魔除けの聖女の不在 ※他者目線
同じころ、セントレア王国では。
アンジェリーナの不在は意外とあっさりバレていた。
理由は単純明快、関係各所からの呼び出しに応じなかったからだ。
厨房ではジャガイモの皮が剥かれていないとコックが怒り、今夜の祭礼に使う道具の種類と場所がわからないと神官見習いは嘆き、山と積まれた洗濯物が片付かないせいで侍女は鬱憤がたまっていた。
無能で役立たずの聖女が生意気に!
結果、ほぼ同時刻にアンジェリーナの部屋の前でコックと神官見習いと侍女が鉢合わせすることとなる。そこからまた大騒ぎになった。
「おい、アンジェリーナの手伝いが必要なら私が先だ。今から全てのジャガイモの皮を剥かないと今晩の晩餐に間に合わん!」
「ジャガイモの皮を剥くのは厨房にいるコックの仕事でしょう、なぜアンジェリーナの手伝いが必要なんですか。それよりも今夜の祭礼の準備が最優先です。使う道具を用意させなければ大神官が祭儀を執り行うことができません!」
「それこそ神官の仕事でしょう。祭事の準備の仕方は見習いの講義内容に含まれているはずよ。それよりも洗濯物が片付かないのよ。日中に干し終わらなければ、夜までに乾かないわ。おひさまの出ている時間には限りがあるの、つまり洗濯こそ最優先だわ!」
「それこそ侍女の仕事だろう!」
誰の仕事が一番重要か揉めに揉めたが、最終的にはまず本人の所在を確認すべきという結論になって、コックを先頭にノックもせずいきなり扉を開けた。扉の外からアンジェリーナに声を掛けるという気遣いなんて誰もしないのだ。
「アンジェリーナ、いつまでサボって……っていない?」
そういえば自室の扉の外でこれだけ騒いでもアンジェリーナは出てこなかった。最低限の家具しか置かれていない部屋はきれいに片付いている。
「まったく、あの娘はどこでサボっているんだ。おい見習い、見かけたらすぐに俺のところに来いと伝えろ!」
「それは私のセリフですよ。いいですか、お二人とも私の用事が最優先です!」
「なに言ってるのよ、洗濯できないとあなた達が困るのよ!」
騒ぎながら、三人はアンジェリーナの上司である神官グイドの元へと駆け込んだ。彼は困惑した顔で三人の苦情を受け止める。だが内心ではほくそ笑んでいた。
……これだけの証言があれば、あの魔女をクビにできる。
彼は聖女の理想像とかけ離れたアンジェリーナの存在を忌み嫌っていた。先ほどまで彼の理想を体現したような聖女ヘレナが涙ながらにアンジェリーナの態度の悪さを訴えていたから余計にだ。天使のように純真で清らかな聖女ヘレナを泣かせるなど同じ聖女であろうが許せない。
彼は自分にとって都合のいい証拠を手に、勇んで神官長の部屋を訪れた。間の良いことに、今日ならば夜の祭礼を執り行うため神官長は在室している。
「急ぎの用事とは何か?」
「アンジェリーナのことです」
グイドは困り果てたという顔でアンジェリーナの聖女解任を求める嘆願書と証拠を差し出した。嘆願書には、神殿に勤務するほとんどの人間の署名がされている。自分に権限があるなら今すぐにでもクビにしたいところだが、聖女の任免は神官長の権限なので勝手なことはできない。だからこうしてわざわざ証拠まで揃えて訴えたのだが、神官長は内容を読もうともせず傍へと避けた。
「事情はわかった。この件は預かっておく」
「では、アンジェリーナを解任してくださると?」
「いいや、彼女はこのまま神殿に留め置く」
「それはどういうことですか⁉︎ 彼女の傲慢な態度と怠惰な性格のせいで、これだけの罪のない人々が迷惑を被っているのです!」
不敬だとはわかっているが納得いかなかった。無能で役立たずの聖女を神殿に留め置く理由がわからない。正義感に駆られたグイドの姿に神官長は深々と息を吐いた。
「教えないということは、知らないほうがいいことだと習わなかっただろうか?」
「っ、それは」
「今までどおり彼女の行動予定を管理し、監視してくれ。我々は、それ以上のことを望まない」
たしかにそう言われていたけれども。それだけでいいとはどういうことか。グイドは常々、疑問に思っていたことがあった。この際だから聞いてしまおう。
「彼女は聖女と呼ばれていますが、他の聖女の仕事を補助する以外で聖女らしい活動は何一つしていません。そしてご承知のように聖女の仕事の補助は侍女でもできる程度のことしかありません」
たとえば馬車の事故のときのように道具を使って治療すること。あれが侍女や神官であれば、むしろ感謝されただろう。そうだ、わざわざ神殿に留め置いて聖女として扱うからややこしくなる。
「ならば聖女でなくてもいいということになりませんか?」
聖女は聖女らしく振る舞うからこそ誰にも文句は言われない。彼女だけでなく、神殿も、国もだ。グイドの目から見れば、聖女らしいことが何もできないアンジェリーナを聖女として扱う仕組みのほうが破綻している。一瞬押し黙って、神官長は深くため息をついた。
「見えていることが全てではない。私に言えることはそれだけだ」
「神官長、祭礼の準備が整いました」
別の神官から声が掛かり、椅子から立ち上がった神官長の視線がたまたま証拠の文字を拾った。すると途端に彼は青ざめる。紙をひったくるように掴んだ手がわずかに震えていた。
「アンジェリーナの所在が不明だと?」
「はい、そうなのです!」
「今回がはじめてか?」
「そういえば遅刻はありましたが、所在がわからないというのははじめてですね」
どこでサボっていたのか指定の時間に遅れてくることはあっても、顔を見せないということはなかった。
「別の場所で手伝いをしているとかはないのか。彼女の姿をどのくらい見ていない?」
「仕事を頼みそうな部署には聞いて回ったのですが心当たりはないそうです。彼女を最後に見たのは、半日くらい前でしょうか?」
聖女ヘレナと一緒に馬車の事故現場に派遣された後からだった。コックや侍女の証言とも合致する。
「調理場の手伝いや洗濯などの仕事を放棄したそうです。しかも今晩の祭礼の準備にすら姿を見せなかったそうですよ。神官見習いが困り果てて私のところに相談にきたので、とりあえず取りまとめ役の神官に確認するよう教示しました」
視線の先にいる取りまとめ役の神官がうなずいた。
「そうです。見習いの神官は祭礼の準備がはじめてのことで勝手がわからないようでしたから、結局最後まで私が準備を手伝いました」
「……そのとき、アンジェリーナは遅れて来たか?」
「いいえ、最後まで来ませんでしたよ。まったく、仕事を任されておきながら無責任にもほどが」
取りまとめ役の神官が呆れ顔で答えたとき、神官長の鋭い眼差しがグイドを睨んだ。
「どういうことか、管理できていないではないか!」
「え、こんなことまでですか⁉︎」
アンジェリーナはもう子供ではないのだ。自分の行動予定くらい把握して、遅れないように立ち回るのが当然だ。今までだって、そのやり方でうまく回っていた。まさか彼女の後ろについて回って行動を監視しろとでもいうのか。それではまるで罪人を見張る看守や牢番のようではないか。
「……探せ」
「は?」
地を這うような声がして、何事かと顔を上げた神官の目の前に怒りに震える神官長の顔があった。
「いいか、祭礼が終わるまでになんとしてでも探し出せ。聖女アンジェリーナを!」
神官長が彼女を聖女と呼んだ。予想もしていなかった展開に理解が追いつかない。
「これは神殿の長たる私からの指示、つまり最優先事項となる。祭礼に影響のない範囲でなら神殿の人間を使ってもかまわない。とにかく聖女アンジェリーナを無傷ですみやかに確保するのだ」
「……」
「捕まえたら、鍵付きの地下室に閉じ込めておけ」
普段の温厚な神官長とは別人のようだった。怒りは不安の裏返しでもある。何がこの方をここまで不安にさせているのか。
「ど、どうしてそこまで」
「監督する立場としての責任はあとで取ってもらう。まったく、なんという失態を……!」
おかしい、そんなのは間違っている。なぜあの役立たずのせいで清く正しく生きてきた私が罰せられるのか。顔には出さないけれど神官は内心で怒りに震えていた。だが神官長は追い立てるように言葉を重ねる。
「早く行け、我が国の存亡がかかっているのだ!」
「は、はい!」
国の存亡だなんて大袈裟な。無能で役立たずで神殿をクビになりかけている聖女が一人いなくなったくらいで、こんな騒ぐ必要があるのか。だが神官長の剣幕にそれ以上は尋ねることができなかった。そこまでいうのなら、とにかく探し出せばいい。どこでサボっているのかわからないが、見つけたらただではすまさない。
ところが夕方から始まった祭礼が終わったあとも、アンジェリーナの所在は掴めなかった。サボっているのではなく、もしかして逃げたのか? それはそれで監督不備として罰せられる。グイドは刻一刻と追い詰められていく。そして儀式が終わり、神官長に呼び出されて仕方なくグイドは答えた。
「申し訳ありません。見つけることができませんでした」
「なんと……」
言葉を失って、神官長は頭を抱える。やがて重い口を開いた。
「わかった、国に捜索を依頼しよう。神殿の管理不足を咎められるだろうが、仕方ない」
「えっ、そこまでするのですか⁉︎」
「逃げたとしても大事に囲い込まれてきた聖女だ。民草の生活に馴染むことができなくて、すぐに捕まるだろう」
なんだこの温度差は。今度はグイドが言葉を失った。神官長は魔道具を使い、何箇所かに連絡をいれた。時折顔色を悪くして、長いやり取りが終わると深く息を吐いた。そしてグイドに冷ややかな視線を向ける。
「出世を棒に振ったな」
「ど、どういうことです?」
「おまえは上司として魔除けの聖女という難しい駒をうまく使いこなせるか試されたのだよ。うまく信頼関係を築ければ、次代の神官長すら夢ではなかったというのに」
「はぁ⁉︎ そんなバカなことがありますか⁉︎」
不敬などという意識はすっかり抜け落ちていた。だってそうだろう、あんな無能で役立たずの信頼を得るだけで、神官長になれるなどという戯れ事を誰が信じるか。
「私はかつて先代の魔除けの聖女の上司だった。そのときの実績も加味されて神官長に抜擢されたのだ」
「先代ということは、おばあさまのことでしょうか?」
「そうだ。歳下だと侮ることもなく知識を惜しみなく与えてくれて、精一杯国のために尽くしてくださったよ」
「そ、それはおばあさまの人柄が優れていたからで……」
「若いころは気が強く、曲がったことの大嫌いな性格で何人もの神官と衝突していたぞ」
グイドは言葉に詰まる。先代の魔除けの聖女は神殿の知恵の書と呼ばれていた。博識で、怒るとこわいが普段の性格は温厚。分け隔てなく接するので誰からも慕われていた。
「ですがアンジェリーナのように傲慢で怠惰な人間をどうにかしろというのは誰だって無理ですよ!」
「それでも聖女アンジェリーナが魔除けの聖女であることは変わりない」
黒い髪と紫水晶色の瞳。あの色はこの世界で唯一無二のものだと言われている。それは同時に魔除けの聖女は一人しかいないということも意味していた。セントレア王国にもたらされた神の祝福。それは魔除けの聖女のことを指すといっても過言ではなかった。
「聖女アンジェリーナの能力は歴代最高だ。影響範囲だけでなく、練度や精度も桁違いだった」
「は、アンジェリーナの能力?」
「まさか本当にわかっていなかったとは……。優秀だと聞いていたから抜擢したのに、期待外れも甚だしい」
心底呆れたという顔。期待外れという言葉が胸に突き刺さった。先ほどから謎かけばかり、そこから全てを察しろというのは無理がある。グイドはまるで悲鳴をあげるように叫んだ。
「もったいぶらずに教えてください。アンジェリーナの能力とは何なのですか!」
「さっき教えたではないか。知らないほうがいいこともあるのだと」
神官長は深く息を吐いた。
「だがそれでも知りたいというのなら、それも神の導きかもしれん。どうする、聞くか?」
「はい、そうでなければ納得いきません!」
「教えてやろう。だが、これを聞いたおまえが自分の犯した罪の重さに耐えられるといいが」
神官長は淡々と言葉を紡ぐ。グイドの顔色は赤から青に変わり、最後は色を失った。
「ああ、私はなんと罪深いことを。では私は……」
「大切にすべきものは、いつもすぐ近くにあった。それを見誤ったことが最大の罪。きっかけの一つは自分だということを忘れるな」
グイドは床に膝をついた。アンジェリーナの聖女らしくないという見た目に騙されていたのか、それともわざとそう装っていた? どちらにしても神官として聖女の隠された能力に気がつくことができるかが試されていたとすれば見事に失格だ。
「今後、聖女アンジェリーナの捜索は国が主導する。彼女について知る全てを報告せよ。割り当てた仕事内容と勤務時間、休日にはどこに行ったか。それだけでなく趣味趣向、誰と会って何を話したか。こんな捏造じみた証拠などではなく、ありのままをな。嘘偽りで飾り立てることなく報告せよ」
そこまで見抜かれていたのか。グイドは羞恥で顔を上げることができなかった。
「かしこまりました。……このたびは誠に申し訳」
「謝罪は不要だ、もう遅い。次の魔獣の大移動までに間に合わなければセントレア王国は蹂躙されるだろう。誰もが空想だと嘲笑った、未知なる魔獣という生き物に」
「……」
「今はただ聖女アンジェリーナが無事に見つかることだけを神に祈っておれ」
うつむいたグイドの視線の先で神官長の机に置かれた魔道具が光った。王城から緊急の連絡が入ったらしい。連絡を受けた神官長はどこか複雑な表情を浮かべていた。
「リゾルド=ロバルディア王国から魔除けの聖女の派遣要請を取り下げるという連絡がきたそうだ。二年前、我が国が聖女アンジェリーナの派遣を断ったせいでリゾルド=ロバルディア王国は多大な被害を受けている。断りにくいということもあって回答を先延ばしにしていたのだが、あちら側から申し入れてくれるとは好都合だった」
これで少なくとも魔除けの聖女の所在が不明であることは誤魔化せる。救われたはずなのにグイドの心は一層重くなった。なぜだろう、どうにも嫌な予感しかしないのだ。
「魔除けの聖女の価値を落とすため、国は聖女アンジェリーナの悪い噂をあえて放置していた。その対応が功を奏したというわけだ」
魔除けの聖女の価値を落とす。アンジェリーナを貶めるような噂が流布した背景にそんな意図があったとは。国の思惑にグイドだけでなく皆が等しく踊らされていたのだ。
「なぜ、そんなことを……」
「セントレア王国を存続させるためだ。おばあさまの残した報告書によれば、リゾルド=ロバルディア王国の被害状況から判断して、今回の魔獣の大移動はここ数百年で最大規模になるそうだ。規模が大きくなるだけ迷走状態になる個体が出やすくなるらしい」
湧いた魔獣がリゾルド=ロバルディア王国の一部を通過するという魔獣の大移動。暴徒のようでありながら、目的地は他国の魔力だまりという最低限の秩序だけは保たれていたのだ。だが迷走状態になると本能に狂わされて、本来の目的を見失うようになる。
より多くの魔力を求めて、魔力を保有する生き物を見境なく襲うようになるだろう。
「魔力を保有する生き物で、もっとも脆弱なのは人間だ」
つまり、迷走の果てに人々が捕食される危険があるということだ。まさに地獄のような景色を想像して、グイドは言葉を失った。
「……そ、そのことは他国に知らせたのでしょうか?」
「いいや。知らせるわけにはいかない。知らせたら各国から魔除けの聖女の派遣要請が相次ぐに決まっている。そうなれば誰がセントレア王国を守るのだ」
「ですが、それでは他国の民が!」
一層厳しい顔をして、神官長はグイドの視線を受け止める。
「ではおまえはセントレア王国の民に国を守るために死ねと言えるか?」
ぐっと言葉につまった。たとえ神官であろうと、死ぬのは怖いに決まっている。
「圧倒的な脅威にさらされながら全てを守りきることなんてできない。為政者ならば、自国の民を最優先に守ろうとするのは当然だ。アンジェリーナさえいればこの国を確実に守ることができる。最強の武器を隠し持っていたとして、それを他国に咎められる謂れはないな」
綺麗事ではない、政治とはそういうものだ。はっきりと言い切った神官長の目に迷いはなかった。きっと王や王以外の国を取り仕切る者たちも同じ考えなのだろう。
「聖女アンジェリーナには可哀想なことをしたが、彼女の犠牲によってこの国は救われる。聖女として、国を守る礎となれるなら彼女も本望だろう」
国を守る立場にすれば彼らの行動は正しいのかもしれない。だがこの選択は本当に正しいのだろうか。どういうわけかグイドには正しいと言い切る自信がなかった。神官長は冷ややかな眼差しでグイドを一瞥すると背を向ける。所詮はその程度の器の男か。多数の幸せのために一人を切り捨てれば済むことを、躊躇しては結局誰も守れない。
「ここで話したことは他言無用だ。魔除けの聖女は無能で役立たずのままでいい」
さんざん迷って、でも結局グイドは固く口を閉じた。
「速やかに報告書を提出するように。その報告書の出来で、この国の未来が決まると心得よ」
「承知しました」
深々と礼をして、グイドは部屋を後にする。正しいことをしているはずなのに、どうしてこんなにも胸が騒ぐのか。おぼつかない足取りで自室へと戻る彼の耳に、どこからともなくおぞましい魔獣の鳴き声が聞こえたような気がした。