第十二話 表か、裏か。さて勝負の行く末は
高台にある観測拠点、日差しを遮る木の下で。
アンジェリーナが伸ばした手の先にふよふよと水の塊が寄ってくる。
「これはオルラ・セルーア。クラゲの一種ですな。あの長い触手に針がついていて獲物に突き刺して捕食します」
「体の色は薄青、赤のマダラ模様。攻撃は針と、毒はありますか?」
「毒持ちです。人が刺されると、痺れと患部の腫れ、ひどい痛みがあります」
聞き取った内容をアンジェリーナは覚書に追記していく。
蛇から始まって蛟、鮫、クラゲ、魚に虫と、その他いろいろ。そしてついに最後の項目が埋まった。
「やった、できましたよ! 完成です!」
「すばらしい、まさにアンジェリーナ嬢の努力の賜物ですな!」
「いいえ、ファハド先生が協力してくださったからですよ。ありがとうございます!」
アンジェリーナの手元には覚書の改良版がある。魔を寄せ、水の罠で手元に引き寄せたものをファハド先生に見てもらい名前と特徴を記した。覚書の左には陸の魔獣や魔物の名前と特徴が、右には海の魔物の名前と特徴が。そして真ん中には魔力の割合が書かれていた。これさえあれば陸だろうと海のものだろうとここにあるものはすべて種類を選んで狩ることができる。
まさに汗と涙の結晶だわ!
アンジェリーナが浮かれた顔で覚書を抱きしめると、ファハド先生は興奮した顔で周囲を見回した。
「いやいや、こちらこそ。貴重な研究材料となるものがこんなに手に入るとは研究者として大変助かりました。研究が捗ると仲間達も感謝しておりましたよ」
足元にずらりと並ぶ大小さまざまな水槽には捕らえた変異種が元気よく泳いでいた。
先日まで解体作業を行う業者がせっせと作業していた場所では、作業着を着た研究員の皆様が瞳を輝かせながら水槽を運んでいる。あの慎重な手つきは、まるで子供が大切な宝物を運んでいるみたいだ。
「終わったようですね」
聞き慣れた声がしたので振り向くと、視線の先にはラシムール公爵子息と皇太子殿下がいる。少し離れた場所には馬車と護衛の兵士が待機しているので公務のついでにでも寄ったのだろうか。
ファハド先生に倣って礼の姿勢をとると、皇太子殿下は軽く手を振った。
「畏まらなくていい、報告があるというから寄っただけだ」
時間もないし、簡潔明瞭にというところか。アンジェリーナは離れた場所で湧いた魔物を狩っていたジルベルト様に合図を送ると鞄から書類を取り出した。
「商人ギルドが発行した納品証明書です。すでに証拠としてシーサーペントの素材は納品しておりますが、討伐の証明書類として発行してくださいました。お納めください」
「たしかに受け取った。契約書のとおりに報酬を支払おう」
「ありがとうございます!」
つまり、これでお仕事完了ということです!
あとは魔力だまりの件が片付けば自由の身になれる。
アンジェリーナはラシムール公爵子息に視線を向けた。
「覚えていらっしゃいますか? 初めてお会いした日のことを」
「ええ、本日でちょうど一ヶ月ですね」
「納期に間に合ってよかったです!」
思い出せば濃厚な一ヶ月だった。当分、魔寄せの力は使いたくないかも。
ふっと小さく笑って、ラシムール公爵子息は小さく首をかしげた。
「アンジェリーナ嬢、我々から一つ提案があるのですが」
「何でしょう?」
「私を商人としてあなたの旅に同行させてもらえないでしょうか?」
「はい⁉︎」
どこをどうしたらそういう話に。思わずジルベルト様を見上げると、不安ととまどい、複雑な感情が入り混じった顔をしている。あれ、この表情……もしかすると事前に打診を受けていたのかもしれない。
「アンジェリーナが承諾すればかまわないと伝えた」
「どうしてですか?」
「旅の目的や行き先は君が決めるものだから」
私が決めていいのか、ならば答えは簡単だった。アンジェリーナは即答する。
「お断りします」
「どうしてですか、私がいればより快適な旅になることはお約束できますよ?」
「今でも不便は感じていませんから」
不敬罪免除バンザイ。それにジルベルト様を困らせたいわけじゃない。彼が望まないのに無理を通すつもりもなかった。するとラシムール公爵子息は苦笑いを浮かべる。
「あっさりと断られてしまいました」
「わかっていたのでしょう、本当は」
「そうですね、ですがこのままでは特級商人の名が泣くというものです」
ゆるりと口角を上げてラシムール公爵子息は懐から硬貨を取り出した。
「それはまさか……、マグナ・セザイア金貨?」
「ええ、私の許可証です。これを使って勝負をしましょう」
飾り紐を外してあるから見た目は普通の金貨だ。でも飾りがないせいで余計に陽光を受けたときの輝きが違った。まるで太陽そのものだ。精錬された黄金の湛える唯一無二の迫力にアンジェリーナは息を呑んだ。
「勝負とは?」
「難しくありませんよ。私がこの硬貨を投げます。そして表が出るか、裏が出るかを当てるだけです。あなたが勝てばこの硬貨を差し上げましょう。私が勝てばあなたの商人となる」
「どうしてそこまで」
アンジェリーナは困惑した。だってそうだろう、許可証は商人としての誇りそのものだ。今まで積み上げてきた信用と実績を賭けてまで何を求める?
「それだけのものを賭けなくては、あなたの隣に立つことを望めそうもないからです」
これはジャミルの示す覚悟だ。魔除けの聖女にふさわしい対価を捧げる。
「アンジェリーナ嬢が狩った獲物の素材には滅多に流通しない貴重な品物もあります。私はそれを必要とする人の手元に届けたい。たった一つの商品が命を救うこともあるのです。たとえあなたが聖女の看板を捨てたとしても、あなたは神の僕として唯一無二の力を与えられたことに変わりはありません。世界の均衡を保つため、魔を弾き退けて人々を守護するという義務から逃れることはできないのです。ですから私に義務を果たす手伝いをさせていただきたい」
そして運こそ正しく神の領域、ならば運に任せて神の賛否を問う。
商人が魔除けの聖女の隣に立つのがふさわしいか、神判を!
「さあ、いかがでしょう。どちらに転んでもあなたに損はありません。この勝負、受けて立ちませんか?」
なんとも重い一撃だ。
すぐには決めかねて、アンジェリーナは隣に立つジルベルト様を見上げる。
「私がどうしたいかじゃない、大事なのは君がどうしたいかだ」
「……ジル」
「安心していい、君がどんな選択をしようと私の気持ちは変わらない」
唯一無二、私だけの聖女だ。アンジェリーナは深々と息を吐いた。
ラシムール公爵子息もまた大切なものを失ったとしても手に入れたいものがある、そういうことなのか。
彼の示す覚悟にかつての自分の姿が重なる。
「いいでしょう、勝負しましょうか」
「感謝します」
「ですが一度きりですよ、やり直しはなしです」
「もちろん。ではアンジェリーナ嬢が先に表か裏かを選んでください」
「表を」
「では私は裏です」
うなずいたラシムール公爵子息が親指で弾いて金貨を跳ね上げる。回転しながら高く上がった金貨は二人の足元に落ちた。地上面に落ちて静止したところで、硬貨の上面を確認して表か裏かを決定する。
さて表か、それとも裏か。
視線を落とすと、地面の上には金貨の許可番号が陽光を受けて燦然と輝いていた。
アンジェリーナは天を仰いだ。
そう、連れて行けということね。
「あなたの商人は私です」
勝ち誇るような声が聞こえて、ラシムール公爵子息と視線が合った。
「少々やり方は強引ですが、これもご縁かもしれませんね」
「特級商人として損はさせないことをお約束しましょう」
拾い上げた金貨を懐にしまって、ラシムール公爵子息が差し出した手をアンジェリーナは握り返す。アンジェリーナの背後からジルベルト様が顔を出した。
「交渉成立だな」
「ジルベルト殿もよろしくお願いします」
ラシムール公爵子息が差し出した手をジルベルトもまた握り返す。そして握る手に力を込めて、軽く自分のほうへと引いた。そして並の兵士なら怖気付くような気迫とともに眼光を鋭くする。
「アンジェリーナを裏切るようなことがあれば許さない」
「するわけがないでしょう、あなたが相手では命がいくつ合っても足りません」
誰の利にもならないことはしない主義なんです。
肩をすくめて、ラシムール公爵子息は手を離した。
「今後の予定については報酬を支払うときに詰めるということでよろしいでしょうか」
「かまいませんよー」
どちらにしてもあと三ヶ月弱はこの国にいる。今はただ、この堅苦しい時間から一刻も早く解放されたかった。結果を見届けて、皇太子殿下はにこやかに微笑んだ。
「アンジェリーナ嬢、ジャミルをよろしく頼む」
「どちらかというと世話をおかけしそうな予感がしますけれどねー」
勉強不足を指摘されたことは記憶に新しい。
「それでは最後に、これを」
「何でしょうか?」
「我々からの感謝の気持ちだ」
手渡されたのは布が張られた化粧箱。シンプルなデザインが逆に高価さを演出して嫌な予感がする。
開けた瞬間、思わず固まった。
「魔獣や魔物の希少な素材によって市場の活気を取り戻し、我が国は潤った。変異種など海の魔物を捕獲できたことで、今まで以上に魔物の生態について研究は進むだろう。そして今回のようなことが再び起きないよう魔力だまりを管理する、そのきっかけを作った」
足元に並ぶ水槽で泳ぐさまざまな種の魔物と。生き生きと働く人々の顔を見ながら皇太子殿下はうれしそうに目を細める。
「そして我々の愛する海を取り戻してくれたことに最上級の感謝を込めて、魔除けの聖女に追加の報酬を与える。セザイア帝国の誇り――――大いなるセザイア金貨を」
無言のままアンジェリーナは化粧箱に輝く報酬をもう一度確認する。
この輝き……正真正銘、マグナ・セザイア金貨だった。
「報酬で金貨を渡すときは、皇族自ら授与するという決まりがあるのです」
律儀にもラシムール公爵子息が申し添えしてくれたけれど、ということはこのためだけに皇太子殿下が足を運んだなんて言いませんよね。そんなの重い、重すぎるわ!
「金貨を渡すためだけでなく、今後の関係を踏まえた先行投資ということだな。我々もリゾルド=ロバルディア王国のように末永く友好的な関係を築いておきたい」
「……光栄に存じます」
さすが商人の国、皇太子殿下にここまで言われたら断れないじゃないの。いやもうほんと権力ってこわいわー。
「ちなみに金貨には製造番号が振られている。誰に渡したものか記録に残るから失くしたり盗まれたりしないように気をつけてね」
失くしたり、盗まれたりしたら……もしかして晒される?
反射的にアンジェリーナはジルベルト様を振り向いた。
「ジルベルト様、重いので持っていてください!」
物理的というよりは精神的にですが。
「嫌だ、アンジェリーナが受けたのだから自分で責任を負うべきだろう」
これにはジルベルト様も即答でした。まったくもってそのとおり、しかも普段は見せないような輝くばかりの笑顔を浮かべている。
くっ、これが素敵な笑顔で断るという高等技術か!
「受けた物は返品不可だからね。じゃあ、私は次の公務があるから失礼するよ」
これまた素敵な笑顔を浮かべて皇太子殿下は背を向ける。
どうして皆様ここぞとばかりに笑顔が素敵なのかしら、腹立つわ!
「ああそうだ、ジルベルト殿。契約書のことで確認したいことがあるのだが?」
「はい、伺いましょう」
「私はここで待っていますね」
ジルベルト様を伴って、皇太子殿下が馬車へ歩き出す。
後を追うようにラシムール公爵子息も同じように背を向けた。
「ではいろいろと準備がありますので、後ほどまたご連絡します」
さんざん好き勝手したのに、ずいぶんとあっさりしたものだ。
アンジェリーナが呆れたような視線を向けると彼は唐突に振り向いた。
「そうだ、一つお約束しましょう」
だんだんわかってきたわ、このもったいぶった言い方。
どうにも嫌な予感しかしないのよ!




