第六話 あなた方は強さを持ち合わせているか
そして次の日。アンジェリーナは現場の物々しい雰囲気に言葉を失った。
森の前に完全武装した兵士がたくさんいる。なんというか圧がすごい。しかも目が合った瞬間、わけもわからないまま睨まれた。口元に手を当てたアンジェリーナは真っ青な顔をして身を震わせる。
まさか、ついに……!
「どれがバレたのかしら」
「ほう、何をした」
「心当たりがありすぎてっと、いえ何でもありませんお気になさらず」
「わかった。あとで心当たりとやらは全部話せ、いいな」
まさか自然体で聞かれると思わず……あああ、ジルベルト様の視線が痛い。
彼は待機する兵士達の人数を確認する。
「小隊か、面白くなりそうな人数だな」
「こ、これは一体何事ですか⁉︎」
「ラシムール公爵子息に頼まれた」
「ええそうです、兵士達の訓練になりそうだと思いまして」
振り向くと、視線の先にはラシムール公爵子息がいた。
「我が国の兵士は海中に潜む魔物の対処は慣れています。ですが陸上に棲む魔物には不慣れなところがありましてね。というのも普段、魔獣対応区域にこれだけの魔獣が現れるということはないのですよ。ですから、擬似的にでも魔獣の大移動を経験する良い機会と思いまして、お願いしたところです」
「擬似的に、魔獣の大移動を経験ですか?」
「今回の魔獣の大移動ではリゾルド=ロバルディア王国から他国への門が開かれることはなかった。被害もなく、それは素晴らしいことではあるのですが逆に魔獣の大移動を経験することができなかった兵もいます。次の魔獣の大移動がいつ起きるかはわからない、ですから陸上における対魔戦の過酷さを学ぶ機会としてこの状況を利用させてもらいたいと申し出ました」
思いもよらなかったことにアンジェリーナは目を丸くした。そうか、魔獣の墓場という策を持ちながら使われた形跡がほぼなかった理由はこれだ。記録に残されている限りで、他国への門が開かれなかったのが初めてという理由もここにある。
魔獣の大移動は決してなくならない自然の脅威だ。
有事の際に、経験の有無が生死を分けるということもありえる。
アンジェリーナはひっそりと反省した。リゾルド=ロバルディア王国にとってはともかく、他国にすればアンジェリーナの選んだ策が最善というわけではなかった。加減とは難しいものだ、それに視野が狭かったというのもある。ここは反省点だなー。
「では軍を支援する補助魔法を」
「いや、今回魔除けの力はなしだ。もっとも過酷な状況で経験を積ませる」
「え、どうしてですか⁉︎」
「魔除けの聖女の力に頼ることなく魔のつくものを退ける。それがアンジュの望む国の姿ではなかったか?」
ハッと目を見開いたアンジェリーナの頬がじわじわと赤くなる。
「ダメですねー、言った本人が忘れていては」
「いや、アンジュはできることをしようとしただけだ。君は悪くない」
ジルベルト様の手が、甘やかすようにアンジェリーナの髪をなでる。それから耳元に顔を近づけた。
「アンジェリーナの魔獣の大移動を食い止める策があったおかげでリゾルド=ロバルディア王国の兵士は誰も死なずに済んだ。あの策を間違いだと言わせるわけにはいかない。そのために他国への支援が必要だというのなら、それは我々リゾルド=ロバルディア王国の領分だ。だから私が引き受ける」
「本当に不思議です。ジルは私のほしいときに、ほしかった言葉ばかりをくれる」
「ただし、あんまり勝手されると私の胃に穴が開く。何か仕掛ける気なら事前に根回しはしておいてほしい」
「うっ、善処します」
勝手したとは食事に魔除けの力を付与したことや、樽を聖杯にしたことだろうな。いやだってあのときは魔除けの聖女だとバレるわけにはいかず……そんな睨まないでください。ええ、もうしません。
「ちなみに今日はどんな種を寄せるつもりだ?」
「カメが少しと、あとは魔獣ですね。熊、犬、猪といったところでしょうか。力が強くて攻撃力の高そうな種ばかりです。あと変異種も混じりますけれど大丈夫ですか?」
「相手が強いほど良い経験になる、だから心配はいらない」
百戦錬磨の兵士達には余計なお世話だと思うのだけれどね。困った顔でアンジェリーナは頭に置かれたジルベルトの手をとった。相変わらず温かくて大きな手だ。そんな彼の手のひらに乗せられるだけ霊薬の瓶を置く。ざらりと音を立てて、手のひらに落ちた瓶がキラキラと陽光を弾いた。
「訓練なのでしょう、だったら今後のためにも彼らには深い傷を負わせるわけにはいきません。もちろんジルベルト様もですよ!」
本番はもっと先に待っている、そのときに全力を尽くすことができるように。
どこか願う気持ちで見上げたアンジェリーナの眼差しにジルベルトは苦笑いを浮かべた。
「アンジュは甘いなぁ、そこが良いところでもあるけれど」
「褒め言葉ですよね、ありがとうございます! 甘えついでに帰りに商店で薬瓶を買ってもいいですか。霊薬用の瓶がそろそろなくなりそうで」
「……あなたは、どうしてそういう発想になるのでしょうね」
なぜか背後で深々と、それはもう深ーいため息が聞こえた。
振り向くとそこには呆れた顔をしたラシムール公爵子息がいる。
え、私何かした?
「アンジェリーナ嬢、確認したいのですがあなたの前にいる私の仕事はなんでしょう?」
「仕事ですか? たとえば公爵家ご子息とか、ああもしくは皇太子殿下の側近でしょうか」
「それもありますが、大事なものをもうひとつ忘れていませんか?」
大事なもの、大事なもの……アンジェリーナはポンと手を叩いた。
「商人ですね!」
「そうです、しかも選ばれし特級商人ですよ。なのになんですか、その完全に忘れてましたという顔は。言ったでしょう、私に売買できない品物はありませんと。薬瓶の調達くらい、私に頼めばいいではありませんか」
「いや、ですが気軽に頼むわけには」
「昨日、あなたの用意した霊薬には我が家の者がお世話になっているのです。あとで経過を聞けば、魔物にやられた傷は完治して毒の影響も残っていないとか。たった一本でそれだけの効果効能がある薬は、私が知る限り存在しません。つまりあなたの霊薬は立派な商品なのですよ」
今日も彼らの姿はラシムール公爵子息の傍らにある。ざっと見た限りでは、たしかに問題はなさそうだ。
ただアンジェリーナの目はおかしいみたいで、彼らがジルベルト様を慕うワンコに見えるときがあるけれど。
「あなたは彼らを癒すために惜しげもなく商品を提供した。一方で、恩恵を受けた我々には対価を支払う義務がある。間違ったことを言っていますか?」
「いいえ、そのとおりだと思います」
「あなたのおっしゃるように、これはあくまでも訓練だ。いつか来る魔獣の大移動に備えるためにも我々にとって霊薬は必要なものなのです。つまりこれは必要経費、その一環として我々から薬瓶の提供を受けるのは、あなたが主張して良い当然の権利なのですよ」
何が言いたいのだろう。困惑するアンジェリーナにラシムール公爵子息は真剣な表情を浮かべた。
「アンジェリーナ嬢、搾取されることに慣れてはいけませんよ」
アンジェリーナはあんぐりと口を開けた。え、どういうこと?
「ここまでのやり取りで、なんとなくセントレア王国でのあなたの扱いを理解したつもりです。だからこそ、あえて言わせていただきます。あなたは自分の価値を低く見積りすぎだ。あれほどすばらしい霊薬をタダで渡すなどありえない。我々ならば市場価値をもたせて、うまく流通させることができる。あなたに利益を還元することだってできるでしょう」
「搾取とは言い過ぎではありませんか。それではまるで我々もセントレア王国と同じことをしているように聞こえる。基本、アンジェリーナが霊薬に使う材料などはリゾルド=ロバルディア王国が購入して用意しているもので、私達が使うためのものだ。貴国の兵士に提供したのは、あくまでもアンジェリーナが望むからです。それのどこに問題があると?」
ええ、そうなのよ。先日贈り物として購入した房飾りや屋台の食べ物やお菓子などの嗜好品はアンジェリーナの個人資産からだけど仕事に関わる出費はジルベルト様が出してくれる。もちろん出資元はリゾルド=ロバルディア王国から。国王様直々に「ジルベルトと素材をよろしく頼む(意訳)」と言われたので「かしこまりました!」と答えた結果です。
それにしてもジルベルト様によく似た顔立ちの国王様からお願いされると、なんでか全力でがんばらなければならない気になるのよ。あれはなんの魔法かしらねー?
とにかく依頼を受けてリゾルド=ロバルディア王国に納品している霊薬だって材料費等を引いた対価をいただいているし、特に文句も不満もありません。
「ですので霊薬については間違いなく損をしていませんよ?」
「契約は?」
「もちろん結んでいます」
「その指示は誰が」
「国王陛下です。彼女に関わる案件は扱いが難しく繊細ですから」
真面目な顔でジルベルト様が答えるとラシムール公爵子息は黙った。
ジルベルト様の言葉の端々にそこはかとない怒りを感じる。
口数は少なくても祖国が貶められて黙っているような人ではないからなー。
「つまり霊薬を商品として扱いたいというのならば、リゾルド=ロバルディア王国に交渉が必要ということですか」
「そういうことです。余談ですが、フェレス王太子殿下がさみしがっておりましたよ。最近はラシムール公爵子息が自分との直接交渉を避けていらっしゃるような気がすると」
「ほう、彼がそんなことを」
眉を跳ね上げたラシムール公爵子息に、ジルベルト様の口角がくっきりと上がる。
うわー、魔王の代理戦争再びの予感。アンジェリーナはジルベルト様にだけ聞こえる距離でささやいた。
「悪い人ですね、煽ったでしょう!」
「そんなことはないぞ、フェレスがつまらないと言っていたのは本当だ。最近の商人は歯応えがないとな」
あの人、何を噛む気でしょうね。
脳裏にネコ属の魔獣と蛇の魔物の一騎打ちが浮かぶ。アレらの縄張り争いに巻き込まれると危険なのよ。相手かまわず噛む、巻きつく、ついでと毒までくらわせる。過去に一度、巻き込まれたときは冗談抜きで死にかけた。
いやだ、絶対関わらないようにしよう。
「霊薬の件については誤解があったようですね、謝罪します」
「こちらこそ、貴国の兵士に霊薬を提供する前に一度ご相談すべきでした。配慮が足りず申し訳ありません」
これで痛み分けということかしら。巻き込まれずに済んだアンジェリーナは深々と息を吐いた。
「では霊薬については貴国と別途交渉しましょう。それとは別にして、この場で我々が使った分についてはこちらに請求を。貴国が霊薬にどれほどの価値をつけているのかが知りたいのです。それから薬瓶についてはこちらが用意します。他に必要な材料などはありませんか?」
「それでは、毒や薬に侵されていない清水を」
「量はどのくらいですか?」
「……あの小さい樽を満たす量があれば十分です」
大きな樽何杯でもと言いかけたけれど、ラシムール公爵子息の背後でジルベルト様が恐ろしい顔をしているからやめておいた。
しょうがないじゃないですか、無能で役立たずと呼ばれない程度で且つ他人がそこそこ役に立つと思う力加減というものがまだわからないのですよ!
「ではのちほど話を詰めましょう」
「それがいい、今は悠長なことを言っている場合ではなさそうだ」
ジルベルト様の視線が森の奥に向いた。アンジェリーナにもわかる、魔除けの結界の魔力が切れた。
血の匂いを嗅ぎつけて魔獣や魔物が一斉に動き出す。
「行ってくる」
「ご武運を」
アンジェリーナは昨日と同様、しとやかに膝を曲げて送り出した。ジルベルト様は森を抜けてきた足の速い魔獣を剣でなぎ払いつつ、兵士に指示を出して小さな組を作る。自身の武器と身体を使ってそれぞれに魔獣が一匹ずつ行き渡るように調整すると、あとは魔獣の強さによって自らが倒したり、魔獣を撃ち取った組に新たな敵を送り出す。
余裕があるうちは、ああやって集団で倒していくのか。少しずつ体を慣らすことで陸での戦い方を学ばせる。
海中での戦い方には慣れていても、陸上では勝手が違うものらしい。最初は動きの悪かった兵士達が、少しずつだけれど連携して滑らかに体が動くようになった。
「さすが魔獣の国で特務部隊隊長を務めただけある。慣れたものだ」
感嘆を含んだ声でそうつぶやくと、ラシムール公爵子息はアンジェリーナと視線を合わせる。
「今日もあなたは戦わないのですね」
「しょうがないじゃないですか。あなた方の無茶振りがまだ解決できていないからですよー!」
さらっと受け流して、アンジェリーナは迎え撃つ兵士の群れに視線を向ける。
顔をあげたジルベルト様と視線が交差して、小さくうなずいた。
――――そろそろいいぞ。
「了解ですー」
「何のことでしょうか?」
アンジェリーナのつぶやきを拾ったラシムール公爵子息が怪訝そうな顔で首をかしげた。
「これからが本番ということですよ」
アンジェリーナは真剣な顔をしてラシムール公爵子息の瞳を見つめ返した。
「魔獣の大移動が起きるとき、魔の巣窟から魔獣や魔物が湧く速度はあんな緩慢ではありません。まるで波のように、間断なく押し寄せる。そんなときにあのような秩序を保った戦術は通用しません。ここからは個々が、己が判断で周囲と呼吸を合わせながら効率よく倒していくような戦い方に変わります」
あの混沌とした場所では、それをできる者だけが生き残る。
「つまり、実際はこんなものではないと」
「ちょっとした肩慣らしです。魔性に狂わされたものの凶暴さは、もっと情け容赦ないものですよ」
あなた達は魔獣の大移動の本当の恐ろしさを知らない。リゾルド=ロバルディア王国によって命がけで削られた残り滓のようなものしか見たことがないから。どこか甘く見ている、だからこの期に及んで交渉だの契約書だのという世迷いごとをこの場で持ち出す余裕があるのだ。
そんなもの、生き残った後の話。
アンジェリーナは冷めた視線をラシムール公爵子息の手に持つ鞭へと向けた。
「最初に言っておきますが、舐めてかかっていると死にますよ?」
「は?」
「恐れながら本気で職人の方を守る気なら手に持つのは剣にすべきでしょう」
「不躾ですね、いきなりなんです?」
「ラシムール公爵子息。よもやお忘れではありませんよね。帝国を魔のつくものから守るのは私ではありません。他の誰でもないあなた自身です。違いますか?」
煽るようなアンジェリーナの言葉に、ラシムール公爵子息は不快そうな表情を浮かべる。不敬とばかりに私兵が厳しい顔で間合いを詰めてくるけれどアンジェリーナは一歩も引かない。
だって引く理由がないのだと、アンジェリーナはニヤリと笑った。
「私の実力がいかほどのものか気になるのはわかりますが、まずは皆様の覚悟を見せてくださいな」
ラシムール公爵子息が毎度毎度しつこく戦わないのか聞いてくるのだもの、言わずとも何をさせたいかくらいわかる。でも私の力を試す前に、まずは自分達がどこまで戦えるのかを知るべきよ。
せっかく良い機会を設けたのだから活用しないとね。
「私も知りたいのです。あなた方が自らの手で魔のつくものを退ける強さを持ち合わせているか」
にこりと笑ってから、アンジェリーナは彼らに背を向けた。ローブのフードをかぶり、内側を黒く塗り替える。
だいぶ使い勝手が良くなってきたわね、魔寄せの力も。
使うほどに力が体に馴染んでくるのがわかる。意識を集中しなくても、使いたいと思うだけで切り替わるようになってきた。使うのがこわくて慣らすまで時間がかかってしまったけれど、今はもう呼吸するように使える。
赤い瞳は魔のつくものを従えるにふさわしい勇気と威厳の紅玉。
あんなふうに言われてしまえば、いつまでもこわがっていては不甲斐ないというものよ。
「気を抜くな、一気に押し寄せてくるぞ!」
ジルベルト様の怒号にラシムール公爵子息と私兵が振り向いた。視線の先には、森を勢いよく駆け抜けてきたブラックドッグの姿がある。魔性に狂わされている今は、瞳の色はより深く血のように赤い。明らかに血で寄せられたときとは勢いが違っていた。
なぜだ、同じ種のはずなのに昨日のものとは禍々しさが全然違う。
ギリギリ私兵の剣がブラックドッグの体を切り裂いて、舞った血が周囲を赤く染めた。昨日はまだ余裕があったのに、なんなのだこの余裕のなさは。私兵だけでなくラシムール公爵子息もまた顔色を悪くした。
アンジェリーナはひっそりと口角を上げる。
彼らは知らない、これから押し寄せる魔獣には本番さながらに魔力に狂わされたものが混じるということを。
違いがわかるかしら。同じ魔獣でも血に酔っただけのものと、魔力に狂わされたものでは凶暴性が段違いなのよ。
アンジェリーナは背を向けたまま、彼らに聞こえるように声を張り上げた。
「ラシムール公爵子息が腰に下げた剣を抜かずに済めば、不敬を幾重にもお詫びいたしましょう。ですがもし剣を抜いたときは……今後一切不敬は問わないでくださいね!」
彼らは嫌が応もなく押し寄せる魔獣の波に飲み込まれていく。
アンジェリーナは手元の覚書をめくる。まずは犬、猪、熊から。少しばかり残ったカメは後回しでいいか。そのほうが攻略の難易度が上がる。これを意地悪だとか、もしくは意趣返しだなんて思われたらそれこそ不本意だわ。
「ジルが言っていたもの、相手が強いほど良い経験になるって」
アンジェリーナの視線の先には楽しそうに戦う彼の姿があった。
森の奥から這い出たフレイムベアが炎を纏った爪で兵士達を襲う。変異種が混じり、見たこともない大きさの魔獣に翻弄される彼らと違ってジルベルト様はアンジェリーナに視線も寄越さない。
彼にとって、この程度の変更は想定内ということだ。
アンジェリーナはランタンに魔力を流して結界を張ると椅子に腰掛けた。
余裕なさそうだし、誰も見ていないからいいかなー。
行儀悪く足を組んで、膝に片肘を突いた姿勢で海面を見据えるとローブの内側でひっそりと笑う。
ちょっとは驚いてくれてもいいのに。
敵を騙すには、まず味方から。なのに欠片も騙されてもくれない。
ああ本当に、ジルベルト様と戦うのは楽しいわね!




