第四話 私は家出娘ではありません
お二人ともに、不信感でいっぱいという顔をしている。
「しかし妙ですね。なぜ他国への回答書にこんな添え書きをするのでしょう。もし家出した少女を捜索しているのなら国許に直接捜索願いを出せば、すみやかに対応してもらえるというのに」
副隊長さんが首をかしげた。アンジェリーナにはわかる、この添え書きは万が一の場合の保険だろう。もっとも警戒すべき相手に保護されることを恐れたからだ。
あーあ、バレるにしても、もうちょっと時間がかかると思っていたのに。
だけど大丈夫、私には秘策があるのです。
「あー、この髪と瞳の色のことですか。それはコレのせいなんですよ!」
困った顔をして、アンジェリーナはポケットから薬瓶を取り出した。ラベルには『色変え魔法薬』という商品名とともに『新たな自分に出会える』とか、『髪と瞳の色がランダムに選ばれます!』という謳い文句が。そう、国境検問所でも提示した色変えの魔法薬の瓶です!
瓶をのぞき込んだ隊長さんと副隊長さんは揃って目を見開いた。
「その髪と瞳の色は、色変えの魔法薬を使ったせいなのか」
「はい、そうなんです。けっこう高かったのですけれど、珍しい色に変わるというから試してみたのですよ。それがまさかこんな奇抜な色合いに変わるとは思わず……しかももうひとつ問題がありまして」
「なんだ、問題とは」
「この色変えの魔法薬なんですけれど、時間経過で効果が消えるタイプではなく、解除するには除去剤が必要なタイプだったのですよ。それが使ったあとにわかりまして」
色変えの魔法薬には二つのタイプがあって、ひとつは一定時間が経つと自然に色が消えるタイプ。コレが主流で、時間経過とともに効果が切れて勝手に色が元に戻る。そしてもうひとつが除去剤が必要となるタイプだ。これは本気で色を変えたい人が飲む物で、身体に直接作用するから髪を切っても伸びても元の色には戻らない。つまり半永久的にその色に染まる。たとえば白髪になった人が元の色に染めたいときになんかに使うことが多いらしい。
「しばらくはこのままでもよかったのですけれど、時間が経っても全く色が戻らないのです。それで、これはもしかしたら除去剤が必要なタイプだったかとようやく気がつきました」
「なんてことだ、それで買った店と商人は?」
「あわてて買いに行ったときには、もういませんでした。周囲の人に聞いてみたら、ずいぶんと前から姿を見ていないと言われてしまって」
ちょっと途方に暮れたような顔をする。
「そいつ、完全に怪しいな」
「本当ですね、手慣れているからぼったくりの常習犯でしょう」
「はは、そういうわけなんです」
二人揃って、かわいそうな生き物を見る目になっている。ごめんなさい、全部作り話です。でも人助けだと思って許してください。
「それで除去剤を手に入れようと商品の瓶を持って何軒か店を回ったのですが、今度はこんなラベルは見たことがないと言われてしまって」
「詰んだな」
「ですが、たまたま似た人物を見かけた人がいて、国境検問所に向かっていたと教えてくれたのです!」
ここぞとばかりにアンジェリーナは語気を強めた。
「それで荷の準備もそこそこに、あわてて追いかけてきたのか」
「そういうことです。ですから黒髪で紫色の瞳をしていても誓って家出娘などではございません」
ここは重要なので力を込めて言い切りました。家出じゃありませんよ、むしろ独り立ちです!
「たしかに不慣れで不安いっぱいというにはふてぶてし……失礼、行動力がありすぎますね」
副隊長さんがうっかり口を滑らせた。いいんですよ、初々しくないのは承知してます。
「図太いわりに、あっさり詐欺に騙されるけれどな」
隊長さん、図太いは余計だ。それに、そういう設定なだけで騙されたわけじゃないの。でも本当のことは言えないから、へへっと笑い誤魔化して荷物を担いだ。
「とにかくこれで私の疑いは晴れましたよね。じゃ、失礼して……」
「どこに行くんだ?」
「ええっと、今日はもう遅いので野宿しようと思います」
「まさかこんな森の中でか?」
「……ダメですか?」
いまさら宿は取れないし、街道沿いで野宿するよりは絶対に安全だという自信があるからです。すると隊長さんは深々と息を吐いた。
「危機感がなさすぎる」
「へ?」
「ここは魔獣の跋扈する危険な森だ。しかも寝ている間に誰が来るかわからないような場所へ非力な女性を放り出すわけにいかないだろう」
誰が来るかわからないって……そういえば、ここにいる兵士は男性ばかり。アンジェリーナは青ざめた。
「勘違いするな、うちの隊員に限ってそんな間違いは起こさない。だが念には念を入れるか」
念には念を入れて、……息の根止めて黙らせるとか?
「おおおねがいです、いいいのちだけはおたすけください!」
「どうしてそういう物騒な発想になった。念には念を入れて、今日はここに泊まれと言っている!」
「は、ここですか?」
予想もしていなかった展開にアンジェリーナは目を丸くする。副隊長さんはポンと手を叩いた。
「たしかに、隊長のテントは一番の安全地帯ですね。このテントを襲撃するバカは間違いなくいません」
「でででですが、こんな快適な場所をわたくしめごときが使わせていただくには」
「このテントには特別な結界が張られている。緊急時には民間人の避難場所として利用することもあるくらいだ。別にかまわない」
「いやいや、ですが……」
「貴重な情報をくれた礼だ。特別に許可する」
そう言って、彼は手早く荷物をまとめた。ええっと、一体何が? 隊長さんは副隊長さんの肩を軽く叩いて幕を上げた。
「おまえのテントを半分借りるぞ」
「狭くなりますけれど、まあしょうがないですね」
つまり私にベッド含めてこのテントの備品をまるっと使わせてくださると。
「いやいやいや、それは申し訳ないです! わたくしは、ほんのすこーしだけテントの隅っこをお借りできれば、床でも土の上でも寝られますから大丈夫です!」
「そんな細い体で無理するな」
「無理してないです、本当に寝られます。いつでもどこでも短時間で熟睡できるのが特技です!」
「図太いのか繊細なのか、全然わからないな」
慣れというか神殿でこき使われてきた結果かも。でも結局押し切られて、テントと布団の端っこをお借りすることになりました。こんないいベッドなら三秒で寝れます、三秒いらないかも。じゃ、おやすみな……。
そして夜が明け、早朝。
陽が昇る前に起きたけれど、皆すでに起きていて、隊長さんがあれこれ指示を出していた。どうやら撤収の準備を始めているらしい。……しまった、寝過ごした。あわてて挨拶に行くと、突然決まったから問題ないと答えが返ってきた。なんでも昨夜、急に国から戻ってこいという指示を受けたらしい。
「二年前のこともある。あらためて魔除けの聖女の評価を聞き、要請を取り下げることにしたらしい」
セントレア王国の思惑どおりになったわけだ。
覚悟していたつもりなのにな。自分が切り捨てられたようでアンジェリーナの胸が痛んだ。
「それでアンジェリーナ嬢はどうするつもりだ?」
「リゾルド=ロバルディア王国に向かいます」
「我が国に?」
「ええ、まずは貴国に。その次はセザイア帝国に行こうと思います」
荷物を背負い、掃除を手伝いながらそう答えた。表向きの理由は怪しい薬を売った商人を探すため。でもせっかく自由を手に入れたのなら、いろいろな国を見てみたい。
「だが今は決して安全な場所とは言えないが、いいのか?」
隊長さんが訝しげに眉をひそめた。昨日魔獣の大移動の話をしたから心配してくれているのだろう。予兆があるということは規模に関係なく必ず起きるということだ。でもね、大丈夫。アンジェリーナはためらうことなくうなずいた。
「険しい山並みに澄んだ青い空が広がるという絶景を見てみたいのです!」
アンジェリーナは瞳を輝かせる。とても美しい場所なのだと、おばあさまは教えてくれた。それはアンジェリーナにとって守る価値のあるもの。これからは国ではなく、私自身が守りたいものを選ぶ。
「そうか、アンジェリーナはそこまでして我が国に来てくれるのか」
「はい、本でも勉強しました。リゾルド=ロバルディア王国の歴史も文化も興味深いものばかりです」
隊長さんは、ふわりと笑って目を細める。自分の国が褒められれば、誰でもうれしいものだろう。どこか慈しむような眼差しはおばあさまのものによく似ていた。
「君にご家族はいないのか? 旅立つことを彼らは反対しなかったのか?」
「家族はいません。育ての親であるおばあさまが亡くなってから、ずっと一人でした」
「それは……、迂闊に聞くことではなかったな。すまなかった」
「いいえ、大丈夫ですよ。もう慣れましたから」
この程度では傷つかない。だからアンジェリーナは冗談めかして笑った。
「もうセントレア王国に帰る場所はないのです。ですから間違いなく私は家出娘ではありませんよ!」
おばあさまが亡くなって温もりは失われてしまった。だからアンジェリーナがセントレア王国にこだわる理由は何もない。魔除けの聖女は無能で役立たずで悪役のままでいいの。その代わり、私は他の場所で私の居場所を作る。拳を握りしめたアンジェリーナの頭を温かい手がなでた。それはほんの少しだけ困った顔をした隊長さんの手だった。
「……これは目が離せないな」
「え?」
「いや、こちらの話だ。それよりも我が国へ行くなら一緒にいこう」
「そ、それは」
「旅行者の安全確保も仕事のうちなんだが……嫌か?」
いやいや、そんな悲しそうな顔しないでよ。諸々の作り話のせいでアンジェリーナは罪悪感でいっぱいだ。
「……よ、よろしくお願いします」
あっさりと折れた。ほっと息を吐いて、彼の口元が弧を描く。
「ちなみにこの色変え魔法薬の薬瓶だがしばらく預かっていてもいいか?」
「はい、いいですよ。それをどうするのです?」
「隊員に聞いてみよう。それと国に戻ったら、心当たりがないか担当部署に確認してみる」
いい人なんだよね。私のような他人にも親身になってくれる優しい人。だから時期とタイミングを見計らって、少しずつ距離をおこう。
嘘に嘘を重ねて、傷つけることのないように。
隊長さんと一緒にテントを片付けたところで副隊長さんが駆け寄ってきた。
「隊長、全員出立の準備が整いました」
「では帰ろう」
荷を担ぎ、隊長さんがアンジェリーナに手を伸ばした。これはエスコートかな、ずいぶんと手慣れている。
「えっと、アンジェリーナ嬢もですか?」
「彼女の目的地はリゾルド=ロバルディア王国だそうだ」
「へー、観光ですか。こんな時期に珍しい。でも歓迎しますよ」
やはり旅人が自分の国を選んでくれるというのは、誰でもうれしいものらしい。話を聞いていた兵士達の表情が柔らかくなった。警戒しなくてもいいよ、私がきっと魔獣から国を守ってみせる。
誇張ではなく、私がいる限りは魔獣が国を蹂躙することはない。私の本当の力は、魔を寄せつけないことだけじゃないからね。おばあさまの教育に魔法の基礎や儀式の手順が含まれていたことにはちゃんとした理由がある。魔除けの力は限定的で、だからこそ万能なのだ。
「ではアンジェリーナ嬢、行こうか」
「名が長いので呼びにくいでしょう。アンジュと呼んでください。お嬢様という柄でもないので、呼び捨てで」
「アンジュ?」
「はい、おばあさまだけがそう呼んでいました」
かわいいアンジュ、良い子だね。アンジュと呼ぶことは私とおばあさまだけの秘密だった。
「アンジュか、かわいい名前だ。では私もジルベルトと」
「ジルベルト隊長ですね!」
「では私もフェレスと呼んでください」
「フェレス副隊長ですね、よろしくお願いします」
でもそれも終わり。これからは、もっといろんな人に呼んでもらいたい。
アンジェリーナ、改めアンジュはにっこりと笑った。雪解けのように無垢な微笑みが直撃した二人は一瞬固まる。艶を取り戻しつつある黒髪がさらりと揺れて、妖しい魅力を湛えた紫水晶の瞳が楽しげに揺れていた。
「これはいろいろな意味で危険ですね。目を離さないようにしないと」
「手は出すなよ、ただじゃおかない」
「隊長、他人事ではなくあなたもですよ!」
さあ、元気いっぱい魔獣の国に乗り込むわよ!
アンジュは周囲の熱い視線に気づくこともなくリゾルド=ロバルディア王国を目指した。