言うと刺されるかもしれません」
「わかった、とりあえず一から話せ」
さて、どこまで話していいのやら。ラシムール公爵子息の話は地雷が多いからなー。
でも残念ながらアンジェリーナはジルベルト様には隠し事ができない。
そこはかとなく叱られそうな予感にアンジェリーナは頭を抱える。
一方、ジャミルは遠目にアンジェリーナの表情を確認して軽く口角を上げた。
……さて、効果のほどはいかに?
「君がそんな顔をするなんてね、なんだかうれしそうだ」
サフィーム様と視線が合うと、彼は驚いたような顔をして口角を上げた。
「いいよ、アンジェリーナ嬢ならば。平民だが実力は十分にある、むしろ私は応援するよ」
「突然何ですか」
「変わり者の公爵子息、商人の真似事をして高位貴族らしくない。そう揶揄される君らしい選択じゃないか」
「何をです?」
「何をって、彼女のような存在を迎え入れるために君は婚約者を定めていないのだろう」
もともと、セザイア帝国は王家を中心として変わり者が多い。特にラシムール家は一代に必ずと言ってよいほど変わり者が生まれることは周知の事実。
しかし彼らの選んだ婚約者は例外なく国に莫大な利益をもたらしている。だから変わり者であっても問題なしと、身分にこだわらない彼らの選択は人々にも好意的に受け入れられてきた。
「ずいぶんと驚いているが、まさか気がついていないのかい?」
ようやく見つけたという顔をして。サフィームはジャミルの肩を軽く叩いた。
セザイア帝国の貴族令嬢には冷たい顔しか見せない男が、とっておきの笑顔まで繰り出しておきながら気がつかないものなのかな?
「私はジャミルが幸せになることを望んでいる。その幸せの先にアンジェリーナ嬢がいるというのなら、足掻いてみてもいいのではないか」
「何を言っているのです?」
あそこまで根回しをして、甘い毒をささやいて。これでも本当に無自覚なのだから質が悪い。
彼を見ていると実は無自覚というのが最強なのではないかとそう思う。
でも手を出す気なら、そろそろ本気を出してもらわないとね。
「いい加減、自覚しろ。とうの昔にジャミルは彼女を特別な存在だと認識しているはずだ」
「……は?」
「好ましいと思っているだろう。伴侶にしたいから手を出した、違うか?」
伴侶に。そう言われてみると、いろいろ心当たりがあって。次の瞬間、顔が赤くなった。
しまった、これがそうだったのか。
「ようやくか。奥手というか、鈍いのか。本当にこれで特級商人なのか疑いたくもなる。ある意味、人生で一番重要な選択じゃないか」
「っ、うるさいですよ」
なぜ期待したのか、ここまで執着してしまうのか。自覚してしまうと心当たりしかなくて。
「叔父上……王弟であるファサド先生にアンジェリーナを紹介したのも、先のことを考えると良い選択だった」
偶然か、必然かは今はまだわからないけれど。
ファサド先生こそ王家に連なる変わり者の筆頭格、魔獣や魔物に取り憑かれたあの方ならば決してアンジェリーナ嬢の受け入れを反対はしないだろう。
研究機関という、王家とは関係の薄い場所にあえて彼女を配置する。良い案かもしれない。
「ですが彼女にはジルベルト殿がいる。彼の背後には、リゾルド=ロバルディア王国が」
「だが結婚したわけではない。むしろ今が残された少ないチャンスだ」
ジルベルト殿には申し訳ないけれどね。
きっと彼は待っているのだ、アンジェリーナ嬢の心が追いつくのを。
でもそれが新たな付け入る隙になることを彼は気がついているのだろうか。
隙がないのなら、付け入る隙を作ってでも奪い取る。そうやってセザイア帝国は国を大きくしてきた。
いかにもセザイア帝国を支える公爵家らしい選択じゃないか。
「君が罪悪感を抱くことはないよ。だってそうだろう、最近流行りの真実の愛とやらは何がなんでも愛を貫くものだそうじゃないか」
なぜここで真実の愛とは。言葉に詰まったジャミルにサフィームは腹の読めない顔で笑った。
「横槍くらいで揺らぐなら二人の思いはその程度だったということさ」




