第八話 共に戦うことによって得る強さ
水の罠を解除したアンジェリーナは、もう一度慎重に魔力を操った。
同じ割合になるように調整して魔法を放つ。
一度目は偶然、でもそれが二度なら。
二度目も水の罠が捕えたのはシーサーペントだった。
「すごい、間違いなく大当たりですよ!」
ガタリと音を立てて椅子から立ち上がると、アンジェリーナはそのままジルベルト様に抱きついた。けっこうな勢いがついていたけれど、彼は難なく抱き止めてくれる。アンジェリーナは首元に腕を回したままの体勢で深々と息を吐いた。
「よかったー、本当によかった!」
驚きよりも先に気が抜けてしまった。それほどまでに追い詰められていたらしい。
アンジェリーナが甘えるように頬をすり寄せると、ジルベルト様はあわてたように背中を軽く叩いた。
なんだろう、横を向くとジルベルト様の耳の辺りがほんのり赤い。
「あー、うれしいのはわかったが人目があるからほどほどにな」
「ご、ごめんなさい」
あ、しまった。はしゃぎすぎたわ。
顔を上げると、視線の先にはポカンとした顔のラシムール公爵子息と私兵の姿があった。
ちなみに彼らには、遊んでーとばかりに子猫が大型犬へと容赦なくじゃれついている図にしか見えない。
そそくさと体を離して軽く咳払いをするとアンジェリーナは真剣な表情を浮かべた。
「すごいです、どうやって割合を導き出したのですか?」
「ああ、魔力を魔法に置き換えてみただけだ」
「……は?」
アンジェリーナは言葉を失った。
なんてことないという顔をしているけれど、どこから突っ込むべきか迷うわね!
「いやいや、魔力と魔法は完全に別物ですよ!」
「普通はそうなのだが。私の目から見たとき、魔法には発動後のものと体内に待機しているものの二種類がある。発動後のものは当然燃料である魔力を使った後だが、待機中のものは魔力を保有したまま体内に留め置かれている状態だ。そのときの魔法の質を見分けて参考にした」
全然、何を言っているのかわからない。
でもやはりジルベルト様にはアンジェリーナには見えないものが見えているらしい。
「アンジュが私の目には捉えられない何かに寄せようとしているのはわかっていた。だから私は陸の魔獣や魔物を通じて、君の求める何かがどんなものか見極めようとしたんだ。蛇にトカゲ、カメに魔獣を経て虫まで。比較する対象は潤沢に与えられたから良い訓練になったよ。その結果、普段は意識していなかったからわからなかっただけで、種が同じものは魔法の傾向が似ていることに気がついた。そうやって比べていくうちに質の違いが感覚的に感じ取れるようになった」
「ですが、質の違いがわかったとしてもシーサーペントの好む魔力の配合を言い当てることはできませんよ?」
そう、それとこれとはまったく別の話だ。
するとジルベルト様は口角を上げた。
「なぜできないと思う?」
「それは」
「ファハド先生とシーサーペントを見に行ったとき、シーサーペントの体内で構築された魔法を読んだ。水の罠は魔物の攻撃を無効化するけれど、内側に留め置かれる魔法まで打ち消すわけではない」
たしかにその認識は正しい。水の罠は魔物の打ち出した攻撃を無効化するだけで無力化するものではなかった。
「私がしたことはアンジュと似ている。まずは魔除けの聖女が持つ四種類の魔力を魔法に置き換えて、質の違いを覚えた。それから虫の項目でシーサーペントの魔法に質が近いものを選んだ」
ジルベルト様が感覚的に近いと思った項目。それが二つ前のものと、五つ前の魔法だったと。
「そこからアンジュに魔力の配合を変えてもらって、魔法の質をシーサーペントの魔法に近づけた。変異種が混じったのは近くにいたのだろうな。近くにいて、たまたま体内で構築されていた魔法を読んだ。正直なところ質が近すぎて、どちらがどちらのものか自信はなかったからそこはもっと訓練が必要だな」
どうしよう、私の知る魔法の常識が常識ではなくなっている。アンジェリーナは頭を抱えた。
「ちょっと待って、そんなデタラメなことってある⁉︎」
「デタラメだろうが、規格外だろうが結果的には捕獲できただろうが」
いや、たしかに目標は達成できたけれども!
ジルベルト様は水に包まれたまま暴れるシーサーペントに視線を向けた。
「過去に魔除けの聖女が導き出したという好む魔力の配合とは、おそらく魔獣や魔物にとっては自らの魔法に適した魔力ということだ。効率よく魔法を発動できる魔力を求めて寄り集まると考えれば、決してデタラメなことではないと思うが」
ジルベルトからすれば、むしろ魔獣の大移動と似た秩序すら感じる。
アンジェリーナを通じて知った魔のつくものの世界は奥が深い。魔力の違いを嗅ぎ分ける魔獣や魔物、それに魔除けの力と同時に魔寄せの力をも操るアンジェリーナの存在もそうだ。
「言っただろう、共に戦うことで磨かれる強さもあると。それは君だけではないんだ」
ジルベルトにすれば、デタラメで規格外なのはアンジェリーナのほう。でも彼女といれば自分はもっと高みが目指せる。せっかくの機会を与えてくれたのだから、同じように彼女にも得るものがあればいい。だから余計なおせっかいとわかっていても手を出した。
「あのまま実験を続けていても、アンジュはいつか答えにたどり着くことができただろう。君のやり方を否定はしないし、想像どおりにはいかなかったことも良い経験になったはずだ。ただ、君の周囲には努力を知って手を差し伸べようとする人がいることも忘れてほしくなかった」
アンジェリーナの視線の先にはラシムール公爵子息がいて。相変わらず冷静な表情、見極めようとする強い眼差しは変わらない。でもアンジェリーナが迷い、右往左往するときも、あの眼差しが失望に染まることはなかった。
――――あなたならきっとできるはずだ。
彼の期待は重く、でも一方でそれがどれだけ心強かったことか。ファハド先生も突然の申し出にも関わらず、さまざまな知識を惜しみなく与えてくれた。
こわがって遠ざけていただけでアンジェリーナを助けようとする手はこんな近くにもあったというのに。自分のことばかりに夢中で周囲が見えていなかった。
「君が誰かの力を借りることで少しでも早く望むものを手にすることができれば、それだけ多くの人が救える。アンジュが与えられた力はそういう類のものだ。だから力を借りたいと思ったとき、ためらってはいけない」
視線を下げたアンジェリーナの頭にジルベルト様はそっと手を置いた。
「そう考えたら、こわくはないだろう?」
気づいていたのか。
頭の上にある優しさしかない手に己が手を添えた。思えばこの手がいつもアンジェリーナを闇の奥から救い出す。手袋越しに伝わる温もりに小さく息を吐いた。
「ダメですねー、いつまでも頼ってばかりでは」
「そんなことはない。君はラシムール公爵子息の助言を聞き入れ、ファハド先生に学んでここまで精度を高めた。虫が苦手なのに、何度も実験を繰り返して。何度も挑戦して精度が上がったからこそ、私も迷わず正解にたどり着くことができた」
「虫が苦手ってやっぱりバレてましたか」
「平気な顔をしていたけれど、ときどき肩がビクッとなっていた」
くくっと笑って。ジルベルト様はアンジェリーナの顔をのぞき込んだ。
「こわくても苦手でも最後まで逃げなかった。それがアンジュの功績だ、よくがんばったな」
にじむ目元を隠すようにアンジェリーナは瞳を伏せた。
「ありがとうございます、そばにいてくれて」
「お礼なら、困ったときに私がいることを思い出してくれたらそれで十分だ」
頭をひとつなでてジルベルト様は立ち上がる。視線が森の奥に向かって彼の口元がうれしそうに弧を描いた。
「海の変異種を寄せると、呼応するように陸でも変異種が寄ってくるのは便利だな。貴重な素材が難なく手に入る」
魔力に惹かれて姿を現したのは蜘蛛。通常のものよりも一回り以上大きいし、黒い体には赤い筋とオレンジのマダラ模様がついる。あの禍々しい独特の雰囲気は明らかに毒蜘蛛だ。
「危ないから秒で燃やしましょう」
「ダメだ、もったいない。強い蜘蛛の肝は良い薬になるし、あれは私の獲物だ」
「獲物って……楽しそうですね、ではご存分に」
変異種だけどジルベルト様ならば負けることはないだろう。苦笑いを浮かべたアンジェリーナは、さりげなく毒無効の魔法をかけて送り出す。
ああやって嬉々として獲物に立ち向かっていくところが子供っぽくてかわいらしいのよね。
アンジェリーナは海を見つめて魔力を手繰った。
「ジルベルト様は違う場所にいて、なのにずっと一緒に戦っていてくれていたのか」
海と、森と。
互いに背を向けて、まったく視線すら交わることもなかったのに。
魔物という媒体を通じて、アンジェリーナが探すものを彼も同じように探してくれた。
「共に戦うことによって得る強さ、か」
たったひとつの答えを求めて一緒に戦う時間はたしかに悪くなかった。
アンジェリーナは覚書を見て、練り上げた魔力を放つ。
これが三度目の正直。
引き上げた水の塊の中ではシーサーペントが身を捩っている。
「最終的にはジルベルト様の力を借りることになったけれど、結果は出したし許容範囲ということでいいかしら」
ついでに図々しいのと、厚かましいのもジルベルト様が明言している。
まったく問題ないわねとアンジェリーナはにっこりと笑った。
こうして難題から解放されたアンジェリーナが浮かれている背後で。
切り裂いた獲物越しに緊張の糸が切れたアンジェリーナの背中を見つめるジルベルトは口角を上げた。
余計とも思える手出しをあっさり受け入れるところ。
ひねくれているようで、ジルベルトにだけは素直に甘えてくれるところもかわいい。
ただ気を許した相手には、若干脇が甘くなるのは心配だけど。
剣を鞘に納めて振り向くとラシムール公爵子息が浮かれるアンジェリーナの背中を呆然と見つめている。
「ああいう表情もするのか」
こぼれ落ちた言葉に、なんとなく愉快ではない熱を感じ取ったジルベルトは眉根を寄せる。
アンジェリーナだけでなく、彼も。無自覚というのが実は厄介なんだ。特にこの男には気づかせてはいけない、面倒なことになる。
「彼女が気になりますか?」
「……そういうわけではありませんが」
「言ったでしょう、彼女は必ず結果を出すと。それよりももっとあなたが憂慮すべきことは他にあるのでは?」
「何のことでしょう?」
「霊薬のことです。リゾルド=ロバルディア王国との商談が難航しているのではありませんか?」
途端にアンジェリーナから意識がそれて、彼の意識が完全にジルベルトへと向いた。
「……なぜそう思われるのです?」
「なんとなく、そうではないかと思ったまでです」
無言は肯定とみなす。
図星だと、ジルベルトはラシムール公爵子息の探るような視線を軽く受け流した。
ラシムール公爵子息は思い悩むような顔をする。
「なぜ交渉がうまくいかないのか、正直なところ理解できないのですよ。互いに損のないよう条件を提示して保証もつけたというのに王国側がどうしても納得しないのです。ほかに何が足りないというのでしょうね」
提示したのは彼からすれば破格の条件なのだろう。間違いなく、霊薬にはそれだけの価値がある。ただ、ラシムール公爵子息は一番大事なことを忘れていた。
「あなたはアンジェリーナに言ったことを覚えていますか。霊薬は立派な商品だ、我々なら市場価値をもたせてうまく流通させることができると。その心構えで交渉の場に臨んだはずだ」
ラシムール公爵子息はうなずいた。彼が直接交渉するときはフェレスが相手をすることになるだろう。そしてジルベルトにはフェレスの考えていることが手に取るようにわかっていた。
「たしかに霊薬は商品です――――ですが、アンジェリーナは商品ではありません」
当然のことを、あえて口にしたジルベルトの冷ややかな表情にラシムール公爵子息は息を呑んだ。
「特級商人ならば意味がわかるはずです。アンジェリーナの安全が保証できないような相手に我々が霊薬を売ることはないでしょう」
交渉相手がフェレスだからではなく、それがリゾルド=ロバルディア王国の意思だから。
魔除けの聖女を解き放てば、こういうリスクが生じることは容易に想像できる。だから国は霊薬という黄金を操ってアンジェリーナを援護する。場合によっては盾となって、少しでも旅の助けとなるように。
ジルベルトは胸元に手を添えた。
「懐に黄金を抱くのはあなただけではないということです。我々にだって守るべき矜持はある」
無理を通そうとすれば、霊薬を盾にリゾルド=ロバルディア王国が相手になるということだ。
止めにもう一押しとジルベルトは口角を上げる。
「もしアンジェリーナ本人に手を出す者がいれば、それは私が相手になりましょう。ご安心ください、相手が魔獣でも人であってもたいした違いはありません。戦い方が変わる、私にとってはそれだけのことですから」
厚意だけでセザイア帝国の兵士達に対魔戦を指導してきたわけではない。純粋な武力でどちらの実力が上かを見せつけるには良い機会だったから。
途端に顔色の変わったラシムール公爵子息へジルベルトは薄らと笑った。
「特に私は、そういうふうに育てられています」
対魔戦だろうと、そうでなくても。最前線で生き残ることができた者が王太子になれるのだ。
さて、彼はどう答えるか。
視線の先でラシムール公爵子息は深々と息を吐いた。
「さすが兄弟ですね。恐れを知らないというか、不遜な物言いがフェレス殿にそっくりだ」
「褒め言葉と受け止めておきましょう」
「ですが良いことを聞きました。霊薬についてもそれ以外も、いろいろと検討しがいがありそうだ」
顔を上げてラシムール公爵子息は微笑んだ。それが油断ならない不敵な笑みに見えてジルベルトは眉を寄せる。
これまでのやり取りで不足はなかったはずだが?
「あなた方のとる手段と、我々の好んで使う手口は違うということですよ」
「それは……」
「ジルベルト様、ラシムール公爵子息!」
追求しようとしたところでアンジェリーナが軽やかな足取りで近づいてくる。
満面の笑みを浮かべて、非常に満足そうな顔だ。
「割合を完全にモノにしましたから、いつでも捕獲できますよ。さあ、いつにしましょうか!」




