第三十一話 ついにこの日がやってきました
「ああ、ついにこの日が!」
「よかったな、念願叶って」
「ですがあまりにも紆余曲折ありすぎて現実感に乏しいというか、いまいち実感がわかないというか」
旅装に身を包んだアンジェリーナは真っ青な顔で震えていた。羽織っている紫色の豪奢なローブでさえ、今は力なくしおれて見える。
「まさか油断させておいて、このまま息の根止めて……!」
「だからその極端な方向に振り切るのはやめような」
この癖はどうにかならないものか。
「そういえばフェレスに聞いたのだが、まさかアンジュが方向音痴だとは思わなかった。たしかによく迷子になったり正反対の方向に歩いたりと危なっかしいと思っていたが……ひとりで国を出たとして、どうやって他国に渡るつもりだったんだ?」
「方向音痴というのは大袈裟ですよ、方向感覚にちょっとばかり難があるという程度です」
同じように旅装に身を包んだジルベルトは頭を抱える。
それを方向音痴というのだと思っていたが、違うのか?
「だが森の中で会ったときは間違いなくリゾルド=ロバルディア王国の方角を目指して歩いていた。方向感覚に難があってもできるものなのか?」
「ああ、あれは魔力だまりを目指していたのですよ」
「は、どういうことだ?」
「魔力だまりは各国に散らばっているでしょう? 魔力だまりを目指して歩けば国から国へと渡ることができる。特にリゾルド=ロバルディア王国は魔力だまりの上に国を建てた稀有な国です。つまり規模も濃度も最大値を誇る魔の巣窟を目指して歩いていけば、そこはリゾルド=ロバルディア王国ということなのですよ!」
誇るようにアンジェリーナは胸を張った。たとえるなら渡り鳥が飛来経路を予測するようなもの。対魔という限られた分野で最強というのは伊達ではなかった。だがジルベルトは青ざめる。野生の勘、つまり理屈ではないということか。よかった、事前に聞いておいて。勘を頼りに直線距離で進めば、あっという間に山中で遭難するところだった。
「いいか、絶対に離れるな」
「はい!」
手を握り返してアンジェリーナは薄く頬を染めた。愛らしい表情に直撃してジルベルトは顔を赤くする。なんとも言えない甘酸っぱい空気が周囲を包んだ。
「いやもうほんと国外追放される気があるのか不安になる光景ですね」
「フェレス副隊長……っと、隊長に昇格されたのでしたか!」
ジルベルトとアンジェリーナの視線の先には、呆れた顔をしたフェレス隊長がいた。国を離れるジルベルトに代わって、フェレス第二王子が王太子となる。それによって彼が対魔獣特務部隊隊長に昇格することが決まった。
セントレア王国の犯した罪は、国が滅び、王が処刑されたことで対外的には相殺されている。だが各国の人々の心には王国と聖女に対する不信と不満がくすぶっていた。さんざん好き勝手してきたものねー。それを払拭するために主要人物には罰が与えられることになったのだ。
そのうちのひとつが、聖女筆頭であるアンジェリーナの国外追放。
アンジェリーナはどの国にも属することなく各地にはびこる魔とつくものを排除し、魔力だまりを管理するという終わりのない贖罪の旅に出ることになった。そして王太子ジルベルトはアンジェリーナの背負う罰を折半するとして、ともに追放されることを望んだ。
……というのがリゾルド=ロバルディア王国が用意した筋書き。
おそろしい、全然国外追放という感じがしない。国ぐるみの情報操作、アンジェリーナが顔色を真っ青にするレベルの美談である。
「美談にしたのは思いわずらうことなく馬車馬のようにキリキリ働いてもらうためですよ」
「ですから心読まないでください、遠慮とか配慮ってものはないのですか⁉︎」
ちなみにジルベルトはリゾルド=ロバルディア王国にとって護衛を兼ねた連絡相談窓口という扱いになる。
コワイワー、国家権力。国外追放と言いながらしっかりと手綱はついている。次期王たる貫禄か、フェレス隊長の笑顔が腹黒い。さんざん振り回したはずが、さんざん振り回されたけれど、最後までアンジェリーナを気にかけてくれる優しい人でもあった。本当は気遣いのできるいい人のはずなのだけれどなー、鬼畜でなければ。
「それで出発前にやり残したことがあると聞きましたが」
「ええ、ちょっとばかり魔の巣窟に用がありまして。王の許可は得ていますよ」
ただ、壮大すぎてイマイチ理解が追いついていないようだったが。言質はとった、こういうときのアンジェリーナは遠慮と配慮はしない主義である。残念、人のことは言えなかった!
中庭にジルベルトとアンジェリーナが姿を現すと、何事かとばかりに隊員も集まってくる。ルードさんに、サビーノさん、マルコさんやいつも励ましてくれた隊員の皆さんの姿がある。彼らが揃って笑顔でいることがうれしい。
これからすることはほんの置き土産ですが、こころよく受け取ってくださいね!
アンジェリーナは魔の巣窟のそばに立った。そして魔力だまりの奥へと視線を向ける。憎らしげに飛ばしてくる気を避けて、奥へ、奥へと。ああやっぱり、まだまだ弱いけれど隠し持っているものがあった。
「ちょっと離れていてくださいね」
「何をする気だ?」
「大丈夫、私が直接手をくだすわけではありませんよ。是非を問うだけです」
「誰に?」
無言でアンジェリーナは口角をあげると、ジルベルトと繋いでいた手を離した。そして澄みきった青い空を見上げて、わずかに目を細める。するとアンジェリーナの体からゆらり、ゆらりと揺れながら魔力が立ちあがった。風もないのに紫のローブがなびいて、力を受けた背中の豪奢な紋様を輝かせる。魔力の残渣が陽の光を受けて金色に輝き、周囲をさらに明るく照らした。神がかった美しさに誰もが息を呑んだ、そのときだった。
ドオオオンーーーー!
すさまじい轟音がして、魔の巣窟に一本の巨大な稲妻が落ちる。あまりの衝撃に地が揺れて、派手に土埃がたった。ジルベルトは土埃をよけて手探りでアンジェリーナの体を抱き寄せる。
「おい、なにが起きた⁉︎」
「落ち着いてください、大丈夫ですよ。神判により非があるとして神が天罰を下しただけです」
「は⁉︎」
途方もなくて、誰もが呆然として言葉を失う。感謝の気持ちを込めてアンジェリーナは天を仰ぎ、側でジルベルトは頭を抱えていた。アンジェリーナの力を把握したつもりになっていたが、まだまだ把握しきれていないものが残されていたようだ。
「それでなにをどうやった?」
「たいしたことはしていませんよ。アレがやったことを言いつけただけです!」
「は、言いつけた⁉︎」
「こんなことやってますけれど許していいのですかーってね」
アンジェリーナはにやりと笑う。完全に口調が親に告げ口する子供みたいだ。ジルベルトは呆然として言葉を失った。アンジェリーナは力を使うときに祈りも潔斎もいらない。ということは思ったことがそのまま神の元へと届いたということか。ここまでくるとさすがに規格外が過ぎる。アンジェリーナは周囲の動揺をよそに、淡々と言葉を紡いだ。
「魔の巣窟の主はやりすぎたのですよ。竜の知識を得て邪竜を使役するなど魔力だまりとして与えられた役割を越えている。ですから神判に委ねました」
新たな命を生み出すのは神と名のつく者だけ。知識があろうとやっていいことと悪いことは存在する。アンジェリーナはふつふつと不気味な泡を生み出し続ける魔の巣窟に視線を向けた。
「さっきのぞいた感じだと、どうやら邪竜の他にもう一頭飼っていたようですね。まだ力が弱いので今回は出し渋ったようですが、それを出されたらもっと被害が拡大したでしょう。アレを出されたら、もはや魔獣の大移動の枠組みを越えて甚大な被害が出てしまう」
「どんなものを飼っていた?」
「世界を飲み込む蛇、とだけ申しあげましょうか。かの魔物はかつて神々と世界の覇権を争ったと伝えられています。罰として海の底に沈められているはずが、どうしてこんなところに召喚され力を蓄えているのか……さすがにそこから先は知識がないので理論的に説明はできません」
世界を飲み込む蛇、なんだそれは。見たことも聞いたこともない。周囲の人々は混乱の真っ只中だった。もし彼女の言葉が正しいのなら、この先の未来で未知なる魔物との戦いが待ち受けていたというのか。それともこれはアンジェリーナが大袈裟に言っただけか、いやでももしそうでなかったら?
「ですがご安心ください。天雷によって魔の巣窟の主は蛇もろとも竜の知識を奪われました。同じものを召喚することもできませんし、邪竜のように再構築して使役することもできません。次の魔獣の大移動では、今回のような想定外は起きないでしょう」
そうなるように、アンジェリーナは願った。
世界を変えてしまうようなものを召喚するなんて魔力だまりに与えられた知恵ではできないはずだ。竜の知識を得た弊害だろうか。二年前の魔獣の大移動でアンジェリーナがいないことに気がつき、この世界を望むように塗り替える気だったのか。
つまり欲張りすぎたのだ。静まり返った場にアンジェリーナの声だけが響く。
「我々は宿敵、決して相容れないもの。互いに牽制し、場合によっては制御する。双方が領分を侵さないように配慮しながら共存し、どちらかが力を持ちすぎて均衡が破られそうなときはああして神に判断を委ねるのです。もちろん、すべてが叶うわけではありませんが、もっともと思われたときはあんな感じで力を貸してくださいます」
そして力は均等にならされて、ふたたび世界の均衡は保たれる。
「どれだけの力を与えられたというのか、君は」
「あえて言うなら、必要なものはすべてです」
さらっととんでもないことを口にしたアンジェリーナに誰もが言葉を失った。その他大勢の聖女とは格が違う、聖女というのは彼女のような女性のことを言うのではないのか。ジルベルトは深々と息を吐いた。
神に願いが届く聖女の話なんて、誰も聞いたことがないだろうな。
木の葉を隠すならば、森の中に。数多の聖女の群れに魔女を――――本物の聖女を紛れ込ませる。アンジェリーナの予想もあながち見当違いではないかもしれないとジルベルトは思った。
「では逆のこともあるのか?」
「もちろん。私が魔除けの力に溺れて誤った使い方をすれば天罰がくだるでしょう。それだけの力を魔の巣窟の主は与えられておりますので」
アンジェリーナは胸に手を当ててにっこりと笑った。
「もし私が評判どおりに無能で役立たずならば、早々に天罰がくだされていたでしょうね!」
つまりここに無傷で立っていられること自体が、無能で役立たずではないという神判の結果だ。この場にはセントレア王国の聖女達の姿もあって彼女達は真っ青な顔で震えている。己が罪の重さを思い知ったらしい。保護されたからといって彼女達の未来は順風満帆というわけにはいかないだろう。無能で役立たずと呼ぶ者は、いつか自分もそう呼ばれる日がくる。幸せか不幸となるか、結果は自分がつくるもの。東方の賢者様の言葉らしいけれど良いこと言うわねー。
「さて、そうなるとこれが余ってしまいましたわね」
アンジェリーナは手に持った魔石を陽にかざした。大ぶりの魔石は浄化されているので濁りもなくきらきらと輝いている。
「邪竜を浄化したあとに残った素材のうちひとつか」
「はい、見事なものです。これだけでも強い力を持ちますが、媒体としても使えます」
「そういえば聞きそびれていましたが、それをどんなふうに使うつもりだったのですか?」
アンジェリーナは満面に笑みを浮かべる。とてつもなくいい笑顔にフェレスは嫌な予感しかしなかった。
「神に請願が聞き届けられなかった場合は、これに魔除けの力を付与して魔の巣窟に放り込もうと思っていました」
「は⁉︎」
「人は体に合わないものを食べたときに、拒絶反応が起きるでしょう。同様に魔力だまりにとって魔除けの力は毒と同じなんです。吐き出させて脅威となるものを取り除こうと考えていました」
「間違って蛇が吐き出されたらどうするつもりだったのですか⁉︎」
「ご心配なく。召喚ですから蛇は本来あるべき場所に戻されるだけです」
魔除けの力を持つ者だけにわかる匙加減というものだ。誰も想定していなかった答えに今度こそ全員が固まった。仕方ない、少しばかり補足しておくか。
「もちろん前例はありますよ――――魔の巣窟には、はじめてですが」
おっと失言。ジルベルトと視線が合うとアンジェリーナは視線をそらした。ジルベルトは頭を抱える。事前にある程度は聞いていたが、最後のあたりは聞いていない。都合が悪いからと黙っていたな。今度からは全部吐かせよう。そうでなければ止めようにも、止められない。止められる自信はないが。
「願いを聞き届けてくれた神に感謝しかないな」
ジルベルトの穴が開きそうな胃を守ってくれた。
「さすがにこのレベルなら願いを聞いてくださるとは思っていたので、あくまでも保険ですよ!」
アンジェリーナは誤魔化すようにへへっと笑う。そして魔石を太陽に向かってかざした。
「誇り高き竜が、死してのちに魂を弄ばれるなんて許せなかったと思います。魔力だまりの底で、きっといつか復讐すると誓ったはずです。誰の助けも借りることもできずに、たった一匹絶望に苛まれながら。これを使われたら、まさに致命傷となる痛恨の一撃でしょうね」
長い時間をかけて竜が育てた魔石だからこそ可能だった。アンジェリーナは未だ混乱の真っ只中にあるような魔の巣窟に冷ややかな視線を向ける。
「たしかに先代は魔力だまりを自然の脅威だと評しました。魔獣の大移動によって人の営みを徹底的に破壊する脅威だと。ですが逃げるだけでは立ち向かうことはできません。それがわかっていたからこそ、リゾルド=ロバルディア王国のご先祖は魔力だまりの上に国を築いたのだと私は思います」
強大な敵と臆することなく、勇敢に戦い勝利をつかめ。鼓舞するようなアンジェリーナの言葉はリゾルド=ロバルディア王国の人々の心に深く響いた。
「あなた方には自負があり、覚悟がある。アレの敗因は、人を弱者と侮ったこと。どれだけ苦境に立たされようと、あなた方は決して屈することはなかったというのに」
さすが幾たびも国難に見舞われながら懸命に立ち上がってきた誇り高い騎士の国。
リゾルド=ロバルディア王国の人々は厳しいところがあって、でもどこかに優しいところも持っていて。峻厳な大地と、青く澄んだ空のように厳しくも優しい彼らがアンジェリーナは好きだった。
だから守るものは、アンジェリーナが決める。
「では、これはこうしましょう」
アンジェリーナは手に握りしめた魔石に力をこめた。
長かったので切りました。次が最終話です。




